2013年05月26日 13時32分

宗谷本線各駅停車の旅(8)秘境駅「糠南」。

秘境駅ランキング14位、宗谷本線では1位の「糠南」。

のんびりとした風景の牧草地の中の駅。申し訳程度の待合室(?)がご愛嬌ですが、冬場には乗客の生死に関わる存在でしょう。北海道の鉄道に乗り直しに来るようになるまで、秘境駅と言うのは山懐に抱かれた場所にあるか、森の中もしくは海岸縁にへばり付くように存在するようなイメージでしたが、平原の中の秘境駅も確かにありうると感じ、牛山隆信氏のランキングの面白さに改めて敬意を表した次第です。

「天塩中川」で61D特急「サロベツ」と交換。

この日の「サロベツ」は少々遅れ気味で、4334Dの運転時刻に影響を与えるほどではなかったのですが、原因は「ひょっとしてシカで急ブレーキ?」とか思っていました。

「天塩中川」で4331Dと交換。この4331D名寄発稚内行きは、音威子府駅で特急「サロベツ」に先を譲るため15:09~16:31まで1時間22分停車します。それだけ長く停車していれば音威子府駅名物「常盤軒」のそばが何杯も食べられそうですが、それでもきっと時間を持て余すでしょう。ほどほどというのはなかなか見当たりません。

4334Dの1分停車ではソバを食べることは望むべくもありません。

2013年05月25日 13時27分

宗谷本線各駅停車の旅(7)「Sohya」のステッカー。

右側に停車中の列車はキハ45 513の4333D稚内行き。左側に停車中の列車が正に私が乗っているキハ45 505の4334D旭川行き。

そのキハ45 513の車体に貼ったあったステッカー。デザイン化された『利尻富士』(多分…)と『Sohya』の文字の下には『NORTH LINE』、そして小さく『宗谷北線運輸営業所シンボルマーク』と入っていました。

その周りには漢字表記にすると名寄⇒美深⇒音威子府⇒天塩中川⇒幌延⇒豊富⇒南稚内⇒稚内といった駅名がぐるっと一周していました。何故かそこには名寄~旭川間の駅名がなく、元々はこんなステッカーがあるんだ程度でこの写真を撮ったのですが、読んでいて不思議に思えたのですが、それよりキハ45 505にはこのステッカーは付いておらずますます謎が深まっていきました。キハ45 513は「名寄」~「稚内」の限定運用車ということはあるのでしょうか?

キハ45 505で見つけたドアに貼ってあったステッカー。こちらは日本語&中国語と英語で書いてある注意書き。内容はワンマン運転時乗降用に開くドア位置を示すものですが、日本語より中国語が目立った感ありでそれだけ中国系の方の利用が多いという事なのでしょう。

写真は雄信内~糠南間の風景です。北海道の原野を走っている感じがとても良かったので一枚、パチリ!

2013年05月24日 19時22分

宗谷本線各駅停車の旅(6)幌延駅、運休の思い出。

降りしきる雪の中を黙々と歩く人たち。その光景に惹かれて撮影した一枚。(だと思う…)

灯火式の信号機の手前、恐らくホーム上ではないかと思うのですが、今一つこの写真のシチュエーションが分かりません。無責任で恐縮ですが、この日の雪の状況の参考なればとUPしました。この写真もまず間違いなくホームの屋根の下で構えていたはずです。

こちらは音威子府発稚内行きの333D(だと思う)。幌延には定刻ならば7:44でした。(実時間不明)

この雪の中、鉄道マンはポイント部分の雪かきを黙々と続けていました。

この後、1824D定刻8:02から羽幌線は動くこととなり、何と手元のノートでは定刻に幌延を出発しています。冬の北海道で雪害による終日運休も体験している私にとってはまずは動いて良かったといった気持だったはずです。

参考までに1824Dは旭川行きで、留萌から1816D急行「るもい1号」として運転されていました。昭和の時代は今や夢幻の世界です。

2013年05月23日 20時05分

宗谷本線各駅停車の旅(5)昭和52年の幌延駅。

昭和52年(1977年)2月12日にこの駅を訪れたのは明確に「乗りつぶし」で未乗の羽幌線に乗るためでした。

季節が違うのでしっかり雪景色の幌延駅ですが、この駅に到着したのは早朝の5:50。当時は、今と違って私は軟弱では無かった(?)ので、夜行列車を頻繁に使っており、この前日、函館本線「砂川」発定刻では22:44、実時間では23:44に317レ急行「利尻」に乗車。遅れは回復せず、一方で広がることもなく1時間遅れの5:50にここに到着しました。

