2012年12月08日 21時03分

10月27日、「田川後藤寺」駅にて。

「田川後藤寺」には定刻の13:15着。

この列車に乗った時は終点までボックスシートで足を延ばして…と思っていたのですが、思わぬ伏兵がいました。何とこの日は『JR九州』の『JR九州ウォーキング』が日田彦山線の「西添田」駅を起点に「歓遊舎ひこさん」駅までのルートで開催されており、時折雨が降るという天候には恵まれない日であったにも関わらず、帰途につく人たちが「歓遊舎ひこさん」駅(12:58発)からドッと乗車。満席どころか立っている人も大勢いる状態となり、中高年を中心としたウォーキングブームを改めて知ることになりました。そういえばJR東海の「さわやかウォーキング」の開催時、そこへの往復の路線の列車がいつも混んでいると聞いたことがあるのを思い出しました。

ここから平成筑豊鉄道に乗り換え「直方」に向かいます。

その「田川後藤寺」駅では駅の外には、乗り継ぎ時間の関係で出られませんでしたが、その代わりに昭和53年(1978年)1月27日の「後藤寺」駅の写真をUPします。「日田彦山線」の隣駅「伊田」駅も含め“田川”がついた「田川後藤寺」「田川伊田」と改名された理由はWikipediaにありますが、その改名前の「後藤寺」駅の名の方が馴染んでいる世代は50歳以上ですね。きっと…。

2012年12月07日 22時33分

10月27日、「日田彦山線」に乗る。

平成24年(2012年)10月27日(土)、日田彦山線「日田」発12:03の「田川後藤寺」行きに乗車。

キハ40系キハ147-1081+キハ174-184の2連です。

最初にこの線に乗ったのは大学1年生の昭和48年8月5日(1973年)で実に40年近い日が流れています。乗車したのは4402D「天ヶ瀬」始発「浜田」行き(山陽本線~美祢線~山陰本線)の急行「あきよし」で、「日田」を12:38(定刻では12:31)に乗車し、「小倉」を16:10(定刻では15:58)に下車しています。九州~山陰を結ぶ列車はあるにしても、それが『日田彦山線』を走っていたのは、一体どんな理由だったのでしょう?

※急行「あきよし」は同名の「博多」~「浜田」間(山陽本線~山口線~山陰本線)の急行があり、山陽本線「厚狭」で分割され山陰本線「益田」でまた連結されることで有名でした。(下り列車はこの逆)

※それにしても、昭和48年8月の九州の列車はこの列車だけではなく、よく遅れていました。「あきよし」から乗り継いだ急行「かいもん3号」(夜行列車です)は途中で1時間近く遅れていました。

そんなことを思い出しつつ、「夜明」駅で久大本線と別れいよいよ「日田彦山線」へ。別れ行く線路を眺めているだけで旅情を感じます。ただ『さようなら』と心でつぶやくようなセンチメンタルな感情は私は持ち合わせておりません。な~んてね。

「夜明」駅から2駅目の「大鶴」駅。Wikipediaによれば2012年度の1日当たりの平均乗車人員は46人。それを構成する2人の方が雨の中を降りていきました。カメラを向けた理由は、ホームから駅舎まで結構距離がありかつ整備されていたことと、駅舎そのものが瓦屋根で昭和を感じされているものの、妙に新しさを感じたからです。昨年建て替えられたとWikipediaにあり、納得しました。

さてこの写真は終点「田川後藤寺」の2駅手前「豊前川崎」駅。と言っても平成の「豊前川崎」駅ではなく昭和53年(1978年)1月27日に撮影したものです。その駅前に『欧米か!』と突っ込みを入れたくなるような「ミロのヴィーナス」風の像が…。もっとも地元の方による「町のシンボル」としての寄贈があったとすれば、私の突っ込みは不謹慎以外の何物でもないですね。いずれにしてもその存在の理由を知る由もありませんが、今もあるのでしょうか?

