2012年03月01日 19時27分

豊橋「おんでんしゃ」2012(6)カップ酒の変遷。

飲み放題のビールもさることながら、あまりの外の寒さに、この日は例年になく別料金1本300円の熱燗が大人気で、最終的には車内の“熱燗”準備が間に合わなくなり、「“温燗(ぬるかん)”で良いから出して」と車内の係の方にお願いしてやっと『お酒』にありついていました。
と書くと、もともとの車内の在庫が少ないように聞こえますが、豊橋鉄道の名誉のために補足しますが、普通の団体でここまで“熱燗”を頼むことはまず無いと思われます。

さて本日の写真ですが、「おんでしゃ」の料金に含まれているカップ酒と枡を並べてみました。左から一昨年度、昨年度、本年度で毎年、デザインが違うのがよく分かりますね。
過去2年のカップ酒の中身は既にどこかに消えてしまっていますが、今年のお酒は、この写真の撮影後に私の体に吸収されました。
毎度のことですが、私はこのカップ酒を「おでんしゃ」の車内で飲んだことは一度もなく、今回も飲むことなく自宅に持ち帰りました。それは私だけではなく、他の方が車内で飲まれているのもあまり見かけることがありません。皆さんの理由は定かではありませんが、少なくとも私は、「車内で飲むのが勿体無い」ということではなく、持ち帰る際にカバンにお酒の匂いが着くのを避けるためです。先に書いた通り私は日本酒を嗜みますので『飲めない』とうことではありません。

ところでこの『枡』ですが、ほんのり木の香りが素敵です。と、今回初参加の木村裕子さんも仰っていました。

「おでんしゃ2012」完。

2012年02月29日 20時04分

豊橋「おんでんしゃ」2012(5)夕闇の豊橋駅前。

私たちの乗った貸切の特発「おでんしゃ」は夕闇迫る豊橋『駅前』に到着。やっと「おでん屋」らしい時間帯になったところで会は終了です。

そして、車庫に戻る3203号をペデストリアンデッキから見送りました。薄暮の中、尾灯の輝きが増していく電車の後ろ姿は哀愁が漂っていて、私は結構好きですね。
まあ、年齢の所為かも知れません。

余談ですが、冬の「おんでしゃ」と夏の「ビール電車」では、「おでん」があるのかどうかという違いは当然過ぎて書くのも憚られますが(書いていますが…)、また単に季節の違いではなく、ビールメーカーが違います。
夏が「キリン」で、冬が「アサヒ」です。

夏には夏の、冬には冬の楽しみがある豊橋鉄道です。そして路面電車そのものの楽しみ方ですが、これはあくまでも私個人の感想ですが、複線区間あり、単線区間あり、センターポールあり、安全地帯の無い電停ありで、路線長の割には見所タップリです。なおかつそれこそ路線長の割に車種(タイプ?)が豊富(と言っても良いですよね?)といった点も挙げられます。

2012年02月28日 20時01分

豊橋「おんでんしゃ」2012(4)「運動公園前」の名物自販機。

さて、木村裕子さんがカメラで撮影しているのは、どこからどう見ても飲料の自動販売機です。何か変わったものでも売っているのでしょうか?

この自動販売機があるのは豊橋市の「岩田運動公園」で、「おでんしゃ」が『トイレ休憩』をする「運動公園前」電停からほど近い場所です。
で、どういう特徴があるかと言うと、パッと目を引くのが自動販売機の上にある赤い回転灯です。この回転灯は伊達ではなく、『赤』で分かることから「警察」公認というか、「警察」が設置しています。
その名も『おたすけ自動販売機』と言い、回転灯の右側にある小さな赤いボックスは防犯カメラで、飲料の見本の下にある、今正に木村さんが撮影している場所に「110番への直通電話」が内蔵されており、「中の電話で警察と話せます!」と書いてありますから、恐らくこの蓋の中に電話があるはずです。流石にこれを“何も無い時”に開ける勇気(勇気と言うより悪戯になりそう?)は持ち合わせていませんが…。

