2013年04月17日 21時02分

2013年2月の台湾(7)台北MRTの新交通システム/文山内湖線。

南港線「南港展覧館」で下車し、地上に出て更に上を見上げると「文山内湖線」(台湾MRTの公式HPの表記に従っています)の「南港展覧館」があります。

※文山内湖線…南港展覧館~動物園

内、今回の初乗り区間は南港展覧館~中山國中

写真では左の高架がその駅ですが、私は新交通システムという先入観があったので、見た時の感想は『結構大きい!』でした。

先の写真を撮影した歩道橋から手前、「南港博覧館」方面にやってくる編成をパチリ。文山内湖線は一部の地下区間を除き全線高架で眺望がよく、乗り鉄でなくとも全区間乗車して飽きない路線だと思います。

住宅街を通る区間では、ご覧の様なシェッド(覆い)のある区間を走ったり、緑の空間を走ったり、「南港博覧館」発「動物園」行きに乗車し、地下駅となっている松山飛行場へのアクセス駅「松山機場」を出ると目の前に空港の風景が広がり、それは一瞬の出来事でしたが既乗車区間である「忠孝復興」まで楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 

2013年04月16日 21時09分

2013年2月の台湾(6)地下鉄の優先席。

MRT・地下鉄の車内はこんな感じ。

プラスチック製のシートは座った時にヒンヤリしそうな感じですが、実際にはそれほどでもないです。シンガポールもこの様なシートですがもう20年以上前に行った香港(取材です)の地下鉄もこんな感じだった記憶があります。

車内には博愛座(優先席)がドア近くにあり、これがまた「エッ?」と思うほどいつもそこだけ席が空いています。昨日書いた通り、MRTの車内は混んでいるのですが、若い人(恐らく30代以下)がこの席に座っているのを見かけませんでした。もっともいつも注意して見ていたわけではないので絶対とは言い切れませんが、でもそんな印象を私は持ちました。

でも『博愛座』だけではなく、他の席でもお年寄りだけではなく5歳以下の子供に席を替わることは特別なことではなく、“常識”として市民に浸透しているようでした。

2013年04月15日 21時25分

2013年2月の台湾(5)台北のMRT(地下鉄)。

MRT・台北捷運公司、台北の地下鉄です。

写真は南港線台北駅です。ホームドアが整備され、整列乗車も徹底されているようでした。

話しはいきなり飛びますが、各駅には「台北MRTガイド」(日本語の場合)なる路線図が置かれており、誰でも持っていくことが出来ます。そのガイドは国際色豊かで、英語・日本語は勿論、ポルトガル語・インドネシア語・マレー語他があります。そのガイドで目立つのは路線名の記述がないこと。各路線の「線」と「駅名」と電車が運行される区間が表示されているだけです。

因みに先に書いた南港線というのはMRTの公式HPで確認しました。

※南港線…西門~南港展覧館の路線。板橋線・土橋線と直通運転をしており、ガイドには南港展覧館~土橋線の終点「永寧」間が藍色の路線カラーで一つの路線として書かれている。

台北MRTはいつも混雑しており、特に都心部の駅のホームは人で溢れています。名古屋で言えば朝のラッシュ時の東山線名古屋駅の状態が日中、ズーっと続いているといったところでしょう。駅によってはエスカレーターと電車の間に(利用者数に比べ)十分な間隔が確保できておらず、やむなくベルトパーテーション(という言い方だったと思う)によって整列乗車が促されており、まるでイベントアトラクションの『順番待ち』の様でした。そうそうこの写真に写っている人たちを見るとコートを始め厚手の服に身を包んでいる方が多いのが見て取れます。

台北駅から乗車した南港線の終点「南港展覧館」駅。この駅の2駅手前、「昆陽」駅(2008年12月までの終点)までは2008年(平成20年)8月25日に乗車しており、改めて完乗したことになりました。線路の先はコンクリートの壁。この壁が再び開くことはあるのでしょうか?

