2018年01月28日 20時03分

鹿児島市電(2)2132号。

冬場の朝日は思いのほか日差しが低く、観覧車は明るくなっても道路はビルの陰で暗いまま。

都会のビル群を走る市電は、やはりいろいろな意味で撮影場所と撮影時間帯を選びますね。(反省)

もっともこうして撮ってる本人はそれにめげる訳でもなく楽しい時間を過ごしています。

鹿児島市内から見る桜島。とても海を挟んだ向こう側にあるとは思えません。これは旅の「記憶」写真。

電車を撮っていられるタイムリミットが8:45で、自己責任とは言え慌ただしい。もうあとせめて1時間早起きしていれば、、、。

 

明治維新から150年だそうです。明治時代に生まれ、昭和の時代に活躍した俳人中村草田男が詠んだ句に「降る雪や明治は遠くなりにけり」(昭和6年/1931年)がありますが、明治は今や遠くなったというより遥か彼方の過去過ぎて、遠い所ではありません。私にとっては、昨年の岐阜市のプロジェクト/織田信長公入城・岐阜命名450年と同レベルの歴史ロマンと言った感覚です。

2130形(2132)。鹿児島市電と言えばやはりこの塗装ですね。

同じ2132の平成23年(2011年)3月24日の姿。当時は広告ラッピングされていたのですね。個人的にはオリジナルの塗色が好みですが、広告がないとそれはそれで「収入」が心配になってしまう今日この頃。

2018年01月27日 19時58分

鹿児島市電(1)センターポールと軌道敷緑化。

1月6日(土)。朝一番は鹿児島市内散策。

鹿児島中央駅前で見つけた「かごりん」。

ようするにレンタル自転車ですが、移動しながらの市電の撮影にはピッタリだね!とか横目で見て思った次第。

この日は寒くてなかなか(体の)エンジンがかかりませんでしたが、それでも8時過ぎから始動。

1000形(1011)ユートラムが走るセンターポール&緑化された軌道。鹿児島ではもう「おっ!」と思わなくなるほど街に馴染んでいると思います。

実のなる木がある街並み。これは流石に珍しいと思いパチリ。向こう側を走っているのは先ほどの1011。

2017年11月15日 20時54分

熊本市電寸描(2)市電の走る街。

熊本駅に戻る方向で散歩がてら撮影。

9:06頃。花畑町~辛島町間。右が0802号、左が803号。水戸岡鋭治氏デザインの0803号「COCORO」は乗ってみたかったけど今回は縁がなし。

9:09頃。1356号。辛島町~西辛島町・慶徳校前間。熊本市電の熊本駅前~通町筋間は右折・左折が続くのが撮影する側から見れば楽しい。

1207号とのすれ違い。交差点ならではの楽しみの一つ。

街角の花は一服の清涼剤。8801号。

1203号に乗り、その車内からの撮影。

B系統の1343号。市電が走る街。名古屋でもまた走ってくれないかなあ。

おまけ。

1203号の床は板張り。その床にアールを描いた金属の補強部分。昭和41年(1966年)のワンマン化時に運賃箱を設置した際に取り付けたと思うのですが、ちょいと時代がかって面白いとは私の独り言。

熊本駅前に9:28に戻り撮影終了。

2017年11月14日 20時46分

熊本市電寸描(1)熊本城。

10月8日(日)。この日は9:45発の「SL人吉」に乗る予定でしたので、その前に熊本市電をプチ撮り鉄。

JR熊本駅の目の前の乗り場(「熊本駅前」電停)から乗車。

朝の8:26。1201号。流石に日曜日のこの時間ではお客さんは少ない。ここから町の中心部/通町筋まで乗車。3.2キロの所要時間は20分。

平成28年(2016年)4月に発生した熊本地震で大きな被害が発生した熊本城。

修復工事は進んでいます。今回は記録としての撮影でここまで足を延ばしました。右は9704号(パト電車)で左は9202号。

8:58頃。A系統健軍町行き8503号。

A系統(田崎橋~健軍町)が日曜日の日中6分間隔。

B系統(上熊本駅前~健軍町)が日曜日の日中12分間隔。市民の足はかくあるべしと言いたくなる利便性。

2012年12月18日 21時55分

10月27日、「筑豊電鉄」に乗る。(2)

