2013年01月07日 21時21分

鉄道交通を考える。(2)いざ、大阪・堺市へ。

6000系の特徴は、今の時代にあって4扉片開きだと思っています。この6000系以外では私の知る限りにおいて京浜急行800系くらいでは無いでしょうか?大都市圏ではそもそも一般車(通勤車両)の片開きは絶滅危惧種となっているとさえ思われます。余談ですが南海電鉄の公式HP内「鉄道博物館~現在の車両」の中に、6000系は見当たりませんでした。

この6023号は昭和42年(1967年)の東急車両製、その後、昭和62年(1986年)に南海車輌工業で更新されているのが見て取れました。

余談ですが南海には4扉ながら単車で運行できる電車がかって存在し、写真は高師浜線に乗車した昭和54年(1979年)10月14日、南海電鉄「羽衣」駅で撮影したものですが、当時の記憶を手繰ってみると単行の4扉車に「へえーっ」という漢字だったと思います。

さて6000系に話しを戻しますが、誕生してから45年経った今も、勿論、更新工事等は行っているにしても大都市圏の急行電車として現役であるというのはやはり鉄道という交通機関の大きな特徴でしょう。車や航空機との単純比較はあまり意味がないことかもしれませんが、思わず書いてしまいました。

2013年01月06日 18時47分

鉄道交通を考える。(1)いざ、大阪・堺市へ。

今日からこのブログも通常ダイヤに戻ります。

昨年の11月17日(土)、この日は中京テレビで12月16日に放送した「第2回こども鉄道博士選手権」の準決勝の舞台となった名古屋10:00発の「南紀3号」を見送った後、私は大阪に向かいました。

目的は「第11回全国路面電車サミット 2012大阪・堺」に参加すること。以前からこの『路面電車』サミットの存在は知っていたのですが、なかなかスケジュールが合わず、昨年、やっとその想いが叶いました。

サミット自体は前日の11月16日(金)も開かれており、その主な内容は例えば16日であれば

*講演「地域鉄道・路面電車を取り巻く現状と支援制度について」

*講演「LRT等の公共交通と集約型まちづくりについて」

17日は

*講演「公共交通導入で賑わうフランスの地方都市」

*パネルディスカッション「路面電車とまちの再生」~チン電復権が持つ意味~

等となっています。なお、ここで列挙しなかったイベントもありますがその選別に他意はありません。ご了承ください。

さて、会場となった「堺市総合福祉会館」の最寄駅は南海電気鉄道(以降は南海電鉄と表記)の高野線「堺東」駅。ということでまずは「難波」駅へ。「難波」は本来は漢字のはずですが、表記はひらがなの「なんば」となっており、便利で分かり易いのではあるものの昭和の時代からこの「なんば」だったかどうかまでの記憶は定かではありません。

ともあれ11:48発の急行「林間田園都市」行きに乗車。写真は6023号(6000系)で、南海の通勤車両に乗るならやはり平成24年でもこの電車だよね!と得した気分になりました。

2013年01月05日 21時23分

今年初めて電車に乗りました。

今年の正月は無精を決め込み、今日、今年初めて“電車”に乗りました。乗車したのは名古屋市営地下鉄「桜通線」「東山線」「鶴舞線」で所用で出かけた次第です。

年末も12月28日の会社からの帰宅時に乗ったきりなので、丸7日間も「鉄道」に触れていなかったことになります。こんな事態はもう10年以上なかったのでは?では一体その間何をしていたかと言えば、数十年前に撮影した(はずの)フィルムの発掘を少々した程度。このブログの『ネタ』準備もしようかと思ったものの、結局食べる!呑む!寝る!の日々で、こんな年もたまには良いかもと思いました。もっとも寒くて冬眠していたというのも理由の一つです。

私にとって今年最初に撮影した「鉄写真」がこれ。名古屋市営地下鉄にはこんなポスターがあるのをご存知でしょうか?絶対にあってはほしくない事態の啓発なのですが、“緊急地震速報”の一番下の5つのピクトグラフ(ピクトグラムとも言います。絵文字のことです)には何が書いてあるのでしょうか?