2013年04月14日 20時59分

2013年2月の台湾(4)観光地「九份」。

日本語読みなら「ずいほう(瑞芳)」に下車したのは台湾北部屈指の観光地「九份」に向かうため。九份は日本語読みなら「きゅうふん」ですが英語では「Jioufen」(Jiufenの表記もあり)です。

さて瑞芳ですが、「九份」への下車駅という事だけではなく、観光地の点在する「平渓線」への乗換駅でもあり、乗車していた車両から2/3の乗客が下車しました。

殆どは台湾の方と思われましたが、日本・韓国からの観光客も多いようで「チケット売り場」「トイレ」という日本語の文字もある張り紙が目立っていました。

「需要と供給」という経済の原則からすれば『日本人』が多いからその表示があるという事になりますが、「九份」は旅行会社のツアーで訪れる方が多いという印象だったのですが、どうやらそうでもないようでした。

ところで「瑞芳」駅の駅舎の写真はありません。土砂降りだったので写真も撮らず、本当なら路線バスで向かうところをタクシーで移動しました。

「九份」はレトロな感じの街並みが残っていることで知られていますが、映画「千と千尋の神隠し」のモデルとなった町と紹介されたことから日本での知名度が一気にUPしたものと記憶しています。ただ本当に映画のモデルになったかどうかは定かではありません。 私的な話しになりますがここを訪れるのは2回目。最初に来た時も土砂降りでしたが今回も土砂降り。どうも天候の相性が悪いようです。

で、街で見かけたワンコ。ここではやたらワンコを見かけましたが、決して愛想が良いわけではなく無表情で、それでも近づいても吠えるわけでもなく、まあご愛嬌という事で…。

ここからの戻りはバスで瑞芳に戻りそこから列車の予定だったのですが、「台北」市内のMRT(地下鉄)「忠孝復興駅」に向かう路線バスが来たのでそれに乗りました。

※このバス、なかなか侮れない存在で、途中までは例えて言えば市内の路線バスで、こまめに停車し乗降ができます。それが突然高速道路に入り、そして台北市内で速道路を降りればいわゆる日本の「高速バス」のように主要バス停だけの停車でしかも下車のみです。

(2月の台北の天候)

行く直前に教えて頂いたのですがこの時期の台北は基本『雨』。一日中降っているわけではありませんが、ズーッと雨。少し南下すれば天候は激変で晴れ。でも台北は雨。しかも寒い。街ではコートやダウンジャケットはよく見かけます。暖かいイメージがありますが、そんなことはありません。

特に「九份」から乗ったバスは窓ガラスが曇らないようにするためか、エアコンがガンガンに入っており、雨でグショグショになった足元から冷えが体全体に広がり、ただただバスが終点に着くのを心待ちにしていました。晴れればシャツ一枚でOKなだけに落差が大きいです。

2013年04月13日 20時25分

2013年2月の台湾(3)台湾鉄路莒光号。

平成25年2月22日の「新烏日(Xinwuri))発「臺東(台東Taitung)」行き莒光(Chu-Kuang Express)号。日本で言えば急行に該当すると思われますが、読み方が今一つ分かっていないので駅名も含め英語表記を括弧の中に入れてみました。

台北(Taipei)で10:15に乗車し、瑞芳(Ruifang)に11:01着の区間乗車でしたが、この列車、全線では結構なロングラン列車で、台湾西海岸中部にある始発駅の出発は6:52、台湾東海岸南部にある終着駅到着17:22。台湾の面積は九州と同じ位とのことですので例えて言えば「熊本発博多・小倉経由宮崎行き」と言ったところでしょう。

電気機関車の牽引する客車列車で、座席は全席指定。で私が乗車したのは「8車6號」(8号車6番)。日本で言えば近鉄特急でついこの3月まで使われていた数字のみ表記となっています。ところで6號の並びの席は8號です。

その8号車は編成の端にあり、車掌室の様なブロックがありました。

よく見ると網棚の高さにサボ(行先標)が…。「所変われば品変わる」とはよく言ったもので、日本と同じ1067ミリゲージで左側通行、文字も漢字と日本と共通点の多い台湾鉄路ですがいろいろと違いもあります。

莒光号に乗るのは初めてでは無かったものの、この光景を見るのは初めてで、面白かったです。

2013年04月12日 20時23分

2013年2月の台湾(2)台北駅前の静態保存車。

名古屋(中部)から台北(桃園)までの所要時間は往路で3時間20~30分、帰路で2時間30分と時刻表にありますが、飛んでいる時間はそれほどではなく、帰路であれば2時間ちょっとということもあります。あまりにもあっけなくて外国に出かけた感じがしないほどです。まあ距離的には、沖縄本島の先、石垣島とあまり変わりません。

