2015年07月25日 20時11分

立山黒部アルペンルートを通り抜け(5)トロリーバス路線完乗!!!

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近場にありながら、よりによって立山黒部アルペンルートのど真ん中にあるがゆえ、思いのほかハードルが高かった立山トンネルトロリーバス。トンネルを照らす照明は私の希望の光にも見えました。(久々に話を大盛りにしています)

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立山トンネルトロリーバスは単線のため、途中に信号所が設けられ、そこで交換します。この時は対向の3台のバスが待つ形になっており、こちらは青信号で通過しました。

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大観峰に到着。喉に刺さった骨がやっと取れた瞬間でした。嬉しいというのもありましたが、それよりホッとしたというのが偽らざる心境でした。

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バスの正面の顔を撮影するのは意外と難しく、何とか撮影できたのがこの1枚。

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乗降用のドアが吊り戸形式なのは、どこか鉄道的で、一般的なバスで見かけないパターンですね。

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大観峰から黒部平へは立山ロープウェイで1.7キロ 7分の旅。12:40発のロープウェイには待つことなく乗る事が出来て一安心。なおこの日は団体が入っていたこともあってか臨時便も出ていました。ということで立山黒部アルペンルートの通り抜けも大団円に近づいてきました。

2015年07月24日 20時08分

立山黒部アルペンルートを通り抜け(4)立山トンネルトロリーバス。

いよいよ室堂~大観峰を結ぶ立山トンネルトロリーバス。3.7キロ、10分の旅です。

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バス乗り場のところにあった「立山ロープウェイ」の案内。実は1994年(平成6年)7月6日かその後に番組の撮影で行った時かを忘れましたが、このロープウェイがボトルネックになり少々乗るまでに時間がかかった記憶があり、今回もここが順調に通り抜けられるかどうかを気にしていました。しかも一気通貫(すいません。麻雀用語です)するには避けて通ることは出来ません。

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とまあ何はともあれ立山トンネルトロリーバスに乗車。この路線に乗るのは2回目ですが、何と初乗車。回りくどい言い方ですが、平成6年の『バス』の時代にこの路線を一度乗っているものの、1996年(平成8年)4月23日以降の『トロリーバス』になってからは初めての乗車という意味です。鉄道趣味を持つ方以外には何のことやらということでしょうが、見かけによらず『トロリーバス』は法規上、鉄道なのです。

話を纏めます。「この路線はバスの時代に乗ったが。鉄道になってからは初乗車」であり「乗り鉄の私のプライドにかけて乗らねばならぬ」鉄道だったのです。

これまでの20年近く、私は日本の鉄道を「全線走破」はしているけど「全線乗車」はしていないという言い方をして、周りの方にそれを説明する喜びを感じていましたがそんな生活もいよいよ終わりです。

※この路線の“電化”は環境対策。電化以前はディーゼルバスが走っていたので、長大トンネルを走る路線としては当然の帰結でしょう。

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このバスが鉄道である由縁。トロリーポール。

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12:15発のバスは3台仕立て。運転士さんも3人いて総括制御できない電車に乗る気分。そもそもバスなのでそりゃそうだよね。ということではあります。

※総括制御とは…1箇所の運転台の操作により、複数の電車・気動車・機関車を1人の運転士で運転すること。例えば東海道新幹線なら電車は16両でも運転士は一人。

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車内にはバスでは見かけない電気系統のメーターが並んでいます。

なおトロリーバスの運転には動力車操縦者運転免許(鉄道車両を運転する免許)が必要で、路線バスや観光バスを運転するのに必要な大型二種免許があっても『操縦』 することは出来ません。

2015年07月23日 20時07分

立山黒部アルペンルートを通り抜け(3)雪の大谷。

室堂から大観峰へのトロリーバスは12:15発に乗ることにし、50分ほどここ室堂でノンビリすることにしました。

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さて室堂といえば雪の大谷。6月14日(日)時点でも11メートルの雪の壁が健在でした。さてこの雪の大谷は今もあるのでしょうか?流石にもう解けていそうですね。

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さてこの日の乗車券と「雪の大谷ウォーク通行証」。通行証は記念品で雪の大谷の入り口に置いてあり、皆さん取って行かれていました。

乗車券に戻りますが、今回はWEBで予約していました。ケーブルカーの乗車時刻の指定が出来るので、どんなに混んでいても美女平までは予定がたつようになっています。立山駅にはWEB予約専用の窓口もあり、乗車券の購入で待つこともありませんでした。

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食事は食べられるときにするというのがモットーの私。室堂ターミナル内の立ち食いそばの店で、そばと鱒の寿司をセットで舌鼓。

ライチョウ

もぅ少し時間があればターミナル周辺の散歩し、こんな出会いがあったかも知れませんが今回は断念。

※このライチョウはここ室堂で1994年(平成6年)7月6日に撮影しています。

2015年07月22日 20時02分

立山黒部アルペンルートを通り抜け(2)立山高原バス。

美女平(標高977メートル)から室堂(標高2450メートルの)までは高原バスの旅。

23キロ、約50分はアメイジングな風景の連続です。その高原バスは定時なら11:10発。40分ほどの時間があるので付近を散歩…と思っていたら、ケーブルカーを下車して直ぐにバスに案内され、しかもお客さんが乗ったら即出発。

