ゴールデンウィークの5月6日(火)、少々お手軽ですが近鉄の内部・八王子線に出かけました。理由はこの線が「四日市あすなろう鉄道」に移行される前に乗っておきたかったのと、この日は天気も良かったので自転車で沿線散歩をするのも良かろうと思ったからです。
小型の折りたたみ自転車は私が買ったものではなく、クレジットカードのポイントで交換したもので、一寸出か掛けるには重宝しています。もっともこうして持ち出したのは数年前に1度あるだけで今回が2度目です。
近鉄四日市駅(内部・八王子線ホーム)に到着したのは午前11時10分ごろ。家を出たのは9時半過ぎで、近鉄名古屋発10:21の急行に乗り、近鉄四日市着10:56という何ともお手軽・お気楽コースで、無事11:13発の西日野行きに乗車しました。
さてこちらは昭和53年(1978年)12月1日の内部・八王子線。
近鉄四日市駅では併結作業が行われていたようです。写真があるからそう思っているだけですが、当時はまだ電車がトレーラーを牽引する列車もあったはずなので、その関係だったのかも知れません。
(追伸)今回のタイトルですが、当初「近鉄/内部・八王子線」にしようかと思ったのですが、「四日市あすなろう鉄道」での存続が決定したことに敬意を表してこんな風にしてみました。お許し頂きたく存じます。
写真は1978年(昭和53年)4月17日の高松琴平電気鉄道瓦町駅です。平成の今とはかなり様子が違いますが、最近の写真が無いのでご容赦下さい。
こちらは同じ日の志度線の終点、志度駅です。
さてここからが本題です。先日、私の鉄友Aさんから、「琴電」の志度線がグーグルマップのストリートビューで見られるよ!」と教えられ、早速見てみました。成程「瓦町駅」を出発して「志度駅」まで、360度全方向表示の『電車でGO!』というか『運転シミュレータ』というか電車の線路を延々と行く様子を見ることが出来ました。
検索してみたら「高松琴平電気鉄道」の全面協力で実現したもので、線路上をカメラを担いだ人が歩いて撮影したとありました。なるほど踏み切りでも遮断機が降りておらず、どうやって撮影したのだろうと疑問がどんどん膨らんでいただけに納得しました。
恐らく始発電車の前に撮影したのでしょうが「これは凄い!」の一言に尽きます。皆さんも是非お試し下さい。
1991年10月31日、私はスイスを後にして最後の目的地イギリスに向かいました。
で、チューリッヒ空港に向かう列車がユーレイルパスの最後の乗車区間となりました。
チューリッヒ空港駅にあったサボ(行先標)の山。行先にはドイツのミュンヘンがあったりして国際的です。
空港駅を上がったところだったと思うのですが、こんな展示がありました。
チューリッヒからロンドンに向かう飛行機の中で、隣の席に座った方(日本人ではありません)から、「日本人か?」「ロンドンは初めてか?」と聞かれました。
質問の意味が今一つ呑み込めてなかったのですが、その謎は直ぐに解けました。「ウインザー城がもうすぐ見られるよ」と言われ、確かに私と同じ窓側に座っていた乗客は身を乗り出すように眼下に広がる風景を見ていました。
袖振り合うも多生の縁。こうして思い出を残すことが出来ました。
1991年10月30日、この日は午後からサン・ゴッタルド(St. Gotthard)トンネルを目指しました。
写真はその道中ですが、眼下に今通ってきた線路も見えています。目的のトンネルはゲッシェネン~アイロロ間15kmを結ぶもので、何と1882年(明治15年)にこんな長大なトンネルが開通していました。私が乗った当時も、そして今もスイス~イタリア(ミラノ方面)を結ぶ幹線鉄道で、乗車の感想というより、私には珍しく「この絶景の写真を撮ってみたい」というメモが残っています。
現在、ゴッタルドトンネルの下には世界最長のトンネルとなるゴッタルドベーストンネル(全長57.1km)が建設中で、ここに行くなら今の内とも思いますがさてそれが実現することは難しいかも?
余談ですがこの時、アイロロより少し南のBellinzonaまで乗車しています。そこはイタリア語圏で、何が列車内で起こったかと言うと車内アナウンスが、「Buon giorno(ブォンジョールノ)」で始まりました。
それまで案内放送の順番はドイツ語が先だったのがその順番が変わったのです。所変われば品変わる。
※トンネルの出典/一般社団法人日本トンネル技術協会HP「トンネルベスト10」
さてこの日、チューリッヒを出てからここユングフラウヨッホまで日本人とは出会いませんでした。正確に言うと個人旅行者は私だけでした。実は私の乗ったユングフラウヨッホ行きの列車には続行運転の列車があり、それは何と日本人団体客の貸切!ここ数年、ヨーロッパの観光地で日本人の団体客を見かけることが減ったような気がしていますが、当時はまだまだ健在でした。と、ここまで書いて気が付いた。最近は「鉄」目的の旅が続いており、所謂日本人観光客が来る名所・旧跡には出かけていませんでした。
クライネ・シャイデックからインターラーケン・オストへの戻りはLauterbrunnen(ラウターブルンネン)経由を選びました。
ここは途中にあるWengen(ヴェンゲン)駅。800ミリのナローとラックレールを堪能できる楽しい一枚だと思っています。
(追伸)インターラーケン・オストからチューリッヒへの戻りは、「ベルン」経由を選びました。そのベルンからチューリッヒに向かう列車に乗ったのはもう夜も更けてからでした。お腹もすいたということで食堂車に足を向けたのですが、車内は混雑しており相席となりました。その数少ない席は日本人2人が先客でした。その日本人は2人とも個人旅行で、何と1人旅の中年男3人が夕闇を行くスイスの食堂車で、ビールで乾杯となりました。旅は道連れ。