2013年10月28日 20時15分

明治村の蒸気機関車9号。

東京駅では12号は見当たりませんでしたが9号に火が入っていました。

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普段は非公開のこの機関車、特定の日に何度か公開になっているのですが、ここまでちゃんと走るとは思っても見ませんでした。

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ちゃんと煙を吐いていますし、何と大きく吹かした時には、蒸気に交じって石炭の燃えカスも大量(機関車が小さいので実際にはそれほどではありません)に吐き出しました。そのおかげで頭から水蒸気と黒い小さなツブツブの洗礼を受けたのですが、それだけで幸せな気分になってしまうのは何故でしょう?

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私がSL東京駅にいたのは20分足らず(14:30~14:50頃)でしたが、その間、機回し線から本線と、何度も何度も往復していました。

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家族連れの方たちも熱心に記念写真を撮って戻られていきました。

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肝心の12号は車庫の中。どんな状態だったのでしょうか?

2013年10月27日 20時16分

明治村・蒸気機関車12号は臨時休業中。

10月17日(木)の大阪話しが全然進んでいないのですが、10月26日(土)の物館明治村を続けます。

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「SL名古屋駅」の時刻表の上の張り紙。「…運転を休止…」の文字。

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〔人影の見えない名古屋駅。〕

明治村に行った前日の25日(金)、明治村のHPには『蒸気機関車12号運休のご案内(10/25~)』が掲載されていました。その内容は・・・。

「10月24日の点検の際、車輌に不具合が見つかったため、緊急に修理を行います。

この修理に伴ないまして、当面の間、SL12号の運行を休止させていただきます。

お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承くださいますよう宜しくお願い申し上げます。

なお、運行再開につきましては、運行開始日が決まり次第、ホームページにてご連絡させていただきます。」とありましたが現時点(27日午後8時)ではまだ修理が終わっていないようです。

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所在無げな3両の3等客車。

とまあそういう事でしたので、12号の様子を一応見て行こうと思い、車庫のあるSL東京駅を目指しました。

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六郷川鉄橋に静態保存されている尾西鉄道蒸気機関車1号を高台から見下ろしつつ足を速めます。

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明治村は仕事で何度も来ているのですが、いつも取材場所にピンポイントで出かけており、昨日の様に村内を一周したのは一体いつぶりでしょうか?

1970_04_29明治村_2

因みにこの写真は1970年(昭和45年)、高校の遠足で出かけた時の1号の写真。(2012年9月6日にUPした写真を再掲)

2013年10月26日 22時11分

「スギテツ」in明治村。

今日(10月26日)は「スギテツ」さんのコンサートが博物館明治村で開かれました。それも今回は「名鉄ブラスバンド部」の方たちとの共演。

2013_10_26明治村/スギテツ

この写真は2回あったコンサートの内、11:30からの1回目の模様で、実は私はこの時間に間に合っておらず、名古屋鉄道のUさんが撮影されたものをメールで送ってもらいました。

この回は、本当は「SL名古屋駅」で行われる予定だったのですが、台風の通過の影響を受け、「市電名古屋駅」に場所を変えてのコンサートとなりました。

で、私が明治村に到着したのは午後1時。

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取り敢えず13:30~の2回目のコンサート会場であった「聖ザビエル天主堂」に向かいました。

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中は荘厳そのもの。

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今回は「鉄」&「クラシックを遊ぶ音楽実験室」だけではなく、教会と言う場所に合わせて『クラシック』も選曲されており、生のピアノ・バイオリンの音色は、教会という建物の独特の反響と言うか余韻もあり、私は心安らかにしばしその空間の時の流れに酔っていました。

ところで今回のタイトルは「スギテツ コンサートwith名鉄ブラスバンド」。前半は「スギテツ」さんのお二人の演奏で、後半は名鉄ブラスバンド部の皆さんとの共演でした。その最初の曲は、中京競馬場で開催される「名鉄杯」の時に名鉄ブラスバンド部によって演奏される「(パノラマカーの)ミュージックホーン」をアレンジしたファンファーレ。私は初めて聞きました。良いですねえ。

