2013年11月17日 20時08分

交通科学博物館(6)D512のこと。

交通科学博物館にはD512が静態保存されています。

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この日、天気が晴れだったこともあり、D51の周り(だけではなく至る所で)では幼稚園の子供たちがお昼ご飯を食べていました。おかげで屋外展示の車両を撮影しようとしてもそれは叶わず、いやいや子供たちが写るのを前提にすれば撮れるのですが、それではまるで私が幼稚園の「写真撮影係り」みたいで、ひたすら昼食が終わるのを待ち続けました。そして12:20頃にはこうして撮影することが出来ました。

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ところでD512は愛知県の稲沢機関区にいました。

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昭和45年(1970年)の頃で何故か機関車全体の写真が無い…のです。理由が分かりません。

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そして12時半過ぎ、恐らく最初で最後の交通科学博物館の見学を終え、次の目的地「赤川橋梁」を目指しました。

※10月22日にUPの「赤川鉄橋(赤川仮橋)への道」に続く。

2013年11月17日 18時06分

交通科学博物館(5)食堂車にて。

ナシ20 24。食堂車です。

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This is ブルートレインの20系の食堂車。あこがれの存在でしたが、私がやっとブルートレインに乗れるようになった頃にはもう現役を退いていました。

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私が交通科学博物館を訪ねた10月17日(木)は車内で駅弁を販売しており、また座席で食べることもOK。

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私のチョイスは明石名物「ひっぱりだこ飯」(西明石駅)。

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動かないし、車窓は…だけど、ちょっぴり食堂車気分でした。そうそうっ、器は勿論家に持ち帰り、箸立てで使っています。(笑)

2013年11月15日 20時31分

交通科学博物館(4)80系と80系。

交通科学博物館には2つの国鉄80系が保存されています。

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一つは気動車の80系。ただ一般的には“81系”もしくは“はつかり型”と呼んだ方が、馴染みがあるのかも知れません。名古屋地区では紀勢本線の特急「くろしお」として運転されていたのですが、私の記憶の外です。

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私が会社に入り、尾鷲・熊野方面の出張時に使っていたのは同じ80系でも“82系”と呼ばれるグループ。ただシートはこの固定タイプでワイドビューとなってからのゆったりリクライニングシートとは大違い。対面式ボックスシートではないというだけでも贅沢は言えないのですが、尾鷲まで乗っているのは結構つらいものがありました。それゆえ自腹でグリーン車に乗った経験もあり。もっとも物凄い贅沢をしていると自己嫌悪を感じながらでしたが…。

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もう一つの“80系”は電車の80系。一世を風靡した2枚窓の「湘南スタイル」でないのは残念ですが、それでもこの3枚窓も私にとっては東海道線のエースの印象があります。

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車内は電車というより客車の雰囲気で、座席の背ずりの上半分が板というのは、今の若い人にはきっと理解できないでしょうね。また車内の写真は、パッと見だけでは電車と気付く人は少ないかも知れません。

 

昭和の時代に登場した2つの80系。歴史を語る産業遺産であることは間違いありません。京都への移転時にも是非保存して欲しいと願っています。

2013年11月14日 20時03分

交通科学博物館(3)国鉄高速バス。

新幹線0系の前には今ではとてもお目にかかれない懐かしのオートバイたち。

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ここ「交通科学博物館」に展示されているのは鉄道だけではありません。

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国鉄高速バスは大学生の頃、東京との往復の際にお世話になりました。乗った回数は大垣夜行ほどではありませんが、それでも名古屋から東京に向かう時は高速バスを結構使っていました。

当時はめちゃかっこいいと思っていましたが、いやいや今見てもスタイリッシュでかっこいいですね。

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交通科学博物館さよなら企画展PART1「曝涼展(ばくりょうてん)」が行われています。曝涼(ばくりょう)の意味は一言で言えば『虫干し』なのですが、こんな虫干しは大歓迎です。看板の手前にある一見得体のしれないものですが、建物の鉄骨模型で、実は3代目大阪駅のもの。縮尺は1/50で昭和13(1938)年との案内がありました。

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これはダイヤの印刷機。

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ネット状の線が交錯しているのが見てとれますが、これがダイヤ!なんですね。

2013年11月13日 21時48分

交通科学博物館(2)「昔の駅」。

「昔の駅」という展示コーナー。

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私が「鉄」に目覚め、育っていった昭和40年代はこんな駅がまだありました。

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もっともこのような歴史遺産的な蒸気機関車を現役で見たことはありませんでしたが、展示室内の明るさが抑えられているためまるで夜汽車が到着したが如くでした。

雰囲気があり静かに眺めている分にいいのですが、写真を撮るにはデジタルカメラであっても明るさが足りず、このコーナーに限っては写真がぶれぶれ・・・。欲をかくのは良くないですね。

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この博物館で面白いと思ったのがこのナンバープレート群。ここまで来ると1枚**万円×○△枚=いくらなどという下世話な世界からは離れられます。

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「昭和30年代の列車の旅再現」展示コーナー。昭和40年代後半から50年代前半(1970年代)頃、この席で最高3連泊を経験しています。

