2013年07月03日 21時35分

ドイツ「鉄」旅2013。

先月(6月)9日(日)から20日(木)までの12日間、ほぼ全日程ドイツの「鉄」旅をしてきました。

早目の夏休みという事なのですが、プロフィールにもあるように定年を控えていることもあり、2週間の連休を頂きました。所属部署の皆さんが協力してくれたからこその休暇でした。(感謝)

さて今日の写真は「鉄」旅で撮影した中から3枚をピックアップ。

1)モリー鉄道(ドイツ北東部)

2)ヴォルタースドルフのトラム(ベルリン)

3)腕木式信号機(ドイツ南西部の町、カールスルーエ)

です。詳しくは明日からの連載で紹介します。

ところで日本の多くの鉄道愛好家にとって、海外の鉄道への興味は比較的薄いと聞いています。鉄道趣味誌でも海外の鉄道を中心に特集を組んでいるのをあまり見かけません。

私自身は、勿論、日本国内の鉄道への興味が中心ですが、海外の鉄道も好きです。特にトラム&ナローへの好奇心は止まることはありません。ということで今日から暫く12日間の「鉄」旅話しを書かせていただきます。お付き合い下さい。

ただあまり細かい解説や各種データの使用は、私自身が持っていないこともありますが、そもそも地名を含めて馴染みが薄いでしょうから、今回は『紀行』風に纏めてみたいと思っています。こう書くと中身の薄さの弁解に聞こえますね。その通りです。(お詫び)

連載は一か月を超えるかもしれませんが、「こんな街があるんだ」「へえーっ、面白い列車だね」「交通システムの考え方が違うね」などなどをお楽しみいただければ幸いです。

2013年07月02日 20時16分

日本最東端の駅・東根室(15)北海道土産。

5月12日から一か月以上にわたって書いてきた北海道シリーズも最終回となりました。実質3日間の旅を延々と綴ってしまいましたが書ききった感があり(自己)満足しています。

今回のお土産は右から

1)トロッコ王国美深の通行手形

2)トロッコ王国美深のキーホルダー(王国の主、フクロウ)

3)「日本最東端の駅 ひがしねむろ」のマグネット

4)「日本最東端の駅 ひがしねむろ」のストラップ

5)りくべつ鉄道のピンバッジ(1)

6)りくべつ鉄道のピンバッジ(2)

他にも買いたいものはあったのですが買うと「重いで~」ということで、思い出をいっぱい持ち帰りました。なんてね。

こちらは「くしろ湿原ノロッコ号」の車内等で売っている“鉄道”羊羹。個別パッケージは「SL冬の湿原号」「特急スーパーおおぞら」「流氷ノロッコ号」「くしろ湿原ノロッコ号」「キハ40系777」となっており、「キハ40系777」は2429D絡みということでJR北海道釧路支社の名物列車が揃っています。写真は表側ですが、実は裏面のイラストもGOODです。

一方こちらはJRの駅で配布されているパンフレット類と新聞に掲載された釧路の鉄道関連のスクラップや太平洋石炭販売輸送の手作り撮影地ガイド。中でも北海道新聞(道東版)「再発見 釧路炭田 炭鉱と鉄道シリーズ」は読み応えがあり、名古屋にいては読むどころかその存在を知ることも無かったでしょう。その内容は釧路市立博物館の学芸員の方が連載された、タイトル通りの釧路の炭鉱と鉄道についての研究です。まとまったところで北海道新聞から是非、出版してほしいと思っています。

実はこれ、私が収集したものではなく『今シリーズ(2)釧路駅。』の時にも紹介させていただいた釧路臨港鉄道の会の会員Sさんが私のために用意してくれたもの。Sさんは地元の鉄道に関しての資料収集を継続的にされており、地道で継続的な活動の必要性は分かってはいるモノもののなかなかできないことです。もう一つおまけ、“鉄道”羊羹もSさんのお土産です。(多謝)

かくして5月11日(日)、雨の釧路をあとに名古屋に戻りました。

 

 

2013年07月01日 20時15分

日本最東端の駅・東根室(14)秘境駅「初田牛」。

秘境駅ランキング13位の「初田牛」。1面1線のシンプルな構造です。

根室行き乗車時は快速列車でここは通過。列車のスピードが速かったこともあって帰りに撮影すると決めていました。思いの他立派なプレハブの待合室が意外でした。ブログ「秘境駅へ行こう!」に書いてあった通りで、情報の信頼度はAAAと私は信頼しきっています。

今シリーズ(4)では茶内駅の銭形警部を紹介しましたがそのお隣の「浜中」駅では主役の『ルパン三世』が出迎えてくれます。

往路の快速「ノサップ」もこの駅に停車しているのですが、ボーっとしていて列車が走りだしてルパンに気付いたのと言うのが顛末でした。

2013年07月01日 11時34分

このブログをご覧になっている皆様に。

ご報告です。

私が更新しているこのブログ「 稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」で受け付けています「みんなの書き込み」ですが、当面その受付けを休止させていただきます。HPでは「みんなの書き込み」の表示は出ますが、書き込みのフォームは表示されません。