さて本来ならここから5:10発の羽幌線850D留萌行きに乗車し留萌に向かう予定だったのですが、雪害のため運休。その次の4802D急行「はぼろ」札幌行きも運休。取り敢えずなす術もなくただ駅にじっとしていました。

ホームに停車中のDD14形ロータリー式除雪車の姿を捉えていますが、どのタイミングで撮影したかは覚えていません。ただ羽幌線の除雪をしたのではないかと言う確信が今もあります。

この写真は稚内からの338D(幌延着7:38)だと思います。(ノートに列車名が書いてないので…)そう思う理由は右端に写っている黒い影で、恐らくこれは跨線橋の柱。私は雪の中でカメラを構えていたとは考えづらく、ホームの屋根の下で狙っていた可能性が高いからです。

2013年05月22日 20時58分

宗谷本線各駅停車の旅(4)トナカイの里・幌延。

この駅で4329D名寄発稚内行きと交換。4329Dはここから4333Dを名乗ります。

15:14着の15:49発の35分停車。私の乗ってきた列車が38分停車ですので、長時間停車という事ではいい勝負です。停車位置表示の連続が面白かったのでこんな構図にしてみました。

ここ幌延町は「トナカイの里」として売り出しているようで、トナカイ観光牧場という施設があり、HPによれば中に入るだけなら無料とありました。

このブログではこの1枚だけUPしますが、駅だけで一体何頭のトナカイのイラストがあるか数えきれないほどです。

停車しているのは15:19発の「沿岸バス」留萌行き。幌延駅と留萌本線留萌駅を結んでいた国鉄羽幌線が昭和62年に廃止された後、代替バスとして誕生した路線です。稚内と名寄方向から鉄道で来た乗客と、ここ幌延からの乗客を合わせ10名程度が車内にいたような感じです。時間があればこうした『転換バス』の旅も良いかもしれません。

2013年05月21日 21時10分

宗谷本線各駅停車の旅(3)幌延駅到着。

北海道の車窓は、まさしく北海道にしかない風景の連続で、でも長く見続けていると却って『北海道』らしさってなんだろうと思ってしまいます。自分で言うのも何なのですが素直じゃないですね。

さて昭和52年(1977年)2月12日以来の「幌延」駅。最初にここを訪れたのは昭和49年(1974年)2月15日でした。稚内発8:02(定刻では7:56)の324レ(SL牽引)に乗車し、定刻では9:41着、9:48発(実時間は不明)だったのですが、ここで急行「礼文」との行き違いがあり、何せこの日の宗谷本線の列車は全体に遅れがちで、それで入場券を買う余裕があったようです。

先に書いた「稚内駅」の入場券の秘密がコレ。

幌延駅の入場券が切れていたようで、「幌延」の駅名印は結構レアものでしょう。柔軟な対応に拍手!但し、「幌延」駅の硬券入場券は手元にありません。

さて4332Dは15:12の到着で15:50の出発。またここから4334Dと名前が変わります。

この車内写真は、到着直後の15:12に撮影しましたが誰もいません。私のように荷物を車内に置いたまま外に出たわけではなく、見事にそれまで乗車していた全員が下車!

その後出発直前に2人の方が現れましたが、その日のテレビニュースでJR北海道の黒字決算の話題を放送しているのを見た時には、何だか複雑な気持ちになりました。

2013年05月20日 20時49分

宗谷本線各駅停車の旅(2)利尻富士と秘境駅。

南稚内~抜海(ばっかい)間では、海越しの利尻富士が見えるだろうと思い、そのために進行方向の右側に座ったのですが、ノンビリと風景を見ていればそんなことはすっかり頭の外へ。

突然目に飛び込んできた利尻富士にあわててカメラを取り出し、それでもこの写真が精一杯でした。ここから暫くは利尻富士が見え隠れしており、雄大な風景の中にいいアクセントになっていました。