左から「手すりやつり革につかまる」「頭をまもる」「あわてて飛び出さない」「エスカレーターを利用しない」「エレベーターを利用しない」となっています。いざという時に『あわてないで落ち着いて行動』するために、皆さんも一度目を通しておかれることをお勧めします。毎日使っているとかえってこうしたポスターには気付かないものですが、それだけに先を急がないこの時期だからこそ撮った一枚とも言えます。(と気張るほどのこともありませんが。)

もう一つ私自身の自戒の念を込めて「駆け込み乗車禁止」の一枚。

『事故防止のため駆け込まないで下さい』も駅のホームでよく見かけます。日々地下鉄を利用していて「駆け込み乗車」する人を見かけない日の方が少ないといっても過言ではありません。中京テレビの下車駅「八事日赤」はそれほどではありませんが、乗換駅となる「八事」(鶴舞線から名城線「本山」方面)、「新瑞橋」(名城線から桜通線)が多いような気がします。

もしも停車中の電車を目指し、ホームを走っていて転んで怪我をしたら、その責任は本人だけなのかそれとも鉄道事業者にも責任一の端が課せられるのでしょうか?一寸気になるところです。勿論、「駆け込み乗車」をしなければ何事も無しです。

2013年01月04日 20時33分

「梅小路蒸気機関車館」の頭出し。

今日から「梅小路蒸気機関車館」が開館、そして年始恒例の特別展示『蒸気機関車の頭出し』も始まりました。

私が「梅小路蒸気機関車」に行ったのは1度だけ。もう9年も前の平成16年(2004年)1月11日。「もう一度…」と思いつつ、結局行けずじまいとなっています。ピカピカに磨かれ、お召列車が如く国旗を掲げたその姿には本当に惚れ惚れしました。

個人的には、『梅小路』に行くならこの“頭出し”の時期がお勧めです。今年は「梅小路蒸気機関車館」のHPには1月14日まで開催と書かれていました。名古屋からなら当日の天気予報を見てから出かけることも可能なので、(この時の経験上)できれば「晴れ」で暖かい日にするのが無難です。当たり前すぎですいません…。

鉄道誌などで過去、何度も掲載されていますが、『百聞は一見に如かず』です。この時期限定のお勧めイベントです。とは言っても9年も行っていないので何の説得力も無いですね。

2013年01月03日 20時06分

『C57 87』の冬

昨日に引き続き、昭和49年(1974年)2月15日の宗谷本線「名寄」駅でのスナップ。こちらは下り「稚内」行き321レ。牽いているのは『C57 87』です。

機関車の足元で巻き上げている『雪』が如何にも北国らしい“情緒”を醸し出していますが、これは厳しい自然の証であり、駅構内でこの雪煙と言うことは、この先の行路が思いやられる光景です。とはいうもののその道を私はC55と共にやってきたのですが…。

さてこちらは“カラー写真”の『C57 87』です。このコマはたまたま出てきたネガをスキャンしたのですが、2コマだけが切り取られており、不思議な感じです。この頃、カメラを2台持ち歩くことは考えられず、ひょっとしたら別日の可能性が高いのですが、私の記録簿から見ると前々日の2月13日に宗谷本線「比布」から「美深」まで321レに乗車しており、可能性があるとするならその乗車時となるのですが…。

なぜそう言えるかといえば、最初の写真の前にこのコマがあり、給水のために移動していると思われる『C57 87』がありました。もっともC57より『39634』の方に目が行くかもしれません。

(おまけ)

昨日の『C55 50』は小樽総合博物館で保存されています。

2013年01月02日 18時05分

『C55 50』の冬

昭和の時代のネガをスキャン・デジタル化しています。今日はその中から昭和49年(1974年)2月15日の宗谷本線名寄駅でのスナップです。

美しいスポーク動輪は『C55 50』のもので、本当に見とれてしまいます。

2月13日に天北線(現在は廃線)周りで「稚内」に到達した私は彼の地に2泊し、「稚内」からの戻りは宗谷本線324レ(「稚内」発「旭川」行き)に乗車しました。

2月15日の324レの「稚内」発は8:02(定刻では7:56)、「名寄」には13:11(定刻では13:01)に到着。その列車を牽いていたのが『C55 50』で、積雪のため列車は遅れがちでしたがそれでも10分ほどで済んでいました。

ここでしばし点検を受けました。

そして私は定刻では13:20発の324レを「名寄」駅で見送りました。

その後の私の足取りは、「名寄」発13:56(定刻では13:43)の816D急行「なよろ1号」に乗車し、札幌へと急いでいました。(途中の「士別」で324レを追い抜いた)

 