「筑豊直方」を14:30に出発した電車は「黒崎駅前」を目指し筑豊の街並みの中をひた走ります。

楠橋(くすばし)車庫のある「楠橋」駅は14:38に出発。車庫には昭和53年に乗車した2000形の姿もあり懐かしく感じました。また2000形について言えば、2009年(平成21年)に公開された映画『おっぱいバレー』の中でも重要シーンに登場しており、その映画が中京テレビも製作に参加していたということもあって公開時にはスクリーン中の2000形の雄姿を何度も見た思い出が私にはあります。

話しは飛びますが「乗り鉄」をする時は事前にしっかりいろいろと調べていく場合と、そうではない場合があります。ただ事前調べはなくとも、このブログを書くにあたっては手持ちの書籍やネット、はたまた本を購入してそれを参考にする場合もあります。少なくとも今回の「筑豊電鉄の乗り鉄」の場合は、“思い出”“記憶”の復習はちゃんとして『実地研修』に臨みました。なのですが、車掌さんが今も乗務しているのは承知していたのですが、車内では“お札等の両替”はしているものの“切符の販売”をしていないというのは承知していませんでした。

15:03の定時に「黒崎駅前」に到着。路面電車タイプの鉄道でありながら全区間が専用軌道というのは不思議な感じですが、それより私の人生で最初に経験した「黒崎駅前」は『西日本鉄道 北九州線』の電停であり通過式の本当にいわゆる路面電車の電停で、平成のような建物の中の行き止まり式ではありませんでした。

「黒崎駅前」という現状から考えれば“謙虚”と言いたくなる名前の由来であるJR「黒崎」駅も昭和の時代から建て替えられ、ペデストリアンデッキが駅改札の前にあるので、まるで地平駅に見えますが、実際には地上にはなく、筑豊電鉄からですとエスカレーターで上ったところにありました。

2011年06月09日 18時18分

長崎電軌(21)追伸。トンネルの話し。

長崎西洋館「トンネル」に入っていく3系統「赤迫行き」375号です。
※今回、この写真はトンネルの話しをするために使っています。

昨日の朝、路面電車で“日本唯一”のトンネルが長崎電軌にあると
UPしたところ、「konantaka」さん、「ぽぽふき」さんからトンネルの件で
コメントを頂きました。
本来なら『コメント』欄でお返しするところですが、今回はここに
詳しく書かせていただくことにしました。

また、以下の内容につきましては、『長崎電気軌道』本社様に問い合わせをし
お聞きした話しを参考に纏めたものです。
長崎電軌のご担当者様には、お忙しい中、大変お手数をおかけしました。
この場を借りて御礼を申し上げます。

●トンネルの条件…“トンネル”は『土の中を通る』というのが
一般的なイメージです。
社団法人日本トンネル技術協会HPでの「トンネルとは?」には
『一般に「2地点間の交通と物資の輸送あるいは貯留などを目的とし、
建設される地下の空間」で断面の高さあるいは幅に比べて軸方向に
細長い地下空間」とあり、やはり地下にあるというイメージはその通りです。

ただ、“一般に・・・”とあるように、何事にもイメージとは異なるものも
含まれることになります。

■長崎西洋館のトンネル…このトンネルは、長崎電軌がその構造物を作り、
所有者である長崎電軌が『トンネル』として登録しているそうです。
例えば、極論ですが「鉄道橋」が「橋」であるかどうかは、
「橋」として登録しているかどうかのようです。