宗谷本線は牛山隆信氏の「秘境駅ランキング」のベスト50に入る駅が7駅あります。南下する中での最初の秘境駅は第40位の「抜海」です。駅舎の向こうに人家が見えますが、それだけ。ちゃんとした駅舎が良い感じですが、煙突から煙が出ることはあるのでしょうか?何せ利用者は殆どいなさそうです。

順位は上がって第35位の「下沼(しもぬま)」駅。北海道でありがちな貨車駅ですが、牧草地と思われるまっ平な風景の中で、インパクトのあるワンポイントになっていました。

2013年05月19日 21時53分

宗谷本線各駅停車の旅(1)始発駅「稚内」。

何となくですが一般的に「稚内」駅は終着駅のイメージでしょう。

一昨日UPした“最北端”シリーズで載せなかったこの写真、木製の「日本最北端 稚内驛」の駅名標。いつからこの駅で、最果ての地で乗り降りする人たちを見つめてきたのでしょうか?

と書いてしまうのも「駅」が旧字体であることと全ての書体がどことなく古めかしく感じたからですが、もしも昭和49年に既にこの駅名標があったとすれば、厳冬の季節ゆえに駅で周りを見渡す余裕が無かったという事でしょう。

4332D、稚内14:12発旭川行き普通列車。ここから259.4キロの旅の始まりです。キハ54 505の単行。始発駅「稚内」で乗車したのは私を含め3名でした。さて何人が私と共に旅を続けてくれるのでしょうか?と言っても私は終着駅まで乗車しません。この列車にとっての2つ目の名前、4334Dの時に下車します。さて3人で始まった旅は、南稚内で1人下車し、5人が乗車で7人に増えました。南稚内はさすが宗谷本線の開業時の終着駅、また特急停車駅の貫禄ですね。

2013年05月18日 20時28分

日本最北端の駅「稚内」(7)来駅証明書。

稚内駅には「来駅証明書」があり、駅舎の写真といわゆる証明書は表裏となっています。

「日本最北端の駅に到着したことを証明します。」とは書いてありますが、列車ではなく飛行機で到着したので少々気恥ずかしくもありましたが、まあここから乗ることは間違いないので許される範囲でしょう。

その証明書は2枚の入場券を購入すると手に入ります。別に証明書がほしくて入場券を買ったわけではなく、硬券の入場券が欲しかったからです。という事にさせて下さい。この件についての優先順位はありません。(笑)

昭和49年2月13日、初めてこの駅に降り立った時に『30円』の入場券を買っていますが、そこには「日本最北端」の文字はありません。その稚内駅・・・の入場券は後日このブログで紹介します。さてその心は???

2013年05月17日 19時25分

日本最北端の駅「稚内」(6)最北端の看板あれこれ。

日本の東西南北の端っこにある駅にはそれぞれ工夫を凝らしたモニュメント等があります。では最北端の駅「稚内」はどうなっているのでしょう。

改築なったコンコースからホームを覗いたところに「最北端の線路」なる看板がまずは構えています。停車中の列車は私がこれから乗る14:12発の旭川行きです。

看板に話しを戻して、線路で囲まれた“タイトル”の下に書いてあるのは「最南端から北へ繋がる線路はここが終点です」とあり、その左右に『指宿枕崎線西大山駅』『宗谷本線稚内駅』の駅名とその駅の開業年月日が書かれています。

※「西大山駅」について、このブログでは2011年4月18日~連載。

改札を通りホームに入ったところにあるには「日本最北端の駅」(北緯45度25分03秒)の標識風のポール。

列車に乗ってこの駅に到達した時は、ここで「来たぞ」という気分になりそうです。

1面1線のホームに入り、左側にあるのは「北と南の始発・終着駅」「稚内 枕崎 友好都市締結平成24.4.28」の看板。稚内市と枕崎市が昨年友好都市となっていたとは知りませんでした。

先の写真の「わっかない」のホーロー駅名標の下はさすがに「枕崎駅」の名前がありましたが、こちらは「西大山駅より 3,095.0Km」となっていました。

私は稚内駅に「最北端」関連の看板類が一体いくつあるかは数えませんでしたが、誰か数えた人はいるのでしょうか?

参考までに5月14日(火)にUPした稚内駅の全景写真に写っている黄色い車止めにも「日本最北端の線路」と書かれています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!