2013年03月08日 21時12分

1991年のドイツ(14)シュツットガルトのラックレールトラム。

シュツットガルトと言えば、ベンツ!

シュツットガルトの観光の目玉(だと私は思っています)がメルセデス・ベンツミュージアムです。

1991年10月22日、やはりここは外せないだろうと思って足を運びました。

「ただ、、、」と敢えて書かせていただきますが、私にとってシュツットガルトで最大のアトラクションはかのベンツ博物館よりこちらです。

シュツットガルト中央駅からほど近い「Marienplatz」停留所。トラムにしては明らかに大がかりな車止めが目立ちます。ここから「10系統」は出発し、「Degerloch」を目指します。

この10系統は単線のトラムでしたが、手元のメモでは15分間隔と書いてあり、運転頻度は都市交通の役割を十分に果たしていました。「あれっ」と思いつつ線路の間にあるもう一つの線路の様な存在にお気付き頂けましたでしょうか?

交換駅「Wielandshöhe」でのこの写真で一目瞭然ですね。起点から終点まで『ラックレール』の路線で、そもそも道路に敷かれたラックレールは相当に珍しい存在のはずで、「世界でここだけ!」だったらどんなに楽しいかと思ってここを訪れました。

冒頭の「シュツットガルトで最大のアトラクション」と書いた理由がここにあります。

2013年03月07日 22時17分

1991年のドイツ(13)シュツットガルトは坂の町。

2月28日以来のドイツ話し。

シュツットガルトは坂の町です。

街の中心部を少し離れると、山懐に抱かれた住宅が広がっています。

そこを目指すトラムも、ご覧のように坂を駆け上がってくることが見て取れます。

そのトラムも都心部では地下区間を走ります。ここは「シュツットガルト中央駅」です。旧型の電車が地下駅を通らなくなってどれ位の月日が経っているのでしょうか?今は路線も増え、かつ再編成もされているようで、1991年の路線図と今の路線図を比べてみるとその違いには驚かされます。なお、『LRT整備都市』にはここシュツットガルトの名前はあり、1985年となっていました。因みに写っている電車は土佐電鉄の「シュツットガルト市電」と同型車です。この電車が更に福井鉄道で活躍することになりそうですが、“本場”シュツットガルトでこの写真を撮影していた頃には既に日本の土佐で走っていました。不思議な感じがします。

2013年03月06日 19時57分

さよなら!!東横線渋谷“地上駅”(4)。

東横線渋谷駅と言えばこの風景。

東横線に乗らないまでも、昭和48年の大学入学以来、学生時代だけではなく社会人になっても、渋谷に来ることは何度あったか数えきれません。もっともここ数年はこの風景を見てはいませんでしたが、こうしてこの写真を撮っていて、今はまだ現役であるにも関わらず、既に「懐かしい風景」と感じたのは、きっとそのデザインが私の中で『学生時代の思い出』となっていたのかもしれません。

さて駅舎の外観を撮影した時間から5分ほど巻き戻して独特のカーブを描く外壁から街並みを覗いてみました。何度となく見てきた都バスが停車する風景もこれで見納めなのですね。等と感慨にふけっていたら、私に声をかけてきた人がいました。

「ここから東京タワーが見えるんですよ。」の一言。オッと思って目を凝らしたら確かにビルの間に東京タワーの姿がありました。教えてくれた方に「ありました。ありがとうございます。」とお礼を言い、早速撮影。渋谷駅のホームで東京タワーが見えるのははここだけなのだそうです。

さてさてこうして時間は12時となり、もうここにいられる限界一杯。その後真面目に仕事をしたことは言うまでもありません。

それにしても、「鉄」が絡むといつもより早く起きるのが苦にならないのはどうしてだろう?そして仕事にも集中できる…、おっとこれは書いてはいけない話しですね。忘れてください。

2013年03月05日 22時25分

さよなら!!東横線渋谷“地上駅”(3)。

2月28日の東急東横線「渋谷駅」にあったカウントダウン。東急のマスコットキャラクターの「のるるん」の姿がそこにありました。

名古屋に住んでいる私にとって、東急に「のるるん」というマスコットがいるのをお恥ずかしい限りですが、今回初めて知りました。そこで家に帰り、東急の公式HPを確認したところ、昨年の8月28日に「東横線渋谷駅開業85周年」でお披露目され、名前については11月11日に決まったとありました。

因みに6206名の応募からその名が選ばれたそうです。

さて1番線と2番線の間のホームの定番“撮り鉄”スポットで5分ほど撮影。絶対撮影しておきたかったすれ違いは思いのほか早くパチリ。シャッターを押すタイミングとしてはもう一寸待っても良かったかも知れません。

そして頭端式の駅の醍醐味の一つ、渡り線を行くクネクネ電車は待つこともなくGET。私の後ろで順番待ちをしていた人に場所を譲りました。

まあ名残り撮影も譲り合いの精神が必要ですね。

2013年03月04日 21時45分

名古屋駅の風景が変わりつつある。

名古屋中央郵便局~名古屋中央郵便局名古屋駅前分室のあった建物が、いつの間にか無くなっていました。昨年の秋に「名古屋中央郵便局名古屋駅前分室」は写真の真ん中に写っているJRセントラルタワーズの15階に移転し、窓口は無くなっていましたのでその内に建物は取り壊されるであろうとは思っていたものの、久しぶりにここを通ったら、目の前に忽然とタワーズのビルの全景が目に入り驚きました。

そう言えば、国鉄名古屋駅と名古屋中央郵便局との間を結ぶ通路があったと聞いたことがありますが、その跡はどうなっているのでしょう?

