2011年04月27日 9時00分

鹿児島市電(7)2つの操車塔。

昨年の11月13日に函館市電の「操車塔」の話しをUPしたのですが、
その時、「あそびにん」さんから「高見馬場」と、
もう一つ「郡元」にも“らしき”ものがあるとのコメントを頂いていました。

そこで今回、それを確かめに行ってきました
左側が「高見馬場」で、右側が「郡元」です。

「操車塔」と言えば、左側の「高見馬場」のタイプ、
つまり細い足の様な柱の上に操車作業を行う建屋が乗っかっている
イメージだったのですが、「郡元」のような形態のものを私は初めて見ました。
(「気付きました」が正しいかな?一度来ている訳ですし…)

正直言って、「郡元」のモノは、場所が場所なだけに「操車塔」で
間違いないと思っていますが、あまりにも“常識”と
かけ離れた形態をしており、絶対的な『自信は無い』と
ここに弁明しておきます。
理由は、何せ作業を行う場所の目線が、他の「操車塔」に比べ低いのです。
因みにネットで『「郡元」「操車塔」』で検索したのですが、
かんばしい結果は出ませんでした。
ただ、ここが今も昔も一大ジャンクションであることは間違いなく、
昭和の時代、この地に「操車塔」が無かったということは考えられません。
また、交差点にこのような建物があること自体、
それが「操車塔」である証しとも言えます。
(他の用途を思いつかない…)
よって、前言を撤回し、この2階建ての建物は「操車塔」であるというのが
私の結論です。(「回りくどい」とお叱りを受けそうですね)

2011年04月26日 18時01分

鹿児島市電(6)リトルダンサー物語。

上段の写真は、鹿児島市電の最新鋭機「7004号(ユートラムⅡ)。
平成20年に導入でメーカーは“アルナ車両”。
リトルダンサーのタイプA5です。

下段の写真は、「1012号(ユートラム)」で、平成13年導入。
メーカーは“アルナ工機”で、同じくリトルダンサーのタイプA3ですが、
こちらは日本で初めての「リトルダンサー」としても知られていますね。
当時、客室部分のフローティング構造には驚かされたとともに、
日本でもこうした『段差がリトル』な車両が作れる!のかと驚いたものです。

この2形式は、同じ『アルナ』の製品ですが、
平成14年に“アルナ工機”は“アルナ車両”となっています。
そのため余談ですが、『1000形』の
「1011号」~「1013号」までが
“アルナ工機”で、それ以降の「1019号」までが“アルナ車両”と、
同一形式の車両で、同一製造会社にも係わらず
メーカー名が異なると言う珍しい事態が発生しています。
これも時代の流れと言うか、短い期間とは言え時代の変遷を感じます。
この車両たちというか、特に『1000形』には今回、
敬意を評して乗りたかったのですが、何故か縁が無く、
一瞬、「来るまで待とうか?」と思ったものの、
この日の早起きが祟り、疲れきっていたため断念し、
早々にホテルに向かいました。
(夕食は「回転寿司」。地元の『旬』で“プチ贅沢”)

2011年04月26日 8時58分

鹿児島市電(5)分岐器(転轍機)は地上にあった!

上段の写真の分岐器は「郡元」停留所のモノ。
下段の写真の分岐器は「高見馬場」停留所のモノです。
路面区間の電車で、分岐器の転轍機が
地上に設置されている例を私は初めて見ました。

「郡元」の停留所で降り、目の前を行き交う電車たちの写真を撮ろうとして、
「えっ!!転轍機が露出している!」と、思わず何もないところで
躓(つまず)きかけました。

で、下段の写真になるのですが、その後、「高見馬場」に移動し、
そこでも転轍機を確認したところ、「やっぱり地上だ!」と驚きました。
とはいうものの、稼動部分には鋳鉄製と思しきカバーがかけられ、
前後には敷石もあって、乗客がその上を歩いても大丈夫の様には
なっていました。

路面電車とは言え、車と分離されて走る区間が多く、
また道路幅にも余裕のある鹿児島市電ならではなのかもしれません。
もしも昭和53年当時もそうであったならば、当時は、“乗る”ことが全てで、
ここまで気が回らず、そもそも路面電車の転轍器が地上にあるなどと言う
『常識外れ???』に気を向けることはありませんでした。

