2019年07月21日 16時01分

衣浦臨海鉄道(1)碧(みどり)インターチェンジ。

名鉄碧南中央駅から徒歩15分ほどの国道247号線碧インター近く。

衣浦臨海鉄道の撮影スポットとして知られた場所で、この7月5日に初めて行ってきました。

衣浦臨海鉄道の列車のダイヤは、公式HPに掲載されているのでそれを参考に出かけており、往路が重連で1本、単機は短期牽引で2本というちょっと変わった運転方式ですので、まずはというかやはりというか絶対に外せない重連を狙いました。

衣浦臨海鉄道の碧南市駅。入替作業を見学。

2019年07月20日 17時24分

明知鉄道と農村景観日本一地区。

農村景観日本一。岐阜県恵那郡岩村町(平成元年の発表当時、現在は恵那市岩村町)にあり、私が担当していた番組でも取材させていただきました。

(撮影場所の座標)35.381582, 137.457273

この写真は農村景観日本一展望所と呼ばれる施設があり、そこから撮影したものです。(明知鉄道飯羽間駅から徒歩30分)

上の写真と同じ場所で少し目を移すと明知鉄道の線路が見えます。飯羽間駅~極楽駅の間で、列車のやって来る時間は、この写真でちょうど右側の線路が見切れる辺りが飯羽間駅なので大体の見当がつきます。

農村の景観の中を走る気動車。いい風景です。

2019年07月19日 16時57分

明知鉄道の田んぼアート。

明知鉄道名物ともいえる田んぼアート。

(撮影場所の座標)35.347018, 137.395126

写真で上の方の田んぼが切れて民家との境目の場所が明知鉄道山岡駅。

そこからこの撮影地(田んぼアートを見るため?の展望台)までは徒歩10分ほどです。

田んぼアートを横から見てみました。もう少し立体的かと思ったら平面。

ど根性ガエルのピョン吉みたいなもんだろうな、とか思いつつこのブログを読んでいる方でピョン吉を知っている人はいかほど?

2019年07月18日 23時19分

昔ッから、決まッとる(2)そぼ降る雨の夕暮れ。

運動公園電停に停車中の納涼ビール電車。そぼ降る雨の夕暮れもなかなかいいもんですね。

もっともそれだとビール電車よりおでんしゃの方が、昭和感があって良いかも。そうなんですよね、この光景で思うのは電車が「昭和」だから郷愁を誘うというか、心が和むのでしょう。

この辺りは平成世代に方たちの感想を聞いてみたいところです。

そう言えば宴会前の写真ってあまり見ないですね。スタッフの方にお願いして出発前に撮らせてもらいました。天井からの飾りが派手です。「昭和バブル(平成になる前)を彷彿させます」とここで書くと、如何にも信憑性(しんぴょうせい)、根拠があるように見えますが、そんなことはなく、ただのイメージです。まあお祭り騒ぎで、みんなで楽しもう!で良いと思います。

ところで今回のビール電車はざっくり半分が私の仲間たちで、半分は他のグループ。そして個人で申し込んで乗っている方もいるといった感じ。知らない者同士でも肩と肩を寄せ合ってのひと時にビールがあれば言葉はそれから付いてきます。

もしも名古屋に市電が残っていて、例えばですが、栄町~(夕暮れの広小路通り)~名古屋駅~名古屋城~鶴舞公園(トイレ休憩)~名古屋港などを巡ったら楽しそうと思う妄想鉄道趣味。

2019年07月17日 20時54分

昔ッから、決まッとる(1)ビール電車に今年も乗った!

令和元年の納涼ビール電車。6月15日(土)に乗車。

「魅惑の粟代鉱山軌道」ツアーを終えて豊橋駅に戻ったのは17:30で、納涼ビール電車の集合時間は17:45。何とも素晴らしいタイミング。

3203は私とほぼ同い年。思わず頑張れ!とか擬人化してしまう。

ビールがうまいのは当たり前。おつまみ弁当が美味しいのはリピーターを生む。

今年もこうしてこの電車に乗っているのは、豊橋在住の鉄友さんのおかげ。多謝。

2019年07月16日 21時11分

豊橋鉄道田口線廃線跡探訪(3)トンネルと築堤と。

 

