インターラーケン・オスト駅からベルナーオーバーラント鉄道に乗り換えたのですが、ここで少々解説。
インターラーケン・オスト駅からユングフラウヨッホ駅に向かうルートは実は2つあります。(ご存知の方も多いと思います)その路線の大まかな会社別路線図を作ってみたのですが、グリンデルワルト駅経由にするかラウターブルンネン駅経由で向かうかは殆ど好みの問題で、所要時間もほぼ同じとあって私はグリンデルワルト駅経由で向かう事にしました。
まずはインターラーケン・オスト駅。
そしてグリンデルワルト駅。ここからはこのヴェンゲルンアルプ鉄道の列車に乗車です。
因みに左側の列車がクライネ・シャイデック乗り継ぎユングフラウヨッホに向かうヴェンゲルンアルプ鉄道で、右側の列車がインターラーケン・オストとの間を結ぶベルナーオーバーラント鉄道です。
グリンデルワルトの街並みも美しいですね。
10月29日(火)は、またまたルツェルンに向かい、ここからスイス国鉄唯一の狭軌線(1000ミリゲージ)のブリューニック線に乗車。
※今は私鉄のツェントラル鉄道となっており、GOLDENPASS(ゴールデンパス・ライン)の一部を担い、パノラマ車両の連結された列車もあります。
さてこの日、まずはルツェルン発が8:24のインターラーケン・オスト駅行きに乗車。終点で更に電車を乗り継ぎ、最終目的地はヨーロッパの鉄道最高地点「ユングフラウヨッホ駅」です。
ルツェルンを出たころは怪しい雲行きだったのですが、途中から天候が回復し、スイスらしい絶景が広がるようになりました。
途中のブリエンツ駅で何やら外が騒がしいと思ったらスイス軍の兵士の団体が乗車。
スイスらしい光景だと感じました。
※ブリエンツ駅はかの有名な蒸気機関車によるラックレール式鉄道「ブリエンツ・ロートホルン鉄道」への乗り継ぎ駅ですが、今回の目的には入れていなかったので何事もなく通過。今思えば勿体ないことです。
(追伸)この路線にはラックレール区間があります。情報を持たずに乗ったので、明らかに粘着式鉄道ではありえない急斜面をゆっくり上り始めて大いに驚いた記憶があります。
チューリッヒの街はトラムが発達しています。昨日の「POLYBAHN(ポリバーン)」から見下ろすとこんな風景があります。
市街地ではこんな風景も。
また1日おいて10月30日(水)には郊外電車体験もしました。特にこの路線に乗ろうというほど積極的な動機もなく、来た電車を適当に撮影して、来た電車に適当に乗り、適当にチューリッヒに戻ってきました。ユーレイルパスを使っていたから出来る術でした。
スイス国鉄の最新電車の横にこんな可愛い電気機関車がいるのがスイスらしいと思ったのですが、今回、この写真を見つけた時に、当時「リンク式連結器がこれほど似合うものは他に無い!」と声を出したい気分だったことを思い出しました。(笑)
Dietlikon駅で見かけたS6系統の電車。後ろにいる客車が今になって気になります。
1991年10月28日(月)は、ルツェルンに行った後はチューリッヒに戻り、街歩きをしていました。
ここチューリッヒには当時、ケーブルカーとラックレール式鉄道という如何にも山岳都市らしい交通機関が市内交通として機能しており、まずはチューリッヒ駅にほど近いビルにあるケーブルカー「POLYBAHN(ポリバーン)」の駅に向かいました。このケーブルカーは駅を出て直ぐにトラムをオーバークロスして山を駆け上がって行きます。
終点はこんな可愛い山小屋風。全長は176メートルですので鞍馬山鋼索鉄道よりも短いことになります。
そしてラックレール式鉄道の「Dolderbahn(ドルダーバーン)」。この路線は元々ケーブルカーだったそうで、そう思ってみればそんな雰囲気があるものだと当時、妙に納得していたことを覚えています。
名古屋という街は平野の只中にあることもあり、急な勾配にある市街地がそもそも限られています。その代表格は中京テレビのある八事界隈でしょうが、こうした風景が登場するとはとても思えません。
ところでルツェルン市と言えば、この橋「カペル橋」が街のランドマーク(象徴)になっており、多くの観光客が当時も訪れていました。
この橋は屋根があることが特徴となっており、同様のものでは(私の個人的選択です)イタリアのフィレンツェにあるヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ)や岩手県釜石市にかってあった「橋上市場」といったところが有名です。
ここで日本人の団体さんと出会い、ガイドさんから「一人旅ですか?」と聞かれ、「そうです」と答えたらツアー参加の方から「凄い!」と言われました。恐らく中年男の一人旅が珍しかったのでと思います。まああまりビジネスで行くところではありませんから。
話しの順番が逆ですが、ここルツェルンの街の公共交通の主力はトロリーバスでした。写真はスイス国鉄のルツェルン駅前ですが、ご覧の通りの様子です。日本ではトロリーバスは鉄道の一種で、私自身も鉄道乗りつぶしの対象にしていますが、日本の都市ではこんな姿はお目にかかれません。
車内はこんな感じで路線バスなのですが、連結部の幌が路面電車的と言えばその通りです。
昨日も書いたようにヨーロッパに出かけたのはあくまでも会社の研修であり、そのテーマは「ヨーロッパの最新交通事情を探る」。そしてスイスではズバリ「観光鉄道」が目的だったのですが、、、ただその「観光鉄道」だけで終わるはずもなく、いろいろと見て周ってきました。
10月28日(月)、チューリッヒから最初に向かったのはルツェルンの町。スイス交通博物館があることで知られています。
大形蒸気機関車ではありますが、何とも原始的な風貌です。手元にパンフレットがないのでここで解説できないのが残念です。
当時、カットモデルがユニークな展示に思え写真を撮影していました。因みに、シリンダーが片側に2つづつ付いているのですが、その複雑なメカニズムを感じさせるこの機関車は日本では見かけないタイプです。山国/スイスだから生まれたものなのでしょうか?
