2011年06月07日 8時06分

長崎電軌(16)昭和の「正覚寺下」の風景。

昭和55年の「正覚寺下」電停停車中の360形「362号」です。

今回、この「正覚寺下」には時間の都合で行っていないのですが、
別に「正覚寺下」をないがしろにしたということではないと
知っていただきたく、せめてもの償いに
昭和の写真をUPすることにしました。
実は、ここと「とあるところ」2箇所を天秤にかけ「とあるところ」に
行くことを優先しました。
もっともあと1時間早起きすれば十分に行けたのですが、
最近はすっかり欲がなくなってきました。
年のせいでしょうか?いやっ単なる怠慢です。

その電停の構造は、写真で見る限り走ってきた道路からいきなり民家の前に
突っ込むスタイルで、見ようによっては何とも大胆な止まり方ですが、
何とかつかつの1両分の長さしかありません。
今は多分2両分位の長さに伸ばされているのではないでしょうか?
(少なくとも3000形・5000形は止まれる)

また背景に写っている街並みも随分変わったことでしょう。

今日の余談…もしもお時間のある方は「Google マップ」で長崎電軌の線路を
探してください。何と線名が「長崎電鉄」になっています。
確かに「Wikipedia」の「長崎電軌」の項を検索すると、そこには
通称「長崎電鉄」とはありますが、やはり地図にその名称を使うのは
如何でしょう・・・。

2011年06月06日 18時14分

長崎電軌(15)「石橋」電停の新旧比較。

長崎電軌で唯一の単線区間の終点、「石橋」電停の『新』『旧』です。
『旧』の電車は302号、『新』の電車は1502号で、
残念ながら私がこの電停にいたときに“5000”形は来ませんでした。

『新』『旧』での一番大きな違いは、電停の形状で、『旧』は1面1線ですが、
『新』では2面1線となっています。
「Wikipedia」によれば、『旧』の時代は、この電停の形状の関係で、
電車の扉が前後の車両に限定されていて、中扉のタイプは使用されて
いなかったとありました。それゆえ『旧』の写真が“300形”というのも
納得できますし、こうした限定運用は確かにさもありなんというところでした。

もう一つ、変わったというか変わっていないというか、電車の左側にある
スーパーの名前が「アサヒ」から「ジョイフルサン」に変わっています。
看板から名称変更なのか運営会社が変わったかまでは判りかねますが、
未だに地場(だと勝手に思っています)の小さなスーパーが地元の暮らしを
支えている姿には何かホッとさせられました。

●昭和55年5月24日の足取り(2)
3)「蛍茶屋」16:17~「石橋」16:38
4)「石橋」16:40~「築町」16:47
5)「築町」16:49~「正覚寺下」16:55
6)「正覚寺下」16:58~「長崎駅前」17:09
以上で、長崎電軌を完乗!
2時間足らずの行程でした。

この日はこのまま長崎に1泊。25日は午前中、長崎観光+移動日で、
26日に西日本鉄道に乗り残し区間に行き、その時点での九州島内を
完乗しました。(除く、ケーブルカー)

2011年06月06日 8時43分

長崎電軌(14)「蛍茶屋」電停の新旧比較。

続いて昭和55年と平成23年の「蛍茶屋」です。

『旧』の電車は紛れもなく700形。ただ車体番号が今一つ
はっきりしません。ネガが見つかれば間違いなく車両は特定できると
思われますが、プリントではやはり確定にはいたりませんでした。
(多分、703です…)

『新』の方は前の電車が「303号」で、後ろの電車も「300形」ですが
番号は不明です。因みに『ロイヤルホスト』の看板の下に止まっている電車は
左が「206号」、右が「212号」で、
昭和30年製の700形が1両を除いて現役を退き、
昭和20年代生まれの「202形」「211形」「300形」が
冷房改造され現役なのは、時代の皮肉としか言えません。

ところで『新』『旧』の一番大きな違いは
『新』では「ロイヤルホスト」の中に車庫があるということ・・・では決してありません。
それは電停が2面2線の相対式から、1面2線の島式に変わったことです。

●昭和55年5月24日の足取り(1)
1)「浦上駅前」発15:23~「赤迫」15:40
2)「赤迫」15:43~「蛍茶屋」16:14
※時間は、自分の時計によるもので正規のダイヤではありません。

2011年06月05日 22時00分

長崎電軌(13)「赤迫」電停新旧比較。

上段写真は昭和55年5月24日の長崎電軌の「赤迫」電停です。
そして下段が平成23年3月26日の「赤迫」電停です。
30年以上の年月が流れ、変わっているものと変わらないものがあります。

変わっていないのは、新旧とも電停の長さが長く、
写真ではそれぞれ2両ずつ停車していますが、さらにもう1両分の余裕が
あります。
また小さくて見にくいですが電停ホーム端の「赤迫」の名前を書いた表示が
同じ形で、ちょっと違うといえば(写真で見る限り)文字の地の色が
『旧』が“黄土色”、『新』が“白”という点でしょか・・・。
良く見ると電停の屋根も昭和の時代から変わっていないようです。

