2013年04月07日 20時45分

撮り鉄と乗り鉄。

昨日、名残りの写真をUPしてその後、過去に撮った写真の中で桜の写ったモノはないかと1時間ほど探したものの……フィルム~デジタルの時代にいたるまで「桜駅の桜」というか車両と絡んでいたのは、昨日の踏切の写真ただ1枚だけ!

この写真は昭和48年(1973年)3月28日撮影、場所は関西本線笠置駅。日本屈指と言っても過言ではない、「鉄」にとって桜の名所でした。

実はよく見ると色付き始めているのですが、残念ながらと言ったところでした。当時は、桜の開花情報をネットで検索などできるはずもなく、大学入学を前にした私は何の情報も持たずただ可能性に賭けて、自ら憤死したのでした。

この時は、撮り鉄だった同級生(高校生にして冬の北海道遠征も行っていたと記憶しています)に誘われて出かけたのですが、私自身は「もう一週間遅く来ていたら…」というような悔しさを覚えた記憶がないことから、ただ蒸気機関車の交換を撮影しただけで満足していたようです。

三脚も使わず手持ちでの撮影。水平が今一つです。サイズも甘く…今改めて見ても拙い写真だと感じています。

この頃はまだ撮影に出かけていた頃で、それから数年後、手間暇をかける気力と持久力・体力、そして何より映像のセンスが必要な撮り鉄から、時間と資金さえあれば楽しめる乗り鉄に転向したのは賢明な選択だった気がします。

2013年04月06日 16時05分

名残りの桜 名鉄桜駅。

本日(4月6日)の名鉄桜駅の桜。去年は丁度今頃が満開だったのですが、今年は名古屋市内の他の場所同様、やはり先週位が満開だったようで、少々残念な結果となりました。

それでもまだ最後の踏ん張りを見せる花びらもありました。桜駅の桜は、一般の乗降客にはあまり気にされず、はっきり言って私のような地元の「鉄」だけがその姿を愛でているのではないでしょうか。

それにしても名鉄の駅のホームに桜の木があるのは、私の記憶にあり限りではここだけです。この桜駅にしても「桜」駅の「桜」とかけてここに植えられたものとも思えません。

まあでも、一般的には無名でもこの季節にこの駅で乗り降りするのは気持ちが良いです。またこれからの瑞々しい緑の桜も私は好きです。

ところで「桜」駅のすぐ「呼続」駅方には東海通の踏切があり、その東海通は桜本町(名古屋市営地下鉄桜通線「桜本町」駅)の交差点を中心に、桜並木となっており、「桜」駅のホームからも望むことができます。

ず~っと以前、桜本町交差点方面から東海通の桜並木越しに踏切を行く電車を撮れないものかと、一応狙ったことがありますが、東海通は幹線道路だけあって遮断機が下りるとすぐに車が数珠つなぎとなり、10分を待たずに断念したことがあります。

 

2013年04月05日 19時03分

台湾高速鉄道700T型の置物。

台湾高速鉄道700T型の置物。

大きさ的にはHOゲージと同じ位でしょうか?何せ私の家には鉄道模型が無いため比較ができませんが、まず間違いないと思います。

さてこの置物の台座には「台灣南北高速鐵路700T型列車出廠記念2004.1.30」とあり、後ろの箱には「Taiwan High Speed Rail 台灣高鐵」とありました。

台湾の高速鉄道は2007年(平成19年)の開業で、まあこれ以上の詳しい話しはさておき、『出廠記念2004.1.30』の文字から、日本で最初の700T型が作られたのが2004年(平成16年)であったことがこれで分かります。

この置物が私の手元に届いた経緯を簡単に書きます。

日本テレビ系列のニュースネットワークはNNNと呼ばれていますが、その海外支局の一つに(かってですが)台北支局がありました。その台北支局に特派員を派遣し、運営していたのが中京テレビで、この置物は2004年当時、台湾高速鉄道が作り、関係者やマスコミにプレゼントしたものだそうです。

台北支局は既にありませんが、この置物を当社の報道関係者が保管しており、それが回りまわって私の手元にやってきました。

手渡された時、「嬉しい!」と素直に思いました。ということだけではなく、台湾の高速鉄道にかける当時の意気込み・熱気も感じました。

2013年04月04日 20時18分

一寸前の時代のグッズ・資料。

「鉄」知人からお借りした品々。

画面の真ん中の斜めに置かれた「名鉄7000形パノラマカー」は、、、実はマッチです。この裏面には同様に6000形」のイラストがあります。そこには『昭和52年度ブルーリボン賞』とあり、また中には『近くなった知多新線の海』ともあることから、推測として昭和53年夏前のモノと思われます。その心は『海の前売きっぷ』の宣伝用のマッチだったからですが、一般乗客対象の宣伝材料で、マッチがあるというのは時代を感じます。それは当時、喫煙者が多かったであろうということよりそもそもマッチのような火器を鉄道駅で配布するという事は現代では私には考えられません。