■桜町の“トンネル”…この“トンネル”は、土地を切り崩して作られており、
上の道路等と、電車も走る下の道路の立体交差の構築物であり、
またそもそも長崎電軌の所有物ではないそうです。
つまりこの“トンネル”は、『道路』の構築物であり、
それが“トンネル”かどうかの分かれ目は、どうやら道路所有者の
登録によるものになりそうだということが分かってきました。

『桜町の“トンネル”は「立体交差」』という話しは、以前、うろ覚えながら
聞いた記憶があり、それも含めて昨日のブログに繋がったのですが、
今回はいろいろと勉強になることが多かったです。

私・個人も「ぽぽふき」さん同様、桜町の方が“トンネル”気分なのですが、
そこで思い出したのが大阪市内で高架の阪神高速がビルを
貫いて走る区間です。
その部分はどんな『登録』になっているのでしょう?
ネットで調べましたが結局わかりませんでした。
まあ、法的な根拠も含めて厳密に全てを考えるのも良いのですが
それはさておき、『桜町のトンネル』という言い方は、
その方が“自然な捉え方”とは思っていますし、
現にそう表現しているHPも多く、私はそれを否定するものではありません。
ただ“日本唯一”という時だけは、正確を期するべきとは考えています。
実際、今回の長崎電軌訪問まで、桜町の“トンネル”を私は「トンネル」と
信じて疑っていませんでした。

それにしても「鉄道」の世界は奥が深いというのが今回の結論です。

2011年06月09日 9時02分

長崎電軌(20)街の足はやっぱり路面電車に限る!

「長崎路面電車博物館」の入る『長崎西洋館』のテラスから撮影した
“長崎電軌”と長崎の街並みです。
(下の電停は「浜口町」)
この辺りはビジネス街と見紛うほどビルが立ち並び、
そこを専用線と併用軌道で走り抜ける電車の姿が、
如何にも“都市の基幹交通”“ダウンタウン(ビジネスの中心地)の足”
という感じがしましたので、長崎電軌の最後の一枚に選びました。
※本当のダウンタウンがここかについては責任が持てません。
 あくまでもビル群から来るイメージです。

1乗車が120円(この値段で“のりつぎ券”もある)と、
民営鉄道では信じがたい安さですが、この値段になったのもつい2年前のこと。
1日乗車券が500円と“格安”ですが、この元を取ろうとすると
5回も乗らなければならず、私なんぞは毎度毎度の支払いの
手間軽減という観点で1日乗車券を購入しました。
そんな中、外国からの観光客が『長崎スマートカード』
(ICカード乗車券、長崎県内のバスと共用)を使っているのを見かけ、
長崎市内を効率的にかつ“安く”回るには確かにこちらの方が
便利な気もしました。
それはともかく、そんな光景を見かけるほど長崎電軌が市民・観光客の足として
定着しているということです。
何せ日中、1号系統は5分間隔、間隔の開く4・5号系統でも8分間隔で
次の電車を“待つ”という感じはありません。

『動く電車博物館』として、鉄道が好きな方達の期待に応え、
一方で「5000形」が更に増備され、ますます便利で弱者に優しい鉄道としての
存在感が高まることを期待します。
(通り一遍で申し訳ありません)

(余談)
平成4年から貸切電車の運用を始めております。
大人は1回片道8,640円で電車1 両を貸切にすることができます。
(車両指定可。条件は長崎電軌HPで確認を)
この値段なら一度は貸し切ってみたい!