また、『新』の方の左端に「江藤動物病院」の看板が見えますが、
『旧』の方にも同じ場所に色は異なるものの同じ形のビルがあり、
その看板には「江藤家・・」の文字が見えますので、多分、以前も同じ場所で
動物病院を開業していたものと推察されます。
※「動物病院」=「家畜病院」と考えられます。

変わったのは電車でしょうか?
『旧』の前の電車は、方向幕の大きさな、3枚ガラスの全面窓のバランス及び乗降ドアの前に窓が一枚あることからおそらく
旧都電の「700形」と思いますが、今も701号が残されているものの、
定期運用には入っていないようです。この電車が「700形」であれば、その現役時代を伝えるものですが、ここまで車がかぶっていては
あまり価値はないですね。

2011年06月05日 8時03分

長崎電軌(12)1200形のシート。

「浜口町」電停の近くに『長崎路面電車資料館』(後の機会に紹介します)があります。
その見学を終えた後、「浜口町」から「蛍茶屋」に向うため乗った電車が
上段写真の「1200形」(1203号)でした。
そして座ったシートに下段写真の可愛らしい絵を見付けました。
『長崎くんち』の「龍踊(じゃおどり)」です。

昨年の7月20日に京成の「アクセス特急」について書いた際、
「飛行機の図柄のシート・・・」(写真はUPしていません)という話しを
書きましたが、それと絵の種類こそ違うものの同様ですね。
電車が市民の足、そして観光客の足であるだけになかなか素敵な
アイデアです。
でも、私の見た限りですが、この図柄のシートはこの電車だけでした。
何故???

さて『長崎くんち』についてはあまりに有名な祭りであり、
国の重要無形民俗文化財にしてされている位なので今更説明することは
ありませんが、今年は10月7・8・9日がその日程となっています。

もしも『長崎くんち』に合わせて長崎電軌を訪問予定の方は、
是非、1200形に乗って、より『長崎くんち』気分を盛り上げてください。

それにしても「龍踊」がどうしてサル・パンダ・ウサギなのでしょう?
謎です。

2011年06月04日 18時52分

長崎電軌(11)専用線区間の踏切。

長崎電軌の専用線区間には路面電車らしからぬ“本格的”な踏切があります。
上段写真は「松山町」電停のところにある踏切で、「踏切注意」の吊り看板が
目を引きますが、警報機・遮断機があるわけではなく、その代わり、
下段写真の「電車に注意」の看板の上の回転灯が作動するようになっています。
その回る姿は、ビル内の駐車場の入り口に設置され、車の出入り時に回る
回転灯がごときの体でした。
果たしてこの回転灯は「警報機」なのでしょうか?
私には“謎”の出来事でした。

ところで、上段写真で仰々しい『鋼鉄』のアーチに「制限高3.8M」
「けたに注意」の看板がついていますが、最初にこれを見た時は、
一瞬、『注意』するのは電車の架線の高さかと勘違いしてしまったのですが、
よく読めば『けた』と書いてあり、この制限高3.8メートルについて言えば、
架線の高さではなく、その後ろのJR長崎本線の“橋桁”の高さのようでした。

都電荒川線は幹線道路との踏切もあり、それと長崎電軌を比べるべくもありませんが、専用線ならではの光景ということで、車を待たせて電車が通り過ぎる様には少しワクワクしてしまいました。

●回転灯を見ているだけでも結構飽きないものです。

2011年06月04日 8時00分

長崎電軌(10)今年登場!5000形。

“アナログ”な、サイド『ミラー』を装備し、長崎電軌に今年登場した
最新鋭車両『5000形』です。
ヘッドマークの「超低床路面電車 祝 5000形デビュー」が誇らしげで
素敵です。(今もあるのかな?)

この電車はアルナ車両が作った『リトルダンサーUaタイプ』で、
「3000形」と違い、車輪が見えているので、以前の車両との比較では、
私には“馴染み”やすいスタイルといえます。
函館・富山・豊橋・広島・熊本・鹿児島等々の町を走る超低床車は
私の記憶違いでなければ、このように車輪は見えていないですね。
ただ、車輪カバーが何故無いかの理由までは私にはわかりませんが、
くどいようですが不思議と違和感がありません。面白いですね。

車体の幅は、「1800形」「3000形」と同じ2300ミリ。
ただ長崎電軌で主流の電車たちから僅か数センチ程度広いだけにも係わらず、
車内は広々した印象で揺れも少なく、乗り心地が素晴らしいです。

この電車に乗りたい方、撮影したい方は主に“5号系統”(蛍茶屋~石橋)に
入っていますので、参考までにお伝えしておきます。
またこの“5号系統”は3.5キロ、所要時間18分の短い路線ですので、
それほど待つことは無いであろうと思います。(私の経験上)