※車両の形式について、「系」ではなく「形」を使っていますが、これはこのマッチに記載の形式名に合わせています。

右側の冊子はJR西日本和歌山支社が作ったダイヤ改正のパンフレットです。

内容から察すると1990年(平成2年)3月のダイヤ改正に合わせて発行されたもので、トランプ風のデザインは、その中身で鉄道の「ダイヤ」改正とトランプの「ダイヤ」を引っかけており、「ダイヤのキング」の所には「グランドひかり」が2往復から3往復に増発など、新幹線のダイヤ改正情報もありましたが大部分は和歌山を中心にした改正情報でなかなか面白かったです。

最後に列車をイメージした不思議な細長い物体ですが、実は鉛筆で、白色の「こだま」に似せたデザインの部分がキャップとなっていました。この写真に写っていない部分に「L EXPRESS」の文字があることから「L特急」の周知広報用のノベルティーと思われ、それゆえ「こだま形」となったものと推察しています。

私にとってはいずれも初見で、こうした無償のグッズ・駅での配布物の世界も奥が深いものだと感じました。

2013年04月03日 19時04分

2013 春の大鉄まつり(18)

往路も新幹線でしたが、帰路も掛川から新幹線を利用。掛川発17:42の「こだま669号」に乗車。撮り鉄に挑戦!と思ったもののやはり今一つでした。まあ素直に「夕日が綺麗だ」と思った私の心情をお察しください。

この写真を撮る前、非常に充実した一日を送ることができたと実感していた私は、千頭駅のみならず乗り継ぎの時間を利用して掛川駅南口(新幹線口)にあった売店でもお土産を買い足しており、家に戻った時、家族に「どうしたの?」言われるほどご機嫌でした。

この日の収集品。C5644とDD203の運転体験時のパンフレットやSL運転体験の修了証。

DD運転体験・車両工場見学の参加用ハガキや乗車券等々。

この中で特筆すべきはDD運転体験・車両工場見学の参加用ハガキ。写真では本文のみですが、実は表の宛先は全て手書き。しかも同じ「南アルプスアプトセンター」から送られているにも関わらず字が異なっていることから別の人の手によるもの。しかもその字は二人ともがとても丁寧なだけではなく、『上手い』のです。

「鉄」友からの連絡でDDの運転があることを聞いたのがきっかけの大井川鐵道詣ででしたが、私の宛先を書いてくれた方を始め、今回の『2013 春の大鉄まつり』に関わっていた全ての関係者の心のこもったおもてなしの心があったからこそ私の満足に繋がったのは間違いありません。

最後に一般社団法人日本民営鉄道協会の広報誌「みんてつVol.44 冬号」で「大井川鐵道」が特集されていることを紹介します。

http://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/index.html

是非ご一読いただきたいのですが、代表取締役社長の伊藤秀生氏のインタビューや管理部課長 山本豊福氏・営業部課長伊藤和則氏のリポートだけではなく島田市長桜井勝郎氏・SL運行の礎を作った白井昭氏の話しも掲載されています。

内容は割愛させていただきますが、この「みんてつVol.44 冬号」を紹介させていただくことで私を楽しませてくれた大井川鐵道の方への謝意とさせていただきます。ありがとうござました。

2013年04月02日 20時00分

2013 春の大鉄まつり(17)元京阪3000系の旅。

「かわね路2号」で新金谷まで乗車すると、そこから金谷までの連絡列車は、千頭発15:25となります。

ということで元京阪電車の3000系(京阪的には旧3000系と書くべきでしょうか?)が来ることは「かわね路2号」の発車時に分かっていたので、新金谷駅では到着を今や遅しと待ち構えていました。この電車を撮影したのは構内踏切の上です。ここで上下列車の行き違いがあるため、下り列車が先着し、完全に停車した上で客扱いを始めないと踏切に入ることは出来ないと思われ、ある種この写真も今日の運の良さの象徴でしょう。何せ3月10日にたった一区間とはいえ3000系に乗車できるのですから…。

金谷に16:37到着。お約束の車内写真撮影。全員が下車した後こうして撮影したのですが、実は数人ではありますが順番に並んで撮影でした。それにしてもこのシートの座り心地は破格ですね。

京阪と言えば「鳩」のデザインのヘッドマーク。この日はこのヘッドマークを撮影するために金谷駅ではやはり行列ができました。各駅停車なのに「特急」とはこれ如何に。でもやはりこうでなくっちゃ3000系らしくは無いですね。

と言っても「鳩」のマークは列車の両エンドとも見えている訳ではなく、金谷側の先頭車はご覧のように大型の方向幕に覆われていました。本来はこの形で、今回の様な表示が「特別」だとしたら大井川鐵道に感謝ですね。

もっともこの3000系人気は、平成25年3月10日という記念すべき日だったからかも知れません。

2013年04月01日 21時16分

2013 春の大鉄まつり(16)木村裕子さん登場。

今年の「春の大鉄まつり」には木村裕子さんも登場していました。

新金谷発9:57の「かわね路11号」で車内販売をし、千頭駅ではサイン会他を行った後、鉄道部品オークションを行い、私が乗車した「かわね路2号」ではやはり車内販売をして新金谷まで戻りました。

