2015年04月06日 20時12分

渓湖糖廠の五分車(18)さようなら渓湖糖廠。

途中にあった不思議な光景。

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人工的に作られた緑のトンネル。丁度ポイントのある場所にあり、往路で気になったので帰路に撮影しました。日本の“雪国”ならスノーシェッド(覆道/ふくどう)みたいに見えるのですが、何か目的があるのでしょうか?

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ここまで来れば残りがあと少し。10:55過ぎに無事終点に到着しました。通常の五分車運転は往復で約50分ということでしたので、それよりは15分ほど長く楽しんだ計算になります。こうして私にとって今回のツアーの最大の目的が達成されました。

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最後に大形トラクターの写真をUP。サトウキビの収穫で使っているのではと勝手に思ったのですが、その理由は車体には「虎尾糖廠」の文字があったからです。何せ「虎尾糖廠」は台湾でも唯一の現役精糖鉄道があることで知られており、これからも私と精糖鉄道の縁が続くという予兆を感じ取りました。(私の個人的な見解であり、家族の同意は得ていません・・・。)

さようなら渓湖糖廠。

2015年04月05日 20時11分

渓湖糖廠の五分車(17)台湾バナナ。

帰りは最後尾の車両に乗車。

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橋を渡るところではこんな写真を撮りましたが、簡単な作りではあるもののこれで十分だったということでしょう。因みにこの辺りでは「田舎の香水」を堪能していました。

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このブログでは音付きの動画は貼っていませんが、実は生声の案内放送がズーっと流れており、ここ渓湖糖廠の五分車や台湾の精糖事業などなどについての説明があったそうです。

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見つけた!!バナナだ!

まだ青いので今は食べられるとは思えませんが、栽培されてとは思えない感じでした。

2015年04月04日 20時09分

渓湖糖廠の五分車(16)のどかな農村風景を行く。

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濁水駅の駅舎というより小屋と言った方が似つかわしい建物の横にはこんな看板がありました。

ここはかって「渓州」「王功」「漢寶」に向かうジャンクションだったという証左でしょう。サトウキビの出荷の最盛期の時期にここは一体どんな状況だったのでしょう。考えただけでもワクワクしてきますがそれを見る事はもう出来ません。

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改めてき346号が折り返していた方面を除いてみましたが、パッと見は2方向への分岐だったので、恐らく1本の線路は撤去されたのでしょう。左側の線路の先には「線路」を遮断する方向に遮断機が見えていますが、どのように使っていたのでしょう。気になりました。

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家族連れに見送られ10:38に出発。

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キャベツ?の収穫風景も見られるのどかな田園風景が続きます。

2015年04月03日 20時07分

渓湖糖廠の五分車(15)出発準備完了。

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客車の先頭に機関車が戻ってきました。

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連結作業は無条件に萌えます。

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ご近所の方でしょうか?家族連れの方がやってきました。この方たちは列車の出発時間までいて私たちを見送ってくれました。

そこにいた子供がとにかく可愛く、手に持っていた蒸気機関車のおもちゃを突然、線路の上で走らせ始めた時には、ツアー参加者の格好の撮影対象となっていて、それを見ていたご家族の方も、ニコニコの笑顔で見守ってくれており、ささやかですが日台の民間交流気分でした。

2015年04月02日 20時05分

渓湖糖廠の五分車(14)濁水駅で機回し。

平成26年12月1日(月)。

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舗装道路の併用軌道上でストップ。オートバイが通り抜けていったのできっとここは公道なのでしょう。撮影に夢中になるのは危険な行為と知りました。(笑)

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早速機回しです。

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多分、その先も線路が続いていたであろうところに突っ込み、そこで折り返しです。

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346号の右側に立っている方がポイントを操作されていました。きっとこれはフォトランとは言わないのでしょうね。

2015年04月01日 20時00分

渓湖糖廠の五分車(13)フォトラン。

最近「フォトラン」という言葉を耳にすることがたまにあります。鉄道分野では撮影のために貸切列車を仕立て、撮影者の都合に合わせて動かすことを指している場合に使っていると私は理解しています。例えば昨年(2014年)の11月中旬にこのブログでUPしたボンネットバスツアーがその典型だと思っています。

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さてここ渓湖糖廠でも同様のイベントが組まれており、9時50分頃に出発したこの蒸気機関車牽引の五分車は走り始めて100メートルほどの所で停止。早速撮影タイムになりました。

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まるでそれは私たちの要望に応じてポーズをとるモデルが如くでした。ここで10分弱の時間がありました。

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いよいよ出発進行!踏切では車を待たせて良い気分。何でかって言えばナローの、しかも観光鉄道が公道を横切っているのです。日本ではありえません。というか日本でも認められるようになれば廃線になった路線が観光鉄道として復活できるかも知れません。もっとも“台湾”だから可能で、“日本”の基準ではやっぱり無理かもしれません。「りくべつ」とか「小坂」あたりが復活してほしい路線です。

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渓湖糖廠の構内ならともかく終点までの途中で列車を停めることはさすがに出来ないとの事で、私たちは沿線風景を楽しんでいました。

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出発した時には単線だったのが、いつの間にか右側にもう1本の線路が登場しました。複線?それとも単線並列?気になって夜も眠れません。ん、な訳ないか?

