ここからは廃止の年の1974年(昭和49年)に撮影したのは間違いないものの、撮影月日が書いてなかったネガからのスキャン写真です。まずは「金山橋」駅。
ここは「瑞穂通三丁目」。私が物心ついた頃はそういう電停名でしたがその後、「瑞穂区役所」に改称されました。右側に市場が写っていますが、当時、電停があるところには市場ありと言っても良いほど市場が多くありました。今思えばとにかくそこに行けば食品から衣料品まで何でも揃う便利な存在でした。
桜本町一丁目の電停のすぐ北側にあったいつも通院していた耳鼻科の入っていたビルから撮影した一枚。さりげない風景ですが、市電が街とともにあったということを実感させてくれます。
ふと目を西に向けたら名鉄電車が目に入りました。おまけの一枚ですが、これがパノラマカーでないのが意外と味噌かもしれません。
地下鉄「桜山」駅には壁画として名古屋市電の姿が残されています。(このブログでも2012年8月9日にUP)
ここ桜山だけの風景ではないのですが、やはり市電とは切っても切れない街だったことが伺えます。
これらの壁画群の存在は、残念ながら知る人ぞ知る存在のようですが、市電廃止40年にあたり一度みに行かれては如何でしょうか?
因みに市電よりもずーっと昔に廃止されたトロリーバスの壁画もあります。もっとも60歳の私が生まれる前の話です。
名古屋市電の「桜山町」。ここの電停はその後「市立大学病院」と名前を変えて晩年を迎えましたが、私にとっては最後まで「桜山町」でした。写真はその廃線が間近に迫った頃のもので、残念ながら撮影日が分かっていません。
雨の日を狙った撮影ではなく、撮影しようと思った日がたまたま雨だったのだと思います。
桜山町は当時、交通の要衝で、市電と市電だったり、市電とバスを乗り継ぐ人が多くいました。そうっ、かくいう私もその一人でした。またそれだけではなく軒を並べた商店街にも活気があふれいつも多くの人が行き交っていました。ここからほど近い市場では「鮒味噌」を売っていて、たまに母が買ってきてくれたのがいい思い出です。
雨の日は安全地帯で傘をさして待つことになったのですが、トラックやバスは電停から少し離れて走っていたのか、私の中ではあまり圧迫感を感じた記憶がありません。
ところでこれらの写真は50ミリレンズで撮影しています。標準レンズとはよく言ったものでとても自然な感じで写っています。最近はすっかりズームレンズに慣れ、標準といわれる画角で撮影した写真が殆どありません。ワイド端か望遠を選ぶことが殆どですのでかえって新鮮な気分でこの写真を見ています。
1970年(昭和45年)に廃止になった鶴舞公園~老松町~新栄町~平田町の区間。
写真の3系統は名古屋駅前~六反小学校前~鶴舞公園~新栄町~平田町~大津橋~名古屋駅前という古い名古屋の街を一周する循環系統でした。
こちらは80系統は、上飯田~大曽根~新栄町~水主町~八熊通を結んでおり、私の中では比較的マイナーな路線でしたが、名鉄小牧線の終点、上飯田から名古屋市内各所を結ぶ系統の一つというイメージがありました。
新栄町を上飯田方面に折り返す臨時系統。今回、フィルムをスキャンし、改めてこうして見ると何かと発見があるものです。
鶴舞公園~新栄町~平田町の区間は、名古屋にしては道路幅が狭く、これで周りが商店街なら昭和版トランジットモールですね。私は名古屋市電は限られた区間しか乗っておらず、ここも実際に乗ったかどうかが怪しいところです。今思えば「トホホ」です。
鶴舞公園の名古屋市電。この写真は撮影日がわかっていません。ただ鶴舞公園~平田町間が廃止になった後であることは線路から見て取れます。もっともこの写真を今日UPしたのは、2000形の美しさがその理由です。この写真は既に40年以上前の撮影ですが、ご覧の通り電車のデザインは現代にも十分通用すると思います。そしてその性能も当時としては最高水準でした。惜しむらくは私がこの電車を日常的に乗ることが無かったことです。今池~桜本町一丁目の系統にこの電車が走ることはありませんでした。(記憶違いでなければ…)
このブログで既に掲載している写真(2012年9月2日UP)です。