 

皆様のメールアドレスには日々、様々なスパムメール(迷惑メール)が届いているかと思いますが、この書き込みにも毎日、多くのスパムが書き込まれます。その件数がこのところ増加傾向にあり、遂に一日170件を越える事態も発生しています。そのため、しばらくの間「みんなの書き込み」をお休みすることにしました。

現在、スパムを取り込まなくても済む方法がないかをシステム担当者と相談しております。何とか再開をしたいと模索しておりますのでしばらくご容赦を頂きたく存じます。

なお、日々のブログの更新はこれまで通り行っていきます。

2013年06月30日 19時12分

日本最東端の駅・東根室(13)東根室駅から乗車。

東根室でワンマンの列車に乗り、降車駅で清算するより手元に残る乗車券が欲しくて、根室駅にて「東根室」~「釧路」間の乗車券をあらかじめ買っておきました。

実はこのブログの受け狙いで、北海道に出かける前にこの乗車券を名古屋で買っておこうかとつまらないことを一瞬ですが考えたことを白状しておきます。まあ一応順当なところに落ち着きました。

いよいよ「東根室」駅から乗車する時間が近づいてきました。この写真は16:01の撮影。

更に列車は近づいてきましたが、この駅の線形を知らない人が見ると、この写真はまるで鉄道用地に立ち入って撮影したみたいに見えます。実際には駅がカーブしているところにあるため、ホームでちゃんと撮影しています。

この駅のホームで列車を待っていた時、私以外に乗客がいてビックリしました。1人の女子高生で、ホームに佇んでいる雰囲気があまりにも良かったので思わず撮影させてもらおうかとも考えたのですが、それはそれで結構怪しいオジサンになりそうなので止めることにし、事情を説明して写らない場所で待ってもらうことにしました。と言ってもほぼ乗車位置でしたが…。いやあやっぱり利用者はいるんですね。根室市街地にある駅ですからまあ当たり前ですね。

2013年06月29日 20時10分

日本最東端の駅・東根室(12)雨宿りに最適、歩行者通路を発見。

「東根室」駅は自分が勝手に作り上げていたイメージと異なり住宅街の中にあります。

その入り口は2車線の道路にあり看板も出ています。

看板をUPにするとこんな感じ。「日本最東端の駅 JR 東根室駅 100m先」とあり、どこからどう見ても観光地の案内っぽいですね。

この看板から駅の方に向かうと、駅の周りだけ哀愁が漂っています。

ところでこの駅にはトイレが無いのは当たり前だとして駅舎もなければ北海道でよく見かける列車待ち用の“改造貨車”もありません。5月10日の根室地方の天気予報は、前日までは「雨」で、当日になって曇り時々雨まで持ち直したものの結構ドキドキ。しかもこの日の気温は8度で結構寒い!

さて万が一に備え、風雨をしのぐ場所がないものかと周りを散策していたら築堤となっている根室本線の線路を潜る道「東根室地下道」を発見!「地下」でもないのに「地下道」はないだろうと思いつつ、地下道の入り口にあった「チカンに注意」の看板には妙に納得させられました。

この地下道の場所はホームの階段を下り、昨日UPした記念碑の先、20メートルほど行ったところです。雨の時はここで到着の1分前までいても大丈夫そうです。但し、雪の日は2分前には出た方が良いでしょう。

「東根室地下道」で検索すると結構ヒットしますが、『雨宿りの場所』と言う見方は無さそうでした。

ひょっとして日本最東端の地下道?

2013年06月28日 20時07分

日本最東端の駅・東根室(11)東根室駅に到着。

やって来ました「東根室」駅。昭和49年は通り過ぎただけで今回、初めての探訪となりました。

観光タクシーは原則、根室駅発着とのことでしたが柔軟に対応していただけました。発車の20分ほど前の15時40分頃に着きたいとお願いしており、予定通りの到着でした。またタクシー移動のおかげでこうして記念写真も撮影できました。

「日本最東端の駅 ひがしねむろ」の記念碑の横にある何故かホームに背を向けて立つ駅名標に単純に面白いと思ったのですが、列車に乗らない観光客の訪問も多いとのことで、狭いホームでは記念写真が撮りにくい(危ない?)のでこんな格好になっているのかも知れません。

また北海道と言えば旅するライダー(オートバイ)が多いのですが、タクシーの運転手さんによれば根室駅からタクシーでここまで来て列車で根室駅まで戻るライダーも結構いるそうです。何となく納得です。

ところでホームにある駅名標ですが、そこの裏面には『東根室駅中心 滝川起点444K780m…』の文字がありますが、滝川起点では442.3キロのはずでさてこの数字は???

