2014年02月04日 22時04分

鹿島臨海鉄道の旅(4)がんばっぺ!茨城。

平成25年11月11日の車両にはご覧のステッカーがありました。

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あかげさまで全線開通。平成23年の東日本大震災時に、その路線が寸断され、全線復旧まで約4か月かかったことをこのステッカーを見て思い出しました。

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「鹿島神宮」駅に到着。お約束の駅舎写真。

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そしてこちらは昭和60年(1985年)8月31日の「鹿島神宮」駅。30年経っても私のレベルに進歩がない象徴かも???

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昭和60年のホームでのスナップ。

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そしてこちらは昭和54年(1979年)1月16日の同じホーム。ところで「鹿島港南」から乗車した理由ですが、それはその当時の始発列車が「鹿島港南」発だったからで、僅か1日3往復の列車を効率的に乗るにはそれしか方法がありませんでした。どういうことかというと、列車は「鹿島港南」を起点に「鹿島神宮」を往復しており、「鹿島神宮」からの始発列車(8:38発)に乗った場合、「鹿島港南」着9:07で、同駅での「鹿島神宮」行きの出発は12:01でした。

ただ当時は情報が殆ど無い時代だったのでどうやってバスの時間を得ていたのかが疑問です。多分、前日入りしているので、「鹿島神宮」駅で聞いたのでしょう…。

 

2014年02月03日 22時34分

鹿島臨海鉄道の旅(3)北鹿島駅を知っていますか?

11月11日(月)9:35。「鹿島サッカースタジアム」駅を通過。(通常、停車する列車はありません)

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ところでこの「鹿島サッカースタジアム」という駅名はJR東日本のHPでの表示。一方、鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線HPでは「鹿島スタジアム」となっており、更に言えば貨物線の鹿島臨港線の路線図では「カシマサッカースタジアム」とあります。一体どれがどれ???鹿島臨海鉄道に乗っているのだから…。

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一方こちらは昭和54年(1979年)1月16日の「北鹿島駅」。

この駅が今の「鹿島サッカースタジアム」駅で、昭和53年から58年までの短い期間でしたが、国鉄鹿島線「鹿島神宮」駅~「北鹿島」駅(ここでスイッチバック)~鹿島臨海鉄道/鹿島臨海線「鹿島港南」駅間に旅客列車が運行されていました。

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「鹿島港南」駅に停車中の「鹿島神宮」行き。

7:51発のこの列車で「鹿島神宮」を目指したのですが、実はここまでは関東鉄道『バス』できており、枝線にもかかわらず往路と袋で違う交通機関を選択しています。

 

(追伸)

「第3回こども鉄道博士選手権」の経過報告です。

ホームページでの第1次予選を勝ち抜いたこどもたちが集まった第2次予選が、先週の土曜日(2月1日)に行われ、決勝進出の10名が決まりました。2次予選の問題は、こどもたちに知っていてほしい鉄道の知識を中心に数問ですが大人でも手強いものもありました。

それにしてもこどもたちとの「鉄」会話は楽しかった。私がこどもだった半世紀近く前はそもそも「鉄道」の情報を得る手段が限られていましたが、今はネットを含めて情報があふれています。その情報をまたこどもたちはよく覚えているのです。凄い時代が来たものです。

2014年02月02日 21時06分

鹿島臨海鉄道の旅(2)鹿島神宮駅を目指して走る。

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大洗駅で5分ほど停車。ここで水戸行きと交換。昭和60年の記憶がないので何なのですが、大洗駅の南側にこんなトンネルがあるとは思ってもみませんでした。何せ私の大洗鹿島線の印象は、「平野をひた走る」だったからです。

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トンネルを抜けてきた列車が到着。堂々の3両編成です。

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さてローカル線ではありふれた駅が見え始めました。

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でもここは「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前(ちょうじゃがはましおさいはまなすこうえんまえ)」駅。表記文字数で13文字あり、読み仮名数で22文字。その読み仮名数は南阿蘇鉄道高森線にある「南阿蘇水の生まれる里白水高原(みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげん)」駅と並び日本一です。

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参考までにこちらが表記文字数・読み仮名数ともに日本一の南阿蘇鉄道の駅名標です。(2008年撮影)

2014年02月01日 23時09分

鹿島臨海鉄道の旅(1)ほぼ30年ぶり。

ひたちなか海浜鉄道で運気アップした翌日の11月11日(月)。この日の目的地は「銚子電鉄」。

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まずは勝田発08:06の水戸行きに乗車。流石に平日の朝のラッシュ時だけあって電車は混雑していましたが、正直な感想としては「思ったより…」でして、私の荷物が結構乗客の皆さんの邪魔な状態になっていました。

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「水戸」で鹿島臨海鉄道に乗り換え…ですが、右側はE653系を模した売店。で、左側の8:21発の鹿島神宮行きに乗車。

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さてこちらは昭和60年(1985年)8月31日の水戸駅の鹿島臨海鉄道のホーム。

※同年の3月に水戸 – 北鹿島(現/鹿島サッカースタジアム)間が開業。

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参考までに昭和の水戸駅です。いよいよほぼ30年ぶりの乗り直しがスタートです。

ところで勝田から銚子までの移動ですが、鹿島臨海鉄道~JR鹿島線~JR成田線経由が最短距離なのですが乗り継ぎ時間が長く、時間帯によっては「柏」「我孫子」「成田」で乗り換えた方がスムーズな場合もありそうです。

