2013年06月25日 20時01分

日本最東端の駅・東根室(8)東根室駅グッズ&緑色の日本そば。

最果てと言ったら根室の方に叱られそうですが、この駅は「最果て」の駅の雰囲気を持っておりホッとしました。実は稚内駅がすっかり様変わりしてしまい、私の持っていた「最北」のイメージからかけ離れ戸惑っていましたが、ここはイメージ通りでした。

その駅前にある根室市観光インフォメーションセンターの中には土産物屋さんもあります。

「東根室駅」グッズも販売しており、何かと買い込んでしまいました。昔(昭和49年)はこうしたグッズは無かったはず。

さて昼ごはんはどうしようかと思っていたら、少し歩いたところのおそば屋さんがあるということで早速向かいました。

注文したのは「かしわそば」。かしわ(鶏肉)について『歯ごたえがあり旨味の濃さが特徴です』とメニューに書いてあったので選びました。

それより釧路・根室地方に「ある」とは聞いていたものの実物は見るのも食べるのも初めての“緑色”の日本そば。クロレラ入りとのことで味はさてと…勿体をつけるほどの事もなく、見た目の慣れはありますが美味しかったです。

2013年06月24日 19時56分

日本最東端の駅・東根室(7)根室駅到着。

13:08、3631D快速「ノサップ」は終着の根室駅に無事到着。乗客数は数え忘れましたが、少なくとも10人以上いたのは間違いありません。その数は果たして多いのか???

1面1線のシンプルなホーム。昭和の時代もこうだったっけ?と思いつつ、きっと当時もこうだったはずです。なお、ホームで撮影している少しの時間の間に方向幕は「釧路」に変わっていました。

「駅の先に線路は繋がっていません」といいつつ、この先にも線路があったらそのまま西に進んで行き、国道44号線沿いに厚床駅の方に行ってしまうことになります。それはそれで面白いと思うのですが、実現性どころか考える人も皆無でしょう。

さてホームには『日本最東端有人の駅「根室駅」』の看板があり、その右下には『日本最西端の「佐世保駅」』とありました。「ん?」。日本最西端はゆいレールの「那覇空港」駅のはずで、2本のレールでということなら松浦鉄道の「たびら平戸口」駅のはず。「佐世保」は『JRグループなら』という条件付きとなります。突っ込みを入れたくなる看板でした。それにしても「鉄」ちゃん以外の人は「日本最西端⇒佐世保」って信じる人、いるだろうなあ。

最東端の「有人駅」の駅名標には「東根室」の名があり、隣の顔出し看板には「日本最東端の街にようこそ!」でした。その不思議な組み合わせにどれほどの人が気付くのでしょうか?

ところでこの根室駅では「根室駅」だけではなく「東根室駅」の入場券、しかも硬券を売っていました。勿論買いました。

2013年06月23日 20時56分

日本最東端の駅・東根室(6)東根室駅通過。

厚床の次の停車駅「落石」駅が近づいて来たころ、車窓に太平洋が見えてきました。

この辺りの風景も本当に雄大で、撮り鉄スポットとしても知られています。それにしてもここで撮り鉄するのはさぞかし大変であろうと思いきや、この辺りの状況に詳しい知人から「国道から近い場所にいいところがある」そうで、原野の中を延々と歩くという事はないそうです。

「落石」駅は12:50頃到着。定時の出発時刻が12:50ですので途中で最大2分ほどあった遅れはもう無くなっていました。

交換列車は5632D。キハ54-521の単行。

そしていよいよ日本最東端の駅「東根室駅」とご対面。通過したのは13:05頃でした。降り立ったわけではないのでこの時点ではまだ『感無量』というところまで気分は高揚していませんでした。な~んて書いていますが、この一枚は他の乗客の視線も気にせず、かなり前から運転席横に陣取って撮影しており、私にとっては“渾身”の一枚です。

2013年06月22日 20時49分

日本最東端の駅・東根室(5)標津線乗換駅「厚床」。

花咲線の厚床駅。この列車は12:27の着発です。

ここ厚床駅にある珍しいモニュメント。『旧標津線分岐厚床駅』と書いてあり、そもそも廃線となった線名の分岐駅であることをこうして記録(記憶)として残している例を私は知りませんが他にもあるのでしょうか?