昨日UPした花電車が撃沈していたのは現像するまでもなく予感がしたので、2日後の10月15日に再度挑戦しました。そして2年前の2012年、名古屋市交通局主催の「市営交通90周年」の写真募集で、この写真で優秀賞を頂いた記念の1枚です。(こんなことをしていたから浪人した・・・)
こちらは同じ日に場所を変えて撮影したものですが、手元に撮影場所のメモが無く、かつ前後の写真を見ても現時点でたどれず、撮影場所は不明です。そのうちに名古屋市電に詳しい知人から連絡が入るものと期待しています。
何故場所が分からないかというと、各撮影ポイントでは2~3枚撮れれば良いほうで、場合によってはそれこそ一発必中で望んでいたことと、更に花電車を撮影後に追いかけて、更に追い越して撮影するなどの術を持たなかったことによります。
もう少し回りが明るく写っていればは分かったと思いますが…。、
最後に桜本町一丁目で撮影した一枚。場所は間違いないのですが、撮影日のデータがなく撃沈の一枚です。多分、同じ年だと思うものの、申し訳ありません。とりあえずこれで花電車はお終いです。これだけしか私のアルバムには残っていませんでした。
今日は花電車です。
場所は多分、桜本町一丁目~笠寺西門あたりです。
大手のメーカーの花電車が続いて走っていた時代もあるんですね。
車のヘッドライトの多さが市電の終焉を物語っているのかもしれません。
ところでこの日は、何枚もの写真を撮影していますが、三脚を使わない手持ち撮影だったこともあり、殆どの写真はブレブレでこの3枚以外はとてもお見せできるものではありません。また、電飾だけははっきり写っているのですがそれ以外は全て撃沈。今のデジタルカメラならもっときれいに写っていることでしょう。それもまた時代です。
(追伸)
久しぶりであったり、毎日このブログをご覧にならない方へのお知らせ。4月1日から中京テレビのHPが刷新されています。このブログも、中京テレビHPのトップページ~ブログ~といった手順で入ると1回分しか表示されません。以前にアップした分をご覧になる方は、1度このページに入っていただき、右下にある「今までの記事」~例えば「4月」をクリックしていただくと4月分がまとめてご覧いただけます。お手数をおかけしますがよろしくお願いします。
1972年(昭和47年)2月29日を最後に、名古屋駅前から市電が姿を消しました。
※この写真は露光ミスですね。
当時の私(高校生、浪人が決定した頃?だと思う)は、「鉄道が好き」ではあったものの、熱烈な鉄道ファン(当時の言い方。今なら「鉄っちゃん」「鉄オタ」といったところ)とまでは至っていませんでした。同級生にはバリバリの撮り鉄や模型鉄はいたもののその足元にも及ばないというか、それでも何となく写真は撮っていました。ただロケハン(事前の場所の下見)したりとかすることも無く漫然とその場その場で写真を思いついたら撮る程度でした。
同じ日の「鶴舞公園」。当時は「乗り鉄」本格稼動以前の、私にとって穏やかで緩やかな「鉄」時代で、鶴舞公園を通る路線も殆ど乗った記憶がありません。
話しは飛びますが、自宅のあった桜本町一丁目から上前津・矢場町・栄方面には「31系統」があったにもかかわらず、いつもならバスを利用しており、まして「鶴舞公園」はそこが目的地でなければ殆ど来ることどころか通り過ぎることもありませんでした。そうっ!近くて遠い場所だったのです。
でも最後だから・・・そんな理由でここに来ました。
三陸鉄道が全線で運行を再開しました。(上記の画像は三陸鉄道のHPにリンクしています)
1984年(昭和59年)に開業した南リアス線。この線は旧国鉄盛線の時代にも盛~吉浜間を乗車しており、この時は2回目の乗車でした。そして今年、私は3度目の乗車を目指します。
ところで今日、大阪の交通科学博物館が閉館しました。時代を駆け抜けた車両たちとも暫しのお別れです。
1日戻って昨日(4月5日)は三岐鉄道北勢線の100周年。こちらもイベントが行われていました。
そんなにいろいろあった4月5日(土)、6日(日)の2日間。私はどこにも行かず家でジッとしていました。理由は6月10日から開催予定のNPO法人名古屋レール・アーカイブス/定期資料展の準備。100枚を超える写真をプリントしていたのですが、プリンタから離れるわけにもいかず、とにかくやりきらないと間に合わないし…。でも久しぶりにのんびりした感もありました。