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演奏を終えた「スギテツ」さん。余裕が見えます。

来年の3月30日には名古屋市芸術創造センターでの『~クラシックで遊ぶ名曲選~スギテツ10周年記念ツアー』開催が決定しています。

2013年10月26日 20時06分

赤川鉄橋(赤川仮橋)のんびりと…、そしてウヤ?それとも。

午後2時から2時半過ぎにこの橋を通過する1092レと3082レ~5087レは、運転本数が少ないこの線にあって効率よく撮影できる2本とあって人気があるそうです。

その待ち時間の間は、天気が良ければ下流側の風景を撮影したり、

上流側の風景を撮影したり、

時には「鉄」の構造物から空を仰いだり、

大阪・伊丹空港に着陸する飛行機を眺めたり、

でも待てど暮らせど3082レ~5087レはその姿を見せず、午後3時を回ったところでギブアップ。

18連の美しいトラス橋を後にしました。それにしても1本だけでも撮影できたから良かったのですが、撮影できなかった人もいたのでは?

ウヤ(運休)になったのかそれとも前日(10月16日)の台風の影響による大幅遅れだったのかまでは分かりませんでした。

※ギブアップを決断したのは、橋の北端にいた大型機材を持ち込んでいたテレビクルーが撤収を始めたからです。

2013年10月25日 21時13分

赤川鉄橋(赤川仮橋)渡り初めそして渡り納め。

次の狙いは3082レ~5087レ(北海道・北旭川発百済貨物ターミナル行き、吹田貨物ターミナル発14:22)。ここには14:32頃に現れるはずです。

そこで橋の半ばで撮影すべく、赤川鉄橋(赤川仮橋)渡り初めそして渡り納めを始めました。

橋の北端から見た城東貨物線の線路。

約610メートルの距離感は長く感じます。それにしてもこの風景の素晴らしさは筆舌に尽くし難いものがありました。

2013年10月24日 21時07分

赤川鉄橋(赤川仮橋)貨物列車通過。

この瞬間を待っていました!

橋を渡る貨物列車の速度は思いのほか遅く、振り返って一枚。

もう一度橋の方を見て一枚。長大な貨物列車をこんなような手を伸ばせば届きそうな距離で見たのは初めての様な気がしました。

もう一度振り返って最後尾を見送り。

私は乗り鉄ですので、貨物線での撮影は生まれて初めてのこと。まして葬式鉄(とはちと違う?かな)に出かけたことは殆ど無い(無いとまでは言いませんが…)のですが、ここ赤川鉄橋だけは『併用橋』という珍しい形態のため、もう何十年も前から行ってみたいと思いつつなかなか行く機会がありませんでした。「渡れなくなる」が私を後押ししてくれました。

2013年10月23日 22時04分

赤川鉄橋(赤川仮橋)貨物列車との出会いの一瞬。

“大阪名物”「赤川鉄橋」の銘板は「赤川仮橋」となっていました。さてこの橋が有名なのは全国でも珍しい鉄道と歩行者の共用橋だからで、その風景を目指してこれまでも多くの「鉄」ちゃんを集めてきました。

「赤川鉄橋」=「淀川橋梁」は大河である「淀川」に架けられており、そもそも複線の線路が敷ける橋なのですが、これまではそこに単線の線路があっただけで、もう単線の部分を利用し、人(自転車を含む)が渡ることが出来るようになっていました。しかしこれまで貨物列車専用だったこの城東線は旅客列車も走る線として生まれ変わることになり、今月限りで「人の道」が閉ざされることになりました。

人が歩く部分を下から見たら板張り。大阪市交通局のHP「大阪ディープスポット(赤川鉄橋)を紹介します」によれば、昭和4年(1929年)からもう80年の歴史があるそうです。(検索でこのHPを見つけた時は笑えました)

