運動公園電停に停車中の納涼ビール電車。そぼ降る雨の夕暮れもなかなかいいもんですね。
もっともそれだとビール電車よりおでんしゃの方が、昭和感があって良いかも。そうなんですよね、この光景で思うのは電車が「昭和」だから郷愁を誘うというか、心が和むのでしょう。
この辺りは平成世代に方たちの感想を聞いてみたいところです。
そう言えば宴会前の写真ってあまり見ないですね。スタッフの方にお願いして出発前に撮らせてもらいました。天井からの飾りが派手です。「昭和バブル(平成になる前)を彷彿させます」とここで書くと、如何にも信憑性(しんぴょうせい)、根拠があるように見えますが、そんなことはなく、ただのイメージです。まあお祭り騒ぎで、みんなで楽しもう!で良いと思います。
ところで今回のビール電車はざっくり半分が私の仲間たちで、半分は他のグループ。そして個人で申し込んで乗っている方もいるといった感じ。知らない者同士でも肩と肩を寄せ合ってのひと時にビールがあれば言葉はそれから付いてきます。
もしも名古屋に市電が残っていて、例えばですが、栄町~(夕暮れの広小路通り)~名古屋駅~名古屋城~鶴舞公園(トイレ休憩)~名古屋港などを巡ったら楽しそうと思う妄想鉄道趣味。
廃墟然とした三河大草駅を出て、三河田口方面に向かう。
この辺りも、50周年をきっかけに始まった廃線跡ウォーキングの方たちが来なくなるときっと自然に帰っていくのでしょう。もっともそうならないように地元の方たちがここを整備しています。
トンネルとトンネルの間は築堤。
鉄道の線路を敷くには如何にも厳しい条件をいくつもクリアし、鉄道が自分たちの町の発展には欠かせないと信じて行動した先人たちの想いは、一歩一歩足を踏み出す度にそれはちゃんと私に伝わってくる気分でした。
15:35頃廃線跡探訪終了。豊橋に戻る前に道の駅もっくる新城でトイレ休憩。名物だと聞いた「冷やしクリームパン」を食す。改めて自分は甘党だと確信した一瞬。
その昔、名物に旨い物なしと謂われた時代がありました。それはそれで否定するものではありませんが、今の時代、名物で旨くないものを探すのはきっと難しいと思う。
SNSやネットの口コミを掻い潜って生き残っていくことはとても困難な時代だからです。
森の中で遊んでいるのではありません。まあ考えようによってはあまり変わらないような気もしますが…。写っているのは廃線跡の案内役、愛知県設楽町立奥三河郷土館の学芸員石井峻人さん。
さっきよりは道らしいと言えばそれらしく見えますが、道だと思うから道に見えているような気もします。
ところでこの道は何?と言えば、三河大草駅に向かうメインルート。まあ名古屋で言えば広小路通り。他に道はありません。その昔、夜とかどうやって歩いたのでしょう?街灯などはあるはずもなく、懐中電灯は一般的に持ち歩くことは無かったと思います。
今は使われることのない三河大草駅。
廃止されてから50年。よもやその「50周年」がきっかけでまたこの駅に利用客ならぬ。廃線跡探訪客が来るようになるとはきっと神様の知らなかったと思う。
6月15日(土)。魅惑の粟代鉱山軌道の次は豊橋鉄道田口線廃線跡探訪。出発点はJR飯田線本長篠駅。
如何にも廃線跡を道路にしています風。その先に鉄道時代からのトンネルが見えます。それもそのまま今も使われています。
今から約50年前に廃止された豊橋鉄道田口線。1929年(昭和4年)に田口鉄道として一部開業し、1932年(昭和7年)に本長篠~三河田口間の全線が開業しました。
その後止されたのは1968年。現役の時代はそれほど長くはありませんでした。
写真は1931年の清崎駅で、当時の終点がこの駅でした。(絵はがきをトリミングしています)
そんな歴史の田口線ですが、昨年が廃止後50周年という事、またこの鉄道の一部がダムに沈むことからこの鉄道を次世代に繋ごうと地元の方が動き始め、私たちがこうして廃線跡探訪をしているのもその活動をされている方たちの尽力の賜物です。