この場所が専用道の入り口と言うか出口です。
ここでバスを一旦止めて最後の撮影会です。でも…。
バスの後ろにはオートバイが停まっています。このバスを追っかけて撮影してきた人が、そこに放置してこの辺りで撮影しているはずでした。当然、写りこむ場所だったため怒声が飛んだのですが誰もそこには戻りませんでした。そもそもバス専用道であり、オートバイは「車」です。
最後にそんな残念なこともありましたが、それはさておきこのツアーの満足度は200%。これがあったからこそ今回の和歌山・奈良探訪を決めたのですが、「来て良かった」と心底思っていました。
最後になりましたが、運転手さんも車掌さんも本当に素敵な方たちで、また参加者の方もマナーが良く、皆さんに感謝しつつ名古屋に戻るため「“五條”駅」で下車しました。
廃線跡巡りは数度経験したことがありますが、未成線巡りは初めて。もっとも考えようによっては数日早い「葬式鉄」とも言える訳で、「鉄」か「バス」か、「廃線」か「未成線」か…等々少々ややこしいツアーでしたがそんなジャンル分けのできない旅はもう二度となさそうです。
サヨナラ五新鉄道。
でもこのボンネットバスはこれからも走り続けます。一層のご愛顧を!(by 奈良交通)
その昔、「田舎のバスはおんぼろ車…」という歌が流行りましたが、Wikipediaでは1955年発売とありましたから私が生まれた頃の話しだったんですね。
「田舎のバス」は当時、勿論ボンネットバスで、ただ戦後と言う言葉がまだ現役の時代にあって、その歌は“田舎”を揶揄していたのは間違いないのでしょうが、ただ一方でそれ以上の愛情があったと子ども心に感じていたような気がします。で、正にこの光景は「田舎のバス」です。でもこの日乗ったバスはもう一世代後の車のはずです。
正に「やりたい放題」と言う言葉がこれほど似合うツアーを私はかって体験したことがありません。
一般道ではなく専用道だからこそですが、人気が出た理由がよく分かりました。
道路と道路の交差点に「遮断器のある踏切」があるという事実は、実はこの日、初めて知りました。
かって現役だった遮断器の名残りが今もありました。
そんななんやかやで今日は「リクエストストップ」を題してみました。
何と「専用道城戸駅」にはトイレがあり、そこで用を済ませゆったりした気分でいよいよ帰路の撮影会の始まりです。
ますはトンネル2題。
こうした撮影場所の選択は一応定番スポットを奈良交通が設定しているのですが、それ以外の(どこで撮影するかと言った)細かいところは参加者任せ。そこで「ボンネットバスマニア」の方の登場です。8月にボンネットバスがここを走り始めた時から、何度かここを撮影されていた様で、この路線の撮りバススポットを熟知されており、私はバスが停まった場所でひたすら撮影し、そして楽しんでいました。皆様に感謝×2乗です。
この写真に写っている柵は使用済み枕木を利用しているとのことで、これも「未成線」ならではと言えそうです。
どんな参加者がいるのだろうかとある種の心配があったこのツアー。
実際には、(筋金入りの)ボンネットバスマニア、私と同類っぽい鉄道マニア、写真が趣味と思しき方、普通の家族連れ、「鉄」とは遠そうなカップル、(鉄子とは一人参加の若い女性と言った感じでした。
ということで撮影会の会場は次々に登場します。この茅葺き屋根とボンネットバスの組み合わせが撮影できる場所は超絶人気スポットとのことで、それは撮影していて直ぐに分かりました。
専用道の終点「専用道城戸」駅。ここは敢えて“駅”と言わせて頂きます。
ここで記念プレートも出て「撮影会」が始まりました。
ボンネットバスはバックシャンですね。私たち参加者にとっては再考の『モデルさん』です。
(注釈)バックシャン…最近この言葉を使う人を見ませんが「後姿の美しい女性」の意味です。あっ、正しくは「…の」ではなく「…も」ですね。
“ボンネット”バスである所以(ゆえん)のボンネットの中身はエンジンです。当たり前すぎて面白くない文章ですが、雨降りだとこのイベントは無いとのことでしたので、私はそれなりに価値があると思っています。自己満足。
「バス専用道」を偲ぶと書かれた石碑。いつからあるのでしょうか?“偲ぶ”(しのぶ)とうことは最近作られたのでしょうか?。
「路線バス専用道 一般通行を禁止します」の大看板。「ここは専用道だ!」とデカデカと主張していました。
26名限定のバスツアー。応募したきっかけは8月に行われた同じ行程のバスツアー「ボンネットバスで行くさよなら五新鉄道」の情報がネットで上がったことによります。更に情報通の方が暫くして『9月にも開催されるかもしれない』と書かれ、それで一応奈良交通のHPをマークしていました。そして見事参加という事に相成りました。抽選ではなく、先着順だったことが幸いでした。
車掌さん(というより「案内人」という言葉の方がピッタリです)の話しではネットオークションにも出ていたそうで、私は2000円で参加しましたが高額入札の参加者もいたようです。
そうまでして参加したいツアーであることは乗車して直ぐに分かりました。今日ここまでにUPした2枚の写真は「撮り鉄」風ならぬ「撮りバス」風。どうやって撮ったのかって思いませんか?