美女平では何の写真を撮っておらず、一瞬「えっ!」とか思ったものの、とりあえずこの日は先を急ぎたかったので有難い臨時バスの運行でした。そのバスが動き始めたのは10:35頃だったと思いますが、何と3台連なっての運行でした。

暫くしてから団体客が多いときなどは、柔軟に対応していることが分かったのですが、面白いのはバスの乗客は団体と一般客が混乗していることで、私の周りにも団体客の方たちが座っていました。

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落差日本一の称名滝。たまたま座った席が進行方向左側だったのですが、この風景を見るには右側では少し残念かもしれません。もっとも乗客の方は左側の席に身を乗り出すようにしてカメラを向けており、左側席の方も写真が撮りやすいように協力していました。

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弥陀ヶ原付近の絶景。この辺りは6月中旬でもご覧の雪景色。このバスの中で一体何回のシャッター音を聞いたか数え切れないほどです。ですよね。私もこのバスの中だけで何枚も撮影しています。デジタルカメラ時代。もとい携帯カメラ時代。

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立山連峰の立山(雄山)。室堂ターミナルも見えています。

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立山黒部アルペンルートの高原バスと言えば「雪の大谷」。バスの中でも歓声が響いていました。

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11:20過ぎに室堂ターミナル到着。思いのほか広々していて、20年前の記憶は単なる自分が作り上げたイメージの世界と知りました。

2015年07月21日 19時59分

立山黒部アルペンルートを通り抜け(1)立山ケーブルカー。

「立山黒部アルペンルート」のスタートは『立山ケーブルカー』。立山駅~美女平間、1.3キロ7分の旅です。

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10:20発は予想を超えて満員。120人乗りなのでもう少し余裕かと思っていたのですがまあこれは観光地にとってはありがたいことです。

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定刻に出発!車両の一番先頭か一番後ろに乗りたいと思いつつ、残念ながらそうはならなかったものの、この程度の写真が撮れる場所を確保しました。及第点。

車内で「今時だなあ」と思ったのが一点。携帯で動画を撮っている人の多さ。私の隣にもそんな方が立っていました。

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空の荷台。トンネルの中で撮影すると実用品もオブジェ、芸術に見える。…そんな訳ないか。

荷台部分をピタッと止めたかったのですが揺れる車内では流石にそれはやはり無理で、まあ雰囲気の流し撮りもどきです。

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ところどころで絶景がチラッと見えますが、1994年(平成6年)7月5日に乗った時はもっと視界が広がっていたような記憶があります。そしてこの写真には荷台の先にチラッと保線担当と思われる方たちが写っています。こうした方たちがいて私たちは安心して観光することが出来るわけです。仕事とはいえ“感謝”。

※このケーブルカーの初乗り時は「立山開発鉄道」という会社でした。今は立山黒部アルペンルートの内、立山駅~黒部湖間の交通機関を運行する立山黒部貫光株式会社になっています。

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ケーブルカーの交換は私の年齢でもワクワクする瞬間です。何度もシャッターを押した中から、景色の広がりのあるこの写真を選んでしました。

こんな写真を撮っていないで、もっと純粋に絶景を楽しもうよ!と自問自答。でも止められない習性。

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そして美女平駅に到着。

2015年07月20日 20時49分

立山砂防工事専用軌道。

2015_06_14-立山黒部アルペンルート_8平成27年6月14日(日)。立山駅周辺を散歩中。

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書き忘れていたのですが、この日のメインイベントは市内軌道線はともあれダブルデッカーエキスプレスではなく実は『立山黒部アルペンルート』の通り抜け。立山駅ではケーブルカーの予約を電車の到着時刻9:44から最短での接続となる10:00発ではなく10:20発としてこうして立山砂防工事専用軌道ウォッチングをしていました。

といってもこの日は日曜日なので立山砂防工事専用軌道は動いていません。

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静かな線路。でもこうして見ているだけでも心が躍ります。

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この看板から砂防工事だけではなく、専用軌道の保線、補修も行われていることが伺えます。

世界でも有数の景観だと私が確信するこの軌道は、1度だけ、2008年(平成20年)7月16日に乗っています。実施日が平日のため、それまで休めそうな時期を狙って何度も応募していましたが、予想通り何度も落選する苦渋の日々を過ごした後の歓喜の1日でした。

その時の体験は2010年8月12日からこのブログでUPしています。

今回は短い時間でしかも線路だけの訪問でしたが、当時を思い出すには十分でした。

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そして立山駅に戻りいよいよこの日の本命に挑戦です。それにしても観光バスで来る人が多いのにはビックリ!中国からの観光客が多いとは聞いており、確かにその通だったのですが、世界中から来ていると言っても過言ではないほど様々な国の方がおられ、色々な言語が飛び交っていました。

2015年07月19日 20時29分

富山地方鉄道ダブルデッカーエキスプレス/立山駅到着。

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2015年(平成27年)6月14日。9:44、立山着。その到着を待っていた9:44発の電鉄富山行きが出発しました。