2012年12月06日 22時20分

10月27日、「日田」のB級グルメ、『 焼きそば』。

「日田」で下車した理由は、一つは「ゆふいんの森号」に乗ってみたかったという目的は、1時間強の乗車で取り敢えずは達成できそうだったということと、久しぶりに『日田彦山線』に乗ろうと思ったからです。

下車した「日田」駅では時間に余裕があったので「日田名物」で早めの昼食をとることにして、駅からほど近い「日田焼きそば」の発祥と呼ばれている『想夫恋』の三本松店に向かいました。

とにかくボリュームがあって、朝ご飯を8時過ぎに食した身としては11時にこの量は、あまりにもチャンレジャー過ぎました。と言いつつ結局完食しましたが…。もっとも写真では『量』があまり分かりません。ご容赦を。

「日田焼きそば」への私の感想ですが、カリッとした麺と大量のもやしが具になっていることが独特の食感を作っている!といったところで、これを食べに名古屋から足繁く通うことはないでしょうが、「また日田を訪れる機会があれば食べてもいいかな」と思いました。値段は840円也です。11時の開店時に行列はありませんでしたが、店を出た11時半過ぎには満席に近く、また地元のお客さんが多い印象でした。

さてどうして「日田焼きそば」を選択したかと言えば、福岡までの全日空機の機内誌に『日田の味』が記事として掲載されており、私はこの出会いを“運命”と感じたからです。(てな大袈裟なことはなく、美味しそう!に見えたからです)その機内誌にはもう一つのご当地名物「ひたん寿し」(野菜のお寿司)もあってこちらも魅力的で、またこの地を訪れる良い理由(言い訳)ができました。

2012年12月05日 22時52分

10月27日、「ゆふいんの森」に乗る。(3)

「ゆふいんの森号」はキハ71系と72系の2系列の車両が充当されています。

「ゆふいんの森1号」はキハ72系で、キハ71系とは外観も客室設備も異なりますが、イメージが変わらないのは素晴らしいと思います。そして私は「日田」駅で下車。2分ほど遅れて10:36着で、乗車した時間は1時間16分と短かったものの、気持ちはとても充実し、満足していました。

「ゆふいんの森」を見送り、そのままホームに居残って側線に停車中の車両をパチリ。

旧国鉄色の気動車が話題に上ることの多いJR各社ですが、JR九州のカラフルなDCも私は好ましく思っています。例えば名古屋と九州ではやはり車両に対する考え方が異なっていることが手に取るようにわかり、キハ125系には、窓の上に「YELLOW ONE MAN DIESEL CAR」の文字があり、また下には「Y-DC125」とペイントしてあるのが、如何にもJR九州らしさを感じさせます。

一方、220系のこの写真で言えば前扉と中扉の間には「220 DIESEL CAR」と目立つように書かれ、先端部には「220DC」の文字が3か所あったり、“列車”というよりは“バス”に近い巨大な方向幕も目を引きます。鉄道雑誌等でこうした車両たちの姿は見ているのですが、やはり自分の目で確かめるとより「成程」度が上がりますね。

2012年12月04日 21時07分

10月27日、「ゆふいんの森」に乗る。(2)

「ゆふいんの森1号」は『満席』というアナウンスが発車直後にあったのですが、9:19の発車1分前になっても私の乗車した2号車はガラガラ。先のアナウンスもこの状態で聞いており、「何でこんなに空いているのだろう?」と思ったもののどうせ途中から乗ってくるのだろうと考えたのですが、「二日市」、「鳥栖」と何事もなく通り過ぎ、「久留米」でどっと乗り込んできてやはり満席となりました。それにそしても「久留米」というのは私にとって意外でした。私がこの列車の予約したのは10月1日で、その段階で『JR CYBER STATION』では残席僅かと表示されていました。

「うきは」駅~「筑後大石」駅間の隈上川橋梁を渡っています。今年の7月の九州北部豪雨によって甚大な被害を受けたこの橋ですが、8月25日に開通し、8月28日から「ゆふいんの森」も運転が再開され、そのおかげでこうしてこの日、以前からどうしても一度乗ってみたかったこの列車の旅が実現しました。画面の右側の堤防にはコスモスが咲き乱れ、まるでそんな災害は無かったが如くでした。

日田彦山線の分岐駅「夜明」駅は10:28に通過。ところでこの写真を撮影した先頭車の“お立ち台”を陣取るには少々勇気がいります。何せ1号車の乗客全員の視線を浴びます。

