2013年03月18日 21時09分

2013 春の大鉄まつり(3)DD203号機・運転体験。

DD20形の運転体験は、事前に予約をしています。事前電話予約がスタートして直ぐに電話をかけたので、無事運転体験が確約され、とにかく大井川に向かう事だけはこれで決めることが出来ました。

その事前予約による運転体験ですが、3月9日・10日とも1)9:30~、2)10:35~、3)12:30~、4)14:55~の各4回あったのですが、当日の電車移動では当然、1)回目には間に合わず、また帰りの事や他のイベントの見学等も考え合わせ、2)回目をお願いしました。

※当日予約も11:40~と13:50~の2回ありました。

さてこの日の機関車/DD203号機の運転席は予想に違わず、とても狭かったです。ただ窮屈と言うほどでもなかったのが意外でした。

私の顔の位置と運転席窓の位置関係で何となくわかってもらえると思いますが自分の視線の下に前面の視界が広がるのは不思議な感じです。

それでも隣の井川線用客車の窓の位置に比べれば機関車の視点は高く、井川線車両の洗礼を受けた気がしました。

この日操作したのはマスコンとブレーキハンドル。ブレーキは写真右側上段の、機関車だけにブレーキが効く単弁を使いました。

そして約100メートルの距離を運転。3ノッチまで入れて最高速度は20キロほどでしたが、そもそも井川線の最高速度は30キロとのことで、中には15キロ制限の区間もあるので、それよりは早いスピードを出したことになります。

最後に今回はもう一枚、私の記念写真をUPします。こんな写真も撮影してくれるのですが、私は運転席からただ顔を出しただけで、決して「伸び」をしている訳ではありません。DD20形の大きさをより感じていただけましたでしょうか?

体験料は3000円。機関車の説明から運転終了まで10分弱の出来事でしたが、私にとって初のディーゼル機関車運転体験は、こうして終わりました。感想は「やっぱり運転は楽しい!」そして「井川線のDDは面白い!」です。

そうそう、このDD20形運転体験ですが、10年ほど前に「川根両国」駅でやったことがあるそうです。その時は300メートルほどの区間だったそうで、できれば次回は300メートルを運転したいと思いました。

大井川鐵道さん、是非ご検討下さい。

2013年03月17日 15時48分

2013 春の大鉄まつり(2)千頭駅点景。

大井川鐵道千頭駅に着くと、まず出迎えてくれるのは「鉄道むすめ」車掌・井川ちしろのパネル。「井川」駅と「アプトいちしろ」駅からその名をとっているとのことですが、“昭和”の鉄道に乗って到着した駅に平成20年代の象徴があるのは考えように不思議ですが、最近は全国的に「鉄道むすめ」がいるので、この風景に違和感が感じないのは面白いですね。

改札を一歩出たところには、記念写真撮影用のボックスがありました。『C11 190 顔写真入りMEMORIAL PHOTO』とあり、少々気にはなったのものの私にはこれを試す勇気は出ませんでした。が、こうした地道な鉄道会社の努力は是非、報われてほしいと思いました。

さて私は鉄道会社のイベントに足を運んだことは殆どありません。どの鉄道会社のイベントも人気が高く、人が多いというイメージがあって、あまり得手ではないからです。

しかし今回は『禁断の果実』を敢えて自ら手に取ることにしました。

その理由は、写真の井川線用DD20形の運転体験他、お楽しみが満載だったこと。

DD20形は後ろに見える旧・南海の21000系と大きさを比較してもらえば一目瞭然ですが、この可愛いディーゼル機関車が運転できるとあらば、やはり参戦せざるを得ませんでした。そして合わせて是非挑戦したかったのが蒸気機関車の運転体験。ただ10:27に千頭に到着した段階ではまだ蒸気機関車が運転できるかどうかはまだ分かっていませんでした。

