2016年02月19日 20時59分

私的昭和の鉄道/北海道(1)深名線。

1977_02_13朱鞠内駅

取り留めもなく、また脈絡も無く書いている「私的昭和の鉄道」のシリーズ。今回は北海道です。就職直前の丁度今頃、厳冬の中、乗りつぶしに邁進(まいしん)していました。

ということで昭和52年(1977年)2月13日の今は無き深名線(深川~朱鞠内~名寄)の朱鞠内駅。深川発6:37の921Dに乗り朱鞠内着8:48。ここから名寄行きの943D(朱鞠内発9:31)に乗り継いでいます。

朝ごはんを食べていなかったのでどこかでパンでも買おうと思い駅外に出たもののお店やさんはなく、やっと見つけた食料品店でカップヌードルを買い、お湯を分けてもらってパクついた記憶あり。駅の温度計が氷点下20度を下回っていました。

1977_02_13浜頓別駅

深名線のお次は美幸線に乗車し、その後は天北線の急行で浜頓別へ。

303D急行「天北」は定刻から33分遅れの16:40に到着。そのまま興浜北線929D(浜頓別17:05~北見枝幸17:51)に乗り、興浜北線の雄武に付いたのは結構な夜中だったと思います。

因みにということでは無いのですが、北見枝幸~雄武間はヒッチハイクをしています。大型トラックに乗せてもらいました。この区間はバス路線もあったのですが、時間の関係だったのかもしれません。

また雄武で泊まった旅館は、その日親戚の結婚式とかで臨時休業していたのですが、それをわざわざ開けてくれ、しかも披露宴の残りだけど…とか言いながら晩御飯も(無料で)用意してくれました。(多謝)

1977_02_14北見滝ノ上駅

今日の最後の写真は、2月14日14:53に辿り着いた渚滑線(しょこつせん)の終点北見滝ノ上駅。

2016年02月18日 20時12分

私的昭和の鉄道/東北(3)阿武隈急行②。

東北本線との宮城県側の連絡駅/槻木発が7:53。福島到着は9:16。

1988_07_02阿武隈急行5

人だかりはここ福島に来て初めてあったという記憶あり。

1988_07_02阿武隈急行7

JR福島駅の表側も特に祝賀を感じさせません。

1988_07_02阿武隈急行8

電車のりば(阿武隈急行、福島交通)の案内でやっと祝賀ムードを感じました。

2016年02月17日 20時10分

私的昭和の鉄道/東北(2)阿武隈急行①。

昭和63年7月1日に全通した阿武隈急行。

国鉄丸森線時代の槻木~丸森間は昭和52年(1977年)8月30日に乗っており、そこから先が未乗区間。

1988_07_02阿武隈急行

で、槻木駅からこの乗り鉄がスタート。何と阿武隈急行の全線開業日の翌日に乗車しています。

1988_07_02阿武隈急行2

この開業に合わせて…だけではなく、この時は昭和63年(1988年)に開業した海峡線の初乗車も兼ねており、結構考えた末にこの日にここを訪れています。

1988_07_02阿武隈急行3

今なら開業記念のヘッドマークが付くのでしょうがこの時は通常営業。

1988_07_02阿武隈急行4

ただ途中の梁川駅には「祝」看板が出ていました。

2016年02月16日 20時59分

私的昭和の鉄道/東北(1)弘南鉄道黒石線。

昭和59年(1984年)9月2日に三陸鉄道南リアス線、北リアス線に乗りその日は盛岡の郊外にある鶯宿(おうしゅく)温泉に宿泊。

1984_09_03小岩井農場

明けて9月3日に小岩井農場で鉄道馬車に乗り、そのまま東京経由名古屋に戻り。改めて思うのだが、結構まめに動いているので分かる。もっとも当時、温泉旅館に1人で泊まるのはそれなりに勇気が要った時代です。

1988_07_01弘南鉄道

さて今日の本題は昭和63年(1988年)7月1日に乗った弘南鉄道黒石線。国鉄黒石線は昭和52年(1977年)8月31日に、弘南鉄道弘南線とセットで乗っているので、本来は乗り直すことはありません。それはさておき川部駅の駅舎を撮影。