2011年06月08日 18時26分

長崎電軌(19)長崎路面電車資料館の中。

資料館そのものは上段写真のようにさほど広くはありません。
正面真ん中に鎮座していますのは顔出しモックアップで、
この写真を撮影したときは誰もいませんが、身を乗り出す子供達の写真を
撮影する家族連れは多かったです。
この車体番号「1号」は、多分、大正4年の開業に投入した「1形」を
模したものと思われ、方向幕は「長崎駅前」となっており救助網も
しっかりありました。因みに内側にはコントローラーやブレーキなどもちゃんとあります。

下段左側の写真は、『ビューゲル』です。
6月1日に「明治電車」をUPした際、『ハンドルさん』から、
『明治電車に乗った際に、ビューゲルの向きが変わるのを
初めてみました。(要約)』というコメントをいただきましたが、
確かに若い世代の方には「ビューゲル」は馴染みがないのは当たり前で、
それもあるのか、わざわざ説明付きで「ビューゲル」が展示されているのには、
理由があった訳ですね。
実はこの資料館でこの「ビューゲル」を見た時に何で「ビューゲル」が
あるのだろうと思ったのですが、やはりそういう時代ということなのでしょう。

一方、右側は「ローレル賞」の受賞記念盾です。
「ブルーリボン賞」にしろ「ローレル賞」にしろ、受賞記念の銘板が
その対象のトップナンバーの車両に取り付けられているのは
何度も目にしていますが、こうした「盾」があるのを私は始めてしりました。

2011年06月08日 8時01分

長崎電軌(18)長崎路面電車資料館。

では、日本で唯一の“トンネル”はどこにあるのでしょう?
それが今回の写真です。
長崎路面電車資料館の入る「長崎西洋館」の中というか下と言うか、
兎にも角にもそこにあります。
上段写真で言えば長崎西洋館のビルのどてっ腹にあいた大きな
『穴』がそれで、中は下段写真のようになっています。
“トンネル”に見えなくも無いですが、乗車している気分としては、
「ビルの中を通り抜けている」が実感です。

それはともかく、「長崎路面電車資料館」の話しを少し。
開館時間は11:00~17:00と言うことで、てっきりこういた
『資料館』によくある10時開館かと思っていったら開いておらず、
開館まで少し待つことになってしまいました。
(行かれる方はHPでご確認下さい)

「博物館」と銘打たず、「資料館」という謙虚さが好ましく、実際、
資料館と言うレベルですが、「動く電車博物館」とセットで考えれば、
長崎電軌の歴史がよくわかります。

一般的な観光地ではありませんが、「鉄」の方には長崎電軌訪問の
“ついでに”行くところとしてお勧めします。
じっくり見るならともかく、『成程』レベルなら30分もあれば十分だと
思います。

2011年06月07日 18時48分

長崎電軌(17)電車がいる風景。

上段写真は「築町」~「出島」間を行く『1702号』。
下段写真は「公会堂前」~「桜町」間を行く『504号』です。

このお題(電車がいる風景)でこの2枚を選んだ理由ですが、
まず上段写真は併用軌道というにはあまりにも道路を鉄道が占拠する割合が
大きいという点で、昭和の路面電車全盛時代でもここまで極端な例は
あまりなかったのでは思っています。
これで道路(線路)の両側に商店が並べば、ヨーロッパのトランジットモール
そのものですね。またセンターポール化されていることで、
すっきりした街並みに見えることも高ポイントです。

一方下段写真は、トンネルの存在に尽きます。
と言ってもこれは正式にはトンネルではないとのことで“立体交差”だ
そうですが、気分は併用軌道の“トンネル”で、ちょっと不思議な感覚が
味わえます。

といいつつ、実は長崎電軌には、横浜市電全廃後、日本で唯一の路面電車の
トンネルが存在します。
それは「意外なところにありました」などというより、
明らかに長崎市民も含め、誰もトンネルとは思っていないと思われます。
(詳しくは次回UPします)

なお、日本唯一の存在を解く鍵は、HP「旅する長崎学」2008年8月6日
更新の「長崎は路面電車の走る街~長崎チンチン電車物語」の中で、
長崎電軌の方へのインタビューにありました。

話しが写真とずれてしまいましたが、桜町の『立体交差』は
“トンネル”としてのインパクトは大です。一度お試しあれ!



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!