さてこの風景が見られるのもそれほど長い期間ではないはずです。

 

名古屋中央郵便局名古屋駅前分室が移転したタワーズ15階から見た大名古屋ビルヂング。取り壊し工事が進んているのが見て取れます。この風景(取り壊し途中)も期間限定です。

こちらは名古屋市営地下鉄桜通線「名古屋」駅の改札を入ったところにあった壁画。この壁画はもともと東山線の改札近くにあったもので移設されるとは聞いてきたものの、あまりに唐突にこの場に出現しました。

「寄贈 名古屋地下鉄名店街組合連合会 昭和四十二年十一月」の銘板もあり、ひょっとしたらこれまでよりも認知度がUPするかとも思いました。

2013年03月03日 16時36分

名鉄桜駅の桜、蕾(つぼみ)を感じた。

毎年、書いている名鉄桜駅の桜。

昨日(3月2日)はこんな感じでした。蕾(つぼみ)が膨らみはじめ、その膨らみはうっすらとピンクに色付き始めていました。これは気のせいではないはず。

寒い日が続いていますが、昨日・今日と外で日差しを浴びていると太陽の恵みを実感できるようになりました。この蕾も「この寒さももうすぐ終わるよ」と語りかけてくれるような、そんな気がしました。コートを脱ぐ日が待ち遠しい。

2013年03月02日 22時22分

さよなら!!東横線渋谷“地上駅”(2)。

東横線の降車ホームにいる警備員さん。もう何年も東横線に乗っていませんし、また以前乗った時もいつも先頭車に乗っていたので、警備員さんの存在に気付いていませんでした。

この警備員さんの写真を撮っている方もいたので、東横線渋谷駅にとって馴染みのある光景だったのかもしれません。この駅のホームはカーブで見通しの悪いことは間違いなく、列車編成が伸びていくに連れてその必然性があったということなのでしょう。

横浜側からの1枚。ホームの端に立っても、停車中の全電車を撮影することは叶いません。ということで1番線に停車中の電車の先頭を入れ込むことは諦め、こんな感じで撮影してみました。この写真(この場所)の私なりの楽しみ方は、カーブのある駅ゆえに、同じ編成両数でも先頭車の位置が少しずつ異なっているということで、“内輪差”が実感できることです。

そして改札口からホームを見た一枚。『東急東横線発車案内』及び『先発列車の停車駅』ももう見納めです。

それにしても4面4線の巨大駅がまるっと引っ越すというのはもの凄いことだと改めて感じました。

2013年03月01日 21時45分

さよなら!!東横線渋谷“地上駅”(1)。

ドイツの旅は一時お休み。

今日から東急東横線の東京メトロ副都心線との相互直通運転による渋谷“地上駅”とのお別れ話しを書かせてもらいます。

昨日(2月28日)は東京出張だったので、少々早めに東京に向かい、まずは品川で山手線に乗り換え。いきなり「みどりの山手線 50周年」記念ラッピング電車に遭遇。但しこの電車は内回りで、私は外回りに乗る訳で残念ながら見ただけでした。でも数ある山手線の電車でただ1編成の電車に出逢えたのはそれだけで上々の出来事でした。

恵比寿で山手線を降り、日比谷線に乗り換えて「中目黒」へ。ここ「中目黒」駅で狙ったのは東横線直通の電車。3月16日からは日比谷線直通電車も無くなります。

今更ながらですが、方向幕の列車種別の『各停』ですが、日比谷線内では出されておらず、ここ「中目黒」で出されていました。

2013年02月28日 21時05分

1991年のドイツ(12)シュツットガルトのUバーン。

「Schreiberstraße」停留所です。

U系統の『乗務員扉』のある電車が安全地帯の無いところで停車し、道路から直接乗り降りするのは日本では私の記憶の限りでは思い当りません。どこかにあったかなあ?

もっとも安全地帯があれば福井鉄道を、一方、乗務員扉が無い電車であればまるで今はなき名鉄岐阜市内線を髣髴(ほうふつ)させます。それはさておき、近代化が済んだ今はこうした光景は今は昔となっているような気がします。

この写真は「Schreiberstraße」~「Marienplatz」間で地下区間から出てくるところですが1991年当時の路線図ではU系統しか走っておらず、メーターゲージの線路は既に錆びついていました。

2013年02月27日 21時04分

1991年のドイツ(11)シュツットガルトのトラムの3線区間。

「シュツットガルト」U1系統「Fellbach」行き。手元のメモでは『Bad Cannstatt』電停とあります。

当時のシュツットガルトはメーターゲージと標準軌の3線軌道の区間も多く、この電車の様な『U』の付く系統は標準軌の電車が使われ、専用軌道ではやはり時速70キロを出していました。

一方、『U』の付かないこの電車のような系統(この写真は2系統)はメーターゲージでした。場所は上の写真と同じです。

この3線軌道は、トラムの近代化(標準軌化)をして路線拡大を図るための過渡期の姿だったのですが、Wikipedia「シュトゥットガルト」の項目には、2007年には最後の路線が標準軌化されたとありました。今、この2系統はUの何系統になっているのでしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!