2015年03月27日 22時32分

瀬戸蔵ミュージアムの瀬戸電(2)緑の電車754号。

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754号の半分が展示されている「瀬戸蔵ミュージアム」。緑の電車が走っていた時代を知る者にとっては郷愁を感じます。ただ知ってはいるものの尾張瀬戸に瀬戸電で来たのは昭和53年(1978年)11月26日の栄町乗り入れ後で、600ボルト車であるこの電車に乗ったことはないはずです。

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「手動扉の電車って何よ?」と反応する入場者は見ていた限り皆無。しょうがないかな…。

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白熱灯はこのほの暗さが持ち味。これでも昔は明るく感じたのものです。

2015_03_21 瀬戸電&瀬戸蔵ロボット博_73台車。実はこれ、鏡に反射させて入場者がその特徴ある形をホーム上から見られるようにしてあるもの。ただこの写真を撮っているのは残念ながら私ぐらい。

念のため付け加えておきますが、「せとものの歴史」も私はちゃんと見ています。この瀬戸電の展示もその流れの中にあるわけで、ここを訪れた時は是非すべての展示に目を向け、瀬戸の歴史とこの電車が登場した背景を肌で感じて欲しいと思っています。

ところで今年は「せとでん」の110周年。1905年(明治38年)4月2日に瀬戸自動鉄道により瀬戸駅~矢田駅間が開通しており、その記念すべき年に「せとでん」に乗りここを訪れるのも一興でしょう。

(余談)

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瀬戸蔵に何故かビリケンさんがいました。

2015_03_21 瀬戸電&瀬戸蔵ロボット博_78足をコチョコチョしていろいろお願いしました。叶うと良いな。

 

2015年03月26日 22時16分

瀬戸蔵ミュージアムの瀬戸電(1)色が変わっていく。

今回、瀬戸蔵に行った最大の目的。それが瀬戸電との出会い。

コロンブスの卵ではありませんが、ロボット博の会場が「瀬戸蔵」がだったからここに来たと言えますし、「瀬戸蔵」に行きたいと思いつつ何となくきっかけがなかった私の背中をロボット博が押してくれたとも言えます。

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“せとものの歴史”に触れる「瀬戸蔵ミュージアム」の中にかっての名鉄瀬戸線「尾張瀬戸駅」が再現されています。

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その駅舎を照らす照明が時間によって変わっているとは知りませんでした。

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往時の雰囲気を本当によく再現しています。ちゃんと作ってあるとは知人から聞いてはいたものの私自身は「再現でしょ」と半信半疑で、この場に立って本当に深く反省していました。

2015_03_21 瀬戸電&瀬戸蔵ロボット博_70このベンチは実際に尾張瀬戸駅で使っていたそうです。今はもう見ないですね、こうしたタイプ。

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再現された尾張瀬戸駅で見つけた“ロボット”達。ロボット博期間中の限定展示かどうかまでは確認していませんが、おそらく間違いないのではと思っています。担当者の気持ちが伝わってきます。(違っていたらすいません)

2015年03月25日 22時02分

瀬戸電撮り鉄/尾張瀬戸駅界隈。

瀬戸蔵ミュージアムの入場者が多かったので閉館時間が近づいてから撮影することにし、それまでの時間を使って尾張瀬戸駅付近限定で撮影できるポイントを探しました。しかしこれが意外と難しい。

瀬戸市の真ん中を流れる瀬戸川と瀬戸電を組み合わせると言うこと自体は、まあイメージとしては誰でも考えそうではありますが撮影のベストポジションがどこかは…、ともかく挑戦することに意義があります。

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線路手前の道路に車が来ないことを祈りつつもう少しギラッと光る車体を期待していたものの撃沈。この場所は太陽の位置を研究して再履修する必要がありそうです。

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尾張瀬戸駅を出て直ぐの場所。

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瀬戸市役所前駅方面に少し歩き、尾張瀬戸駅行きを正面から狙いました。

