2014年04月25日 21時00分

祝!!50周年!記念券で見る東海道新幹線(6)もう一つのネクタイピン。

実はもう一つネクタイピンを持っています。

DSC07740

こちらは4センチ強で、昭和の時代にあっては小ぶりな方だと思います。もっともコレクションとしてはOKですが背広の打ち合わせ部からこれを見せる勇気はありませんでした。昨日の開業記念版の方がまだしもだった記憶です。因みにこのネクタイピンも頂きものです。

 

(番外編)

DSC07741

こちらも結構なレア商品。今時、チェリーと言うタバコがあったことさえ知らない人も多いと思いますが、昭和の時代には鉄道系の記念タバコもありました。これは山陽新幹線岡山開業記念パッケージで昭和47年(1972年)の製造です。「このタバコと引き換えに名古屋から『つばめ』がいなくなりました。」と書いて、どれほどの人が分かるでしょうか?どうでも良い話しですが、大学受験に向かう際に名古屋から往路特急「つばめ」、復路急行「玄海」という列車に乗っています。名古屋~岡山間が廃止となる電車に乗ったからでしょうか、その後浪人する羽目になってしまいました。でもものは考えようで、現役で志望校に受かっていたらきっとこのブログは書いていないわけですし、そもそも超貴重なこれらの品々を頂戴する栄誉に浴することもなかったでしょう。めでたしめでたし。(←親には迷惑をかけたと思っているので、この表現は撤回します)

2014年04月24日 20時52分

祝!!50周年!記念券で見る東海道新幹線(5)ネクタイピン。

中京テレビの大先輩が退職されるときに私に託されたネクタイピン。

 DSC07738

元新聞記者だったその方は、東海道新幹線開業時に国鉄の記者クラブにおられ、その縁でこの記念ネクタイピンをもらったそうです。

最近、ネクタイピンを付けている方を見かけなくなりましたが、これを頂いた昭和50年代はまだまだネクタイピンの全盛時代でした。でもあまりにも勿体なくてこれまでに使ったことは1~2度程度です。

DSC07745

大きさは1センチ強の可愛らしさですが、0系新幹線が「0系」たる団子鼻が真珠だなんて信じられないほどチャーミングです。(今風に言えば「素敵過ぎます」ということになるのですが、日本語的に如何な表現はこのデザインに敬意を表して使いません)

私の宝物ランキングで文句なしの1位がこれです。

2014年04月23日 19時42分

祝!!50周年!記念券で見る東海道新幹線(4)100系デビュー。

100系記念入場券(表)

昭和60年(1985年)に登場した100系新幹線。

国鉄の最後を飾るといっても過言ではない新鮮な登場でした。

100系記念入場券(裏)

「JNR」の文字がまぶしいです。

2014年04月22日 19時37分

祝!!50周年!記念券で見る東海道新幹線(3)開業20周年。

開業20周年記念入場券(表) - コピー (2)

同じく昭和59年(1984年)10月発行の「東海道新幹線開業20周年記念入場券」。

開業20周年記念入場券(裏)

それにしても実に気合の入った記念入場券です。最近、記念券が発売されてもあまり買うことが無くなったので、余計にこの内容の充実度には感心します。開業20周年記念入場券(20年の歩み)

特にこの「新幹線、20年の歩み」は時代の流れで選ばれた「5つ子誕生」が当時、どれほどの出来事かが分かって思わず笑ってしまいました。開業20周年記念入場券(表) - コピー

開業20周年記念入場券(表)

東海道新幹線各駅でこのような記念券が発売されたであろう事は容易に察しがつきますが、私の手元にあるのはこの「名古屋駅」のみです。

 

2014年04月21日 19時34分

祝!!50周年!記念券で見る東海道新幹線(2)20億人達成。

 

新幹線20億人

 

今日は、昭和59年(1984年)4月発行の「東海道・山陽新幹線20億人達成記念」絵はがき。

当時、立体ホログラムは時代の最先端を行く技術と言う覚えがあります。

それにしても20年で20億人ということは日本人がほぼ1日に1回は乗っている計算となります。この頃、私は番組制作の部署でディレクターをしており、東京に出か掛けることもしばしばで20億人達成には少なからず貢献していました。(大袈裟過ぎますね…)

2014年04月20日 22時18分

祝!!50周年!記念券で見る東海道新幹線(1)開業。

 今年は周年がいろいろあります。

まずは中京テレビ45周年と言うものもありますが、おっと!これは「鉄」的ではありませんね。それはさておき名古屋市電の廃止から40年であったり、名古屋鉄道の創業120周年もあります。また東海道新幹線50周年も以前このブログでも少しふれました。 そこで手持ちの東海道新幹線関連の「記念」券をここで紹介します。

東京オリンピック記念切手

1964年(昭和39年)10月10日、アジアで初めての「東京オリンピック」が開幕しました。当時10歳だった私もテレビにかじりついていた記憶があります。ただその画面でどんな競技を見ていたかは覚えていませんが、日本中が熱狂の渦の中にあったことだけは間違いありません。

 新幹線開業記念切手

そのオリンピックの10日前の昭和39年(1964年)10月1日、東海道新幹線が開業しました。「夢の超特急」の名に相応しいだけではなく、日本の「鉄道」が世界の最先端に躍り出た瞬間だと興奮しました。

●ところで2枚の切手についてですが、昭和の時代は切手収集が大ブームで、そのブームが一息ついたときには集めた切手を手放す人も多くいました。この切手は私が高校の頃にもらったものと記憶しているのですが、「鉄道」が好きな私のために「折角譲るなら喜んでもらえる人に…」とプレゼントされたものです。「東京オリンピック記念切手」とセットだったとは今回、新幹線関係の資料を探す中で気付きました。