余談ですが、上海は片道2時間強と那覇とどっこいで、台北よりも名古屋から近い位置にあります。

さて台北駅。日本語読みでは『たいほく』ですが『台北』と漢字で書いてあれば『たいぺい』と読まない人はいないと言ってよいほど一般的になっています。

その駅前には2両の車両が静態保存展示されています。

1両は「LDK28号」蒸気機関車。1923年に日本車輌製造で作られたものです。

そしてこちらは台湾製の気動車「LDR2201号」で、蒸気機関車と繋がっているからと言って、決して客車ではなく、解説板には最高時速70キロとありました。 どちらも置かれている線路からお察しいただけると思いますがナロー(762ミリ)の車両で、1067ミリに改軌される前の台東線(解説板には「花東線」とありましたが、今はやはり台東線ですね)で使用されていたものです。花蓮~台東間を結ぶ台東線は台湾の東海岸を南北に繋ぐ大幹線ですが、ナロー時代の終焉は1982年(昭和57年)と意外なほど最近で、ともかく「夜行列車(寝台車あり)の走るナロー」ということでも日本でも知られていました。

それにしてもLDR2201号のヘッドライトは作られた時はきっと1つ目だったのでは思っています…。

さてこちらは車両たちと並んでいるベンチ。利用率が高いので、この写真を撮るのに意外と時間がかかりましたが、如何にも鉄道駅前らしいベンチです。どこかで作ってくれないかなあ…。

2013年04月11日 20時39分

2013年2月の台湾(1)巨大駅「台北」。

海外に「鉄道」を目的に出かけたのは、1991年が初回です。

その後、海外「鉄」には縁がないというより、年齢的に仕事が一番忙しい時期であり、少しの時間が出来るとその時間は家庭優先となるため国内の「鉄」活も控えていました。それでも子供たちが中学に進学した頃から少しずつ「鉄」活に復帰を始め、その手始めの行先に「台湾」を選びました。2000年(平成8年)5月の事でした。それ以来、台湾はお気に入りの場所となり、今年の2月21日には4回目の台湾入りを果たしました。

台湾旅は、初回こそ1人「鉄」旅でしたがそれ以降、それは許されず、今回も「鉄も…」、、、ある旅でした。

まずは台北駅にご挨拶。

重厚感あふれる駅舎の中は巨大な吹き抜けとなっており、思いのほか人が少ない感じですが、台湾鉄路管理局のホームも台湾高速鉄道のホームも地下にあり、かつ地下には改札だけではなく切符売り場もあるためだと思われます。

ところで台湾での「鉄」活を選んでいる理由ですが、

1)日本から台湾までの移動交通費が比較的手頃であること。今ならシーズンにもよりますが、燃油サーチャージ別で往復2万円前後からあります。

2)「乗りつぶし」をするのに台湾の全線完乗なら何となく出来そうかな?と思えたこと。

3)“読み方”はさておき、使われている文字は漢字であり、それも繁体文字(旧漢字)。駅の名前は読めなくとも路線図があれば今どこにいるかは、とりあえず分かります。(その分、日本語読みは分かるモノの本来の読み方を覚えないのでドツボにはまったこともありますが…)

4)治安の面でそれほど心配する必要もなく(油断は大敵ですが…)、合わせて最初に出かけた時のみならず毎回、台湾の方の親切に触れ、また助けていただいたことも何度もあり、まあトラブルなく済んだことはないのですが、それは身の危険ということではありません。

ということで日本との縁が深い台湾「鉄」旅に暫くお付き合い下さい。

2013年04月10日 19時24分

飛行機と鉄道の関係(2)

平成17年2月26日、名古屋は終日晴れの予報が出ていました。

この日、往路は中部国際空港から出発しましたが帰りは愛知県営名古屋空港に戻る予定を立てており、ひとえにその理由は空から名古屋の風景を撮影することでした。「晴れ」るかどうかは賭けでしたが冬場なので確立は高いと思っていました。

ではなぜ「フィルムカメラ」の選択か?それは離発着時に撮影できること。ちゃんとキャビンアテンダントさんに事前に説明して撮影しています。

まずは中部国際空港の空撮。

そして中京テレビです。旧名古屋空港に着陸する飛行機は、風向きにもよりますが通常は左眼下に中京テレビの鉄塔を見下ろしながら飛行します。そのため、シートもA席でかつ翼とかぶらない位置の選択が必要となりますが、運よく狙いどおりのシートが確保できました。