さて14時頃近くなり、EF200-4が牽く1092レ(佐賀・鍋島発百済貨物ターミナル行き、吹田貨物ターミナル発13:50)が見え始めました。私のいた橋の南端だけでも20人近くの同業者+市民の方がおられ、橋の上に50人近くはいたような気がしました。平日(木曜日)の日中にも関わらず…。もっとも私もそこにいたのですから人のことは言えませんね。

2013年10月22日 21時55分

赤川鉄橋(赤川仮橋)への道。

 

今話題の大阪市にあるJR貨物城東線「淀川橋梁」。通称の「赤川鉄橋」の方が地元の方、「鉄」ちゃんには通りが良いでしょう。

そこに向かったのは10月17日(木)。突発的に休みが取れたので躊躇なくそこを目指しました。

午前中に訪れたところはまた改めて書きますがそれはともかく、JRの「大阪駅前」を12:58発の大阪市営バス34系統「守口車庫前」行きに乗車し、20分ほどで「赤川三丁目」に到着。出かけるまではこの移動が結構心配の種だったのですがバスは10分も待たずに次々来るのでこの点はホッとしました。

バス停から赤川鉄橋までは歩いて10分もかからないはず。ノンビリと商店街を抜けて行きました。

※食堂や喫茶店もあり、そこに入ればトイレも使えます。(大切なことです)

なお赤川鉄橋の近くにはトイレを借りられそうな場所は無さそうでした。

「おおさか東線」の工事現場を横目にひたすら歩きます。

と、突然目の前にバス停!「聞いてないよ」状態でしたが、京阪バスの「都島区」内を走るバスで、「赤川3丁目北」には地下鉄都島駅(谷町線)からアプローチは出来るのですが何せ1時間に1本で、現実的にはやはり「大阪駅前」からのバスが便利です。

いよいよ「赤川鉄橋」が見えてきました。自転車の方が坂道を登っていました。

列車の通過までまだ30分以上あるのですがもう先客の姿が見えました。

2013年10月21日 20時36分

東日本大震災からの復興と風化(20)鉄道が繋ぐ。

「浜吉田」16:14発の「仙台」行きは「名取」着16:39。

名取発16:40の快速はホーム反対側からの出発とあって余裕で間に合い、走り出した電車は津波で水没したトンネル区間を通り過ぎ、その直後に仙台空港駅が目に入ってきました。

9月25日(水)に仙台空港駅から電車に乗った時とは全く違う想いが胸を去来していました。

金・土の2日間、被災地を回ったことで私の中の「風化」を思い知らされたからかもしれません。

9月27日(金)の「仙台」駅。煌々(こうこう)と輝くその姿は「復興」を感じます。でも仙台の街を少し離れればとても「復興」とは言えない現実が横たわっています。どちらも今の宮城県です。

「忘れない」だけでは記憶は「風化」すると思います。私が今回書いた20回は、せめて自分自身の記憶の風化を一時的でも止めるための選択でした。

長い期間お読みいただいたことに感謝します。

2013年10月20日 20時33分

東日本大震災からの復興と風化(19)ボタン式半自動ドア。

「東日本大震災からの復興と風化」というテーマからは全く離れますが、今回の宮城県の「鉄」旅で、どうにも慣れなかったのがボタン式の半自動ドア。

車体の外のドア横にはボタンがついており、停車中にボタンを押すと扉が開きます。

ポチッと押すだけですが、ドアの前で「何でドアが開かないのだろう?」と思ったことは何度かありました。

車体の外は「開く」ボタンだけですが、車内には「開」と「閉」があり、当たり前ですが「閉」のボタンを押せばドアは閉まります。

冬の寒い時期にドアを閉じるのは分かるのですが、私が乗車した暖かい日でも乗客の皆さんは、乗れば「閉」。降りる人がいなくなれば「閉」。きっと習慣なのですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!