この自動販売機は愛知県警とコカコーラが共同開発したもので確か、4~5年前に全国で初めてこの場所に設置されたものですが、この自販機が有名になったのは設置されて直ぐに壊されたことによるものです。そのニュースは私も覚えがあったのですが、ここ「岩田運動公園」に設置されていたことは覚えていませんでした。

実は、私が「岩田運動公園」にこの自販機が設置されているのを知ったのは、先回の「おでんしゃ」か「ビール電車」の時に参加者の方から教えられたことによるもので、それを今回木村さんに教えたのですが、『鉄』に徹するのも良いですが、たまにはこんな“途中下車”を楽しむのも乙なものと心得ています。

2012年02月27日 19時59分

豊橋「おんでんしゃ」2012(3)何故かピザが・・・。

賑々しい装飾のおでんしゃで私と乾杯しているのはいつもの制服姿ではなく私服の木村裕子さんです。それでも「赤い」コートを着ているのは流石です。
木村さんが今回参加することと相成ったのは、昨年末に『名古屋レールアーカイブス(NRA)』の見学に来られた際、NRA会員で日本路面電車同好会の会員でもあるUさんが、以前から『「おでんしゃ」に乗ってみたい』と言っていた木村さんを誘い、そうして彼女の何年越しかの願いが叶ったと言う次第です。

で、下段写真の『ピザ』の話しはあとにして、この「おでんしゃ」の定期運行時の定員は28名。でも貸切の際は30名となります。
その内訳は「ロングシート1列7名×4=28名」+「中間扉の所に椅子2つ(それぞれのテーブルに1つづつ)」=最大30名となっています。この上段写真を撮影してくれたのは、正にこのエキストラシートに座っていた方です。(今回の会の幹事さんでした)
はっきり言ってロングシートの1列に大男が2人もいれば“窮屈!”ですが、不思議なもので「乾杯!」をするとその狭さが親近感に変わります。

さて、下段写真の『ピザ』ですが、この「おんでしゃ」は「おつまみ」「ソフトドリンク」の持ち込みが自由です。但し、食中毒が心配されるものや、匂いの強いものは当然、お断りとなるのですが、そこで「日本路面電車同好会 名古屋支部」の『おでんしゃ』名物とも言えるのが、この『ピザ』の持ち込みです。見た通り普通の“宅配ピザ”ですが、切れ目が参加者30名に合わせ、特別に16等分をお店にお願いし、それを2枚持ち込んでいます。

さてこの『ピザ』はどこで持ち込んだのでしょうか?
それは始発や折り返しの電停ではなく、実は「競輪場前」電停。ここの電停の目の前と言うか、営業所の留置線の直ぐ隣にピザ屋があり、この「おんでしゃ」の到着時間に合わせて『ピザ』を焼き上げ、届けてもらっています。

こんな楽しみも工夫できるのが「おでんしゃ」です。

2012年02月26日 17時10分

豊橋「おんでんしゃ」2012(2)おつまみ弁当の歴史。

3年連続で「おでんしゃ」ということは、3年間の『おつまみ弁当』の歴史を紐解けることになるのです。

最上段は平成22年1月30日に撮影した「おでん」+「おつまみ弁当」です。(平成22年3月2日~にこのブログでUPした時に、この『弁当の中身』は紹介していません)

中段写真は昨年の2月5日に乗車し、平成23年2月6日からUPした時の『弁当の中身』ですが、実は2月7日UP分にこの上・中段の写真を使っています。

そして下段写真が今年の『おつまみ弁当』で、比較のため3年分を並べてみた次第です。同じ写真を再使用した事は、多分皆様にご理解いただけるものと信じています。「おでん」の具は私の記憶間違いでなければ変わっておらず、今年の写真では省略しています。

「おでん」の美味しさもさることながら、『おつまみ弁当』の中身が「今年はどんなだろう?」と考えつつ蓋を開けるのも、実は「おでんしゃ」の楽しみの一つだったりするのです。

PS.今日は私がこのブログを始めて2年が経った記念日です。思い起こせば2年前の2月26日、レギュラー番組「芸能界鉄道研究会 鉄研」が終了した後に、決して鳴り物入りではなく、ひっそりと始めました。始めた当初はこれほど長く続けられるとは自分自身思っておらず、今回が何と1323回目のUPというのも驚きです。

