2011年06月02日 8時09分

長崎電軌(6)“動く電車博物館”「小田原と熊本から来ました」。

上の写真は、150形「151号」です。大正14年に服部製作所
(私の知らないメーカーです)で製造され、王子電気軌道(402号)
~東京都(102号)~箱根登山鉄道小田原市内線(201号)を経て
昭和32年に長崎電軌の151号となりました。

この車両はワンマン化されておらず、運転される場合には車掌さんが
乗務することになります。
個人的には、昭和初期の面影を強く残した印象が好ましく、
岐阜県美濃加茂市にある“昭和”のテーマパーク「日本昭和村」で
電車を走らせるならこのタイプが似合いそうだと思っております。
※車内には「この車の経歴書」や「小田原時代の同形車の写真」なども
展示されており、もしも乗る機会があればこちらにも注目を!

一方、下の写真は600形「601号」。昭和28年製の元熊本市電の
171号で、先回の元東京都電(701号)も含め、
昭和の匂いがプンプンしていますが、やはり151号に比べ新しい
感覚のデザインと言えそうです。私には一番馴染みのあるフォルムと言えます。
また長崎電軌の201形あたりと似た雰囲気もあり、「私は元熊本
市電171号車です」のヘッドマークが無ければ、長崎電軌オリジナルと言われれば信じてしまいそうです。

こちらはワンマン化されていますが、何れにしろ“動く電車博物館”
151号・168号・601号・701号・1051号とも冷房が
非搭載のため、イベント用でしか稼動していないと思われましたが、
どの程度の頻度で運転されているかは不明です。

2011年06月01日 18時16分

長崎電軌(5)“動く電車博物館”「元東京都電」。

この3月29日に、元仙台市電の117号がここ長崎電軌では1051号として
今も現役で、東日本大震災を受けて「がんばれ東北号」として被災者支援の輪を
広げた話しをUPしましたが、その他にも、全国から来た車両がいて、
それを紹介させていただきます。
(参考)「がんばれ東北号」の募金総額は32万1230円とのことでした。

先の「168号」も西日本鉄道からやってきた電車ですが、
この元東京都電(昭和30年製。都電時代は2018号、
現在は701号)も懐かしい電車といえます。ワンマン化されており、
通常の運行にも使用可能です。

冷房が無いため、多分、夏場の運用には難しい点もあるのでしょうが、
鉄道趣味的には都電杉並線(1076ミリ)~杉並線廃止後の
都電(1372ミリ)~長崎電軌(1435ミリ)と3つのゲージを
走った車両であり、他の例を私は知りませんが、何れにしろ相当珍しいことだけは間違いなさそうです。

こうした他都市から来た電車は、長崎電軌では“誘客対策”
(「会社概要」に出ていました)と位置付けており、「動く電車博物館」として
正に『動態保存』をしており、是非とも長くこの電車たちが活躍するのを
祈るとともに多くの方が長崎の地を訪れ、長崎電軌を利用されることを願っています。

2011年06月01日 9時08分

長崎電軌(4)“明治電車”168号の車内。

“明治電車”の車内です。運転台は椅子も無く、実にシンプルで、
電車はこれだけの装備があれば動くという“見本”のような感じです。

一方、客室はダブルルーフの屋根構造に白熱灯の組み合わせで、
何とも優雅さを感じさせるものとなっており、きちんと整備されていることと
相まってその美しさは秀逸で、本当に感動モノでした。

残念ながら私は『路面電車の日』に、動く“明治電車”に乗りに
行けないのですが、いつか乗ってみたいと思わせるには十分でした。
時間等に余裕がある方は、わざわざ乗りに行く価値はあると思います。

ところで、こんなところで書くのも何ですが、
長崎電軌の公式HPは物凄く充実しています。
今回、このブログを書くにあたっての参考資料は公式HPだけと
言っても過言では無い位であったことを報告しておきます。

この“明治電車”についても、それを参考にしています。

2011年05月31日 18時16分

長崎電軌(3)“明治電車”168号。

来る6月10日(金)は、『路面電車の日』です。
長崎電軌の公式HPによれば
「路面の路(ろ→6)、電車の電(てん→10)」から
この日が制定されたそうで、相当に苦しい感じがしないでもないですが、
まあ、アイデア賞は上げても良いかなどと上から目線で失礼します。

で、今回紹介するのは明治44年に川崎造船所で製造された
160形「168号」(上段写真の一番右側の車両)で、
九州電気軌道(現西日本鉄道の母体)「23号」としてデビューし、
西鉄線(153号)で活躍後、昭和34年にここ長崎にやってきた車両です。
※今年で100歳のお目出度い電車です。
 長崎電軌ではこの電車を“明治電車”と呼んでいます。

『路面電車の日』とこの「168号」の関係ですが、
長崎電軌では毎年この日に、この電車を記念運行しており、
今年も10:00~15:59の間、2号系統・3号系統での運転が
予定されています。
※時刻表は長崎電軌のHPで詳しく出ています。

ところでこの記念電車は、(当然の事ながら)ワンマン仕様と
なっていないため、車掌さんも乗務し、乗車すると
「記念乗車証明書」がもらえるそうです。
なお、雨天運休なのでお出かけになる方はご注意下さい。