根室標津駅と泉川駅の入場券のことは後程。

標津線は昭和49年2月18日にまずは

*厚床発15:20、355D乗車

*中標津着16:25

*中標津発17:05、327D乗車

*根室標津着17:34。

翌2月19日、

*根室標津発9:00、326D乗車

*標茶着10:50

以上の足取りで完乗しています。

にも関わらず昭和52年の北海道完乗の旅の際に、釧路から根室標津まで釧網本線~標津線でわざわざ往復し、この2枚の入場券を買っています。根室標津に行った理由は残っている写真からすると恐らく白鳥と流氷を見に行ったものと思われます。「鉄」だけではないのんびり「旅」だったようです。

2013年06月21日 20時41分

日本最東端の駅・東根室(4)快速「はなさき」と茶内で交換。

釧路駅を出て1時間余。

茶内駅でこの列車初の交換。お相手は3630D快速「はなさき」。私の乗っていた「ノサップ」はこの写真の撮影時点で12:06となっており、既に出発時間となっていました。

キハ54-514の単行で、この写真を撮った時はまだ気付いていなかったのですが、何気なく覗いた車内はガラガラ。というか一体何人の乗客がいたのでしょう?私が5月8日に乗った宗谷本線の列車並みだったような気がします。

そうそう、花咲線には「ルパン三世ラッピングトレイン」がありますが、これは「ルパン三世」の作者モンキー・パンチさんの出身地が北海道浜中町であることに由来しています。ここ茶内駅の1番のりばには銭形警部の看板が設置されていました。カッコいい!

ところで花咲線の快速ですが、同じ区間の快速にもかかわらず2つの名前があります。それがこの駅で交換した「はなさき」と「ノサップ」です。それにプラス「はなさき」は上りと下りで停車駅が異なります。何れも珍しいパターンだと思います。如何でしょう?

2013年06月20日 19時38分

日本最東端の駅・東根室(3)快速「ノサップ」乗車。

さて、いよいよ3631D快速「ノサップ号」で根室に向かいます。

キハ54-518の単行。11:03の定時に出発しました。釧路駅の充実過ぎる時間を終えて、何とか座席でホッとしました。クロスシート席にほぼ1人ずつ座る位の乗車率で、並行する道路にバスが走ってはいるモノの時間ではJRの方が優位に立っており、かつこの列車は札幌からの一番列車「スーパーおおぞら1号」の接続列車でもあり、ガラガラでなくと良かったというのがその時の本心でした。

11:45頃、「厚岸」駅が近づいてきて海が見え始めました。何だか理由は分かりませんが、私は車窓に海が見えると旅気分が高揚します。

厚岸駅には2分ほど遅れての到着。その厚岸駅でヘーッと思ったのが島式ホームの駅舎側に近い線の更に駅舎側にもう一本ホームがあること。

このホームは以前からあったのではなく、旅客サービスのために作られたとのこと。つまりこの列車が入る線には両側にホームがありますが、左側のホームのドアは開きません。Wikipedia「厚岸駅」に詳しく出ていたのですが交換列車が無い場合は通常、この線路を通り駅舎に直結のホームを使用しているそうです。旅客サービスとしてはGOODですね。

厚岸駅を出た後は、しばし湿地帯の中を通ります。名古屋界隈では見ない独特の風景に目が離せません。(ラムサール条約登録湿地;厚岸湖・別寒辺牛湿原)

それにしても愛称の「花咲線」の元となった『花咲』の地はまだまだ先です。

2013年06月19日 20時36分

日本最東端の駅・東根室(2)釧路駅にて。

4001D特急「スーパーおおぞら1号」は釧路駅に定時の10:51に到着。

ここから私は3631D快速「ノサップ号」に乗り換えですが、その時間は僅か12分。でもこの12分は大忙しでした。

まずは9332レ、10:56発の「くしろ湿原ノロッコ2号」。釧路駅でノロッコを見るのは初めてです。列車自体は平成19年(2007年)10月6日、細岡~塘路の1駅ですが乗っています。

そして出発間際の車内をパチリ。ゴールデンウィーク明けの平日とあった空いていました。こういう日のあるんですね。

さらにこの日はこの時間、5番線に「ルパン三世ラッピングトレイン」が停まっており、ノロッコが出発したら「写真が撮れる」と思っていたら、ノロッコの出発と同時にこちらも出発。気付いた時には既にホームを離れており、釧路運輸車両所に引き上げるところを後追いで撮るのが精一杯。“ルパン”かどうかが今一つ判別できない残念な写真となってしまいました。

ところで「ルパン三世ラッピングトレイン」が停車しているの教えてくれたのは「釧路臨港鉄道の会」会員のSさん。実はこの日の夜、「釧路臨港鉄道の会」の方たちと会食をすることになっており、事前に私のスケジュールは伝えてあったのですが、それでわざわざ情報を持ってきてくれたのです。「ノロッコに乗ればホーム越しに撮れますよ」と言われていたものの、勝手にまだ大丈夫と思って撃沈しました。Sさん、すいません。

でもSさんのおかげで撮影できた一枚。ありがとうございました。

本来なら「釧路」という街は、分刻みで「鉄」活をするイメージは無かったのですが、平成22年(2010年)の2月に「釧路臨港鉄道の会」の方たちがボランティアで運営をしていたツアーに参加したことがあり、この時も太平洋石炭販売輸送の貨物列車の撮影も含め分単位で行動しており、その充実ぶりに最近、少々慣れてきた気がします。(笑)

2013年06月18日 11時32分

日本最東端の駅・東根室(1)帯広駅にて。

「JRイン帯広」に宿泊した理由は、まずは帯広駅の真ん前(隣?)にあること。

そして運が良ければ部屋から「根室本線」が見える事。

そしてこの日は運が良く鉄道ビューの部屋でした。列車は帯広8:26着2543D。

で、こちらは平成23年(2011年)7月13日に同じホテルに泊まった時の一枚。撮影したのは明けて7月14日で、列車は特急「スーパーおおぞら1号」です。宿泊した部屋は、写真から推察して今回の部屋より高い階です。なお、先回も今回も部屋のリクエストはしていません。皆さんが宿泊される場合は「鉄道の見える部屋」をリクエストされては如何でしょうか?