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歩いているときに見つけた蒸気機関車の「踏切あり」道路標識。懐かしくて思わず1枚。瀬戸電が非電化だったのは明治時代の開業当初のほんの数年だったのですが、全国的に新設踏切の標識が蒸気機関車デザインだったのはいつまでだったんでしょう?素朴な疑問が湧きました。

それにしてもにわか撮り鉄はなかなかしんどい。何故かと言えばこの踏切も予想以上に交通量があり、この写真を撮影するまでに何本電車を見送ったことか。電車の本数が多いので実際にはそれほどの時間はかかってはいないのですが、私にはつらかった。

2015年03月24日 22時24分

瀬戸蔵ロボット博2015。

台湾シリーズ再度の中断です。すいません。

名鉄瀬戸線に乗り、先週の土曜日(3月21日)、愛知県瀬戸市の瀬戸蔵で開催されている「瀬戸蔵ロボット博」に行ってきました。

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瀬戸市のイベントなのだからか知名度は今一つですが、「ロボットと未来の夢」のキャッチフレーズどおりの楽しさが盛り沢山で大人でも見応えがあり、家族連れを中心に多くの観覧者で賑わっていました。

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瀬戸蔵に入ったところにある「ロボミッド」(ロボット+ピラミッドの造語です)。ロボットのおもちゃの変遷が見て取れますが、登場の年代順にこだわりを持って並べられており、これが個人のコレクションだとは驚き!

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これはロボットがラジオ体操やダンスを踊るステージ。製作者の株式会社MANOI企画さんの了解を得てUPしています。他にも『ロボット楽団オルディオン』(何と遠路はるばる鹿児島高専の出展)という人と共演できるロボット楽団等々があります。

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知人の鉄腕アトムコレクター、小池信純氏のコレクション展示もあったりします。

今週末の29日(日)までこのイベントは開催されており、日時限定のショーなどもありますが、“ついで”もいろいろあるので瀬戸に出かける良いきっかけになりますよ。えっ?ついでって何?とか言われそうですが、そりゃあ瀬戸電(名鉄瀬戸線)しかありません。

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この写真は瀬戸蔵の展望塔から撮影した尾張瀬戸駅。電車に乗って瀬戸まで来たのは一体何年ぶりなのか記憶が蘇りません。今回はプチ撮り鉄を楽しみつつ瀬戸蔵ミュージアムの中にいる754号とも初対面してきました。来ようと思っていてもあまり近すぎ過ぎると却って遠い場所ってありますよね。

2015年03月23日 20時44分

渓湖糖廠の五分車(9)今はここには入れません。

2013年(平成25年)2月23日(土)の訪問記を続けています。

今回の渓湖糖廠訪問で入れなくなっている場所があるのに気付きました。

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それがここで、廃車体がズラリ並んでいました。

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何とも不思議な場所にいる気動車と思われる車両。

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車庫らしきところにも用途が分からない事業用と思しき車両。何とも魅力的というか悪魔の囁きに誘われてその術中にはまってしまった感じでした。

とそんなこんなでこの時は台北に戻ることにしました。

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台鉄員林駅までの戻りは路線バス。少し迷って、道を聞きながら辿り着いた渓湖のバスターミナルです。

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そこから乗って員林駅のバスターミナルで降りたのがこのマイクロバス。バスターミナルで聞いて乗ったので間違いはないと思うのですが、何せ走った道路はマイクロバスでもやっと一台が通れるかどうかと言いたくなる街中の細い道。日本でも地方で路線バスに乗ると郊外では広い道を走り、集落では旧道を走るパターンがありますが、それをより極端にした感じです。往路で利用したタクシーとは通った道が全然違っており、どうもメインではない路線バスに乗ったようでした。これも旅の醍醐味???