“明治電車”はこの日、浦上車庫の庫内にいましたが、
多分、普段はここで雨風を凌ぎながら余生を楽しんでいると思われました。
さて、下段写真は車輪です。
その理由は、動輪直径が838ミリと大型で、
長崎電軌の一般車の660ミリ、3000形の610ミリに比して一回り
大きくなっています。
西鉄時代に都市間電車としての運行があったからだそうですが、
確かに他の車両に比べて、車輪が大きい感じがしました。

2011年05月31日 8時08分

長崎電軌(2)浦上車庫を見学させていただきました。

3月26日、「長崎駅前」から「赤迫(あかさこ)」に向かい、
「赤迫」で暫く撮影した後、この写真の「浦上車庫」を訪ねました。

その時私は、駄目でもともと『車庫内の見学は断られても当然』と考え、
NGだったら外から撮影すれば良しとしていたので、長崎電軌には
事前に何の連絡もお願いもしていませんでした。
にも関わらず、その場に居合わせた職員の方から了解が得られ、なおかつその方に車庫内を案内していただきました。

ここでその際にお聞きした本来の『浦上車庫』訪問方法を書きますが、
事前に長崎電軌の本社に電話で良いので「○月○日の○時頃に
訪問したい」旨を連絡し、浦上車庫で対応できる職員がおられる場合に限り
OKとのことでした。
なお、車庫内への立ち入りは危険防止のため職員が付き添うことが条件で、
私が見学できたことは普通ではありえないラッキーなことが幾つも
重なった例外中の例外であることがわかりました。

私を案内してくれた職員の方がどうも見学者の対応もされているようで、
勤務の都合でたまたまその場におられ、私が名古屋から来たということで
案内してあげようと思って頂けたというその方のお気持ちに助けられたようです。

また今回、車庫内で撮影した写真をブログにUPすることについては、
3月28日(月)に長崎電軌本社に電話をして了解を取っています。
(その際、突然の訪問のお詫びも合わせてさせていただきました)

私が“掟破り”をしておいて何ですが、皆さんが浦上車庫を訪問される際は
必ず前記の訪問方法をお守りください・・・。

ということで、ここで長崎電軌の皆様に御礼申し上げます。
ありがとうございました。

2011年05月30日 19時04分

長崎電軌(1)「長崎駅」の新旧比較。

『長崎電気軌道』(以下は「長崎電軌」と記載)を全線乗車したのは、
昭和55年5月24日でした。上段の「長崎駅」は全ての路線の乗車が終了した後で撮影したもので、時間は夕方の5時過ぎです。
この日、鳥栖発11:19の339Dで長崎に向った私は、長崎まで乗らず、
浦上(15:15着)で下車し、「浦上駅前」から「赤迫」までの乗車から『長崎電気軌道』乗りつぶしを始めたため、最後の最後にこの写真を撮影した次第です。

一方、下段の平成の長崎駅は3月26日午前9時頃、『長崎電軌』に再度乗車するに当たり撮影したものです。

国鉄からJRに変わっただけではなく、平成12年に現駅舎となり
昭和の面影は全く無くなり、すっかり様変わりしてしまった「長崎駅」ですが、
変わらないのは路面電車と歩道橋と言えます。

その現在の長崎駅は、JR九州のみならず、最近のJR各社にありがちな
ショッピングセンター併設型でその画一的な展開は正直、何とかならないものかと思わないでもありません。

ただ、駅にある「観光案内所」は当然かもしれませんが、丁寧な対応をしてくれましたし、ショッピングセンター「アミュプラザ長崎」で私が食事をした飲食店は、とりあえず地元の味がリーズナブルな値段で楽しめたということだけはフォローしておきましょう。

2011年05月18日 18時12分

熊本市電(9)再訪を期して。

この写真は、平成23年3月25日、熊本を去る直前、
「熊本交通センター」から撮影したものです。
昭和の時代からは、その街並みや走っている車が変わっているのでしょうが、
変わっていないのは「吊架線」のある風景位でしょう。
最近は『センターポール方式』が“景観”のみならず“防災上”の観点も含めて
進められていますが、その利点は数多(あまた)あるものの、
私の様な年配者からすれば、この写真の様な風景の方が“馴染がある”と
言えそうです。

ただ一方で、この車道の幅での『センターポール』化は
難しいのだろうとも思い、逆にこの風景(車道は1車線)こそが
“市電”を都市路面交通の主役から追いやったとも言えます。

ところで…。
昭和から変わらないのは「吊架線」のある風景と書きましたが、
実はもう一つ変わっていないことがあります。
それは『ほっかほっか亭』ラッピングの「1203号」です。
今回UPした昭和の「熊本市電」の中に、この「1203号」が
写っていました。
もっとも変わっているといえばラッピングが変わっており、
当時は『SONY』でした。
正解は先回の「上熊本駅前」停車中の電車で、その写真サイズでは
「1203号」と確認することは出来ないと思われ、
私はほとんど「いじわるばあさん」状態です。
※「いじわるばあさん」をご存じない方は検索してください。
(ますますもって「いじわるばあさん」)

