写真は、今は無くなった「南海 平野駅」です。
ここを訪れた昭和54年10月15日の翌年の昭和55年11月27日、この駅を終点としていた平野線が廃止となりました。
(昭和54年の私の足取り)
1)阪堺線「浜寺駅前」発12:54、「恵美須町」着13:39
2)「恵美須町」発13:50、平野線「平野」着14:09
3)「平野」発14:16、上町線「天王寺駅前」着14:31
4)「天王寺駅前」発14:31、上町線「住吉公園」着14:52
※時刻は手元の資料によります。
以上、およそ2時間で“南海”の路面電車3路線を完乗しました
この後、南海本線「住吉大社」から難波に抜けて、近鉄で名古屋に戻っています。
(余談)
ご存知の方は少ないと思いますが、中京テレビの携帯サイトには「鉄研ケータイメルマガ」と言って、登録すると毎朝9時に鉄道系の『写真』をメールで送るというコンテンツがあります。
配信を受けるには「中京バックステージ<月額262円(税込)>」への会員登録が必要で、かつスマートフォンには対応していないのですが、送信する写真は、このブログで紹介した『話題』の内、話しの展開上、使えなかったモノが主です。
※同じ写真はありません。
この3月までは、「携帯コンテンツ」の写真のタイトルと「ブログ」の話題は非連動だったのですが、この4月からは「携帯コンテンツ」のタイトルの付け方を変え、いつの「ブログ」で紹介した話題かを分かるように変えました。
登録の方法は中京テレビ携帯サイトからで、
≪アクセス方法≫
メニュー ≫ TV/東海 ≫ 中京テレビ ≫ 鉄研ケータイメルマガ
で辿り着けるはずです。
有料サイトで恐縮ですが、今日は私がこのブログ連動で『こんなこともやっている』というお話しで、この阪堺電鉄の写真は22日(日)からUPの予定です。
「天王寺駅前」は大きく変わりつつあります。
近鉄の「阿部野橋ターミナルビル」の工事が真っ盛りで、完成すれば日本一の高さのビルになるそうですが、その影響で、「天王寺駅前」駅から道路には直接出られず、相当な大周りを強いられました。もっとも他の交通機関に乗り換えの方や近隣のビルに向かう方にはあまり影響はなさそうですが・・・。
で、この写真を撮影したのは「天王寺駅前」の目の前にある『あべのキューズモール』というショッピングモールの『イトーヨーカドー』のあるフロアーのテラス部分です。
ここから見える風景ですが、写真の「住吉公園」側ではなく、「天王寺駅前」側を見れば日々変わりつつあるというのは言い過ぎですが、それでも街の景観を大きく変える近鉄の建設中のビルが目に入ります。なお、魚眼レンズでもなければ阪堺電車とそのビルの全容を1枚で写し込むのは困難と思われます。
それにしても上段写真でさえ「162号」がまるで保存車両の記念運転に見える(あくまでも私の感想です)のですが、この界隈の整備が終わった後も161形は走り続けるのでしょうか?趣味的な観点はさておき、近鉄のビルが完成後、行き交う人が増えそうな天王寺界隈における公共交通機関の一つとしての役割が増える事を期待したいものです。
上段写真は昭和54年10月15日の上町線「天王寺駅前」駅で、下段写真は平成24年2月22日の「天王寺駅前」駅です。
道路中央の狭い安全地帯にかろうじて屋根がある風景は全く変わっていません。
昭和時代に停車中の電車は前に止まっているのが205形の「230号」で、後ろに止まっているのは…、写真ではナンバーまでは確認できず形式の特定は出来ていません。同形式っぽいとも思うし、161形とも思えるし…。
また平成のこの日だけかどうかは分かりかねますが、2両が停車できる“ホーム”は、「住吉公園」側の1両しか止められないようになっていました。その結果、「162号」が停車している位置は写真の通りです。それにしても“ホーム”は前にも書いたとおり、あまりにも狭く、電車到着時には下車側だけではなく、乗車側の待っている乗客の列もなかなかのものです。
話しは変わりますが、時代の変遷ということでは、カラー写真のプリントの劣化は覆い隠せません。今回UPしている昭和の写真はモノクロ写真より始末が悪い感じです。ネガがあればもう少しましだったのかも知れませんが、例えネガが見つかったとしても、これよりクリアである保証はありません。
阪堺電車の古豪「161形」や、「住吉鳥居前」から乗車した「351形」には写真の様な標語(?)が掲げられていました。
