2012年03月30日 19時13分

阪堺電車の真実(3)。

一昨日の記事を改めて読み直し、誤解を招きかねない点があり、補足します。それは「恵美須町」“駅”の“駅”の件で、この駅舎の入り口には『阪堺電車のりば 恵美須町駅』と書かれており、他駅でも『住吉公園駅』等の文字を確認しております。つまり阪堺電車ではこの「恵美須町」は正真正銘の“駅”のようです。

先回の拙文の内容は、このホームの写真でも見て取れる通り、“電停”と呼ぶには似つかわしくなく“駅”というのがやはり相応しいと感じたことからであり、あくまでも私の感想と言うことでご容赦を。

で、その“駅”ですが、私が最初にこの地を訪れた時は、「平野線」が健在で、上段写真で「604号」の停車している線の向こう側にもう1本線路があり、そこから平野線が発着していたはずです。
写真の「我孫子道」行きの電車は1番線に止まっており、電車に乗るホームは、写真の真ん中にドデンと控えたところではなく、電車の向こう側のホーム(写真の左方に人が立っているところ)であり、そこに立てばもう1本線路があったことは容易に見て取ることが出来ます。

この写真は、こうした説明をするには少々不親切の誹り(そしり)を受けても致し方ありませんが、出来る限り駅の雰囲気を伝えようと選んでいます。皆さんには出来れば自分の目で確かめて頂ければ幸いです。

もう一つ不親切なものがあります。実は下段写真の『100周年』のヘッドマークで、恐らく期間限定で付けられているものということで、皆さんにこれをご覧いただきたくてこのUP写真となっているのですが、私が話しをしたいのはそれではありません。何が不親切かと言うとこのブログを小さな画面でご覧の方には判別できないと思いますが、本来601形の車両ナンバーは正にこのヘッドマークの下にあり、その代わり写真を撮影した時点ではこのヘッドマークの直ぐ上の窓の所に仮設ナンバープレート(?)がありました。
上段写真でチラッと写っています。(多分、間違いないはず)

(余談)このヘッドマークは大小路までの100周年記念のように見えますが、明後日の平成24年4月1日には阪堺線の全線開業の100周年を迎え、記念セレモニーも行われます。それも含めての兼用なのかどうかまで私は調べていません。お許し下さい。

2012年03月29日 20時56分

阪堺電車の真実(2)。

平成24年2月22日、『名阪ノンストップ特急』の乗り納めと、『300系新幹線』の乗り納めに出掛けました。

『名阪ノンストップ特急』の乗り納めは3月13日から『名阪ノンストップ特急へのレクイエム』と題してUPしており、また300系新幹線』の乗り納めは3月8日から『さよなら「300系」』と題してUPしていますが、私にとって問題だったのは大阪難波に12:05に着いてから、新大阪を出る17:40までの過ごし方。

1つは3月17日のダイヤ改正で名前の消滅したJR西日本の特急「オーシャンアロー」「スーパーくろしお」に乗り、和歌山まで指定席で往復すること。なお『和歌山』往復を考えたのは単純に時間の過ごし方の問題です。
で、もう一つ頭をよぎったのが今回実行した“阪堺電車”三昧で、特急列車の“名前”よりも100周年という“実”を取りました。 ご存知の方も多いと思いますが、阪堺電車阪堺線は2011年12月1日に100周年を迎えており、「そう言えば30年以上乗っていないなあ…」と思いだし、近鉄「大阪難波」駅に下車した直後に決断しました(大袈裟です)

と言う経緯で、「恵美須町」で待つこと暫し。12時52分、専用軌道をゆっくりとこちらに向かってくる電車に出会うこととなりました。なお写真の右隅にチラッと人が写っているのを確認できますでしょうか?間違いなく「鉄」の方と見受けました。

(参考)
阪堺電車阪堺線は明治44年(1911年)12月1日、(旧)阪堺電気軌道が「恵美須町」~「市之町(現・大小路)」を開業させたのが始まりです。

2012年03月28日 18時21分

阪堺電車の真実(1)。

今日から「阪堺電気軌道」(ここからは『阪堺電車』と書きます)の話しを暫く続けます。

で、今回の写真は「恵美須町」駅です。と言っても、平成24年ではなく、昭和54年10月15日で、今の『阪堺電車』になる前の、「南海電気鉄道」時代の写真です。

今や阪堺電車が「南海」だったことを知っていると言うか、そもそも「南海」時代に乗った事があると言うこと自体、少数派かもしれません。
さて、この写真の「恵美須町」駅と今の「恵美須町」駅と何が違うかと言うと、駅舎の上の大看板が異なっていることや街並みが変わってはいますが、変わっていないと言えば変わっていないこの“駅”です。

ところで、路面電車で“駅”という表現が良いかどうかということがありますが、『阪堺線』はここから暫く専用軌道で、特にこの「恵美須町」は終点“駅”、ターミナルの様相であり、所謂“電停”とは一線を画すものと私は思っています。

今回は、ここ「恵美須町」駅から話しを始めますが、昭和54年の初乗車の時は、「浜寺駅前」発12:54~「恵美須町」着13:39(手元の時計による)で、順番は逆です。たまたま平成24年2月22日のスタートがこの“駅”でしたので、その点はご容赦ください。

合わせて、昭和54年当時の写真ですが、“乗り鉄”故と言うことで先に謝っておきますが、「南海」時代の阪堺電車の終点の建物の写真は、アルバムで直ぐに見つかったのですが、肝心の電車の写真が見つかっていません。撮影していないことは無いはずなのですが、、、その変わり現在の電車の写真は撮影して来ました。

(追伸)タイトルの「真実」は私の心象です。大袈裟ですが、まあ、許される範囲ということで・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!