2015年03月22日 20時40分

渓湖糖廠の五分車(8)渓湖糖廠のもう一つの面白さ。

今回の渓湖糖廠の五分車(4)で取り上げた車両の屋内展示スペースもじっくりと時間をかけて見学し、その上で撮影もしています。

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それはさておきオープンエリアの構内の見学自体は自由という雰囲気だった(多分そう言ってくれていたと思います)ので、2014年では歩いていない場所にも行っています。緑地の中にいた内燃機関車。少し大きいと思ったら「七分車(1067ミリゲージ)」。

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ふと貨車の連結器を見たら自動連結器とピンリンク式の両方がありました。珍しいものを見せてもらいました。

※今回の台湾製糖鉄道の旅で、製糖鉄道と台鉄の接続ポイントでは、ナローと1067ミリの3線区間があったのを知りましたので、そこで入替用に使われていた車両かもしれません。

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構内の側線の造形美。こうした配線は結構見かけるのでそれほど珍しいものではありませんが、ナローと言うだけで何だか楽しい気分でした。

2015年03月21日 23時23分

恒例!!名鉄桜駅の一本桜!

本日(3月21日)の名鉄桜駅の一本桜。

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蕾ふくらむ。

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春近し。(嬉)

2015年03月21日 20時37分

渓湖糖廠の五分車(7)2013年の渓湖糖廠。

2013年(平成25年)2月23日(土)、私はここ渓湖糖廠を訪ねています。

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台北から新幹線で高鐵台中まで行き、台鉄新烏日から区間車で員林へ。(写真は員林駅)

そこから本当はバスに乗る予定だったのですが、乗車予定の台鉄新烏日からの区間車が突然運休!更に次の列車も遅れており、蒸気機関車の運転開始時間に間に合わせるべくタクシーを飛ばしました。

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巨大な製糖工場が見えてきました。

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蒸気機関車346号が出迎えてくれましたが、観光客が見当たらず閑散としていて火も入っていない。どこかおかしい…。

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人がいないので写真は撮り放題で、しかも他の観光客の動きを気にする必要もない。でも何かが変。

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広い構内にはディーゼル機関車を先頭にした観光列車が停まっているものの動く気配が無い。そこでスタッフらしき人を見かけたのでこの日の列車の運転時刻を確認してみました。と、そこで驚愕の事実を知ることになったのです。

本来、土・日・祝祭日に運転されるこの渓湖糖廠の五分車ですが、何と旧正月の休み期間に動かしていたのでこの日は運休とのこと。しかも次に動くのはどうやら3月に入ってからという事が何となく分かりました。どうやってそれを知ったかって?当然ですが日本語も英語も通じないのですが、カレンダーを持ってきてそれに「○」「×」を書いてくれたのです。来る前にネットの公式サイトも確認していたのですが、残念!の一言です。もっともそれがあったからこそ今回のツアーには是が非でも参加してリベンジしたいという強い気持ちが生まれたのは間違いありません。

台鉄の電車といい臨時運休の渓湖糖廠といい、まあ海外はそんなものだとは思っていますが、ついていない時はジタバタしないことが肝要です。(トホホ)

2015年03月20日 20時35分

渓湖糖廠の五分車(6)346号のこと。

蒸気機関車346号は1948年のベルギー生まれ。1954年からここ渓湖糖廠で働き1977年に引退するも、2007年に復活を遂げ今も元気に活躍しています。

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火室の下に落ちていく火の粉が見えます。分かるかな?

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運転台からの一枚。

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スタッフの方に呼ばれたので行ったら火室を開けて見せてくれました。

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ところでここの機関車で一つ発見がありました。そもそもはツアーの参加者が気付き教えてもらったのですが、第2動輪にフランジがありません。

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日本の蒸気機関車ではE10形が有名ですが、そもそもこれだけじっくり見たのは私にとって初めての経験で、この第2動輪は346号が走る線路にありえない程の急なカーブがあることを教えてくれました。

2015年03月19日 20時33分

渓湖糖廠の五分車(5)磨き上げる!

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この光景、やっぱり良いなあ。

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さてさて金属部分は磨き剤を使ってピカピカにしていきます。

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スタッフの愛情を感じる一時です。機関車が大切にされているのと同時に、我々観光客にも綺麗な姿を見せたいという気持ちが伝わってきます。

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使っていた磨き剤がこれ!作業をされていた方にお願いして並べてもらいました。製品については家に戻ってから検索したことをここに書いておきます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!