2013年03月16日 20時06分

2013 春の大鉄まつり(1)旧・南海の古豪21000系。

平成25年3月10日(日)、私は「2013 春の大鉄まつり」に行っていました。

大井川鐵道には、昨年の7月28日の「ビール列車」(このブログでは2012年7月29日~UP)、一昨年の10月8日の「無料乗車体験『金谷茶を飲みながらSL重連列車に乗ろう!』(このブログでは2011年10月27日~UP)と毎年のように出かけているのですが、その際、ビール列車は当然の事ながら客車で往復。SL重連列車の時は帰りもSL列車を選択。しかも最初に大井川鐵道に乗った昭和53年11月25日もSL列車で、その時は井川線に乗り換えて井川まで乗車し、その後はバスで静岡に抜けており、ということでプライベートで電車に乗って千頭まで行くのは私にとって『初』の出来事でした。もっとも仕事では数回、電車に乗ったことがあります。ただ一体何年ぶりかが思い出せません。あっ、すいません。金谷~新金谷間は別です。

そんななんやかやはともかく、21001+21002のコンビに乗車。その21000系との最初の出会いは、南海高野線。

21000系と22000系が並んでいるのは高野線「極楽橋」駅。撮影(乗車)したのが昭和54年10月13日は間違いないと思うのですが、どちらの電車に乗ってきて、どちらの電車で山を下ったのかは定かではありません。当時は「なんば」から「極楽橋」まで直通の急行が運転されており、その電車は“大運転”と呼ばれていました。平坦区間から山岳区間への直通運転であることからその名が付いていましたが、考えようによっては大井川鐵道にお似合いの電車ですね。

千頭には10:27の定時に到着。

名古屋を7:28発のこだま632号に乗車しているので、まずは約3時間の旅でした。この10:27というのは名古屋を朝出発した場合の一番早い到着時間で、これ以上早い時間にこの駅に立つことは出来ません。

千頭駅でプチ発見。ラッチ(?)もしくは単なる出入り口(?)かはともかく、動輪が模(かたど)られているのを見つけました。何度来ていても新しい発見はあるものですね。

2013年03月15日 8時21分

昭和に一区切り。

今日は2つの昭和が一区切りしました。一つは新幹線200系です。

東北・上越新幹線が大宮から東京都内の上野まで伸びたのは昭和60年3月14日のこと。

その2日後に私は「上野」~「大宮」間の乗りつぶしのため「上野」に出かけました。地下駅と言うことで絵としてはしまりませんが、200系が並び、この駅で折り返し運転をしていた時代は昭和を代表する鉄道風景の一つだったと私は思っています。また上野駅の構内には「祝 東北・上越新幹線 上野開業」の文字が躍っていました。

この写真は昨年の10月18日にUPしたのと同じ写真ですが、昭和から平成に時代が変わっただけではなく、ただ速さだけが求められる鉄道としての新幹線の車両デザインの激変に驚くばかりでした。同じく速さが求められる航空機が、昭和から平成に変わっても劇的なデザインの変更があったとも思いないのとは対照的な感じがします。

こちらは117系。昭和57年の名古屋地区への登場時は「列車」から「国電」へと変貌していく東海道本線の姿は衝撃だったといっても過言ではありません。そしてパノラマカーの名鉄との競争がどうなっていくかが楽しみでした。

その117系も定期運用は今日限り。名古屋にあって初めて名鉄に対抗しうると思わせてくれた電車も消えていくことになりました。

写真は2010年8月16日、たまたまJR「熱田」駅の北側の陸橋を渡っていたら、側線に止まっていた117系が動き出し、あわてて撮ったのがこの一枚。 金山始発の新快速。私が持っている117系定期運用の写真はこれだけです。

2013年03月14日 19時33分

1991年のオーストリア。

1991年10月25日、ミュンヘンからオーストリアの首都「ウィーン」を目指しました。

 

その途中、ザルツブルグに立ち寄りました。ザルツブルグ中央駅の駅前に、「SALZBURG LOKAL BAHNHOF」があり、そこに路面電車タイプの車両が停車していました。駅名は意訳すれば「ザルツブルグ地元中央駅」とか「ザルツブルグ地方線中央駅」と言ったところでしょうか。(検索したところ、この駅は今は地下化されているようです)

ところでザルツブルグと言えばモーツアルトが住んでいたことで有名ですが、途中下車した理由は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地巡り。ミーハーと言われてもこれだけは行きたかった!