平成23年度中にもう一編成増えるはずですが、長崎の路面交通は
充実の一途ですね。
なお、3月末時点では、まだまだ新車の匂いがプンプンしていました。

2011年06月03日 18時58分

長崎電軌(9)ローレル賞受賞車『2000形』。

昭和55年に登場し、昭和56年の『ローレル賞』を受賞した
『2000形(2001号)』です。
2両が作られましたが現存しているのはこの“2001号”の1両のみと
なっています。

日本鉄道技術協会の開発プロジェクトにより誕生した『軽快電車』としては
初の量産車で、チョッパ制御・空気バネ台車&ディスクブレークに
ワンハンドルマスコンと当時としては最新の技術を投入しています。

下段の写真は、その運転台ですが、昭和55年といいますから今から
もう30年前に登場しているにも関わらず古さを全然感じさせず、
最新式の運転台と見た感じはそれほど違わないのではと
思ってしまったほどです。

私の鉄道趣味は、仕事が忙し過ぎた昭和55年頃から平成15年頃まで
約20年が空白の時代と言っても良いほどで、それでも新線が開通すれば
乗りに行くことはしていましたがそれが精一杯で、
どの鉄道にどんな新技術の車両が登場したかは、
単に興味の対象であったかなかったかの問題ではなく、
当時、鉄道趣味誌を手に取り熟読することもあまりありませんでした。

「鉄道の中でも路面電車が好き」などと言っている割には、
この『2000形』が路面電車のワンハンドルマスコンの走りだったことを、
今回初めて知った次第です。

それ以前に、“2001号”を撮影したのは、長崎電軌の方から、
『「ローレル賞」を受賞しており・・・』等、色々な説明を受けたからで、
自分自身のあまりの無知さにほとほと呆れ返っています。

2011年06月03日 9時04分

長崎電軌(8)「3000形」の裏話。

長崎電軌「3000形」は、平成15年に製造され、
同16年に営業運転を開始したアルナ車両が作った
『リトルダンサーUタイプ』で「リトルダンサー」の集大成ともいわれており、
台車部分も含めほぼ100%の低床化は国産ではこの電車で初めて
実現しました。
※平成16年「グッドデザイン賞」、17年に「ローレル賞」を受賞。

ところでお題に“裏話”としたのは、実は3000系がサイドミラーではなく、
サイドビューモニターを採用していること。
(豊橋鉄道の「ほっトラム」T1000形と同じ)
※どうでもよいことかもしれませんが“サイド・・・”と“バック・・・”、
どちらの表現が良いのでしょう???

ただ、それだけでは裏話になりません。ということで、それでは
「3000形」の次に登場した『5000形』はどうなっているのでしょう?
実はモニターで電停での安全確認を行っているのはこの「3000形」だけで、
『5000形』からはまた元の“鏡”を使うスタイルに戻っているのです。

車両数の少なさからくる慣れの問題なのか、それとも運転士さんから見て
使い勝手が良くなかったのかはわかりませんが、何かデジタル化した機器を
アナログに戻した気分で、「なんだかんだ言ってもやっぱり
アナログだがね」と、思考がアナログなおじさんは思ってしまいまました。

夏に豊橋鉄道の「納涼ビール電車」に乗ったら、是非運転士さんに
聞いてみたいことが一つ増えました。

2011年06月02日 18時51分

長崎電軌(7)「納涼ビール電車」の秘密。

今回は『呑み鉄』様御用達の話題です。
浦上車庫の奥深く、夏だけ動く電車を発見しました。
201形電車で昭和25年に製造された古豪。
そしてその名も『納涼ビール電車専用車「207号」』です。
それはいいのですが202形を含めて不思議ことが一つ。
“201形”と“202形”は多分、車体の見た目は同型なのですが、
製造メーカーの違いにより台車が異なるため、形式を分けたとして、
何故日立製作所製(201形)は奇数号車だけで、
日本車両製(202形)は偶数号車だけなのでしょう?
それと、形式名の“・・1”と“・・2”にもちゃんと意味があり、
それがその後の元仙台市電の形式の作り方を含め長崎電軌の
“良さ(遊び心?)”ではあると思っていますが・・・不思議なことは
不思議と言う事で。

そんなことはともかく、平成4年から始まった長崎電軌の
「納涼ビール電車」は毎年大好評です。
運転区間とダイヤは「正覚寺下」19:00~「蛍茶屋」~
「浦上車庫前」(トイレ休憩?停車場所は本線上?それとも車庫内?)
~「正覚寺下」20:30という1時間半のコースで、料金は3000円と
なっています。

ところで昨年の8月22日、23日に豊橋鉄道の「納涼ビール電車」の話題を
UPしましたが、豊橋鉄道のビール電車と大きく違うのは、座り位置。
内装が取り払われている下段写真では分かりにくいですが、
椅子が窓外を眺めるようになっています。
豊橋が真ん中にテーブルを置くスタイルなので相当イメージが異なります。
まあ、走る距離も長いので2~3名の“個人客”が多い場合は
この方が良いでしょうし、団体の場合は、豊橋の座席配置が良さそうです。
一長一短ですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!