さてこの日は、2年前に撮影した「スーパーおおぞら1号」(帯広発9:21)でまずは釧路に向かい、最終的には日本最東端の駅・東根室を目指します。

シカのモニュメントがホッとさせる帯広駅のこの時点の気温は9度。暖かだった陸別とは打って変わってこの日は寒くなる予感がしました。(駅前に温度計があり、この写真でも米粒程度に写っています。観光客としては冬の気温の方が興味ありますね)

ところでここ帯広駅の駅前広場にはレールが埋め込まれています。確認したわけではないのですが、『新』帯広駅ではなく、建て替え前の『旧』帯広駅では確かにこの辺りに線路があったと思います。札幌、旭川、帯広と新駅舎に変わって綺麗で便利になるのはいいのですが、街から少しだけ遠くなっています。ただ他の選択肢があったとは思っていませんが…。

2013年06月17日 19時28分

「忙中閑あり」ならぬ「鉄中閑あり」で帯広に名物あり!

平成25年5月10日は帯広に宿泊。夕方早い時間に「JRイン帯広」にチェックイン。(ここに宿泊した理由はまた明日)

取り敢えず荷物だけおいて向かったのは、「帯広と言えば?」というより「北海道土産!と言えば六花亭」と言われるほどの有名店の本店喫茶室。

そうなんです。六花亭の本店は帯広にあります。また喫茶室は北海道内に13店舗(調べました!)ありますが、折角なので本店にやってきました。写真は新製品と表示してあった「プレミアム25」と名付けられたチーズケーキ。以前「鉄」系の仕事でご一緒したことがある方が、今、帯広に住んでおられ、連絡をしたら時間があるとのことで、ここで暫し歓談することになりました。

やはり一人でこの店に入りケーキを注文するのは…、何事にも遠慮はしない私では、チト憚られます。あっ、ケーキの味ですが今までに食べたチーズケーキとは何かが違う・・・食感があり、とても美味しかったです。

その知人が私への「帯広土産」として選んでくれたのが『十勝トテッポ工房』というお菓子屋さんの「汽車ポッポサブレ」。蒸気機関車をかたどっているのがとても可愛くまたこちらも美味しかったです。因みに『トテッポ』というのは昭和50年代に廃線となった十勝鉄道の愛称とのことだそうです。

包装も可愛かったです。

「忙中閑あり」ならぬ「鉄中閑あり」で帯広に名物あり!

2013年06月16日 19時25分

りくべつ鉄道運転体験(9)ふるさと銀河線「足寄」駅。

りくべつ鉄道・銀河コースの運転体験に参加すると陸別町内の特定のお店となるのですが、商品券500円×2枚=1000円が付いてきます。また宿泊する場合は2000円分の補助もあります。私は宿泊していないのでこの商品券は、陸別駅にほど近いお蕎麦屋さん(美味しかったです)と道の駅でお土産の買い物に使いました。

さて陸別を出発し一路、帯広を目指しました。次の目的地は足寄。ふるさと銀河線の旧・足寄駅は「道の駅あしょろ銀河ホール21」となっています。

駅前にはさすが足寄!地元出身の歌手松山千春さんのモニュメントがあり、観光客の方がここで記念写真を撮っていました。私は誰かにシャッターを頼むことなく、この写真を撮影しただけです。(淋しい話し…)また道の駅の中には「松山千春」ギャラリーもあってこの町が「松山千春の町」ということを肌で感じることができました。

その道の駅の中にはここが“足寄駅”だった時代の線路が残されています。本当にここに線路があったそうですが、建物の中に忽然と現れるこの光景は違和感があるものの一方で面白さも感じました。

また「道の駅あしょろ銀河ホール21」の北側には木造時代の旧足寄駅舎を『復元』した多目的観光施設があり、そこにも線路の一部と信号機がありました。ここからは「道東道」経由であっという間に帯広到着。

旧地北線/北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線は以前、いつの頃かは忘れてしまい申し訳ありませんが、根室本線・宗谷本線のように路線の高速化により札幌~北見・網走間の都市間輸送に力を注ごうと言う具体的研究がなされたことがありました。結局、ふるさと銀河線は廃線となり今に至っています。私にとって、今回「りくべつ鉄道運転体験 銀河コース」に参加したことは「地方」というものを再度考える旅となったことは昨日書いた通りです。廃線となった線路に再び列車が走っていることは、趣味的には楽しい出来事ですが夢幻のような不思議な光景でもありました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!