今、名古屋市営地下鉄の駅にはこのポスターが掲出されています。1枚が「日本を、一枚で。」そしてもう一枚は「manacaいよいよ全国デビュー!」のポスターです。
3月23日からICカードの相互利用事業者が増えるのは、名古屋市交通局のHPでもその詳細が12月18日にUPされ、また報道もされているのでご存知の方も多いかと思います。左のポスターは全国版に見えるものの、12月18日以降、東京どころか名鉄電車にも乗っておらずその存在を確認できていませんが、ひょっとしたら『名古屋版』かもしれないと思っています。
さて次に右のポスターの日本地図部分だけを切り取ってみました。こちらは名古屋市交通局が作成したものと思われ、真ん中にドン!と大きな「manaca」があり、北海道から九州までのところどころに小さな「manaca」があります。これは「manaca」と相互利用できる会社の所在地ではなく、利用できるエリアに置かれていることが見て取れました。何故かと言えば、新潟・仙台・鹿児島エリアにそれがあるというのが理由です。
来年3月23日以降、私が全国で「manaca」を利用するかどうかですが、その前に私は「Suica」と「PASMO」を持っています。これは「Suica」と「PASMO」のそれぞれの登場当初、相互利用できなかったのでその両方を使い分けていたのですが、相互利用が可能となってからは「Suica」しか使っておらず、「PASMO」が今、家の中のどこにあるのかすら思い出せません。これは新幹線から乗り継ぐ鉄道がほぼ100%JRだからです。
※「TOICA」も持っていますが、こちらは『記念TOICA』で普段は持ち歩いていません。
で、私自身の近未来予測。多分しっかりとチャージした「manaca」だけを使うようになり、「Suica」は使わなくなるでしょう。「manaca」がメインとなる理由は明確で、1枚で済むならわざわざ他のカードを持ち歩く必要はない訳ですし、いつもは名古屋市交通局しか利用しないので、『ポイント』がつかないカードを選択する理由がないからです。(名鉄電車は月に数回利用する程度です)
そういえば今更の話しで恐縮ですが、この25日まで名古屋市交通局では「クリスマススタンプラリー」が行われていました。例えば地下鉄の6駅(久屋大通・八事・藤が丘・金山・新瑞橋・鳴子北)でスタンプを集めるとオリジナルピンバッジをもらえるというものでしたが、私は今回、断念していました。写真で見るとかわいいデザインだとは思いましたが、周りであまり話しにも出ておらず、無事4000個が引き換えられたのを願うばかりです。
名鉄名古屋本線「桜」駅は無人駅です。そのため「インターホン」がついており、ボタンを押せば「名鉄係員が応対いたします」の文字通り、係りの方が出てくれます。
ところで「インターホン」の下に英語があるのですがそこには「Intercom」とあります。そうなんです。「インターホン」は和製英語で、英語では「Intercom」となります。ところで「インターホン」が和製英語というのは聞いたことがあり知っていたのですが、いつから「インターホン」という名前が使われていたかについては、少々ネット検索した程度では出てきませんでした。
さて余談ですが名古屋に「アイホン」というインターホン大手の会社があります。今年、そのアイホン株式会社とApple社が誰でも知っているであろう製品名「iPhone」(アイフォーン)の商標使用で合意したというニュースが流れました。難しいことはともかく「iPhone」が日本では「アイホン」ではなく、「アイフォーン」であることには理由があるということで、『商標』権については、私の業務にも関係があるのでそうしたニュースに敏感に反応してしまいました。なおApple社からアイホン株式会社には使用料が支払われているようです。(参考:東洋経済ONLINE)
そんなことを「桜」駅の「インターホン」の吊り看板で思い出したのですが、興味のない方はその看板の下にある「電車が通過します」の通り、通過してください。あっ、今頃書いても遅いですね。
今日はクリスマス。私は仕事が終わった後、内科に立ち寄って家に帰りました。
だから何というほどのこともなく、特段待ち合わせる相手もいないのでそのようなことになるのですが、それはさておき「今日は待ち合わせ」という人もいたでしょう。
携帯電話どころか、ポケットベル(すでに死語!か?)も無かった時代の話しです。駅で待ち合わせをしたものの、相手が待てど暮らせど現れず、1時間ほど待ったところで待つのを諦め「何かの理由があって遅れている…のだろう」と思い、それでもひょっとしたら来てくれるかもしれない…。と、そこからの立ち去り際に『駅の伝言板』に一言、「2時間待ちました。今日はこのまま帰りますが、気にしないでまた連絡をください…」などと相手を思いやるメッセージを残す。という世界がありました。待った時間が誇張されているのはそんなこともあったのではという妄想で、私の実体験とは異なります。
その『駅の伝言板』はもう遺物かと思いきや、名古屋市営地下鉄ではどっこい生きています。写真は通勤で毎日乗降している名城線「八事日赤」駅のもので、その存在は開業当時からあるにも関わらず、初めて見ました。(写真に撮影したのが最初という意味ではなく、本当に初めて「見」ました)
今や誰も使う人がいないのか、「東山線では、平成24年12月25日(火)~28日(金)及び、平成25年1月4日(金)は、平日の運行時刻を変更して運転します。」のお知らせがど真ん中に貼られていました。昭和の時代には男女に限らず、友人・知人、家族の連絡にいつも使われ、この伝言板では書いて『月日』を書き入れるようになっていますが、“昔”は時間も書くようになっていて、一定の時間が過ぎると消され、新しい伝言が書けるようになっていました。アナログだからこそ心が繋がった時代があったと言いたい58歳です。
旅の最後の「きらめき19号」。「折尾」を16:38に出発し17:10の定時に「博多」着。時間が時間だけに、811系がぶれているだけではなく、画面全体が手振れでボケています。ご容赦を。
この日の「きらめき19号」の787系電車は“BM-1” というトップ編成で、車両番号も「クモハ786-1」という滅多に九州に行かない私にとっては突然、嬉しいプレゼントが舞い込んできた気分です。
乗ろうと思ってもそうそう乗れるものではないトップナンバーですが、JR九州の車両番号は写真のように四角の括弧の中に書いてあるものが多く、ちょっとしたことなのですが“楽しい気分”にさせてくれます。
ということで長きに亘りました「九州」シリーズはこれでお終いです。『1番最後に、1番最初の話しを書く』というのは、「きらめき19号」との偶然の出会いが生んでくれた出来事です。さて明日から何を書きましょうか?