なおこの駅名標は間違いなくJR北海道が作ったものです。因みにホームからは絶対に見えません。駅外から見られることを意識しているとしか思えませんでした。

ホームから釧路方面を見るとこんな感じ。

逆の根室方面はこんな感じです。

2013年06月27日 20時06分

日本最東端の駅・東根室(10)根室半島の自然。

昨日に引き続き「鉄」分の無い話しです。明日からは鉄道話しに戻りますが、これも「鉄」旅ということでお付き合い下さい。

納沙布岬までの道が太平洋側とオホーツク海側の2本あることを今回知りました。路線バスは太平洋側を走っており、タクシー等の車でないとオホーツク海側を走る事はないでしょう。

そのオホーツク海側にあるのが北方原生花園です。花のシーズンには100種類の花が咲き揃うとのことでしたが、如何せん5月10日時点は原生花園の「花」の時期ではなく、かろうじて湿原の水芭蕉(テレビ放送では植物はカタカナ表記が原則ですが、私は漢字が好きです。)が咲きかけていただけでした。

その湿原にツルが!

タクシーの運転手さんが最後に案内してくれたのが根室港。サンマの季節になるとニュースでよく見かける港ですが、そこには「えとぴりか」号が停泊していました。「エトピリカ」というのは根室半島から北方領土で見られる海鳥だそうですが、船の方は北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)とのビザなし交流事業等に使用する船舶で、総トン数は1,124トンの大きな船。昨年デビューしたばかりの新造船です。(「ピリカ」とはアイヌ語で「美しい」の意)

昨日UPした納沙布岬には「北方館」という北方領土に関する展示館もあり、根室に来ると北方領土問題と向き合うことになります。今回、納沙布岬からは歯舞群島は島影らしきものが見えた程度でしたが、昭和49年に来た時は沖を流れゆく流氷の向こうに真っ白な歯舞の島々が見えていました。はっきりと覚えています。

2013年06月26日 20時03分

日本最東端の駅・東根室(9)納沙布岬から北方領土を臨む。

「根室」に13:08に着いて帰りは「東根室」発16:02。「東根室」から“乗る”ことだけが目的なら、乗ってきた列車の折り返しが「東根室」発13:52。東根室まではタクシーでも5分ほど距離とのことでしたのでそれも良いかと思ったもののあまりに勿体ない。そこで納沙布(ノサップ)岬に行くことにしました。昭和49年(1974年)2月18日以来です。

根室駅前~納沙布岬間には根室交通のバスもあり、その場合、根室駅前発13:15で納沙布岬着13:59。折り返しは15:10発で駅前着15:54。これだと東根室への移動リスクが大きく、その手段は諦めました。

それで駅前の観光案内所で納沙布岬までのタクシー代について聞いたら片道7000円程度とのこと。やっぱり「駄目だ」と思ったら「納沙布岬+北方原生花園を回って2時間で駅まで戻る観光タクシーはどうですか?」と勧められ10800円也のタクシー旅行をすることにしました。

納沙布岬に観光客の姿は全くなく、この写真はタクシーの運転手さんに撮ってもらいました。因みに納沙布岬の記念碑の上にいるカモメは生きています。

カモメの向こうにいるのは多分、オオワシ。自然が息づいています。

同じ場所から納沙布岬灯台方向をパチリ。

この日は北方領土歯舞群島貝殻島灯台が微かに見えました。画面で灯台が傾いて見えますが私の撮影が傾いているわけではなく、灯台そのものが今は傾いているとのことでした。

2013年06月25日 21時28分

祝!富士山の世界文化遺産登録決定。

遅まきながら祝!富士山の世界文化遺産登録決定。

まずは2008年(平成20年)11月5日の富士山。名古屋から仙台に向かう飛行機の中から撮影したものです。

 この日は好天に恵まれ、かなり長時間にわたって富士山を望むことが出来ました。

なお、鉄道が絡んだ富士山の写真を発掘することができませんでした。もっともそもそも撮っていなさそうです。

また今回の世界遺産登録に当たりめでたく三保松原が含まれたいうことで、今はなき国鉄清水港線「三保駅」の駅舎をUPします。1979年(昭和54年)9月16日の撮影で、この日は朝から二俣線、静岡鉄道と乗りつぶしをしていて、「新清水駅」からバスで国鉄「三保駅」にアプローチしました。

何せ清水港線は驚異の1日1往復しかなく、鉄道で往復するのは1日がかりとなってしまうためそれははなから頭にありませんでした。

乗車したのは668レで「三保駅」発16:14、「清水駅」着16:38。

「三保駅」の入場券。 1日1往復(朝:清水発三保行き、夕:三保発清水行き)しか走っていなかった超閑散路線にも関わらず有人駅でした。もっとも当時の清水港線は貨物列車が運転されていたのでそのために駅員さんがいたのかも知れませんが実際のところがどうなのかまでは分かりません。無責任極まりない情報をお許しください。

清水港線乗車後は身延線に向かいました。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!