ブログを始めた当初、まだ番組のHPでは「俺の一枚」が更新されており、そこを見に来てくれた方がついでにこのブログを覗いてくれたものと思っています。
たぶんに私の備忘録的かつ個人の想いを連ねた内容で、一方で “鉄”的な深さが乏しいにも関わらず、今では思いもかけず多くの方においで頂いており、ここまで続けてこられたのは本当に皆さんのおかげだと感謝しています。今後もお付き合い頂ければ幸いです。

2012年02月25日 18時08分

豊橋「おんでんしゃ」2012(1)「赤岩口車庫」から出発。

豊橋鉄道名物というか冬の風物詩「おでんしゃ」のこの冬の運行は今日(2月25日)が最終日です。

それにも関らず私の今冬の「おでんしゃ」の話しは今日スタートです。いささか時期を逸した感ありですが暫くお付き合いください。

私にとって3回目、しかも連続3年の参加です。 “鉄道系イベント”で毎年欠かさずに参加しているのはここの「おんでんしゃ」だけで、毎年声をかけてくれる「日本路面電車同好会名古屋支部」の方達に感謝です。
もっとも“呑み鉄”イベントというか “車内” 呑み鉄イベントだからこそ参加しているといっても過言ではありません。

“同好の士”の方々と居酒屋さん等で酒を酌み交わすのは私の人生の楽しみの一つ(少々、筆が滑っていますが決して大袈裟な表現ではありません)と確信を持って言い切れますが、それが電車内であればその楽しさが更に膨らみます。
また、日常的に乗車する“列車”内で呑むのに比べ、鉄道の話しを心おきなく大声でしていても、誰にも顰蹙(ひんしゅく)を買わないどころか、より一層場が盛り上がります。
等と酒飲みというか飲兵衛(のんべえ)の言い訳がましい言葉を連ねていますが、そういえば最近、「飲兵衛」という言葉を聞きませんが、まだ死語になっていないですよね・・・。

さて本題ですが、今年の2月11日は好天に恵まれ、一方で気温が低く、正に「おでんしゃ」日和で、昼から一杯やるには最高の日となりました。

今年の出発地は、いつも(通常運行)の『駅前』ではなく、『赤岩口車庫』でした。この「赤岩口」ではなく「車庫」というのが味噌で、「運転体験」に酔いしれ、そこから引き続き酔うことと相成った次第です。

2011年09月06日 18時09分

豊橋のビール電車は、創業から20回目の夏です。

豊橋に「納涼ビール電車」が登場したのは平成4年(1992年)。
ということは指折り数えて20回目の夏です。

車内は例年に負けず劣らず派手でかつ涼やかな演出がされていますが
忘れてならないのが下段写真の『食品営業許可書』。

「ビール電車」が創業した当初はこの許可がなく、そのため現在のような
ジョッキで生ビールをグイグイいくスタイルではなく缶ビールで
“乾杯”だったそうです。
※いつから“生ビール”になったかを聞き洩らしました。すいません。

ところで『食品営業許可書』は、3203号の「運動公園前」側乗降ドアのすぐ横に掲出されていますが、「2 営業所の名称、屋号又は商号」の欄に『納涼ビール電車』とあったのが少し笑えました。
またこの電車は季節運行のため許可年月日は6月13日で有効期限は
9月30日までとなっています。
そしてもう一点、この許可を得るために必要な設備として従事者専用の
手洗いも車内に設置されています。

鉄道趣味的に見てどうということはないのかもしれませんが
仕事で様々なイベントに携わった経験のある者として興味を持ちました。

話しを本題に戻しますが、期間中毎日2便(18時発と20時発、
一部運休日あり)、毎週木・土には12:00発の昼便も運行されるほどの
人気ぶりははっきり言って驚きです。
全国でもここまで人気があるのは『ここだけ』と言っても過言ではないと
思っています。

往復9.4キロ、定期列車なら片道22分のところを
その倍の時間をかけて走る『納涼ビール電車』。
重さのあるジョッキだけではなく、紙コップの飲み物をこぼさずに
走る運転士さんの“技”という楽しみどころもあります。