●オリンピックと新幹線で、元号と西暦の先出しの順番を変えているのは私の頭の中で印象が残っていることによるもので、大した意味はありません。

新幹線開業記念券(表)

新幹線開業記念券(裏) 

さてこちらは東海道新幹線開業の記念券。これも頂き物なのですが、人として如何なものかと思うものの提供してくれた方の記憶が蘇りません。中京テレビの大先輩が定年退職するときに、もう一つの「新幹線グッズ」と一緒に頂いたと思うのですが…。

2014年04月19日 20時37分

今更ですが、、、名古屋市交通局の増税値上げは9月からです。

DSC_0037 リサイズ

名古屋市営地下鉄の駅にある貼り紙。会社でスタッフから改めて「4月からの地下鉄料金」について聞かれ、「値上げってどうだったっけ?」と私自身が思ったほどですが、ICカードで通勤しているとあまり気にならなかったのも確かです。

ところで名古屋市交通局は「運賃」ではなく「料金」と表示されています。名古屋市交通局の方から教えていただいた話では、国土交通省に提出する書類では「運賃」となっているそうですが、地方自治法や地方公営企業法では、公の施設の利用の対価はすべて「料金」と呼ばれるそうです。ちょっとした表示も奥が深い!

2014年04月18日 21時34分

今年のNPO法人名古屋レール・アーカイブス資料展。

DSC_0039

今年のNPO法人名古屋レール・アーカイブス(NRA)の第7回資料展は、「追想・名古屋の市電 街から消えて40年 愛された市民の足」をテーマに鋭意準備中です。写真は先週の土曜日の作業風景で、明日の土曜日も作業の予定です。

さてNRAの定期資料展はいつもなら9月の開催ですが、今年は市電廃止40年ということで時期を早くし、6月10日(火)~22日(日)の期間で、場所も変えて名古屋・金山駅隣接の『名古屋都市センター まちづくり広場』となりました。

「名古屋市電」については、会として一番の得意分野と言っても過言ではなく、資料・写真を多く所蔵しています。そんなこともありできる限り沢山見ていただこうと広い会場で2週間の開催となりました。

詳しくは開催日が近づいたらまたお知らせします。

※6月15日(日)14:00~には、会場でネコ・パブリッシングから「名古屋市電上・中・下」を出版された服部重敬氏(都市交通研究家・NRA会員)による講演も予定しています。

2014年04月17日 19時49分

1974年(昭和49年)の名古屋市電、最後に。

●昭和町~開橋間にて撮影。

M4-1_4

今回、名古屋市電の思い出を綴っていて、名古屋市電に「撮り鉄」スポットが意外に多かったことを改めて知ることになりました。それとやはり市電は「街と共にある」ことも感じました。

もう40年なのか、まだ40年なのか、、、やはりもう40年なのでしょうが、そんな過去を懐かしむばかりではなく、名古屋市民いや名古屋の街を移動する人にとって市電がもう一度登場する時期が到来したと思っています。今、都心部でのLRT導入が取り沙汰されていますが、それだけではなく、例えば今池~大曽根間であったり、桜本町~名鉄/道徳~東海通~あおなみ線/名古屋競馬場前とかもあったら便利と思える区間です。

交通信号の公共交通優先化などを導入したりして、今や世界で建設が進められています。そのような近代化された路面交通の拡充を期待しつつ名古屋市電廃止40年の纏めにします。

(追伸)私が公共交通(特に路面交通)に拘る訳…今から5年ほど前ですが、足を痛め数か月間にわたり杖を頼りにする生活をしました。右足だったため車の運転もできず、通勤のみならずどこに出かけるにも公共交通が頼りでした。その時、名古屋は車『だけ』社会だと改めて思いました。地下鉄沿線以外ははっきり言って不便です。

その地下鉄ですが地上と地下の垂直移動は思いの他大変です。特に階段は、上るよりも下るのが大変だと思い知りました。上りは一段ずつ一歩一歩進めばいいのですが、一方、階段を下る怖さ(転げ落ちそうな感覚)は何とも言えませんでした。エスカレーターは上りより下りにしてくれよ!とか勝手に思っていたらお年寄りの方も上り(階段は疲れるけど怖くない)より下りが欲しいという人が結構いたのには驚かされました。さてエレベーターはと言えば、八事日赤のように使い勝手が良い駅とそうではない駅の差がはっきりあり、エレベーターに辿り着くまでに疲れてしまいそうな駅もあり、それまではあるだけましとか思っていましたが、ベビーカーや車椅子の方たちの大変さも少し理解できました。その後、ドイツ・フランスのトラムを何か所か利用し、本当に利用しやすい都市交通とは何かを知った気がしました。追伸が長くなり申し訳ありません。ご精読ありがとうございました。

2014年04月16日 19時52分

1974年(昭和49年)3月31日、名古屋市電の最終電車時刻表。

img104

「サヨナラ電車の最終電車通過予定時刻表」こんな時刻表が私の手元にあります。どこかでもらったような記憶がありますが入手経路を思い出せません。

トリミング2

そして「昭和町」14:15のサヨナラ電車が、4月4日にUPした電車となる訳です。

DSC_0038

その電車だったかどうかは忘れましたが、とにかく市電の運転士さんからもらったスターフ。スターフは運転士さん用の時刻表ですが、「もう必要が無いから」とこれをポケットから無造作に出して私にくれました。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!