1988_07_01弘南鉄道2

川部駅発14:55に乗車。

1988_07_01弘南鉄道3

黒石駅は15:05着。以前の国鉄黒石駅と弘南鉄道弘南黒石駅は同一駅ではなく、昭和59年の民営化の際に黒石線の線路を付け替えて同じ駅としてスタートしており、其れが故に再びこの地を訪れた理由なのですが、平成10年(1998年)にその黒石線も廃止されてしまいました。

1988_07_01弘南鉄道4

改めて今回弘南黒石駅のホームを見れば思ったより広いことに気付きました。

1988_07_01弘南鉄道5

そして少しカメラを振るとそこには黒石線のディーゼルカーが停車中。この時既に黒石線の先行きを不安に覚えたほどで、考えようですがそれからよくもまあ10年も持ったものだと思います。

2016年02月15日 20時34分

私的昭和の鉄道/信州(5)中央本塩嶺(えんれい)ルート。

昭和58年(1983年)7月5日、中央本線の塩尻~岡谷間を素h-とカットする線(当時は塩嶺ルートと言っていました)が開業し、それまでの辰野廻りに比べ、所要時間が大幅に短くなりました。

1983_07_26中央本線みどり湖

その線を乗りに行ったのは7月26日。

名古屋を10時初のしなの7号に乗り、塩尻で急行アルプス4号新宿行きに乗り換えて岡谷には12:22着でした。

1983_07_26中央本線みどり湖2

折り返し13:26発の429M高尾発松本行きに乗車。真新しい線は気持ちいい!なんて思っていたらみどり湖駅で思わぬ列車?とすれ違い。

1983_07_26中央本線みどり湖3

保線用のレールバイク(という名称で正しいでしょうか…)の登場には驚き!上り線も既に使用していたはずで、なおかつ特急も走っていたはず。真昼間に何をしていたのでしょうか?

1983_07_26中央本線みどり湖4

塩尻に13:40着。このサボも今や懐かしい。

1983_07_26中央本線みどり湖5

昭和57年に移転していた塩尻駅。で、この写真を撮って以降、今に至るまでこの駅は何度も通過していますが下車はありません。もう30年以上経っているのですね。こうして新規開業路線に気楽に出かけていた時代が何だか懐かしい。(←違)

