名鉄の電気機関車が好きです。ということで今年はいろいろと動きがあったこの話題で締めくくります。
デキ600が今年の7月に終焉を迎えました。さてどこでお別れをするかが思案の為所(しどころ)でしたが、私は新名古屋(今回は敢えてこう書きます)という場所を選んでみました。
大江駅で最後の旅路に向けて4両がパンタを挙げて勢揃い。奥から601~602~603~604と綺麗な並びで名鉄の担当者の細やかな心遣いが嬉しく感じられました。
デキ400も昭和の私鉄の電気機関車らしさがプンプンしており好ましい存在です。
一方、世代交代で登場したEL120形。ミュージックホーンが付いているので高評価。この撮影時に初めて聞きましたが、「これが名鉄だ!」と主張しているようでした。
最後に名鉄資料館からお借りした3枚のイラスト。それでは良い年をお迎え下さい。
定期的に運航日が決まっているわけではなく、運ぶ貨車があれば出航すると聞いていたこの連絡船。
出会えればラッキーというまるでドクターイエローのような存在。
岸壁に近づいてきました。
沖合にこの船がいることに最初に気付いたのが丁度12:00頃で、これからの私達の予定に全く影響しない時間での入港。本当に私達の今回の旅は運が良い。まして車をチャーターできずに路線バスで来たから出会えたこの瞬間です。
間もなく接岸。
これで接岸。撮影を始めて僅か10分の出来事で、多分このブログを呼んでいる方も「えっ!たった10分」と驚いてもらえると思っています。
参考までにこの船に積まれるのはロシアのブロードゲージ1520ミリの貨車。
鉄道歴史博物館提供の写真でその様子が垣間見られますが、以前日本からサハリンへの「鉄道愛好家」向けツアーが何度か実施された際、ここの見学も組み込まれていたそうです。
で、陸揚げされた貨車はここホルムスクで1067ミリの台車に履き替え、サハリン各地に散っていきます。
逆にサハリン各地から戻ってきた貨車は逆の手順で1520ミリの台車に履き替えてロシア本土に戻っていきます。日本では消えてしまった鉄道車両の航送を、日本から一番近くでやっているここロシア。船のダイヤが決まっているのなら乗ってみたいものですね。
海を臨む公園の向こうに船がいる風景。素敵です。
さて、ここホルムスク(真岡)から北の町チェーホフ(野田)にこれから乗り鉄するのですが、私達は列車の始発となる「ホルムスク南駅」ではなく「ホルムスク北駅」(Холмск-Северный)から乗ることにしました。
理由は下記のようなこと。
1)帰りのバスの乗車券の購入。
指定席なので一瞬の躊躇はあったものの列車が遅れる事は無かろうと買ったのですが、結果論としてこれは良い判断でした。
2)昼ご飯の買出し
ホルムスクの南駅と北駅の間にバスターミナルがあり、そのエリアが町の中心であっていろいろなお店が並んでいるのですが、鉄道駅の近くには一切お店がありません。(これは断言できます)
そのためスーパーで買出しを終えた私達は、南駅か北駅を目指す必要があり、ということもあって北駅を目指すことにしました。
3)列車に乗るまで時間があった。
ホルムスクに着いたのが10:25。列車が出るのは北駅で13:30。
4)市内の風景を撮影できるポイントを探しながら歩いていた。
などなどです。
移動の途中で見かけた鳩たち。何故かこの屋根だけにぎっしり。不思議。
港の見える公園があり、そこで海を見たら一艘の船がこちらにお尻を向けている。
えっ?ひょっとするとと言う話しになり、しばし様子を見ることに。
すると船尾が大きく口を開け始めた。
中にはタンク車がいる!
間違いない!!これはロシア本土のワニノ(Ванино)とホルムスクを結んでいる鉄道連絡線だ!
さて旧真岡駅があった場所。
今はホルムスク南駅(Холмск-кЮжный)となっています。
このコンクリートの塊が真岡駅の基礎の痕跡といわれていますが、ほぼ同じ場所にあるのに「ホルムスク」ではなく「ホルムスク南駅」を名乗っているのは何故でしょう?
