2013年12月17日 20時41分

沖縄から宇都宮へ、そして(2)朝が来た。

JR「宇都宮駅」直結のホテルに宿泊。朝起きて窓から外を見たらそこには驚きの光景が!!

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宇都宮を7:10に出る東京行き「なすの262号」。何だか得した気分です。

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E5系も通っています。

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EF65、EF81が見えたりもします。

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ホテルから見た朝日。別に何ということは無い日常の風景なのですが、やはり清々しい気分になります。鉄道だけが見えるホテルではありませんでした。(6:37頃撮影)

2013年12月16日 20時23分

沖縄から宇都宮へ、そして(1)目指せ!浜松町。

平成25年11月8日。もう一か月以上前のことになってしまいました。

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さてこの日、那覇空港にはB747がいました。もうすぐこの姿も見られなくなるんですね。ということはさておき全日空ではなく12:45発の日本航空で羽田へ!修学旅行の高校生たちで満席でした。

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東京モノレール「羽田空港第1ビル駅」から乗った区間快速は一番前の運転士さんの直ぐ後ろの1人席が空いており、「やったぜ!」とばかりに陣取りました。

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その席だから撮影できる写真はある訳でラッキーでした。

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モノレールのすれ違いも停車中のみならず走行中もGET。本数は多いので直ぐに撮れるかと思っていたのですが、意外や意外で手こずりました。

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浜松町に到着。そもそもこの風景を眺めるのは初めてかも?なぜならこれまで羽田空港を使うことが殆ど無かったからですが、「羽田空港第1ビル駅」でモノレールを待っていた場所が良かったのでしょう。(端っこは端っこなのですが先頭か最後尾かも知らずにいました)

2013年12月15日 21時57分

午年(うまどし)ドニチエコきっぷ。

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毎年恒例の名古屋市交通局「年末年始特割ドニチエコきっぷ」が、今日から使えるようになりました。

来年の干支が午年(うまどし)ということで絵柄が東山動物園にいる「チャップマンシマウマ」となっています。

個人的には干支という東洋の中にアフリカのシマウマというのは…。

2013年12月14日 21時30分

「旅と鉄道」増刊、種村直樹さんの特集。

種村直樹さん

「旅と鉄道」という雑誌は、「鉄道ジャーナル」から出ていた時に創刊から何年かは買い続けていました。他の鉄道誌に比べ「旅」によった内容で私のような“ライト鉄”には居心地がよかったことが買っていた動機でした。

今回、久しぶりに買った理由はレイルウェイ・ライター40周年記念「種村直樹の鉄道旅行術」という特集内容だったから。

もうそんなに経ったんですね。実は私の鉄道趣味が社内に認知されるようになったのは種村さんのおかげでもあります。

話しは今をさること30有余年。昭和55年(1980年)に遡ります。

その年の春休み。種村さんと読者の皆さんが日本最西端の駅・国鉄平戸口から日本最東端の駅・国鉄東根室駅かで普通列車を乗りついての旅をしました。(当時は夜行鈍行が結構残っていました)

その模様を通り道となるNNN(日本テレビ)系列各社が取材をし、それを毎日各局リレー方式でニュースにしたら面白い!という企画書を書き、日本テレビに出しました。そうしたらその企画書が日本テレビのドキュメンタリー番組のプロデューサー・ディレクターの目に留まり何と30分番組×2回と言う大盤振る舞いで放送することになりました。題して「日本列島西東 鈍行列車春の旅」。社会派ドキュメンタリー主体であり硬派で知られた「NNNドキュメント’80」でこんな軟ネタが放送されるなんて、最初に話しを聞いた時には天にも昇る気持ちでした。そしてこの番組のカメラマン(当時は16ミリフィルムの時代)として、一部区間ではありましたが参加させてもらい、初めて種村さんにお会いしたのは山陰本線浜田駅でした。

その後、何度かお会いする機会に恵まれ、年賀状のやり取りが続いています。何はともあれ40周年、おめでとうございます。

2013年12月13日 20時59分

新橋駅のクリスマス2013。

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2013年12月10日(火)は東京出張。仕事を終えた私は新橋駅前のC11292に会いに行きました。