で、それを終えると「ウィーン」に向かい、ホテルにチェックインしました。

※予約していたホテルへの道順をウィーン西駅のインフォメーションで聞いたのですが、「難しい!」と言われタクシーを勧められたのですが、そのタクシーがなかなか来ず、更に乗ったタクシーが夕方のラッシュに巻き込まれてやたら時間がかかったというメモが残っていました。

 

さてウィーン市民の交通機関と言えばトラム。

 

そして地下鉄。まずは電車そのものではなくホームをご覧下さい。天井部分が芸術に包まれています。スウェーデンの首都、ストックホルムの地下鉄芸術を紹介した際にも書いたような気がしていますが、公共交通機関の利用者に芸術に触れる楽しさを提供し、芸術家には表現の場を提供するという様々な効果がありますし、何よりも街のイメージアップに繋がると思うのですが如何でしょうか。

 

1991年のヨーロッパはひとまず終了です。この続きは「スイス編」「イギリス編」があります。フィルムのデジタル化は終わっているのでまたいつかこのブログで紹介させてください。

2013年03月13日 22時44分

1991年のドイツ(19)ミュンヘン・ドイツ博物館。

ミュンヘンと言えば『ドイツ博物館』。ここは科学と技術の巨大な博物館でとにかく広かったのと、飛行機・車に鉄道そして船と乗り物系が充実されていると思いました。

日本でも東京・上野に「国立科学博物館」がありますが、そこは私の印象では自然科学の博物館で、ドイツ博物館の様な『ありとあらゆる』と言いたくなるほど充実した近代産業史を振り返ることのできる施設は、日本では類を見ないと言っても良いでしょう。

写真はその飛行機ブロックですが、乗り物マニアとしては、今写真を見ても楽しくなります。

一方、鉄道ブロックには色々な鉄道車両が展示され、この緑色の機関車は、Wikipediaで検索したところ「王立バイエルン邦有鉄道S3/6型蒸気機関車」S3/6型 No.3634 (18 451)とありました。

鉄道博物館、二リア・鉄道館を始め大規模な鉄道展示館が増えた日本ですが、1991年当時、『ニュールンベルグ鉄道博物館』やこの『ドイツ博物館』の規模には圧倒されました。

2013年03月12日 21時16分

1991年のドイツ(18)ミュンヘン中央駅の今昔。

2011年11月21日のドイツ・ミュンヘン中央駅。頭端式のホームに高速列車・ICE(ここには3とT)がズラリと並んでいるのは丸で新幹線の東京駅というか九州新幹線の鹿児島中央駅が如くでしょうか。

その同じミュンヘン中央駅の1991年10月24日の様子です。似たような方向で撮っているので比較は一目瞭然なのですが、停車中の列車がバラエティーに富んでいるのにまず目が行きます。かつ一番手前の電気機関車の所には「荷物」が『山』とは言わないものの、数多く積まれており、当時、ドイツでは鉄道による荷物輸送が盛んだったであろうと推測できます。20年後の2011年にはホームで荷物を見かけることはありませんでした。日本でも20年も経てば風景は変わりますが、同じ場所で“在来線”の姿が無くなり“新幹線”になることはありません。

ミュンヘン中央駅のコンコースにあった売店はDBの機関車でした。当時、登場したばかりICEではなく、特急牽引用の103型で、写真のDBのヘッドマークの下に数字が「103 113 7」とあることから型式名には自信があります。ということで、この機関車はその113号機となるのでしょうが、最後の「7」の意味は分かりません。