いやぁ、一度乗った路線も、もう一度乗って見ると
新しい発見が一杯で面白いですね。もっとも乗るだけではなく、
降りることも肝要ですね。

2011年04月25日 18時52分

鹿児島市電(4)「郡元」停留所は一大ジャンクション。

「郡元」停留所にやってきました。
鹿児島市電2大ジャンクションの一つで、位置関係では、
画面手前が「鹿児島中央駅前」方面で、
左側が「交通局前」~「鹿児島駅前」方面。
写真では、右側に分岐する線路も見えていますが、
そちらへ向かうと今、私がやってきた「谷山」方面となっています。
※JR九州「指宿枕崎線」の「郡元駅」とは
 どれくらい離れているのでしょうか?
 かってこんな事は考えたことも無かったのですが…。

右側の電車は「2111号」で、左側の電車が「9515号」です。
何れも2系統「郡元」~「鹿児島駅前」間の電車です。
この「郡元」での2系統の折り返しは、
「交通局前」方面にある停留所が始終着となっているため、
このような写真がタイミング次第ですが撮れます。
以前は、「谷山」から「西鹿児島駅前(現・鹿児島中央駅前)」方面を
結ぶ電車があったため、右側の分岐線も日常的に使われていました。
と言ってもそれは私の知る“昔”の「鹿児島市電」の時代の更に
“昔”の話しです。

ついでの話し。
「2111号」の右側にある小さな2階建ての小屋のような建物の存在です。
一応、覚えておいてください。

2011年04月25日 9時08分

鹿児島市電(3)谷山線を行く!!!

写真は、上段・下段とも『谷山線』の専用区間です。
上段が今回撮影のモノで、下段が昭和53年の撮影。
行き違っているのは、今はなき「606号」です。

まずは、昨日書いた『9501号』のコントローラーに注目。
ハンドル部分にはお約束の“カバー”も掛かっており、
私にとって路面電車は『こうじゃなきゃ』の典型ですね。

話しは下段写真に移り、鹿児島市電のHPによれば、
先回の「605号」とこの「606号」は、空気バネ台車とのことで、
さぞかし乗り心地が良かったであろうと察しています。
昭和35年製造ですので、結構画期的なことだったのではないでしょうか?

ところで「谷山」停留所に掲出の『時刻表』では、
「谷山」を起点とする1系統「鹿児島駅前」行きの午後3時台は6分間隔で、
上段写真で私の乗っている電車は15:50頃に出発したのですが、
その時間に該当する電車はありませんでした。
(・・・15:48、15:52・・・)
実感としては6分間隔よりも短い間隔で走っている印象もありましたが、
本当の所は如何だったのでしょうか?

さて、この専用区間、電車は快適に飛ばしていきます。
気分は欧米のLRTでしょうか?
路面電車の併用軌道区間の最高時速40キロよりは感覚的には
もう少し出ているような気がしましたが、
多分、併用軌道区間では最高時速を出すことがあまりないため、
40キロの連続走行でもスピード感を感じたのでしょう・・・。
でも、他都市の路面電車の専用線区間よりは早いと感じています。
(軌道の状況も良いと思いましたが、如何でしょう?)

2011年04月24日 19時12分

鹿児島市電(2)9500形と600形。

上段写真は現在の「谷山」停留所。下段写真は30有余年前の「谷山」停留所です。

現在は、2線3面の構造ですが、昭和53年は写真で見る限り
1線1面で、右側の線路は側線のようです。

上段写真の左側の電車は『9514号(元の809号)』、
右側の電車は『9501号(元の803号)』で、
両車とも大阪市電から移籍されたものが、平成6年度~平成11年度にかけて
車体更新を行ったものです。
そのため見かけ上はともかく、コントローラーが旧式だったりで、
結構アンバランスな感じですが、私にとっては
この“コントローラー” こそ『市電』の“象徴”とも言えるもので、
個人的には「懐かしい」部類に入る電車です。(次回にその写真を掲載)

ところで車両のカラーリングから来る印象ですが、最近、鹿児島市電に
注目していなかっただけに、車体番号を確認せずに一目見た時、
この車両達は「別形式?」と思ったくらい雰囲気が違います。
新しいというか面白い発見でした。(私だけ?)