平成24年10月27日、「博多」を9:20に出発し「日田」~「田川後藤寺」~「直方」・「筑豊直方」~黒崎駅前」・「黒崎」~「戸畑」・「戸畑渡場」~「若松渡場」・「若松」~「折尾」~「博多」と九州を1/4周し終えたのは17:10でした。
その最後の行程、「折尾」~「博多」間は『2枚きっぷ』を使用しています。勿論私にとっては初めての使用。というより、家に帰ってJR九州のHP、「時刻表」を見て、その存在を確認したほどです。因みに名古屋に戻った後、「鉄」友に話しをしたところ「『2枚きっぷ』は知っていたけど『一人で往復』でなければ使えないと思っていた」と話してくれ、2人の片道使用には思い至らなかったそうです。もっともいつも一人旅なので、「そもそも買うことはなかろう」とも言っていました…。その点は私も同じです。
ということで実は今回は2人旅。と言っても同行者は「鉄」ではなく、「乗り鉄」の私がどういう風に「鉄旅」を楽しんでいるのかであったり、「ゆふいんの森」やJRのローカル線、路面電車、渡船といったバラエティーに興味を持ってくれ、私としては是非「こちらの世界」に入ってもらおうと相務めた次第です。その結果は…。私の努力は報われていません。しょうがないかな?などとぼやくと同行者から叱られそうです…。
ところでこの『2枚きっぷ』、初めから買う気があったわけではありません。実は「折尾」駅の窓口で「博多まで『きらめき』の自由席2枚」と申し出たら、駅員さんから「200円ほどですが『2枚きっぷ』だと安くなりますよ!」と言われ、私は直ぐに反応して「それでお願いします」と返答しました。このやりとりで「JR九州」の印象は一気にUP。「サービス業の鏡」とさえ思えました。(やや大袈裟?)でも嬉しくなった私の気持ちは分かっていただけますよね。
*「折尾」~「博多」間の乗車券+自由席特急券=1410円
*「折尾」~「博多」間の『2枚きっぷ』の1枚分=1300円
昭和46年(1971年)3月23日、一昨日UPした『D50記念写真』の後、「折尾」駅には朝の6:33に戻ってきました。そしてその後、7:56に「下関・門司港」発「博多」行きの電車に乗るまでの間、ここ「折尾」駅にいました。
「折尾」駅と言えば日本初の鉄道同士の『立体交差』駅として知られていますが、昭和46年の高校生当時は、それに気付いていませんでした。421系電車も懐かしいですが、立体交差の向こう側には上下線とも蒸気機関車の牽く客車列車が止まっていました。
その時の蒸気機関車の写真が何故か残っており、それがこれで「なめくじ」のD5142号機。検索したら鹿児島県で動輪が保存されているとの記述を見つけました。
平成の立体交差を上(鹿児島本線下りホーム)から見てみました。この写真を撮影した鹿児島本線の下りホームのみならず、上りホームも毎日、多くの人が行き交っていますが、それが『日本初』の光景であることは殆どの人が気にしていないというか、『知らない』でしょう。
ところでこの部分の下にある鹿児島本線を支えている部分はレンガ積みであったり、「折尾」駅の壁画があったりそれだけで結構“見応え”があります。一度ご覧あれ。
昭和53年(1978年)1月28日の国鉄鹿児島本線・筑豊本線「折尾」駅です。画面に大写りしている「トヨペット・コロナ」のタクシー、そして駅出入り口右側の「ダットサン・ブルーバード」のタクシーが今となっては歴史の貴重な証言者かもしれません。それにしても懐かしい車たちです。
時代は下って平成24年10月27日のJR九州「折尾」駅です。その日の2週間前、10月13日にこの駅舎は役目を終えました。壁面の経年劣化ですっかり色落ちしていた昭和の時代に比べ、平成の「折尾」駅は美しく、一体どちらが新しい時代なのかが分からないほどです。まあ昭和の写真は退色が激しく、その時代の『色』が定かでないのが残念です。
ところで昭和と平成の違いですが、それがよく分かるのがこの写真です。まず窓枠が木組みからサッシに変わっています。また駅名の上の窓のその上に今はある「動輪」マーク(?)が昭和の時代にはありませんでした。