2014年01月31日 19時39分

ひたちなか海浜鉄道(9)縁起のいい切符

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今回のひたちなか海浜鉄道の旅では、

1)湊線1日フリー切符

※11月10日に使用。

2)湊線1日フリー切符(硬券)+湊線応援券

※未使用。有効期間1年。

3)湊線開業100周年―記念乗車券―

と、プラス

4)縁起のいい切符

などなどを購入しました。私のように地元ではない人間に出来る支援はこの程度が精一杯です。

ということはさておき、「縁起のいい切符」は大盤振る舞いの5枚の購入です。(お土産用を含め)画像データに説明がありますが、字が小さくて読めないと思いますので少々解説。

「勝田」(かったあ~)~「金上」(金運上昇)ということだそうで、乗車券が斜めなのは「運気が右肩上がり」とのこと。「なるほどね。」おあとがよろしいようで。

 

2014年01月30日 20時11分

ひたちなか海浜鉄道(8)中根駅異聞。

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ひたちなか海浜鉄道のおまけは「中根」駅から。

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駅名標の裏側は茨城交通時代の旅客運賃表。

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「茨城交通湊線」の赤文字が際立っています。

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何故この駅名標を取り上げたか???

実はこの旅客運賃表は「殿山」駅のもの。何で?と疑問を持ったのがきっかけでした。平成8年2月1日の日付の記載があったのできっとその時点での運賃なのでしょう。

※山手線内まで2530円とありました。

 

2014年01月29日 20時07分

ひたちなか海浜鉄道(7)中根駅にて途中下車・・・撮り鉄。

那珂湊から一駅乗車。1日乗車券を使っているのでこの辺りは自由自在です。

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15:55に中根駅で下車。勝田から阿字ヶ浦に向かう時にその風景が一寸気になったので「帰りは降りよう」と思っていました。もっともこの日は勝田駅前のビジネスホテルを予約していたので、急いで勝田に戻る必要が無かったということもありますが…。

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中根駅を16:05に出る阿字ヶ浦行きがその姿を見せ始めました。

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気分は「撮り鉄」でした。

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中根駅を16:15に出る列車に乗車。一番前に陣取って一枚。

2014年01月28日 20時02分

ひたちなか海浜鉄道(6)那珂湊駅にて。

ひたちなか海浜鉄道「那珂湊駅」。

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この鉄道の中心地です。何とこの駅で偶然、吉田社長とお会いしました。「ひたちなか海浜鉄道」HPに「ひたちなか海浜鉄道日誌」を連載されておられ、思わず声を掛けさせていただきました。

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湊線は1913年(大正2年)に「勝田」~「那珂湊」間が開業したのが始まりで、昨年は100周年。その記念の横断幕が那珂湊駅にありました。

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駅の外にでて駅舎を撮影。

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それからホームに戻り、車庫の車両を撮影。この写真は「昭和」かと突っ込みを入れたくなりますが、そんなはずはなく間違いなく「平成」です。ましてやキハ2005に九州の「島原鉄道」風の『ひげ』が付いているので確かに「平成」でしょう。

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この駅で好きな風景。それがこの踏切。やはり昭和の情景です。

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那珂湊15:50発の勝田行きはキハ37100。動物たちが息づくアニマルトレインはきっと子供たちの人気者でしょう。

2014年01月27日 19時58分

ひたちなか海浜鉄道(5)阿字ヶ浦駅の鉄道模型。

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阿字ヶ浦駅に到着。

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こちらは昭和の阿字ヶ浦駅。私鉄の駅と言うより、何となく国鉄の終点のような感じです。それもそのはずでこの湊線は東京・上野から海水浴列車が乗り入れていたことで知られており、その関係で結構な規模となっていました。

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その阿字ヶ浦駅の駅舎の中には今、鉄道模型のレイアウトがあります。私が訪れた11月10日、たまたまこのレイアウトを管理されているグループの方が整備をされておられ、ブログへのUPの許可を頂いて撮影しました。

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「那珂湊駅」をイメージしたジオラマ。

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郵便ポストがその存在ぶりをアピールしています。

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ここが「阿字ヶ浦」駅。

ぐるりと一周、なかみなと海浜鉄道となっています。

このレイアウトですが、不定期で公開運転を行っており、運転日が決定すると「ひたちなか海浜鉄道」HPで掲載されるそうです。それ以外の日は見られませんので、見られればラッキーですね。

2014年01月26日 19時55分

ひたちなか海浜鉄道(4)東日本大震災からの復興。

「ひたちなか海浜鉄道」は2008年(平成20年)に誕生した第3セクターで、元は一昨日書いた通り「茨城交通」でした。再訪してみて気付いたのですが、3セク化されたのがこれほど最近とは思っていませんでした。

そのひたちなか海浜鉄道は2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災で被災し、一時はその存続が危ぶまれましたが、7月23日に『奇跡』と言いたい早さで全線復旧しました。

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ここは金上~中根間。被害が大きかったところの一つです。

 

2013_11_10ひたちちなか海浜鉄道_37殿山~平磯間も被災しています。

宮城・岩手・福島の被害が大きく報道された東日本大震災ですが、ここひたちなか海浜鉄道の被災状況は全国ニュースではあまり見かけず、名古屋市民でこのことを知る人は少なかったのではないでしょうか?

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終点の阿字ヶ浦到着直前の車内はこんなにがらんどう。よくぞ復活したものだと感慨深いものがありました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!