2013年05月16日 21時24分

日本最北端の駅「稚内」(5)稚内港北防波堤ドームの北側。

北防波堤ドームの写真はよく見かけますが、その北側の写真を捜しきれませんでした。で、それを見にいこうと歩いていたら、消波ブロックで休んでいるカモメを見つけました。

旅のひと時です。

因みに消波ブロックと言うより、もっと通りのいい言い方があるのですが、登録商標ゆえ『消波ブロック』と書きました。放送局の公式HPですのでご了承ください。

さていよいよ北防波堤ドームの『北側』にご対面です。実はもう少し北まで歩いたのですが、“らしさ”を見せる選択として南に戻ってこの写真を撮影しました。

消波ブロックが山積みなので、稚泊航路の時代に思いを馳せるのはチト難しいのですが、目を閉じてイメージの世界でブロックを消し去れば、ドームに打ち付ける激しい吹雪が心の中で見えたようなで気がしました。

稚内駅に戻り、コンコースで北側を向いて立つ彫刻『KANE POPPO(カネポッポ)』をじっくりと見ました。

解説には「彫刻家 流政之の作品である 樺太が日本領領土であった時代 機関車の汽笛代わりに使われていたと伝わる 日本とロシア鉄道友好の証として最北の駅で旅人をむすぶ」とありました。

平成24年4月29日に除幕式が行われた新しい作品ですが、観光客らしい人たちが足を止めて見ているようにも思えず、ちょっと残念でした。なおKANEの詳しい話しはJR北海道のHPに出ています。

 

2013年05月15日 19時20分

日本最北端の駅「稚内」(4)稚内港北防波堤ドームは現役。

この姿は昭和11年当時のままとのことですが、昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ、昭和55年にその独特の景観が蘇ったそうです。

そこには稚泊(稚内の「稚」と樺太・大泊の「はく」で「ちはく」)航路記念碑があります。昭和45年に建立されており、その先にはC5549の動輪があり、ナンバープレートが埋め込まれています。

ここにいた地元の方と少しお話しする時間があったのですが、冬場、北からの風が強い稚内にあって、427メートルにもわたる風除けの存在は、市内では他にないこともあり、2月くらいからここでジョギングする人が結構いるそうです。物凄く説得力のある話しでしたが、2月の厳寒の中でのジョギングは、それだけで私には「無理」と思えました。

またここでキャッチボールをしたり犬の散歩をする人も多く、市民の憩いの場となっているそうです。

この日も、そうした方たちを見かけました。

この日の岸壁には海上保安庁の巡視船「れぶん」が繋がれており、稚泊航路で使われていたであろう船よりは小ぶりでしょうが、往時の雰囲気を垣間見た気がしました。

2013年05月14日 23時15分

日本最北端の駅「稚内」(3)稚内港北防波堤ドームへ行った。

5月8日(水)12:30前、日本最北端の駅「稚内」に到着。

そこをチラ見してまずは北海道遺産「稚内港北防波堤ドーム」を目指しました。

昭和11年(1936年)に完成し、今も凛とした存在感を示す「稚内港北防波堤ドーム」の概要について北海道遺産のHPから全文を転載します。

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稚内-樺太大泊間の旧稚泊航路整備の一環として、冬季の北西越波防止のために建設された半アーチ式ドーム。海上からの高さ14m、柱間6mの円柱70本を並べた長さ427mの世界でも類を見ない独特の景観と構造を持ち、港湾土木史に残る傑作であるとともに、旧樺太航路時代の記憶を残す歴史的遺産。設計者は、当時26歳の土木技師・土谷実。

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中に入ればそのアーチの美しさに圧倒されます。

ここに「稚内桟橋」駅があり、列車を降りた乗客はそのまま岸壁に横付けされた連絡船に乗りこみ、樺太の地を目指しました。

実は昭和49年にはここを訪ねていません。恐らくその頃はここの価値が今ほど観光的には宣伝されておらず、そのため観光客がここに足を延ばすことは少なかったのでしょうか?それとも冬であったので、寒さから街歩きを避けていたのかもしれません。

 

2013年05月13日 22時32分

日本最北端の駅「稚内」(2)昭和49年。

昭和49年2月8日、上野駅を20:50発の201レ急行「十和田2号」で旅だった私は、青森に翌朝9:30に到着(定刻は9:04)。

10:30発(定刻は10:15)の連絡船大雪丸に乗船し、函館の地に15:05に上陸しました。生まれて初めての北の大地、そこは白一色の世界でした。(もっとも東北本線から白一色でしたが…。)