すいません。話しを作っています。わざわざ行ったのではなくたまたま新橋で仕事をしていました。

丁度18時だったので汽笛の楽しみも。もっともこの時間にここにいられたのは偶然で、意図的に時間を調整したわけではありません。(嬉)

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前の写真と比べて下さい。イルミネーションの量が違います。面白いですね。スマホのカメラで撮っていたのでタイミングを合わせるのに少し苦労しました。

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運転台にはサンタの機関士さん。

2013年12月12日 19時28分

沖縄軽便鉄道・廃線跡巡りとオスプレイ。

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「オスプレイ」が飛んでいる姿は廃線跡巡りの途中でも見ることがありました。

今の沖縄を象徴する一枚かもしれません。

2013年12月11日 19時22分

沖縄軽便鉄道・廃線跡巡り(7)その名も軽便橋。

沖縄県北谷(ちゃたん)町北前にあるその名も軽便橋。

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普天間川にかかる人道橋で、この橋も多くの方が訪問され、ネットにアップされています。

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軽便橋の名は、もともとここに沖縄県営鉄道の「佐阿天原橋梁」が架かっていたことによるものだそうで、今の橋は1988年(昭和63年)に掛けられたそうです。

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大山駅と北谷駅の間にあり、この橋の南側にある道路は何となく線路跡を感じさせます。

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最後の写真は嘉手納線の終点「嘉手納」駅があったと思われる場所。

嘉手納町役場が目印となっています。

今回は、朝9時にレンタカーでホテルを出発し、糸満~与那原~嘉手納とほぼ1日がかりでゆっくりと見て周りました。

廃線跡巡りと言っても、どちらかといえば車でノンビリ沖縄の風を感じる旅といった方が相応しい時間を過ごしました。廃線跡を巡る方は多くいらっしゃいますが、どんな感じで周っているのかを聞いてみたくなりました。

2013年12月10日 20時45分

沖縄軽便鉄道・廃線跡巡り(6)宜野湾市立博物館。

廃線跡巡りの途中で「宜野湾市立博物館」に立ち寄り。

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ここには『軽便鉄道』の客車の車輪が、入り口を入ったすぐ左側に展示されています。

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案内看板によれば、宜野湾市内にあった「大山駅」の近くの建設現場で“発掘”(昭和58年7月29日に発見)されたもので、ここまで完全な形で残っていたのは私の個人的な感想ですが、「奇跡」だと思っています。

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762ミリゲージの車輪は本当に可愛く、こうして形で今も見られることに感謝したいです。

地味な博物館ですが、沖縄観光のついでに寄られても良いでしょう。

2013年12月09日 20時44分

沖縄軽便鉄道・廃線跡巡り(5)嘉手納線の古レール。

2013_11_07沖縄軽便鉄道_104沖縄県営鉄道の廃線跡巡り。

その線路があったと思われる道路を通り、嘉手納線の終点・嘉手納を目指します。

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沖縄県浦添市の「大平特別支援学校前」バス停の前に古レールが屋外展示されています。

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沖縄県営鉄道で使われたレールが唯一屋外で見られるということで、HP検索で結構な数がヒットします。

ただ11月7日(木)時点では草が茂り、何とかレールを確認できた程度でした。

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このレールの横にあった案内看板も字がかすれ少し見にくい状態ではありましたが、1991年(平成3年)に道路の改修工事から出土したとありました。

その「出土」という表現が何とも歴史遺産が見つかった感ありで面白いと思いました。

2013年12月08日 20時29分

沖縄軽便鉄道・廃線跡巡り(4)D51に立ち寄り。

沖縄県那覇市の与儀公園。シーサーがちゃんとお出迎え。

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ここにD51が静態保存・展示されています。

そのナンバーは「222」。ぞろ目は何となく縁起がいい気がします。

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沖縄でD51が走ったことはなく、これは沖縄の子供たちのためにということで贈られたもので、保存状態は思ったよりも良さそうです。

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このD51222の主?は野良猫。私がここにいたのは15分ほどでしたが、ずーっとこの場所に鎮座し、周りをゆっくりと見渡しつつ、時折私をチラッとうっとおしそうに見ていました。

※うっとおしいではなく、うっとうしい(鬱陶しい)が正解ですね。漢字変換されなくて気が付きました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!