「顔なじみ 今日も乗ってる 阪堺電車」
「笑顔 ふれあい チンチン電車」
決して大袈裟ではなく、独立採算の企業としては『存亡の危機』が続く阪堺電車ですが、こうしたどこか“ほっこり”する言葉に心和むものを感じたりするのですが、それが却って阪堺電車の置かれた状況をより強く感じる証左であったりもするのです。
また、今回のシリーズの6回目で阪堺電車は1乗車『200円』と書きましたが、もともとの2区間運賃は290円であり、堺市が支援しているからこそ『200円』の均一運賃となっているのです。これによりどれ位輸送人員増に繋がっているかは私の手元に資料がなく、軽々に発言することはできませんが、この写真の標語は、見る限り結構前からある雰囲気です。
ただ言葉は「切実」であり「切なくなる」響きがありました。
阪堺電車上町線「住吉公園」駅、南海電鉄南海本線「住吉大社」駅の駅を出て目の前の道路から東を見ると、そこには阪堺電軌阪堺線「住吉鳥居前」駅と言うのは『鉄』的な表現で、大阪府民にとっては『住吉大社』が構えています。(上段写真)
参考までに、東から西に向かっての並び順を紹介しますと、『住吉大社』⇒『阪堺線「住吉鳥居前」』⇒『上町線「住吉公園」』⇒『南海本線「住吉大社」』⇒『住吉公園』で、駅名的に言えば南海本線と上町線では位置的に逆転しています。
※『住吉公園』は「住吉大社」駅の目の前にあります。と言っても私はその存在を確認したことはありません。
下段写真は「住吉鳥居前」発15:21の「355号」が、専用軌道から併用軌道に入ってくるところを、停留所から撮影したものです。電車の後ろに踏切警報機が見えるのも好ましい風景ですが、写真の左上に見える“専用軌道”という吊り看板もナイスです。
余談ですが阪堺電車の併用軌道はどこも比較的交通量が少なく、更に専用軌道が多いので、今回私が乗っている限りですが、どの電車も殆どダイヤ通りで、遅れる事はあまりありませんでした。
(プラスの情報)
写真ではUPしませんが、「住吉鳥居前」の時刻表の天王寺行きは日中6分間隔です。『そんなはずは無い。6分間隔は「住吉」から先でしょう』とお気付きのあなた、正解!です。この「住吉鳥居前」駅を始めて使う人には混乱のもとかも知れませんが、12分に一本の数字は“□”(四角カッコ)の中にあり、時刻表の数字の後には“住吉公園から発車(当停留所から西へ70m)”と書いてあります。例えば15:21の電車に乗り遅れた時、「住吉公園」から15:27の電車に乗って下さいとなる訳です。ただ、70mとはいえ、歩く人はどれほどいるのでしょうか?
「住吉」駅から上町線「住吉公園」駅までは『十分歩ける距離です』と言うより、電車を待つ間に歩けてしまう距離です。僅か200メートル。それでも歩かずに“乗ってしまう”のは「鉄」の“性”ですね。
と言うことで写真の電車「706号」は「住吉」発15:08で15:10に「住吉公園」着(上段写真)。中段写真は平成24年の「住吉公園」駅の外観で、下段の写真の昭和54年の「住吉公園」駅です。
南海本線の「住吉大社」駅の高架横という場所は全く同じで、建物も一見、同じ姿を見せていますが、良く見ると幾つか違いが…。その前に駅名看板の文字が『右』から『左』に向かって旧字体で書かれているのは変わっていませんし、その駅名の下から私にはその用途が分からない“鎖”がついています。
で、変わった点ですが、昭和では駅の入り口に店を構えていた靴屋さんが姿を消し、平成では「宝くじ」の窓口になっていました。でもそんな事より思わぬ変化を見つけました。それは『瓦』です。色の違いはさておき、写真を見比べていて形が違っているのが分かりました。恐らく傷んできたので単に葺き替えたのでしょうが、歳月の流れを感じます。
プラス駅ではなく電車の話しですが、昭和の“駅”に止まっているのは青色の雲形塗装が2両です。
今回は「住吉」の「信号扱所」でコントロールしている『天王寺駅前』側の分岐器の話しです。
上段写真が、『天王寺駅前』から『浜寺駅前』と『住吉公園』へと別れて行く方向で、下段写真がその逆に合流する方向です。見た限りですが、別れて行く分岐器には転轍機(てんてつき)があり、合流する方向は電車の重量で押し出して行くタイプで、電車が通過するたびに繋がる方向が変わっていました。このタイプの転轍機(と言って良いかどうかはともかく…)はどういう名称なのでしょう?