サハリン鉄道歴史博物館からご提供いただいた「真岡駅」。キャプションに「Maoka」とあったので、日本時代の写真と思われます。
日本時代の真岡には大きな港があり、当時の写真も「樺太の鉄道旅行案内」に残されています。
「樺太の鉄道旅行案内」にあった「真岡節踊」の写真。真岡節という歌があり、それに合わせての踊りもあったということでしょうが、往時の真岡の町の発展振りがこの1枚の写真からうかがい知ることが出来ると思います。
ホルムスク(真岡)に到着。
出迎えてくれたのは踏切。体が反応してシャッターを押しました。
バスターミナルに着いたのは10:25。ユジノサハリンスクから1時間45分の旅でした。まずはホッと一安心。本当はこの日、車をチャーターして、西海岸の鉄路を1日乗り鉄、撮り鉄するつもりだったのですが、その手配を頼んだユジノサハリンスクの旅行社からたまたまこの日は予約が多く、車の手配が出来ないとの回答があり、またホテルでも同様の手配を聞いてみたものの残念!ということになり路線バスの旅になりました。
その結果、撮り鉄は出来なくなりましたが、その代わり乗り鉄を1日楽しむことにしたものです。
バスターミナルから南に向かい、しばし撮影。丁度貨物の入れ替え作業中。
機関車は明らかに「日本」ではないのですが、線路の幅が1067ミリと日本と同じなので、何故か親近感が湧いてきます。
鉄道員が線路を歩く。ただそれだけのことですが、何故か印象に残ります。
私がここを訪れるまでに持っていたサハリンの鉄道のイメージである「列車本数も限られているので大した事は期待できないだろう」はどんどん崩れていきました。
活気がある!と言うのは言いすぎでしょうが、それでも生きている鉄道を身近に感じていました。
豊原(ユジノサハリンスク)を出た列車がもう少しで真岡(ホルムスク)という地点。
バスの走る道路からは少し離れた場所でかつての豊真線はループ線を使い高度を稼いでいました。
昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」にその写真が載っていました。
2008年撮影のループ線。1994年にこの路線のトンネルが崩落し、一時は復旧を目指したこともあったようですが、そもそもロシアの鉄道規格の車両が通れないこともあって結局廃線となりました。しかし時にはホルムスクからループ区間の入り口まではこうした貸切列車が運転されたこともあるとのことで、この写真はその貴重な証となっています。
参考までにこのまま列車が奥に進むとトンネルに入り、ぐるりと坂を上りつつ一周して橋を渡りユジノサハリンスク(豊原)に向かうことになります。
この写真は「樺太の鉄道旅行案内」にあった豊原から18.3哩(マイル)、約29.5キロの距離にあった瀧ノ澤駅。豊真線の最高地点で標高1330呎(フィート)=約405メートルの地にありました。
昭和14年の路線図(再掲)で瀧ノ澤駅の場所を見るとそこは「奥鈴谷」の隣の駅。
実はバスに乗っている時に私が感じたこのルートの最高地点は昨日UPした海が見え始めた辺りでした。道路を走っていたからということもありますが、どうやら人間と言うか私の感覚が如何に当てにならないかということを証明してしまいました。
それにしてもこんな凄い山越えに挑む鉄道を明治の人が作ったのには驚嘆させられます。また豊真線の山岳区間はサハリンでも豪雪地帯として知られているそうですから、返す返すもただ単に「先人の努力」という一言で終わらせるわけにはいかないと思っています。
何歳になっても嬉しいクリスマスプレゼント。きっとこれが私へのプレゼント。
本日、ドクターイエローが西へ下っていきました。ということで笹島で建設中の新社屋の塔屋に上がり狙ってみました。
11階建ての建屋の屋上でエレベーターを降りて階段を上る事、10分弱。途中で休憩を取りつつはあはあぜいぜい。やっぱり歳ですね。
今日の撮影の本当の狙いは、この写真で手前に大型クレーンが見て取れますが、これは現在中京テレビ新社屋の北側で建設中の「グローバルゲート」。年が明けると建設が更に進み、名古屋駅側の視界が無くなりそうだというのは何となくお分かりいただけると思いますが、そうなる前に記録としての撮影を続けています。天候の加減とか、風が強いと伊吹おろしが直撃のため塔屋での撮影は危険を伴う可能性があり、なかなかタイミングが合わなかったのですが今日はバッチリでした。
13;25。ドクターイエローが登場。
何かいいことがありそう。
こうして撮影するのもきっと今日が最後ですね。名古屋の街にこれほどの高層ビル群が登場するとは時代が平成になった後でも夢にも思っていませんでした。
名古屋駅を出発したドクターイエローを撮影していたら名古屋車両所に向かう列車とクロス。
バスは小型の観光バスといった感じ。座席指定というのは成程納得のシートですが少々狭い。1時間に1本程度の本数のある都市間バスであり、2時間ほどかかると聞いていたのでてっきり「大型バス」という思い込みがありました。まあまあそれも旅の醍醐味。サハリンの長距離バスに初挑戦ということでテンション少しUP気味。それにしてもバスも定時で出発。時間通りでことが進むサハリン時間に慣れて来ていました。
バスに乗って約1時間10分。突然目の前に豊真線の廃線跡である鉄橋が出現。これにはビックリ。まだ残っているとは思ってもみませんでした。
周りは高原風景。地図で見るとかつて鉄道のあった場所と、このバスが走る道路はほとんど平行しておらず、山越えのために鉄道が物凄く大回りしているような感じでしたが真相や如何に。
バスに乗って1時間25分の10:05頃。バスが峠を越えたかと思ってから暫くの後、突然海が見えてきました。山の窪んだ所にホルムスクの町もちらと見え、今からそこまで駆け下ります。
あまりの雄大な景観に圧倒されつつ、それが鉄道にとっては並大抵ではない峠越えだったことを感じさせるに十分でした。