展示物は今も恐らくそのまま、もっとも館内の展示場所は変わっているかもしれませんが、無くなっているものは無いと思います。またジオラマは世界どこでも人気がありますが、ここではスイスの風景が表現されており、その楽しさに子供たちが喜んでいるようでした。
また「交通博物館」だけあり、屋外にはスイス航空も航空機の展示もありました。(DC-8ぽい感じがします)
2013年3月14日にUPした「オーストリア」の続編で、いよいよスイス入りです。
今回はスイス「鉄」紀行1991というタイトルにしてみました。理由の一つには皆さんへの「情報」としては古すぎて参考にならないと思われたからです。では早速スタートです。
※1991年10月~11月。私はシベリア鉄道~スウェーデン~ドイツ~オーストリア~スイス~イギリスと会社の研修で回りました。その時に撮りためた写真をUPしています。
写真はスイス国鉄「チューリッヒ中央駅」。チューリッヒには1991年(平成3年)10月27日(日)から4泊、10月31日(木)まで滞在しました。
そのチューリッヒまでのウィーンからの移動は当然、鉄路なのですが、私の記録ノートによればほぼ満席とありました。列車はコンパートメントの相室で、途中のザルツブルクまではペルー人の家族と一緒だったとあります。大の日本好きで、「電子レンジ(パナソニック)」「冷蔵庫」「テレビ・VTR(ソニー)」「車(日産)」と日本製品に囲まれ、日本製でないのは「夫」だけと笑う陽気な奥さんの好きなテレビ番組は「おしん」でした。
ゴールデンウィークと言うことで、今日は「豆本作り」のワークショップに出かけました。と言っても私は展示された作品を見せてもらっただけで実際には作っていません。
ということで今日は「豆本」の話題です。
豆本…と言ってもこの写真ではわかりづらいかも知れませんが、ルーペの大きさで察してください。それぞれの作品は正に小さな宇宙です。
一冊買いました。横幅は13センチ強で縦が3センチ強です。そんなことよりタイトルが肝心ですよね。そうっ!「せんろはつづくよ…」。
東海道新幹線の東京から新大阪までが、わずか27センチ弱の世界に描かれています。他のページも心がほっこりします。
描かれたのは京都在住の画家/殿村栄一さん。
興味を持たれた方は、Facebook『画房 草々庵』のメッセージで連絡してください。
余談ですが、、、殿村さんの豆本で「鉄道」ものは現時点ではこれ1点です。
※このページは殿村さんの了解を得て掲載しています。
先週の水曜日(4月16日)にUPした「名古屋市電のサヨナラ電車時刻表」の後日談。その時は時刻表の全体像がUPできませんでしたが…。
私が知らなかっただけかもしれないのですが、コンビニのコピー機の機能が進化しており、何とスキャンしてUSBメモリーに保存できるようになっていました。(驚)
たまたま名古屋レール・アーカイブスの展示会用参考資料としてこの時刻表(B4サイズ)をカラーコピーしようとして見つけたもので、早速400dpiでスキャンしました、お代は30円也。家ではA4が限界なのですがコンビニはA3対応。これからは重宝しそうです。
ところでこの資料は昭和49年3月31日の名古屋市電・サヨナラ電車の時刻表(青焼き)というところまでは先日書いた通りなのですが、名古屋レール・アーカイブスの名古屋市電に精通している会員さんにこの資料について聞いたのですが初見とのことで、市電の最後の最後を記した貴重な資料ということがわかりました。思わぬ展開に驚いています。