電気式でもなく、スプリング式でもなく、まして手動でも無い訳で…。何れにしろ複線が合流する路面電車では良く見かけるタイプです
ところでこの写真を撮影する寸前まで分岐器を整備している方の姿を見かけました。本当はその様子も撮影しているのですが、あまりに真剣(当然と言えば当然ですが…)に作業されており、私は声掛けも出来ず、そのままブログにUPすることも憚られ、結局、今回のシリーズで使うことを止めました。まあ、たまにはそんなこともあります。気紛れな私です。
「住吉」駅の一角に「操車塔」ならぬ「信号扱所」があります。
路面電車のこの分岐点(上段写真)で「ポイントの切り替え」を行う場所は地平にある事務所みたいな建物(下段写真)で、上段写真では丁度真ん中に小さく写っています。
ところで路面電車の分岐点は、“路面電車”というだけあって通常は道路の交差点の中にあり、そのためポイントの切り替えをする場所は、交差点全体を見渡せるように、ちょっとした『塔』となっていたのが一般的でした。(「操車塔」と呼ばれる所以です)
ところが阪堺電車の「住吉」駅の分岐は、併用軌道と専用軌道の分岐のため、『塔』にする必要性が低かったかもしくは無かったため、地上(地平)に「信号扱所」があります。もっとも路面電車の施設として「信号扱所」と書いているのは私のこの記事だけかも知れません。
以前、路面電車に詳しい方から阪堺電車の「住吉」には“操車塔”ならぬ“操車場”があると聞いており、その名称が『路面電車』らしいとその時は思ったのですが、実際に建物を見て、一般鉄道の「信号扱所」という表現を使ってみたくなったのです。皆様、お許しください。
ところで中には何人かの人影が見えましたが、流石に窓から覗くことは憚られ(はばかられ)そうした行動はしませんでしたが、さりげなく様子を窺った(うかがった)ことは否定しません。
「住吉」駅のダイヤモンドクロッシング(参考までに、当初の変換では「く六寝具」。どうでもいい事ですが“寝具”の話しを書いている訳ではありません。)です。
まあ平面交差なのですが、市内交通の王者が路面電車だった頃は、名古屋市内を含め全国至る所で見られたありふれた光景でした。それが今や、愛媛県の伊予鉄道の「古町」「大手町」や高知県の土佐電気鉄道の「はりまや橋」、地元では名古屋鉄道築港線と名古屋臨海鉄道東築線との交差であったり、本当に限られた存在となりました。
ところでダイヤモンドクロッシングの楽しみは、線路の交差もさることながら、架線の“賑やかさ”(こういう表現を敢えてしてみました)にもあります。
特にここ「住吉」は複線分岐もあり、その賑やかさが際立っています。
直線を通過する電車や、分岐線を渡っていく電車を見ているだけで時間がいつの間にか通り過ぎていきます。この日は最後に「新大阪」から『300系』に乗ると言う大イベントが控えていたこともあり、あまりこの光景を楽しむ余裕が無かったのが残念でした。
それと写真が後追いなのですが、この方が“ダイヤモンドクロッシング”らしいと感じたからではなく、とりあえずここではこの1枚を撮影しただけで納得し、私は次の目的地に急ぎました。
※ここに写っている「604号」は「阪堺電車の真実(3)。」でUPした電車で、「恵美須町」発「我孫子道
行きの電車から「天王寺駅前」発「浜寺駅前」行きに乗り換える際、下車して直ぐに撮影したものです。