2013年01月01日 0時02分

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

つたない写真とつたない文章で恐縮ですが、今年も1年間よろしくお付き合いのほど頂ければ幸いです。

2012年12月31日 14時32分

平成24年の終わりにあたり御礼。

平成24年の終わりにあたり、小生のブログをお読みいただいている皆様に厚く御礼申し上げます。

2010年の2月から始め、第1632回の連載となった今日、こうして続いているのが自分でも不思議な気がしていますが、やはり読んで下さる方がいるからであることは間違いありません。ところでこのブログには皆様から『コメント』をしばしば頂いております。頂いたコメントは必ず目を通し、内容を確認したうえで「コメント」欄にUPしています。もっとも頂いた全てをUPしているかと言われれば「全て」UPしていますが、「全て」ではないとも言えます。実は、「スパム」も結構あってさすがにそれはUPしていません。(裏話でした)それはさておきコメントはいつもなら大体、記事をUPしてから1週間以内に頂くことが多いのですが、今年はたまたまなのでしょうが2年前の記事にコメントを頂いたことがありました。

 

今年10月9日に頂いたのは、2年前の平成22年8月16日にUPした「立山砂防軌道」の回。

スイッチバックのポイントにあったこの矢印について私は、

『スイッチバックのポイントは自動化されており 写真の『矢印』を確認しながら進行しています。

見ていると、折り返し線に入るとポイントは直ぐに切り替わり 進行方向の『矢印』が点いて、即、出発です。 実に手際が良いというか、一般の鉄道に比べても その圧倒的な素早さは感動モノです。・・・そもそもポイントは通常、閉塞システムと連動させるはずで その閉塞システムはどうなっているのでしょう? このトロッコではスタフでもタブレットでもなく、 まして自動閉塞とも考えられず・・・ここからは私の推測ですが、 路面電車のトロリーコンタクター的な装置があり それで運行しているのではないのでしょうか?』と書いたところ、以下のコメントを頂きました。

『閉そくはありません。(軌道回路はありません。) 写真の装置は「操作てこ(表示灯付き)」と言います。 通常の運行ではこの「てこ」(スイッチ)は使いません。 ポイント開通方向の確認のために使います。 >トロリーコンタクター的な装置 この種明かしです。 地上に設置された「地上子」と機関車の車上側に取り付けられた「車上子」「スイッチボックス」により動作します。 (千寿ケ原から水谷に向かうトロッコはスイッチを上りに合わせます。水谷から千寿ケ原に向かうトロッコは下りに合わせます。) 通過中の誤転換を防ぐため一般鉄道であれば軌道回路による閉そくをかけますが簡易な方法として時素リレー(タイマー)によりもしも次の信号が入っても転換させないようにしています。。 車上側のスイッチボックスで上りに設定するとポイント通過時に上りに転換させます。 ポイントはスプリング式になっており分かれた側から進入する際は反対側であってもばねを押して通過できます。 (背向割出しと呼びます。) LC回路で構成される地上子の上を通過すると、電磁結合に変周作用が発生し上り下りを判別します。 ・タブレットなどによる閉そく運転ではありません。 連絡所間で連絡を取りあいます。 ・臨時運行するモーターカーなどは途中折り返しもあるので細心の注意のもとで走行します。』

 

この他、2010年5月9日にUPしたインド「ダージリン鉄道」のグッズについては、この11月21日にコメントを頂いています。

今日は年の瀬に当たり、検索エンジンで探していただかない限り出会えないであろうと思われる記事へのコメントを紹介させていただきました。コメントにつきましては、記事への感想であったり、中には私が『疑問符』をつけた内容についてわざわざお調べ頂いたうえで書き込んでくれたのであろうと推察される方もおられ、恐縮至極であり、また感謝の念に堪えません。

もっともそのようなコメントに、時に私はタイミングを逸してお礼を書いてなかったり、また書いていても数日遅れだったりしたこともあり、そのお詫びをこの場でさせていただくとともに、来年はそのあたりを是正しようと心に誓っています。

これからもお付き合いのほど頂ければ幸いです。

2012年12月30日 21時46分

台湾・桃林鉄路「林口線」、廃止!(2)

(日本では多分?)ありえない鉄道の話し。

写真を撮影した順番と、今回の掲載順は異なりますが、話しをわかりやすくするためということでご容赦を。

写真は、当時の「林口線」旅客列車の終点「長興」駅です。列車は“下車するお客”が降りるとすぐに終点「林口」駅(貨物駅)方面に向けて出発しました。

 

“下車するお客”とわざわざ括弧書きにしたのには理由があります。実は、乗客の殆どは終点の「長興」駅で下車していません。また私も含めてですが、車内に乗客を乗せたまま列車は何事もなかったかのように数百メートル先に進みました。正直、私は面食らいました。車内の撮影をし、いざ下車しようと思ったら扉が閉まったのです。その瞬間の私の心境をお察しください。