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14760形のこの編成は「立山あーとれいん2015」のヘッドマークがついており、立山町のウェブサイトによれば車内には立山町の魅力を伝える写真が展示されているとの事。(2015年6月14日現在)

電車の運転時刻はウェブサイト/立山町⇒立山あーとれいん⇒時刻表で確認できます。

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「やっぱり京阪だ!」と言いたくなる『テレビカー』のエンブレム。きっちり残されています。

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立山駅の構内をこの位置から始めて撮影しました。名鉄からキハ8000系が乗り入れていたなんて今や知る人のほうが少ないでしょう。

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今回の乗ったダブルデッカーエキスプレスの乗車券と特急券。どうせ乗るならダブルデッカーとも思いましたが、今回は普通の座席にしました。因みにダブルデッカーが満席だったわけではありません。単なる私の気分の問題で、名古屋に帰ってからどうせだったら乗っておくべきだったと思ってもどうしようもありません。

どうでもいい話ですが、富山地方鉄道の特急はお初で、乗っていてプチ優越感。

2015年07月18日 20時24分

富山地方鉄道ダブルデッカーエキスプレス/電鉄富山出発。

京阪3000系は、私の好きな電車の代表格です。名鉄のパノラマカーも好きなのですが、何せ身近すぎてその価値を見出せない一面もありました。

一方京阪3000系について言えばその昔、京都の四条大橋で京阪と京都市電が平面交差していた時代に、堂々たる編成が大通りを横切る姿は未だに忘れていません。

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富山地方鉄道10030形の並び。やっぱり旧京阪カラーに馴染みがあると言ったら怒られそうですが、実は富山地鉄色もすっかり地元に溶け込んでおり、違和感はいつの間にかなくなっていました。

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ダブルデッカーエキスプレスは3両編成なので、電鉄富山駅での先頭車の停車位置はこんな関係になります。

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ダブルデッカーの車両にはこんなイラストがあります。

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また車内にはこんなエンブレムも。富山地方鉄道の大きな期待感を実感できます。それにしてもこの車が富山に来てもう2年近くなるんですね。早いものです。

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8:54に電鉄富山を出て穀倉地帯を行く電車。富山平野の典型的な風景です。(だと私は思っています)

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でも少し時間が経てば常願寺川を渡る橋は絶景ポイント。富山市という県庁のある大都市からわずか40分足らずのこの景色に出会えるのは富山ならではと言えるでしょう。

2015年07月17日 19時17分

祝!我らがDJ「鉄道ダイヤ情報」通巻400号。

鉄道ダイヤ情報

『DJ』の通称で親しまれている「鉄道ダイヤ情報」が通巻400号を迎えました。その400号と創刊号の表紙を比べてみれば…。編集長曰く、400号ということでそこはこだわったそうです。

ところで「鉄道ダイヤ情報」は昭和47年(1972年)11月に「最新SLダイヤ情報」として発刊され、当初は年に2回の発行。創刊当時、蒸気機関車の撮影を趣味にしていた人たちにとって、正に待ちに待った雑誌であり、特に貨物列車も含めた全列車の“ダイヤ情報”は驚きでした。そして私自身もこの雑誌の情報を使って撮影をしていました。

さて久しぶり(って、多分43年ぶり?)に「最新SLダイヤ情報」創刊号を開いてみれば、終焉間近とはいえまだ全国に蒸気機関車が走っていてビックリ!また梅小路蒸気機関車館の記事もあり、「そんな昔からあっったんだ」とか思いがけない発見もありました。(単なる私の知識不足…)

一方、マミヤのレンズ交換式二眼レフの広告も懐かしく、昨日は400号より創刊号を結構読んでしまいました。

2015年07月16日 20時57分

富山地方鉄道市内軌道線(7)富山駅界隈で撮影。

富山トヨペット本社前から一旦富山駅近く(新富町で下車)に戻り、暫し撮影タイム。

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7000形の行き違い。絵になります。

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富山駅近くの配線が変更され、こんなアングルでの撮影が可能となりました。

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富山駅前改め電鉄富山駅・エスタ前電停。

かつての人で溢れていた光景がなくなりました。

そんな時代の写真をUPしようかとも思ったのですが、ここは暗い話題(乗客の大幅減)とかでこうなったわけではないですし、明るい未来へのステップによる時代の変遷と考え、昔を懐かしむのを今は思いとどまりました。

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市内軌道線の最後は富山地鉄ホテル9階エレベータホールから撮影した電車。この写真が撮りたくて今回はこのホテルの上層階を予約しました。(電車の重なり具合は、自分の中では今一歩)

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3両の電車が一同に会するチャンスは何度でもあるのですが、なかなか思う位置関係では電車が走ってくれない。

これも自分の中では今一歩ですが、この日のベストな写真です。

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最後に駅前の全景。こんな風景を見る日が来るとはほんの少し前でも思いもよりませんでした。

※この写真に写っているアルファーワン富山駅前のからの眺望も良いと聞いています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!