今も気楽に出かけているので前言撤回。

※沖縄・那覇市にゆいレールで開業した時、これに乗るために日帰りで出かけて家族には大顰蹙(ひんしゅく)を買い、知人らからはあり得ない!という賛辞を頂きました。

2016年02月14日 20時45分

私的昭和の鉄道/信州(3)続・中央西線。

中央本線4贄川

贄川駅から歩いて行った記憶がある第一奈良井川橋梁。電化工事の際に架線柱が立てられないことから独特の張り方をしたことで当時、知られていました。

中央本線1

こちらは場所が不明。

中央本線2

木曽福島~上松の間にある寝覚の床。

中央本線3

貨車が車を運んでいるのは懐かしい思い出です。

1972_05_02中央本線_10

この写真は同じ場所ですが貨物のスジが入っていたのに何故かこんな感じ。D51重連も何だかなあ…。

1972_02_3_13大糸線

おまけの一枚。

昭和47年(1972年)2月13日の大糸線貨物。中学校の同級生と出かけました。

2016年02月13日 20時41分

私的昭和の鉄道/信州(2)中央西線。

中央本線というより通称の中央西線の方が通りが良かった名古屋~塩尻間。

1970_08_01中央本線宮ノ越_3

昭和45年(1970年)8月1日の宮ノ越駅。夏休みに入っているので多分、友人と一緒に夜行の急行きそで出かけ、各地で撮影をしていたのでしょう。

1970_08_01中央本線宮ノ越_7

勾配のきつい中央西線の貨物はD51重連が牽く事で撮り鉄(当時はそんな言い方はしていませんでしたが…)の方が多く集まっていました。

※場所は宮ノ越付近と思われます。

1970頃の中央本線/653レ

ここからは昭和45年(1970年)これであるのは間違いありませんが、撮影日は不詳。

これは南木曽駅を出発するD51851。

1970頃の中央本線/653レ坂下

坂下駅付近とメモのあった一枚。

1970頃の中央本線/669レ125+501

中津川を出て落合川を目指す貨物。この落合峠を上るためにこの1駅区間だけに上り下りとも後補機が付けられていました。

2016年02月12日 20時31分

私的昭和の鉄道/信州(1)篠ノ井駅。

昭和44年(1969年)8月22日。ネガ袋に日付が書いてあったので間違いないと思うのですが、鉄道の乗車記録を残す前の高校1年生の思い出。

1969_08_22篠ノ井駅2篠ノ井駅。D51155+DD51618+C58368。

1969_08_22篠ノ井駅

止まっていてもやっぱり蒸気はいい。篠ノ井線でまだまだ主役として活躍していた時代です。

1969_08_22篠ノ井駅3

時代的にはDD51が最新鋭の機関車だった。

1969_08_22篠ノ井駅4

C58にはデフ(デフレクター、除煙板)が無いので今思えば入替機だったのでしょうか。

それにしても何のためにここまで出かけたのかが謎。今思えばデフ無しのC58は意外と貴重な存在だったとか思ったりしています。

2016年02月11日 20時04分

大学入試と乗車券。

会社の近くの大学で入試が行われています。受験者の皆さんにかける言葉は「頑張れ!」しかありませんが、地下鉄の利用者としてはここ数年、特に今年顕著になったと思ったことがあります。それはICカードの利用者が大半になったこと。

2016_02_10 マナカまずmanakaを使っている人が大半。恐らく名古屋市内に住んでいるか通っている人。

次にパラパラとTOICA利用者。

私の出勤時、改札口を通る際の瞬間だけの検証ですので正しい統計とは言えませんが、大外れはしていないと思います。一方、写真のSuicaは見かけていません。やっぱりね。ただ見慣れないカードの方もいて思わずどこのカードだろうと気になりました。

ところでICカードが普及して一番様変わりしたのは切符を買う人をあまり見かけなくなったこと。以前、ターミナル駅と大学最寄り駅の両方で、駅員さんが机を出して臨時の切符売り場を開設し、押し寄せる受験者をさばいていた記憶がある人も多いと思いますが、それも今や過去の風物詩。八事日赤駅でも駅員さんが下車する方に「お帰りの切符をあらかじめお買い求め下さい」と呼びかけているものの、それほど台数があるわけではない自動券売機に行列が出来るまでには至りません。

便利な時代になったものだと思うものの、ふとした時に気付くこうした時代の変化は面白い。

2016年02月10日 20時47分

新幹線:エヴァンゲリオン プロジェクト(8)お土産。

2016_01_23 500系エヴァンゲリオン_129

お弁当は西明石駅で購入。エヴァンゲリオンvs.ドクターイエローの戦いも今回はエヴァンゲリオンに軍配。

2016_01_23 500系エヴァンゲリオン_142

この容器は、今は自宅のリビングに鎮座しています。そんな風に置いても映えるのはエヴァンゲリオンというコンテンツの力でしょう。

エヴァンゲリオン 4

ところで「新幹線:エヴァンゲリオン プロジェクト」では様々グッズが出ています。

エヴァンゲリオン 3

このキーホルダーは広島限定&福岡限定のもの。これらのエヴァグッズは私が買ったものではなく知人からのプレゼント品。実はその方とは互いが各地で買った鉄道グッズの交換(エールの交換)を時々しており、12月に「500 TYPE EVA」のコックピット体験をしつつ博多まで行かれた際のお土産として頂きました。(嬉)

で、その方からこだま730号に乗り、展示・体験ルームに入るなら「是非!」と勧められたのがこれ。

エヴァンゲリオン 2

日本酒「獺祭(だっさい)」の3本セット。「獺祭」は映画「序」の中で登場しており、本来は車内販売の無いこの列車にも関わらずこれだけは、展示・体験ルームの係りの方から購入することができます。

まだ手をつけていないのですが今からその日が来るのを楽しみにしています。(私のお気に入りの銘柄の一つで久しぶりの出会いです)

北陸新幹線 日本酒2

日本酒繋がりでもう一つ。北陸新幹線のお土産の3本セット。こちらも知人からのプレゼントで、E7系の容器がなかなかです。

ところで皆さんは集めたグッズはどうしていますか?私の場合、実用品であるキーホルダーは基本、その用途で使っていますし、最近買うことも多いクリアファイルも使っています。そうっ!私は実用品として使う派です。勿論実用に適さないものもあるので一概には言えませんが、例えば我が家の鍵は、車を除きほぼ鉄道系キーホルダーにぶら下がっています。中にはイベント等での無料配布の珍品もあったりしますが、家族にその価値は分からない。(笑)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!