何れも県営名古屋着で無ければ撮影できない写真でした。

さて表題の「飛行機と鉄道の関係」ですが、「撮り鉄」さんはともかく「乗り鉄」としては新線が開通するとそこに行かねばなりません。国鉄・私鉄の全線を完乗した昭和55年までは飛行機で乗りに行くということはありませんでしたが、その後は北海道の石勝線を皮切りに飛行機利用は度々ありました。

沖縄のゆいレールともなれば飛行機利用はマストです。(平成16年5月15日)

今から40年前の大学生の時は予算の関係で船で往復(片道2泊3日)しましたが、会社員の今は時間のほうに無理がありすぎです。そんななんやかやで九州・北海道への「鉄」旅は目的地近くまでとりあえず飛行機利用が殆どになってしまいましたが、その記録もちゃんと残していれば、それはそれで「日本の航空の歴史」の一端を垣間見ることが出来たであろうと少々残念に思っている今日この頃です。

2013年04月09日 21時13分

飛行機と鉄道の関係(1)。

古い写真を整理していると思わぬものを発見することがあります。そこで今日は飛行機と鉄道の関係のお話し。

まずは懐かしい写真をお楽しみください。

まず名古屋空港に着陸したのは東亜国内航空(TDA)のDC-9型機です。東亜国内航空という会社名はすでに懐かしい部類でしょうしDC-9という飛行機の現役時代を知っているのはそれなりの年代と言うことになりそうです。

撮影時期はネガの前後の写真から推定して昭和56年(1981年)頃と思われます。

東亜国内航空そのものは1988年(昭和63年)に、日本エアシステム(JAS)に名前が変わっています。

こちらは中部国際空港での日本エアシステム(JAS)のMD-90型機。故黒沢明監督デザインのレインボーカラーで話題になったJASのMD-90型機ですが、7種類あったデザインの内、この機体は2番機でした。

中部国際空港の開港は2005年(平成17年)で、JAS便がJAL便になったのはその前年2004年(平成16年)。その後、機体の塗色は順次JALカラーになっていきましたが、中部国際空港になってからもレインボーカラーは残っていたんですね。(だからこの写真を撮影したはず)

ところで「DC-9」と「MD-90」の違いは、私には分かっておらず単に「似ているなあ」とそんなことを感じていました。(余談)

それと中部国際空港の写真ですがフィルムで撮影しています。撮影日は2005年(平成17年)2月26日。この日は名鉄・空港線の初乗りと福岡市営地下鉄(同年2月3日開業)の初乗りをするため、敢えて飛行機で福岡に向かいました。

さて飛行機の話に戻して、本当はJAL塗色のMD-90の写真も探したのですが、それはさすがに見つけられませんでした。そもそも空港で撮影をする習慣がないのですが、デジカメの時代なので、目についたものは撮影しておこうと心に誓いました。デジカメなら撮影日の特定で家探しする必要もありません。(笑)

平成15年にフィルムで撮影したのには理由があります。それはまた明日。

2013年04月08日 19時12分

今更ながら、全国相互利用記念。

一昨日の土曜日は、私が会員となっているNPO法人名古屋名古屋レール・アーカイブスの活動日でした。

そこで会員のAさんから交通系ICカード全国相互利用記念の記念「manaca」「TOICA」を譲り受けました。

※3月23日(土)、私には絶対に抜けられない所用があり、それを気遣ったAさんが私のために買っておいてくれました。

「manaca」は名古屋市交通局と名鉄グループそれぞれ1枚ずつ、「TOICA」と合わせ計3セットが私の手元にやってきました。

各社のロゴを正方向にしていますので、「交通系ICカード全国相互利用 2013.3.23  START!」(名鉄グループ)、「交通系ICカード全国相互利用記念」(JR東海)、「manaca全国相互利用記念」(名古屋市交通局)と書かれた肝心の部分が上下逆となっていますがご容赦ください。

こちらは裏面(?)と言うより中面といった方がいいですね。

さてここで問題です。この写真では右側から名古屋市交通局、JR東海、名鉄グループの順番となっていますが、その理由は何故でしょう?

もったいぶる必要はないのですぐに答!実は台紙の大きさ順です。この写真を撮ろうとして気付いたのですが、ほんの少しずつというより 誤差の範囲程度の大きさの違いがあります。(名古屋市交通局が一番大きい)

だから何なのだと言われればその通りです。

1枚2000円×3=6000円の出費ですが、ICカードの場合、使用しても外見上は変わらないので、実質500円×3=1500円の出費となりました。 これで手持ちののICカードが7枚となりました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!