廃墟然とした三河大草駅を出て、三河田口方面に向かう。

この辺りも、50周年をきっかけに始まった廃線跡ウォーキングの方たちが来なくなるときっと自然に帰っていくのでしょう。もっともそうならないように地元の方たちがここを整備しています。

トンネルとトンネルの間は築堤。

鉄道の線路を敷くには如何にも厳しい条件をいくつもクリアし、鉄道が自分たちの町の発展には欠かせないと信じて行動した先人たちの想いは、一歩一歩足を踏み出す度にそれはちゃんと私に伝わってくる気分でした。

15:35頃廃線跡探訪終了。豊橋に戻る前に道の駅もっくる新城でトイレ休憩。名物だと聞いた「冷やしクリームパン」を食す。改めて自分は甘党だと確信した一瞬。

その昔、名物に旨い物なしと謂われた時代がありました。それはそれで否定するものではありませんが、今の時代、名物で旨くないものを探すのはきっと難しいと思う。

SNSやネットの口コミを掻い潜って生き残っていくことはとても困難な時代だからです。

2019年07月15日 20時21分

豊橋鉄道田口線廃線跡探訪(2)三河大草駅。

森の中で遊んでいるのではありません。まあ考えようによってはあまり変わらないような気もしますが…。写っているのは廃線跡の案内役、愛知県設楽町立奥三河郷土館の学芸員石井峻人さん。

さっきよりは道らしいと言えばそれらしく見えますが、道だと思うから道に見えているような気もします。

ところでこの道は何?と言えば、三河大草駅に向かうメインルート。まあ名古屋で言えば広小路通り。他に道はありません。その昔、夜とかどうやって歩いたのでしょう?街灯などはあるはずもなく、懐中電灯は一般的に持ち歩くことは無かったと思います。

今は使われることのない三河大草駅。

廃止されてから50年。よもやその「50周年」がきっかけでまたこの駅に利用客ならぬ。廃線跡探訪客が来るようになるとはきっと神様の知らなかったと思う。

2019年07月14日 13時59分

豊橋鉄道田口線廃線跡探訪(1)本長篠駅~内金トンネル。

6月15日(土)。魅惑の粟代鉱山軌道の次は豊橋鉄道田口線廃線跡探訪。出発点はJR飯田線本長篠駅。

如何にも廃線跡を道路にしています風。その先に鉄道時代からのトンネルが見えます。それもそのまま今も使われています。

今から約50年前に廃止された豊橋鉄道田口線。1929年(昭和4年)に田口鉄道として一部開業し、1932年(昭和7年)に本長篠~三河田口間の全線が開業しました。

その後止されたのは1968年。現役の時代はそれほど長くはありませんでした。

写真は1931年の清崎駅で、当時の終点がこの駅でした。(絵はがきをトリミングしています)

そんな歴史の田口線ですが、昨年が廃止後50周年という事、またこの鉄道の一部がダムに沈むことからこの鉄道を次世代に繋ごうと地元の方が動き始め、私たちがこうして廃線跡探訪をしているのもその活動をされている方たちの尽力の賜物です。

2019年07月13日 13時24分

人力トロッコを求めて(8)もう一つの坑道。

案内された坑道から少し離れた場所に、もう一つの坑道がありました。今回の公開の対象ではなかったのですが、従業員の方が「ここまでですよ」ということで、中に入れてくれました。

前の写真で左端に見える線路。階段と見比べればその角度が分かりますが、どうやってトロッコを上下させているのでしょうか?

今も現役の人力トロッコ。仕事があり、働く人がいて、動く機械がある。そのおかげで趣味が深くなる。まあそれは自分の個人的な事ですが、続けていればこんな楽しい出会いがあります。

2019年07月12日 13時23分

人力トロッコを求めて(7)インディー・ジョーンズの世界!?

トロッコの足回り。車輪と車輪の間隔がとにかく狭い。小回りは利きそうで、狭い坑道を縦横無尽に走り回れそうです。

ココだけ切り取れば映画のワンシーン。と、私は思った。

線路の端から半分飛び出たトロッコ。普通に考えれば普通じゃないよね。でもどうやらこれがこの鉱山の普通のようです。勿論、なぜこうなっているのかについては理由あり。

それはともかくもうこれだけでここに来た甲斐あり。映画ならこの後どうなるのでしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!