2013年11月12日 22時33分

大阪・交通科学博物館(1)新幹線0系。

今年の10月17日(木)の行動…このブログでは10月22日からUPした「赤川鉄橋」に始まり、「明治村」「近鉄しまかぜ」の話しを挟んで11月7日からは赤川鉄橋の流れで行った「EH10」。そして一昨日からは新大阪駅での「ドクターイエロー」との出会いをUPしてきました。何れ劣らぬ強豪ぞろいと言うか美人ぞろいと言うかはたまたメインディッシュはどれだったのだろう?と悩んでしまうような豪華な一日でしたが、その前に行ったのが来年4月6日(日)に営業を終了する「交通科学博物館」。

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実は私にとって初「交通科学博物館」。自分でも何でこれまで来なかったのだろうと思うほど大阪には来ており、その来阪歴は仕事を含めて30回はあるはずですし、また大阪環状線で弁天町を通ったことも10回はありそうです。そもそも名古屋~新大阪~大阪~弁天町~大阪港⇒海遊館とこの駅で乗り換えて移動したこともあります。

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弁天町駅のホームから見た屋外のD51の展示。そこには幼稚園(保育園?)の子供たちが遠足だと思うのですがやって来ていました。でもそれはほんの序章にしか過ぎませんでした。

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さて館内に入ってまず目に飛び込んできたのはリニアモーターカー・マグレブ「ML500」。

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「JNR」の赤い文字を眩しく感じました。

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0系新幹線第1号車。「SHINKANSEN」は世界の高速列車の先がけ。ここで感想を少し。リニアはまるで海中探査船のようなデザインに思えました。ではなく、リニアと0系がこうして並んでいるのを見ると、ベースのデザインは似ていると感じました。

 

2013年11月11日 20時21分

幸せの黄色い電車「ドクターイエロー」。

さてこの時間、20番線には500系が停まっていました。16:38発のこだま753号です。

そして22番線には16:22発のさくら567号。

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そこで700系ドクターイエローとN700系、500系の先頭車の並びを撮影するべく早目にこの場所まで戻り、まずは場所探し。ドクターイエローの先端部分が柵にかからないことを最優先にしたので、500系は停車中なのが分かれば良かろうと割り切り、先端部分を画面に入れるのを諦めました。それでもここまで走ってくるとそこそこのスピードが出ており、シャッターチャンスは瞬間なので、久しぶりに緊張しました。

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振り返ってホーム反対側から新大阪駅を出ていく「回送 980号」を撮影。

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撮影後は16:27発の「のぞみ」に乗車し、名古屋に戻りました。俗にスモール“A” と呼ばれているN700Aへの初乗車でした。

2013年11月10日 20時17分

10月17日(木)最後のイベント、ドクターイエロー。

新大阪駅23番線に15:48頃到着。阪急「淡路」を出て17分後でした。

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目的の列車は新大阪発16:20の「回送 980号」。知っている人は知っているドクターイエローです。

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入線は16:12。京都よりのホーム端には私の先客が二人おられ、その方たちの間にレンズを入れて撮影しました。編成が7両と短いため、もっと手前に来たところで撮影した写真もあるのですが、その段階では後ろの車両は先頭車の陰に隠れてしまいました。

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編成が短いということでドクターイエローは博多よりに停車。そのため早足でその場所に向かいましたが、既に待ち構えていた人たちが交代しながら記念写真を撮影していました。

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その合間をみて私も撮影。

2013年11月09日 20時29分

阪急「淡路」から東海道新幹線「新大阪」駅に移動。

阪急「淡路」から15:31発の「梅田」行き普通に乗車。

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何年振りの乗車かが思い出せない阪急。西院から河原町まで乗ったような…。「阪急マルーン」と呼ばれるこの独特の色はシックで品があり、本当に素敵です。どんなに急いでいても駆け込み乗車はせず、ゆったりと乗り込みたいですね。ところで「阪急マルーン」と言う言葉がWikipediaの項目にあるのを発見。流石です。えっ?何故Wikipediaを検索したかって?「阪急マルーン」という呼び方で良かったかな?と確認で検索したらそれを見つけたのです。

 

ホームに流れる駅のアナウンスの「OO号線」という言い方はやっぱり慣れないけど、その分、旅気分はたっぷり。

「南方」で下車し、目の前にある大阪地下鉄御堂筋線の「西中島南方」駅へ。名古屋の地下鉄で言えば、「丸の内」や「今池」の乗換よりよっぽど移動距離が短く、同じ駅名にしてほしいと思っている人は多いはず。(地元では今更かもしれません)

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「新大阪」行きに乗車し一駅。

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「新大阪」駅についてから「西中島南方」に停車中の電車を撮影。

「ンーッ。歩いても知れた距離だったか…」等と思いつつ、新幹線ホームへ急ぎました。

2013年11月08日 20時32分

EH10という電気機関車。

EHの「H」という事ですから動輪は8個。

その特徴ある面構えをフェンスの間にカメラのレンズ部分を突っ込み撮影。コンデジだからこそのなせる業ですが、網の影がくっきりと映り、かえって侘しさが募ってしまいました。

日が当たっていなかった方のエンド。見るからに国鉄ヘビー級チャンピオンと言いたくなる重そうな感じです。

連結部分。珍しいというか面白いというか、独時の構造となっており、棒連結器は想像していたよりに細く思えました。

この写真が私のアルバムに残る唯一のEH10。静岡県の弁天島駅での撮影で、昭和44年(1969年)の高校2年の遠足時のものです。

何でこの角度で1枚だけ残っているのかは思い出せません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!