残り僅かですが、満席ではない便もまだあるようです。
過ぎ去る夏を惜しみに行くのも良いでしょう。

●毎度参加者の方に聞いたりしているのですが
1時間半という“中途半端さ”がまた良いのだそうです。
この日も豊橋駅前の居酒屋さんでの『2次会』が盛り上がりました。

2011年09月06日 9時00分

豊橋「納涼ビール電車」Ⅱ。

根室本線2429Dの旅は、只今対向列車(豊橋鉄道3203号)との
交換待ちのため停車中です。

「乾杯!」をしてからおつまみ弁当の写真を撮影したので、ジョッキの中身が
不自然(自然?)に減っています。お許しください。

まずはパッケージ(包み紙)ですが、今年も豊橋の“路面電車のある風景”を
ライフワークにされている伊奈彦定氏の手によるもので、
ただ眺めているだけで心が和みます。
『おつまみ弁当』の内容は、お稲荷さんやフライドポテト・枝豆は
昨年と同様ですが、豊橋名産のウズラ卵は串揚げとなっています。

参考までに、今回の『納涼ビール電車』は発着時間からもお察しの通り、
毎度お馴染みの“特発”で“貸切”です。
そのため、4回目ともなれば用意が周到となり、この日の朝食は
トースト1枚、お昼ごはんも12時頃に一口サイズの肉まんを3個で済ませ、
万全の態勢(腹具合)でこの場に臨みました。

その結果は、往路の15分でこの『おつまみ弁当』を完食。
ビールの進み具合もバッチリでした。
「経験こそが人生を豊かにする」と思った次第です。
※何か日本語の使い方が変です…。

ところで豊橋鉄道のHPを見れば書いてあるのですが、
この「納涼ビール電車」はおつまみ・ドリンクの持ち込みが自由です。
今回は、家族連れの方やお酒を嗜まない方もいらっしゃったので
ソフトドリンクや、ビール以外も呑みたい方のために缶チューハイが
車内に持ち込まれました。
それ以外に宅配ピザが車内を一周したり、幹事さんの工夫次第で様々な演出が可能となっています。
※貸切運行でなくても持ち込みは『可』です。

まるで豊橋鉄道の広報担当のようなことを書いていますが、
実は知人たちから「ビール電車ってどうよ?」とかよく聞かれており、
このブログが参考になればと思いUPした次第です。

2011年09月05日 18時13分

今年もビール電車でGO!

今年も豊橋鉄道のビール電車に乗って、呑んできました。
昨日(8月4日)のことです。
「駅前」電停に15:15集合、15:27出発。
戻ってきたのは16:56でおよそ1時間30分の呑み会でした。
(写真は、「駅前」に戻ってきてからの集合写真で私は一番右端です)
名古屋を出る時は土砂降りだったのですが、豊橋に着くとその時だけは
雨が止み、その後は降ったり止んだりの天候でしたが、天候とは関係なく
29名の『呑み鉄』会は無事、決行されました。

私にとって昨年に引き続き2回目の「納涼ビール電車」、
過去2回乗車の「おでんしゃ」も含めれば何と4回目となった
『3203号』への乗車です。
私とほぼ同い年とあってそれだけで愛着が湧きますが、この電車に乗るたびに
「私もまだまだ頑張らねば…」と思ってしまうのはよる年波の
せいでしょうか?

などということはさておき、今回はこれまでの「日本路面電車同好会
名古屋支部」主催の『納涼ビール電車』にはスケジュールの都合で
参加できず、その会員で毎回幹事をしていらっしゃるUさんが、
お勤め先の職場の方たちを対象に開催した『納涼ビール電車』に
参加させていただいたもので、よってこの写真に「鉄」の方は
一人もいません。
(正確には私とUさんは「鉄」ですが…)

当然の事ながら、私以外はそのお勤め先の方たちであり、私の存在は
本来もの凄く浮くはずなのですが、皆さんは私を自然に受け入れてくださり
感激至極でした。

因みに今回のビール電車で一番ジョッキを空けた方は10杯で、
別にカウントしていたわけではないですが、「日本路面電車同好会
名古屋支部」の「ビール電車」「おでんしゃ」でそれだけ呑まれた方は
いなかった記憶です。
参考記録ですが私は4杯で、乾杯ならぬ完敗です。