実はこのツアーは『ボンネットバスをバス専用道にある絶景ポイントで停めて撮影する』いわゆる撮影会だったのです。
このトンネル内に残る距離標(キロポスト)も、バスのドアの位置をそれに合わせて停め、参加者が交代で撮影したモノです。(トンネル内での下車はNGとのことでした)
それにしてもこの専用道は本当に絶景の中にあったんですね。知りませんでした。沿道に大勢の「撮りバス」の方がいましたがそれも納得!の一言です。
バス(撮影)ツアーだからとも言える一枚。もう少し柿が色付いていると良かったのですがそれは贅沢という事でしょう。
奈良県五條市HPからの転載。
≪幻の五新鉄道≫
明治末期、五條市から十津川をつたい新宮市までを結ぶ「五新鉄道」の建設熱が高まりました。昭和12年(1937)から着工され、吉野川横断の橋脚、生子トンネルの貫通まで至りましたが、太平洋戦争が始まり資材不足等の理由で、工事は中断されました。戦後、工事が再開され、昭和34年(1959)に五條-城戸間の路盤工事が完成し、軌道敷設等の工事を残すのみとなりましたが、経済社会情勢等の変化によって、五新鉄道の夢は叶うことなく中断されました。
つまり国鉄和歌山線五条駅と紀勢本線新宮駅を結ぶ鉄道は建設工事が始まったものの結局未成線で終わったということなのですが、路盤が完成していた五条~城戸(読み方はじょうど)間はバス専用道として使用され、国鉄バス⇒西日本JRバス⇒奈良交通と運営事業者が変わりつつも路線バスが通っていました。
ところがこの区間にあるトンネルが崩落の危険性があることが分かり、今年の9月30日をもって通行終了となりました。
それでその専用道区間を走るバスツアーが行われることになったのです。ただこのボンネットバスは同区間を路線バスとして走った事はないそうで、今回は全くの“企画”です。
運転席も…。
時計と手回し方向幕も…。あまりにも魅力的です。鉄ちゃんじゃなくても十分の「萌え」ます。
ところで最初の写真の「3号車」ですが、バスが3台連なって走ったということではなく3便目の意味です。この日は2回開催されたこのツアーですが、翌29日、30日は3回運行されており、私の参加したツアーの時間が他の開催日の3便目と同じだったことによります。
平成26年9月28日(日)。
奈良交通主催の「ボンネットバスで行くさよなら五新鉄道」というツアーに参加。出発地は和歌山線五条駅から歩いて10分弱の奈良交通「五條バスセンター」で、出発時間は15:20。
ということで15時頃にここに着けば十分だったのですが、14時にはJR五条駅に着いており、イオン五條店がバスセンターのすぐ隣(写真では直ぐ奥)だったので、その中のミスドで茶をしばいていました。
※茶をしばく…お茶を飲むこと。「茶ーしばく」とも使う。若い頃は使っていたけど最近聞かないから方言なのかな?それとも死語?
※ツアー内容と五新鉄道についての詳細は後日説明。
※「五新鉄道」は「五新線」の方が通りが良いような気がします。
ボンネットバスツアーですが、この日は12:20~と15:20~の2回行われており、1回目のツアーから戻ってきたバスが車庫でしばし休憩していました。
この時間、バスセンターには(高速道路を通らない路線で)日本一距離の長い路線バス、奈良交通の八木新宮線のバスが停まっていました。(15:05発の新宮駅行き)
バスファンならずとも乗り物の旅が好きな人にとって一度は全線通しで乗ってみたいバス路線です。
「平成25年3月1日 八木新宮特急バス50周年」と書かれた文字とそれに合わせて描かれたものと思われるデザインが輝いて見えました。深く考えずにここにやってきたのですが一寸得した気分。
昨日の続きです。
しかし、最初に和歌山線に乗った昭和50年(1975年)3月30日はそんなことはすっかり忘れ、ただボーっと乗っていたはずです。でなければ何らかの印象が今も残っている…。
かくして今回の和歌山・奈良「鉄」旅で、ここ「北宇智駅」を外せない、外したくないという思いで旅程を組み立てました。
この写真で、架線柱が不自然に建てられていますが、これが正にスイッチバックがあった証左で、右側の草が茂っているところが引き上げ線のあった場所です。今も線路が残されています。
北宇智発13:55の電車からの撮影。出発直後に車内から見た旧駅舎です。恐らくもうここに降りたつことは無いでしょう。
北宇智から1駅、来た道を和歌山方面に戻った五条駅。
都市名「五條市」と駅名「五条駅」の不一致で有名ですが、ややこしいのは五条駅前にあるバス停が「五條駅前」となっていることですが、まあそんな五条駅に降り立ちました。
その駅前には昭和から時間が止まってしまったようなお店が数件あり、今から40年ほど前の「乗りつぶし」をせっせとやっていた頃を思い出していました。皆さんにも是非体感して欲しい。
平成19年にスイッチバックが廃止されたのですが、よくもまあ解体されずに残されたものですね。
駅前には近隣の観光地図が今もあります。今も現役に見えます。
駅舎とホーム。こちらから見ると雑草が生い茂っているためやはり廃墟のようで、まるで廃線になった路線の駅舎がそのまま放置されたようです。寂寞間が漂っています。
昭和感漂うホーム。やっぱり好きですね。この雰囲気。
木組みの屋根もいい味を出しています。
ところでここ北宇智に来たのは、単にスイッチバック駅だったからではありません。いつの頃かは覚えていませんが恐らく遡る事45年ほど前、雑誌に掲載された一枚の写真を未だに覚えていたのがきっかけです。それは…。
ここ北宇智駅に停車中の客車列車。その列車にはたった1両だけ2等寝台車が繋がれており、しかも王寺~和歌山間の普通列車に連結されているという記事で、使われていた写真が北宇智駅で撮影されたものでした。
東京と関西本線湊町/和歌山線和歌山を結ぶ急行「大和」。1両の客車(確か10系)が夜行列車から切り離されるという個性的な列車の存在+スイッチバックという組み合わせはあまりにもインパクトが強く、いつかは「北宇智」に降り立ちたいと思うようになっていました。(これは誇張していません。本当です。)