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10:12頃、何も無いところにポイントが出現。一瞬、ここが終点かと思ったら、軽くそこは通り過ぎ終点の濁水駅についたのは10:20頃でした。

2015年03月31日 19時52分

渓湖糖廠の五分車(12)まだまだやることはあった。

それで出発準備が終わったと思ったらまだまだでした。

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機関車だけ切り離され、少し先にあった水道のある場所に移動。ホースを持ったスタッフが動き始めました。

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最初は水タンクに給水。水が無ければ蒸気機関車は動かない。

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更に何かをしている…。

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石炭に水をかけていました。

それにしても蒸気機関車と言うのは走らせるまでの準備が大変なんですね。

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そして9時半過ぎにやっと客車に連結されて出発準備が完了とあいなりました。

2015年03月30日 20時48分

渓湖糖廠の五分車(11)転線。

平成26年12月1日(月)。動き始めた機関車は転線。

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客車の連結に向かい始めました。確かに「渓湖糖廠の五分車(2)」で機関車の向こうにいたのは観光用五分車で乗車する客車ではありません。そう言えば私たちが火起こしを見ている時に、隣の線路に客車を牽いたディーゼル機関車が入って来ていたのを思い出しました。

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そして客車が連結されて一息ついたと思った9:10頃に「機関車を動かすから乗らないか」と声がかかり慌てて乗車。

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つまり先の場所は出庫準備をする場所で、乗車するのは製糖工場の横にあるこの場所であることがやっと分かりました。

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輝く真鍮(しんちゅう)から漏れる煙。美しい!

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製糖工場の巨大さに改めて驚かされました。現役の頃を髣髴(ほうふつ)させます。

2015年03月29日 20時46分

渓湖糖廠の五分車(10)蒸気機関車の出発準備完了。

再び台湾シリーズ。

平成26年に戻ります。立ち入ることは出来ませんが見ることは出来たところ。

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2年前にはあった線路が無くなっていました。

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でも怪しい(私好みの)気動車は残っていました。今後、このスペースも観光施設として整備するのでしょうか?

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さて蒸気機関車の出発準備が完了したようです。

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平成26年12月1日(月)の朝9時。遂に346号が動き始めました。火起こしから1時間もかかっておらず思ったより短い時間でした。

とはいうものの私たちの乗車する列車は10時頃に出発すると聞いていたのでどえらい早い…、、、まだ何か作業があるのかな?と思いつつ…。

2015年03月28日 20時00分

「若桜鉄道」の『SL走行社会実験』。

写真は全て2010年6月19日撮影。

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鳥取県の第3セクター「若桜鉄道」が4月11日(土)に『SL走行社会実験』を行います。区間は若桜~八東間の9.4キロ。そこを時速10キロ前後でゆっくり走ります。

2010_06_19若桜鉄道SX10_26

今回はSLの集客効果と経済効果を検証するという目的で行われますが、いくつかの興味深いというか今まで誰も考えつかなかったのではないかと思うアイデアで溢れています。

1)鉄道の車検を通していない蒸気機関車C12167が本線を走る。

本来これは法律上認められることではありません。そのために定期列車を1往復運休させ線路を閉鎖することで可能となりました。

※その変わり代行バスの運転あり。

2)撮り鉄対策を万全に行い、恐らく日本初の撮り鉄さんから“稼ぐ”。

有料予約制の駐車場や撮影場所を設定し、それにより想定される撮影地の奪い合いを回避します。更に宿泊プランやお弁当も用意しています。余談ですが、スピードが遅いだけに撮りがいもありそうです。

3)鉄道ファン向けイベントの実施。

これは全国の“公募”社長さん達が勢揃いしてトークイベントをするというもので、由利高原鉄道、山形鉄道、ひたちなか海浜鉄道、いすみ鉄道、若桜鉄道の各社長たちが一同に会してステージに登壇するというのは興味津々。何れも個性的な方たちだけに未だかつて聞いたことが無い“苦労話”が聞けるかもしれません。

4)地域ぐるみの支援体制。

行政だけではなく、宿泊業者、市民団体、住民、ボランティアが「沿線サポート委員会」を結成し、各駅でイベントを行うそうです。

2010_06_19若桜鉄道S90_34

ところで若桜鉄道のC12は運転体験できることで知られており、私は2010年6月19日(このブログでは6月23日~UP)に行きました。圧縮空気を動力にしているので最初はどうなのかな?という気持ちもあったのですが、始まってしまえば「これが蒸気機関車か!」と楽しい時間を過ごしました。本来は本線を走ることのない(出来ない)この機関車が今回、煙はでないものの特に帰路(八東⇒若桜)は編成の先頭に立ちます。考えるだけでもわくわく気分です。一方、往路のDD16牽引も私には十分魅力的です。

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因みに客車の乗客はこの方々です。

詳細はウェブサイト「鳥取因幡観光ネット」でご覧頂くことになりますが、地方鉄道の今後の生き残りの手段の一つとして今回の『SL走行社会実験』の結果は注目に値します。私自身は残念ながら行く事は出来ないのですが、是非多くの方が若桜に足を運び、撮り鉄を楽しみつつ公共交通の今後について考える時間を過ごしてくれることを願っています。

そしてこの試みが1回だけで終わらず次に繋がり、将来自走できる蒸気機関車として復活し、本線上を走るようになることを切に期待しています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!