ところでこれまでの「鉄」系とは明らかに『乗り』が違うことを
当然と言えば当然なのですが発見しました。
それは…、電車とすれ違うたびに「OO形に乾杯!」であるとか、
「運動公園前」の電停での『3203号』“大撮影会”がなかったことです。
(下段写真参照・・・。参加者は車内で宴会続行中)
なお今回の参加にあたり、Uさんから申し渡されたことが1点。
「電車を一周しての細部の写真撮影等、マニアックな行動を控えめに!」
でした。まあ結果的には雨が降っていたこともあり、そうした行動を
取ろうにも…、でしたが。
でも何故私はこの方たちの「会」に参加したのでしょう?
単に私が図々しいというのもありますが、プラスここに写っている方たちの
職場が『鉄道』に全く無縁ではなかったからです。
“取材”ではないことが参加条件でしたので、話しはここまでということで
ご容赦を。まあ、異業種交流と言うことで…。
そして最後に私の参加を快諾して下さった皆様にこの場を借りて
御礼申し上げます。

余談ですが、今回の乗車で感じたこと。
それは座っている一人一人の距離の近さです。これが初対面でも親近感が沸く
大切な要素と思いました。
この職場の方たちも部署を横断する形で参加されているので
初顔合わせの方達もいらっしゃいましたが、見る限り以前からの
知り合いの如く会話が弾んでいました。
(因みに話しの流れでこの冬の「おでんしゃ」の会が決定していました)
恐るべし!!納涼ビール電車!
こんな形で「ビール電車」や「おでんしゃ」の利用者が増え、
地方の公共交通活性化の一助になるのはとても嬉しいことです。

2011年05月14日 9時05分

乗換券に見る名古屋市電(3)昭和18年頃。

これまで名古屋市電について書いていて、路線名・電停名について
やや不親切であると気付きました。
1961年(昭和36年)12月1日時点での路線図が
「Wikipedia」の『名古屋市電』の「路線・停留所一覧」の
「1961年12月当時」の項に出ていますので
それを参考にしていただくと分かりやすいと思います。

さて、今朝の写真は昭和18年の『乗換券』です。

まずは券面デザインが一新されました。
これまでの2回では触れませんでしたが、名古屋市電の『乗換券』は、
地図上の東西方向と、券面上の上下左右関係が、
「北」が「上」にあるという常識から90度ずれています。(東が上)
そのため、今回紹介した『乗換券』にも方位を示す“方位記号”が存在します。
そして、その置き位置が今回は左側となっています。
ところで方位のズレは、名古屋市電の路線網が南北方向に広がって
いたのが原因と思われますが、『乗換券』の券面デザインを
“縦”にする発想は、当時無かったということでしょう。

また『バス路線』が券面から消えたので、バスとの乗り継ぎは
無くなったのでしょう。
次に乗換回数が3回から2回に減っています。
こう言える理由ですが、右端の文字が「第一回乗換券」
(切り取り無効)となっており、これから見て取れるのは、
1回目の“乗り換え時”にまずはこのブロックを運転士さん、
車掌さんが切り取って乗客に戻し、次の“乗り換え時” に左側の
ブロックを渡していたのでは思えるからです。

さて今回も時代考証です。
●路線図の一番上にある「東大ゾネ」~「桜山」の実線です。
昭和18年5月1日にこの区間に「トロリーバス」が開業しています。
それが市電との『乗換』対象と思われました。
●「見本」の印の下で見難いですが市電の電停で「千種」とある
ところの路線と、「市役所」~「大津」間は昭和18年12月1日に
廃止になったにも係わらず、この券面にはその電停名が存在しています。
■このため、この『乗換券』は、昭和18年5月1日以降、
12月1日まで使用されていたと推理できるわけです。

今回の「名古屋市電」の『乗換券』話しは、私の知識不足から
生じたものですが、いろいろと調べるのは結構楽しかったです。
最後に貴重なコレクションのご提供とアドバイスを頂いた
「名古屋レール・アーカイブス」のTさんにこの場を借りて御礼申し上げます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!