彼女はJR東海の在来線特急車内販売の経験者であり、乗務していた「南紀」などJR東海の在来線特急列車の車内販売が3月15日をもって終焉を迎える直前、大井川のSL急行の車内販売を行い、帰路で言えば14:50から新金谷到着の16:10までの1時間20分かかっても、客車7両の内、7両目の半分ほどまでしか回れず、新金谷のホームで最後のお客さんの相手をしていました。JR北海道・JR九州同様、観光列車のお土産品の車内販売(旅の思い出を買う)と、そうではなく弁当や飲料を中心とした車内販売(生活の必需品を買う)の差を感じました。

ところで木村裕子さんは半袖での登場でしたが、この日の前日の予報では「暖かかくなる」でした。ところで午後から日が陰り、風が強くなり、そして雨がぱらつき始めると気温が一気に下がり、一応そこはプロですから平気な顔をしてますが、相当に寒かったはずです。

さて新金谷に16:10に到着。ここから千頭発15:25、新金谷発16:32の金谷行きに乗継です。

その間の22分間を利用し、転車台へレッツ!ゴー。(この言い回しは相当に古い)

デフレクター(除煙板)の無いすっきりとスマートな「C108」がクルリと回るところに間に合い、かつ16:30までに新金谷駅に戻りました。(ああっ、忙しい)

2013年03月31日 18時16分

2013 春の大鉄まつり(15)「かわね路2号」に乗車。

一日おいて大井川の続きです。

大井川鐵道というと「のんびりとSLが走るローカル線」というのが私のイメージでしたが、この日の私は殆ど分刻みのスケジュールで、いつもの「鉄」旅に比べ思いっきり忙しい一日でした。『2013 春の大鉄まつり』のこの日の参加者で、恐らく一番楽しんだのは私だ!という自信があります。(笑)

おかげさまで帰路は14:50発のSL「かわね路2号」に乗車することとなり、発車直前のホームに向かったところ14:48着の電車が到着。

奇しくも(くしくも)この3月10日を持って京阪電鉄での通常運行が終わった3000系で、京阪から遠く離れた静岡の地から「さよならテレビカー」とエールを送りました。

列車は定刻に動きだし、その車窓からはまだまだ続く「C5644」号機の運転体験の様子が見えました。

この日の「かわね路2号」の客車は全部で7両。先頭の「C108号機」と最後尾の「ED501号」を足せば何と堂々たる9両編成。大手私鉄でも9両編成は関東・関西圏に限られ、考えようでは日本一のローカル私鉄と言って過言ではないでしょう。

これだけの長大編成ともなれば、最後尾の車両からは窓からカメラを出さずとも、カーブではこんな写真が撮影できます。

おまけの一枚。大井川を渡る鉄橋の、上り列車では右カーブ。いい感じで撮影できました。

2013年03月30日 19時00分

交通系ICカード相互利用異聞。

交通系ICカードが相互利用できるようになって1週間。

名古屋市営地下鉄だけを利用する日々で、「使えるようになった」という実感もなく過ごしていました。

そして数日前、駅に貼ってあるポスターに気付きました。

「日本全国 どこでも乗れちゃう マナカIC乗車券」「日本全国 どこでも使えちゃう マナカ電子マネー」の文字が躍っています。流石にこのポスターはこの地域限定なのでしょうが、更に言えばきっと名古屋市交通局限定なのでしょう。

と思いつつ、昨日いつものマナカでいつものセンサーにタッチしようとして……。

センサーの上に今まで見かけなかったシールがありました。そんなところをまじまじ見たことなどないので、「えっ?」というのが素直な感想です。

「10の交通系ICカード ご利用しただけます」とあり、デザインとしては先のポスターとは異なり全国統一版に見えたのですが、他の鉄道会社の状況を確認する術がありません。

2013年03月29日 19時45分

2013 春の大鉄まつり(14)C56バック運転の醍醐味。

さて順向きの運転もさることながら今回は、バック運転がどんな感じかが楽しみでした。

運転席から身を乗り出して振り返るとこんな風景が広がります。バック運転を想定した機関車だけのことはあり、想像していた以上に視界が広い印象でした。

次に身を乗り出さない場合はこんな感じ。切り落とされた炭水車がどんな風なのだろうかと興味津々でしたが、やはり只者ではありませんでしたが限界はあり、この位置では左側は殆ど確認でしませんでした。

昭和の頃、国鉄呉線では、C59のバック運転による客車列車がありました。どれだけ運転が大変だったかの一端を垣間見た気がしました。

さて運転を終えたら、何と燃え盛る『火室』が公開されました。思っていなかったので最後にサプライズをもらった感じでした。

「SL運転体験」の参加料は5000円。

今回はブレーキの操作は無かったのですが、次回は是非、ブレーキを扱ってみたいと思いました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!