そんな話しはともかく、下段写真に写っている『605号』は、
今も現役の車両です。
この電車、鹿児島市電HPの「路面電車形式別一覧」で確認したところ
『ビール電車』として生まれ変わっており、塗装が全面的に変わっていました。
また、外から見える装備面でも細部に変更部分があり、
現役ではあるものの30有余年の月日を感じました。

2011年04月24日 9時00分

鹿児島市電(1)谷山停留所。

上段写真は、平成23年3月24日の「谷山」停留所、
下段写真は、昭和53年1月31日の「谷山」停留所です。

ところで、鹿児島市交通局のHPで「市電停留所」という表現を
使っていますので、私は今回、「停留所」という呼び方で統一しますが、
先回の「谷山電停」の交通標識の存在等を考えると、こうした場合、
どちらの表記を使うべきか迷ってしまいます。

例えば、まだ名古屋市に市電が走っていた時代、
私自身は「電停」という言葉を使うほうが「停留所」よりも
多かったと記憶しています。

ところで30有余年の歴史は、
まず“駅舎”の大『変化』といって良いのでしょう。
建物の雰囲気が大きく変わっており、
JTBキャンブックス「鹿児島市電が走る街 今昔」によれば、
やはり移設されており、屋根(ドーム?)が架かって今の形になったのは
平成8年とありました。

また、“駅舎”の広告にも時代を感じさせます。
右側の縦看板「12月26日 新規オープン 四国名物さぬきうどん」が
目を引きますが、最近、名古屋にも増えている
「讃岐系うどん店チェーン」の走りでもあったのでしょうか?

実はこの写真、ほぼ30年ぶりに発掘できたのですが、
電車ではなく、そんなことにも目が行く自分は、
「年を取ったものだ」とつくづく感じ入ってしまいました。

2011年04月23日 17時59分

鹿児島市電への道。

「九州新幹線」乗車・「指宿のたまて箱号」乗車・「西大山駅」下車という
3大イベントを無時に終え、西大山を14:17発の鹿児島中央行きに
乗車し、時間もあるので久しぶりに鹿児島市電に乗ることにしました。
で、「谷山」着が15:36でJRの駅舎をパチリ(上段写真)。
ここから鹿児島市電の「谷山」停留所を目指したのですがこれが結構遠い!

昭和53年1月31日に、鹿児島市電を全線乗った時も、
指宿枕崎線「谷山」着16:00の列車を降りた後、
市電の「谷山」停留所を目指したのですが、その時の少々“離れている”という
記憶はあったものの、「こんなだったっけ?」と考えながら歩いていました。

そうこうしているうちにやっと、「谷山電停」の標識が道路の真ん中に
見えてきました。
●中段写真は私が歩いてきた道路ですが、その真ん中に、
 下段写真の標識があります。

個人的には、英語表記の「Taniyama Train Stop」は、出来れば
「Taniyama Tram Stop」の方が似合うのに“残念”と思いながら
眺めていました。私は、根っからトラムが好きです。

ところで、JR「谷山」と市電「谷山」間の距離ですが、「Wikipedia 谷山駅」によれば600メートルと言う事で、
10分まではかかりませんでしたが5分では着かない距離です。

少し離れた同名駅として有名な東京メトロ「早稲田」~
東京都電「早稲田」間と感覚的には同じくらいの距離でしょうか?
でも「谷山」の方が少し近いかな?

2011年03月29日 18時05分

長崎電軌「がんばれ東北号」。

「東北地方太平洋沖地震」の被災者の方への支援の輪が
どんどん広がっています。

長崎県長崎市を走る『長崎電気軌道』でも、
車内に募金箱を設置した「がんばれ東北号」という名の電車を
先週から走らせており、募金を呼びかけています。

「がんばれ東北号」として走る電車は、1050形の1051号。
昭和27年に製造され、仙台市電で活躍した後
この地、長崎には昭和51年にやってきました。

写真で左側の「がんばれ東北号」の文字の下には
『この車両は、旧仙台市電です』、
そして右側には『この車両で募金を受付ています』、
車体前面の系統板のようなヘッドマークには
『私は元仙台市電117号車です』と書かれていました。

ところでこの電車は長崎電軌にやって来た時、
“仙台”からきたことでその形式が“センダイ”(1000代)となり、
昭和51年の運転開始に因み“1050形”としたそうです。
また元仙台市電の車両で現役なのは唯一とのこと。
まさかこの1051号もこういう形で、
出身地への恩返しをすることになろうとは思っても見なかったでしょう。

なお、この電車の運行時刻は、「長崎電気軌道」のHPにありますので、
長崎に行かれましたら、この電車で募金をされるのも
「鉄」らしい被災者の方への支援だと思います。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!