とまあ、「熊本市電」の最終回が何とも締まらない結末になってしまいました。
要は、この“電車の走る風景”がいつまでも続くような町であれば、
その町は交通弱者に優しい素敵な土地と言う事で…、ご容赦を。

2011年05月18日 9時00分

熊本市電(8)「新水前寺駅前」電停は移設工事中。

写真は電車内から撮影した移設工事中の「新水前寺駅前」電停です。
(現在の「新水前寺駅前」電停は、工事中の場所より手前にある)

この電停名は、熊本市の「市電移動円滑化整備計画」に基づき、
この3月1日、「水前寺駅通」から改称されたのですが、
その3月1日に行われた熊本市電の“整備”内容は既に書いている
系統名の変更のほか、運行系統の色分け、電停名を利用者に
分かりやすくするための改称、電停のナンバリング等々となっています。

この改称なった「新水前寺駅前」電停は、現在の場所から、
奥にある高架橋に近づく訳ですが、この高架橋はJR九州「豊肥本線」で、
この写真の左側にその「新水前寺駅」があり、最終的には、
高架線の手前に歩道橋が設置され、それとこの電停が階段で繋がります。
またその歩道橋は、そのままJR「新水前寺駅」に繋がる計画で、
市電とJRの乗り継ぎは正に『直結』と言える状況となります。

電停の完成はもう間近と思われましたが、最終的に歩道橋で
市電の電停とJRの駅が直結するのは今年の7月頃のようです。
因みに電停と駅舎の距離ですが、現在の150メートルが
50メートルまで短縮されるとの事で、
熊本市東部から豊肥本線を利用してきて熊本市の中心部に行く利便性が
格段に向上することは間違いなく、都市交通の基幹としての路面電車の役割が
遺憾なく発揮されそうです。
電車の低床化、大型化も含め熊本市は素晴らしい町ですね。
(都市の公共交通の観点であり、「鉄」の感想ではありません・・・)

2011年05月17日 18時06分

熊本市電(7)「田崎橋」点景。

昭和53年1月29日、熊本市電「田崎橋」電停。
停車中の電車は「1207号」です。そうっ!これが奇跡の再会。
この写真の約2時間半前、「健軍町」で出会った電車だったのです。
実は今回、このブログを書くために過去の写真を発掘中に発見しました。
当然、当時は気付いていません。自分が乗った電車にも普段、
あまり注意を払わない私ですが、さすがにこれからは、
多少は気にしようと決意をせざるを得ませんでした。

話しは電車に戻し、「1207号」の車齢は私より少し若い程度で
既に50歳を越えていますが、この電車というか「1200型」は、
この昭和53年から冷房化改造が始まり、日本発の「冷房付き路面電車」として
話題になりました。もっともこの写真を撮影した時点では
「1207号」は冷房化されておらず、暫くこの姿で走っていたはずです。

またこの電車は、私が「熊本市電」を完乗した記念すべき電車であるということも
合わせて報告しておきます。
(だから何なんだということはさておき・・・)

ところで書いていて思い出したのが、乗車時、
「水道町」から乗った電車の乗客は、「熊本駅前」で殆ど下車し、
この「田崎橋」までの乗客が極めて少なかったこと。
写真を改めて見ても道路の真ん中に『ポツン』と止まっているだけで、
人影がありません。当時は、写真を撮影するときにそれほど
“人の写り込み”を気にした時代ではないので、
本当に人がいなかったと思われます。

今はいかが相成っているのでしょう?
それよりも、サイドリザベーション化なった「田崎橋」までこの際、
行けば良かったと今更ながら後悔しております。
優先順位の付け方なのですが、そもそも今回の「熊本市電」訪問も実のところ
結構思い付きだったりして、これでは『都市交通の在り方』等と
えらそうに書く資格は無いですね。

2011年05月17日 8時00分

熊本市電(6)「上熊本」電停はいい感じ。

路面電車の終点というのは、幾つかのパターンがあります。
当時、私が知っている市電の終点の風景は、やはり名古屋市電の
イメージが強く、道路の真ん中に、ポツンとあるというものでした。

そのためこの電停に上屋のある風景は私にはとても新鮮に映り、
まるで地方の小私鉄のターミナルのような感想を持ちました。
それはそれとして、電車を待っている人たちの服装(特に女性)に
時代を感じさせます。電車だけで時代を感じることもありますが、
やはりその時代時代を生きている“人”のいる日常の光景こそ
『時代を写している』といっても良いのでしょう。
もっともこの写真は『肖像権』を気にしなくてもいいから
UP出来た訳ですが・・・。

この写真で時代を感じさせるものがもう一つあります。
小さな画面でご覧の方は分かりにくいでしょうが、
電車の左奥にトラックが止まっており、その更に奥にある建屋には
荷物が山積みされ、おそらく「上熊本駅」から貨物列車で出荷されるか
到着したものと思われます。

現在、こうした小口扱いと思われる貨物が駅から消えて久しくなりますが、
現代の“効率”論から考えると当時は『良き時代』だったのでしょう。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!