最果ての地、稚内に到達したのは昭和49年2月13日のこと。

その前日、私は三浦綾子の小説「塩狩峠」(実際にあった鉄道事故を元にしていました)で有名となった宗谷本線「塩狩」駅近くのユースホステルに宿泊。

明けて2月13日、既に有名だった「ピップエレキバン」と同じ名前の駅名という事で知られていた宗谷本線「比布」駅まで、それを確認するためだけに一旦南下し、そこから11:52発(定刻11:46)の321レ(SL牽引)に乗車。美深に14:12(定刻13:56)に到着し、ここから303D急行「天北」に乗り継ぎ。「天北」は14:18(定刻14:06)に出発し、今は無き列車名通りの天北線を経由して稚内には17:25(定刻17:18)に到着しました。

2月14日は稚内で一日を過ごしており、道なき道をラッセルしながら稚内公園に登り、まずは「氷雪の門」を見ました。(今も冬場は除雪されていないと聞いています)

その場所からは街並みを見下ろすことができ、左端には「北防波堤ドーム」が見え、そのすぐ右側には貨車がいるのも見えました。

この後、日本最北端の地、「宗谷岬」をバスで往復したのですが、バスを下車したものの地吹雪に行く手を阻まれ、バス停の待合所から一歩も動けず、折り返しのバスの到着までひたすら耐えていたことを覚えています。当然、写真は一枚もありません。

2013年05月12日 19時10分

日本最北端の駅「稚内」(1)北上。

ゴールデンウィーク明けの5月8日からお休みを頂き、4泊5日の北海道への「鉄」旅に出かけました。

今回の第一目的地は日本最北端の駅「稚内」。そこまでの移動は、

1)中部国際空港(8:05発)~新千歳空港(9:45着)

2)新千歳空港(10:55発)~稚内空港(11:50着)

と、ANAを乗り継ぎました。写真は新千歳空港発稚内空港行きのボンバルディア機。プロペラ機はあまり乗らないので楽し珍しの時間を過ごしました。

回っているプロペラをカメラで撮ったのですが、こんな感じ。6枚あるプロペラが4枚に見えます。

プロペラ機はジェット機に比べ、低い高度を飛んでいると思われ、まずは離陸して直ぐにとらえた羊蹄山。蝦夷富士の名に相応しい山容を見せており、5月とはいえ美しい冬景色でした。

こちらは利尻島。CAさんの話しでは、この日の景色は抜群とのことで、全山すっぽり雪をかぶった利尻富士を、乗客の方々が盛んにシャッターを押していました。

鉄道写真でも、利尻富士を背景にした宗谷本線は定番中の定番ですが、こうして空から単体で見るのもGOODでした。

それにしても朝一番の飛行機で名古屋を出れば午前中には稚内到着。

私は昭和49年の2月に初めて北海道に渡ったのですが、その頃は東北新幹線も開通前なので、もしも鉄路で稚内に行くとしたならば、最低でも24時間以上かかっており、列車の選択次第では2泊3日コースもあり得た状況で、それだけに不思議な感慨がありました。

2013年05月11日 19時56分

2013年2月の台湾(21)次はいつ来れるかな?

今日は2月21日~24日の台湾旅のまとめ。

プラスチックのコインの様なものが乗車券。中にチップが組み込まれており、乗る時は自動改札にICカードの如くかざし、降りる時は自動改札に回収されます。簡単に言えば、乗る時はICカード、下車するときは切符といった感じです。

(ちょっとだけ食紹介)

台湾料理の「欣葉」は超有名店。ガイドブックに書かれているだけではなく、台北在住の方のお勧め店だったりします。そこで食べたのが『紅蟳米糕』(ワタリガニのおこわ)。絶品です。

写真がないのですがデザートの「杏仁豆腐」も絶品!今まで味合ったことのない感覚です。(台北在住の知人も絶賛しています)

もっとも有名店に限らず、台湾の料理店は美味しいです。夜市の屋台の食事も楽しいですよ。

いよいよ帰国。今回はJALを利用しての台湾旅行でした。ツアーではなく、航空券もホテルもネットで手配しており、JALを選んだのは正規割引で安かったからです。海外へ出かける際にツアーを利用しない場合は、基本、価格重視です。同等なら日本の航空会社を選ぶということはありますが、高ければその選択肢はありません。

とまあそんなことを書きつつ、またの台湾行きを心に誓ったのでした。そうそうっ、結局1日は家族の理解で「鉄」も満喫した次第でした。

(最後にお土産)

台湾の鉄道地図は実は双六。そして車両模型はいわゆるチョロQです。

2013年05月10日 19時54分

2013年2月の台湾(20)鉄道模型専門店「Motee」。

台湾高鐵「台中」駅というよりは臺灣鐵路管理局「新烏日」駅の構内。

ここにはレイアウトのある模型屋さんがあります。

ここ鉄道模型専門店「Motee」は台湾の鉄道熱の高まりを実感できます。

プラレールのドクターイエローの出迎えを結構和みます。「Motee」を楽しむには10分程度はみておいた方がいいですね。またグッズショップ等もあったりして、単に乗換えでこの駅を通過するのはとても勿体無いです。何だかんだと見るならばトータル30分は必要です。でもその価値はあると思っています。