2013年03月11日 20時52分

1991年のドイツ(17)ニュールンベルグ鉄道博物館。

昨日は大井川鐵道に行っていました。「2013 春の大鉄まつり」です。今、写真を整理していますので今週末位から連載します。よろしければご覧ください。

さて1991年のドイツです。シュツットガルトを出て、10月23日はニュールンベルグに向かいました。目的はただ一つ、ニュールンベルグ(ニュルンベルクと書いてあることの方が多いかも?)にあるドイツ鉄道の博物館。

重厚な感じの建物で、如何にも博物館らしさを感じます。

鉄道博物館の定番、模型のコーナーもあり、最近の日本の同様施設から比べればこじんまりとした印象ですが、今から20年前の時代にあってはこうして写真を撮るほどの価値があったのでしょう。

勿論、主たる展示は本物に車両で、こうしたドイツらしさを感じる機関車の姿は惚れ惚れします。と書きつつ、何型式の車両かどうかのメモはとっておらず、『惚れ惚れ』等と言うのはその場しのぎのごまかしであることを正直に告白しておきます。

一応、書いてあるナンバーからは左の蒸気機関車は「ドイツ国鉄05形」であることは分かるのですが、電気機関車の方は分かりません。何れにしても如何にもドイツらしさを感じさせてくれます。その理由を書くのは難しいのですが、要は雰囲気です。

2013年03月10日 21時19分

1991年のドイツ(16)シュツットガルトのケーブルカー。

シュツットガルトの街のもう一つの名物がこれ。ケーブルカー。

当時のメモには「Seilbahnstraße」~「Waldfriedhof」間のケーブルカーとあったのですが、「Seilbahnstraße」は言うならば「ケーブルカー」通りという事で、今思えば駅名とは若干異なるニュアンスかも知れません。

古色蒼然たる車両で驚くべきですが、鉄道のスタッフは鉄道マニアを見慣れているのか、車内では先頭部分の窓を開けてくれたりして、便宜を図ってくれました。日中は12分間隔で、乗車時間は約4分。乗務員が2人乗っていたとメモにありました。

また、こちらの車内の写真ですが、左に座っているご婦人たちには、ドイツ語でちゃんと承諾を得て撮影しています。(「撮影していいですか?」とガイドブックに書いてあったのをそのまま見せた)

それはさておき、外観だけではなく、内装も古色蒼然ですが、いい味を出していると思うのは私だけではないはず。1991年当時でも、この車両は現役で、決して保存鉄道ではありません。

終点はこんな感じで、墓地への足…と聞いたような気がします。

2013年03月09日 21時13分

1991年のドイツ(15)シュツットガルト・ラックレールの威力。

ラックレールの鉄道は登山電車のイメージですが、ここはあくまでも市街電車です。

大体どれくらいの傾斜かと言えば例えば「Haigst」停留所ではこんな感じです。当時、もう少しちゃんと調べておけば良かったと思っても後の祭りですが、「Wielandshöhe」の停留所には123パーミルの案内表示がされていました。

参考までに英語版Wikipedia「Stuttgart Rack Railway」には、最大傾斜は17.5%とありましたが…、123も175もこれ位になると今一つ実感がありません。ただただ急勾配であることだけを感じていました。

ラックレール鉄道で楽しみの一つにポイントの構造があります。この写真を改めて見て感じたのは、線路とラックレールが同時に動くのを動画で撮ってみたいと思ったことです。

ところで電車の山側には貨車がついています。目的は『自転車を積む』というのがドイツらしさですが、比較するには種類は異なるのですが。日本の立山ケーブルカーは貨車が谷側についており、その違いは面白いですね。(このラックレールのトラムは言うまでもなく、今も現役です)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!