15:45頃、『若松渡場』に到着。下船した後、『渡場』の前にあった地図でJR「若松」駅を確認。15分ほど歩けば行き着けそうだったので、今にも泣きだしそうな天候の中、取り敢えず向かうことにしました。その時、バスが丁度通りがかったのですが、恐らく「若松」駅方面に行くのだろうとは思ったもの、それをやり過ごすことにしてしまいました。後悔!小雨が降り始め、それも傘をさすかどうかが悩ましいレベル。結局、洞海湾の景色はほどほどに見つつの早足を選択しました。
「若松」駅には15:55に到着。15:56に「折尾」行きがあるのは知っていたので、それに『間に合うかどうか』が微妙な時間だったのですが、改札口に到着すると、駅員さんの『乗りますか?』という問いかけのオーラ(言葉で聞かれたわけではありません)を感じ、無札(切符を買わず、下車駅で清算)乗車をすることにしました。
最初に「若松」に降り立ったのは昭和53年(1978年)1月28日。528Dで9:03着。折り返し、9:24発の127D「香月」行きに乗車し、香月線を乗りつぶしました。重厚というか歴史の重みを感じさせてくれる駅舎も今は昔の1枚です。
ところで筑豊本線そのものを最初に乗ったのは「折尾」~「二島」間。昭和46年3月23日の722レで、6:18に乗車して6:24下車という僅か6分間の出来事でした。写真はその「二島」駅で停車中していた『D50205』の運転席に座っての記念写真で、当時の機関士が乗せてくれました。この時の旅行は高校2年生の終わり、高校3年生になる前の春休みで、およそ大学受験の緊張感のない学生だったことがばれてしまう1枚です。非鉄の同級生との2人旅で、鉄道を使った旅ではありましたが、「鉄」の旅ではありませんでした。
思い出はそれ位にして、平成24年10月27日の6463Dは「折尾」に定時の16:15着。「若松」~「折尾」間は非電化ですが、筑豊本線はここから「桂川」までは『福北ゆたか線』ということで電化されており、お隣のホームには817系の2653H、16:22発の「博多」行きが停車していました。
さて「黒崎駅前」まで順調に回ることができたのでちょっと“旅”に出ることにしました。それが『北九州市営若戸渡船』による「洞海湾」の横断。
まあ順当なルートとしてJR「黒崎」~JR「戸畑」…徒歩…「戸畑渡場」…船…『若松渡場』…徒歩…JR「若松」~「折尾」経由「博多」の順で回ることにして、まずは「戸畑渡場」を目指しました。
※『渡場』というのは乗り場のことです。でも『渡場』は「とば」と読むのか「わたしば」と読むのは分かっていません。申し訳ありません。
JR「戸畑」駅から、その「戸畑渡場」までは北九州市役所のHPには歩いて約10分とありましたが、実際にはそれほどの時間はかかりません。目標は写真の大きな吊り橋「若戸大橋」。Wikipediaにも『建設当時は東洋一の吊り橋』(昭和37年/1962年開通)とある通り、私の世代では『日本の誇り』と言っても過言ではなかったかと思います。
その若戸大橋の、写真では赤い支柱の直ぐ下に「戸畑渡場」はありました。
この“渡船”は「とせん」というより「わたしぶね」という言い方が私の感覚ではピッタリですが、実はこの航路に乗るのは2回目。前に来たときは「若松渡場」から「戸畑渡場」と今回とは逆方向でこの“わたしぶね”を楽しみました。
「戸畑渡場」に着いたのが15:38で、乗船したのは15:41発。取り敢えず乗り込んだのですが、すぐ後で15分間隔であることが分かり、だったら次の便にしても良かったなどいう感想は、乗ってから思っても後の祭りと言うことで…。
片道100円という運賃は、若戸大橋と洞海湾の風景を考えれば驚きの“安さ”ですが、市民の足ということを考えれば妥当でしょう。それにしても傍から見れば「時代遅れ」と思われがちなこうした航路ですが、この「わたしぶね」の所要時間はわずか『3分!』。若戸大橋開通時に廃止の話しもでたこの航路は市民の強い要望で残り、そして昨年には新造船も登場しており、その利便性が如何に市民にとって重要かがうかがえます。
この船を降りた後、JR筑豊本線「若松」駅を目指すことになるのですが、皆様も「若松」に乗り鉄に出かける時は、“鉄の抜け道”としてこの『北九州市営若戸渡船』の利用をお勧めします。僅か3分、されど3分。