台中からの帰りは15:35発の台北行。

このTrain704はこだまタイプの各駅停車。この電車の後にひかりタイプの速達列車があったのですが、急ぐとこもなかったのと途中駅の利用状況をみるべくこの電車に乗ることにしました。

結果は、途中駅の乗降は意外とあるということで、台北まで降車客はあまりいないと思い込んでいましたが、そうでもありませんでした。

2013年05月09日 19時51分

2013年2月の台湾(19)員林客運のバスに乗る。

渓湖バスターミナルで時刻表をみていたら「溪湖」から「員林」へは「6704 溪湖 經 大村 往 員林」(溪湖発大村経由員林行き)と「6705 溪湖 經 埔心 往 員林」(溪湖発埔心経由員林行き)の2系統があるのが分かりました。

私は13:30発の6704系統に乗ったのですが、何とそのバスはマイクロバス。員林行きのバスを待っている間にここ「溪湖」バスターミナルに発着してバスだけではなく、市内で見かけたバスは全て大型だったので、不安感がバリバリ。行き先表示を見てはいたものの更に運転手さんに「員林に行く」ことを確認して乗車しました。思いがけず細い道を走り、それも日本では考えられないほどすっ飛ばしていました。時間が合えばこの路線も面白いです。ただ、6705系統よりも時間がかかっている気がしました。

員林客運の員林バスターミナルは臺灣鐵路管理局「員林」駅から歩いて5分ほどの距離。員林駅からいく場合は、「員林客運 員林站」と書いたノートを見せて、道行く人に聞いたほうが無難かと思われます。

またバスの乗車券は窓口で買えますが、やはり「溪湖站」と書いたノートを見せたほうがスムースです。溪湖は英語で「Xihu」と書き、日本語読みでは「シーフー」となるようですが、私の頭の中には「渓湖」(けいこ)しかなく、咄嗟に「シーフー」が出ることはありませんでした。また道を聞くときも、例えば「シーフー」と言葉で言うより、ノートの文字を見せたほうが私の個人的な経験ではよいと思っています。なぜかと言えば、台湾の方は親切な方が多く、殆どの方はノートに地図を書いてくれます。

2013年05月08日 19時48分

2013年2月の台湾(18)コンビニ弁当と渓湖バスターミナル。

「渓湖糖廠五分車」に乗れないことは分かったものの、まあ後先考えずに構内を歩き回ったので、お腹は空っぽ。さて昼ごはんはどうしたものと思案し、結局、渓湖糖廠の目の前にあったファミリーマートで「とり弁当」(と書いてあるのだと思う)を買うという安易な方法を選択してしまいました。台湾のコシヒカリと謂われる“池上米”100%の文字に心惹かれたということもあります。

味の方は日本人の口にも合うと思われ、選択肢としてはありですね。渓湖糖廠の入り口の通りの反対側に渓湖糖廠の売店があり、そこに机と椅子のあるフリースペースがあり、そこで食べました。

食後はひたすら「渓湖」バスターミナルに向かって歩き続けました。15分ほどの距離です。大きな荷物がある方は「員林」駅で預けることをお勧めします。もっとも「員林」駅にロッカーとか荷物預かりがあったかどうかまでは確認していません。(10年以上前になりますが、台湾の鉄道駅では有人の荷物預かりのある駅があり、そこに預けた経験が何度かあります)

今回の私の場合は台北のホテルで連泊だったので、荷物はリュックサックカメラ1個と言う最低限度の身軽さでした。

さて「渓湖」バスターミナルにあった時刻表。単にバスの出発時間が書いてあるごくごく一般的なものなのですが、これが全て手書き!手書きの時刻表を見ないわけではないのですが、これだけの量ともなるとさすがに圧巻でした。

2013年05月07日 19時43分

2013年2月の台湾(17)渓湖糖廠五分車、1067+762=?。

「渓湖糖廠五分車」には静態保存の車両も多々あります。蒸気機関車『346号』の後ろの建物内にも蒸気機関車たちがいますし、また屋外にも様々な「えっ!!!」という車両たちがいます。

解説が漢字なので何となく意味は通じています。

間違いなくディーゼル機関車「815号」。

7分車と呼ばれる1067ミリのゲージ(標準軌の7分)の機関車で、ここにはナロー(五分)との3線区間もあったんだと思った程度だったのですが…。

どうも様子がおかしい???

ここで私が見た情景とネットでの検索結果を基にした“憶測”…、いやいや今や確信なのですが、それは渓湖糖廠にはかって3線区間があり、そこでは七分車の機関車が五分車の台車を牽いていたのであろうということ。

一度でいいからその光景を見て見たかった。決して叶う事の無い夢物語です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!