この写真の撮影時間は18:04です。(列車の「長興」駅着は定刻から1分遅れの18:01)

この場所に18:07まで停車し、「長興」駅のホームに到着したのは18:09。そして列車は18:10、何事も無かったかのように定時で「桃園」駅に向けて出発しました。

結局察しがついたのは、「長興」駅のすぐ「桃園」側に警報機付きの踏切があり、その踏切対策として一旦前後に踏切がない区間まで車両を移動させ、そこに停車させておいたのであろうということです。

では「長興」駅で下車しなかった乗客たちはなんだったのでしょうか?見たところ家族連れや子供たちだけのグループもおり、見た限り、ほぼ全員が乗車した駅で下車していきました。正に『無料』効果は絶大で、「夕涼み列車」とでも言いたくなったほどでした。少なくとも私のような「鉄」はいませんでした。(なぜか車内の乗車人員数をカウントしており、「長興」で折り返した人は26名でうち小学生以下と思しき子供は11名)

さてもう一つ。この列車の方向幕は「青桐」となっており、この「青(本当は写真の字です)桐」という駅は台湾北部の支線の終点で、少なくとも台北から2時間近くかかります。恐らく「桃園」までは回送で走ってきたのでしょうが、私が乗車した4年前も廃止直前の今年も同じような運用あったのでしょうか?

それはともかく「林口線」のお別れには多くの鉄ちゃん(もちろん、台湾の方たちです)が詰めかけたようです。「海湖」までの延伸区間を乗ってみたいとは思っていましたが叶わぬ夢となりました。「桃園国際空港」へのアクセス鉄道になるのではという“噂”もあったのですが…。

私が乗車した台湾の鉄道で廃線となったのはこれで2つめです。やはり時代を感じます。

2012年12月29日 21時58分

台湾・桃林鉄路「林口線」、廃止!

平成24年12月28日(金)、台湾の桃林鉄路「林口線」の最終列車が走りました。

日本の鉄道路線の廃止ともなれば各メディアが大きく取り上げますが、台湾の1鉄道路線の廃止を取り上げた日本のメディアは少なくとも私は見つけられませんでした。

今回この「林口線」の廃止をここで書こうと思ったのは、この路線が極めてユニークな存在であったこと。それはもともと1968年に貨物線で開業し、その後、2005年に旅客営業を始めたものの1日2往復のみ。しかも運賃無料!(本当に無料でした)であったことなどがその理由ですが、今回は貨物営業・旅客営業とも終えることになりました。(参考資料:Wikipedia他)

この写真は今から4年前の平成20年(2008年)8月26日に撮影したもので、その起点「桃園」駅で停車中のDRC1033+DRC1034の2両編成。3305レは定刻では17:30の出発でしたが、このホームへの入線は10:29。「来た!」と思ったら直ぐの17:33に出発しました。

※「桃園」駅は「台北」駅から『自強号』で約30分。名古屋(中部国際空港)から台北行きの飛行機が到着する台湾桃園空港の“最寄駅”です。

※「林口線」の「桃園」駅は台湾鉄路局(日本でいうJR)の駅とは同一構内にありません。それほど遠くは無いのですが、少々不思議な空間にありました。

これが時刻表。台湾で使われる漢字は日本人にも馴染みやすく、“読み”はともかく、“視覚”では駅名が認識できますね。それはともかくまず1日2往復であることは見て取れます。「桃園」駅を出た列車は片道を30分かけて走りますが、「桃園」から終点の「長興」までの距離は、wikipediaによれば11.7キロ。途中の駅が3駅であることを考えると時間が結構かかっているように見えます。実際のところ列車の時速は30キロ程度しか出しておらず、ここまでの情報の範囲内ではいったいどんな過疎地であり劣悪な線路状況で走っているのかと言いたくなりますが、実際には住宅地であったり、工場地帯であったりを走っています。

※往路が「去」。復路が「回」というのもわかりやすくていいですね。

写真は「桃園」駅から2駅目の「宝山」駅です。乗降は結構あり、この写真を見る限りどこかの通勤路線の駅といったら信じてもらえそうですね。

ところでこの「林口線」ですが、私が乗車した4年前は「長興」駅が終点でしたが、その後「海湖」駅まで旅客営業区間が延ばされ、そして今回の終焉を迎えました。とはいうものの貨物列車の終点は「海湖」駅の一つ先にあって、路線名の由来でもある「林口」であり、知れば知るほどユニークな存在というのがご理解いただけると思います。でも本当に面白いというかビックリしたのは当時の終点「長興」駅での出来事でした。また次回。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!