2012年12月03日 21時35分

10月27日、「ゆふいんの森」に乗る。(1)

平成24年10月26日(金)、私は「福岡」に出張していました。この日は福岡泊まりで、よく27日(土)は名古屋への移動日となったため、帰りの飛行機を少し遅い便にして、久しぶりに九州の鉄道を乗り歩きました。と言っても、福岡を起点にポチッと周遊しただけですが、暫くその“周遊話し”にお付き合い下さい。(私は福岡市への出張は飛行機を、北九州市への出張の場合は新幹線を利用することが多いです)

まずは「博多駅」筑紫口です。宿泊したホテルが“筑紫口”の目の前だったため今回は“博多口”の写真は撮っていません。まずはキヨスクで「九州の綜合時間表」(九州旅行案内社発行)を購入。北海道時刻表より更に一回り小さく、今回、大きなバッグはホテルに預けっぱなしにして小さなバッグを持ち歩いたので、それにはピッタリのサイズです。キャッチフレーズは「携帯サイズで一番くわしい九州の時刻表!!」とあり、結構納得でした。実はその存在は知っていたのですが、『買って使う』のは今回が初めてでした。

最初の乗車の目的は「ゆふいんの森」に乗車すること。その前に「ゆふいんの森1号」が発車する5番線ホームから引き込み線をパチリ。783系CM35編成でデザインに特徴のある貫通車。ネットで検索したら珍しい部類に入る車両のようでした。私は「MIDORI EXPRSS」の文字に心惹かれただけだったのですが…。

さて本命の「ゆふいんの森1号」。「博多」発は9:20で、9:10頃に入線してきました。早速記念写真。子供を連れた家族の記念写真撮影が終わるのを待って、アテンダントさんに撮ってもらいました。家族連れの後の『オヤジ』の一人写真は、撮ってもらいつつも少々痛かった…。等とは少しも思わせないフレンドリーな対応で、九州の観光列車の面目躍如と言ったところでした。

 

2012年12月02日 18時32分

平成24年の「丸瀬布森林鉄道」(11)、「新千歳空港」の札幌市電。

「丸瀬布」からは13:53発の『高速えんがる号』に乗車。「札幌駅前ターミナル」には17:17着予定で、まずは3時間24分のバス旅の始まりです。

新千歳空港からの飛行機の出発時間の関係で、このバスに絶対に乗らなければならない私は、さすがに事前に予約していました。予約したのはコンビニにある端末!最近のコンビニ端末は本当に何でもできるのですね。驚きです。驚きと言えばこのバスで、旭川に本社のある「道北バス」の車両です。時刻表を見ていた時はさほど気に留めていなかったのですが、『高速えんがる号』は「北海道北見バス」「道北バス」「北海道中央バス」の共同運航となっているものの、バスは「丸瀬布」を出ると「白滝」に停車した後は、「旭川」にはバス停がなく、「野幌」までノンストップです。

バス会社の塗色に詳しくない私がそれに気付いたのは途中のパーキングエリアの休憩時に、バスの写真を撮った時でした。

そのバスは高速道路を快調に走り、途中渋滞もなく、札幌駅には少し早く到着。取り敢えず気持ちとしては1分でも早く「新千歳空港」に着きたかった私がホームに上がったらそこには17:12発の「北斗星」が出発を待っていました。時間があったら…。いつかは乗りたいというか、取り敢えず「南千歳」駅まで…そんな妄想をしてしまいました。(写真は食堂車です)

さて「新千歳」からの飛行機はスカイマークの770便で20:10発。「新千歳」でゆっくりしたかった理由がこの“札幌市電”の存在。噂には聞いていましたが、確かによくできています。実物大のレプリカとのことですが、まるで本物の車両をカットした如くです。

運転台の運転機器は、雑誌やHPで紹介されている通り、私も『本物』を設置したものと思いました。

こうして私の「鉄道の日」の『鉄活』は終わりました。東北新幹線「はやぶさ」から始まる長いシリーズにおつきあい頂きありがとうございました。

それにしても「丸瀬布」で昼食を摂り、23時過ぎには家にいるという時代が来るとは、今更ながら驚きです。

 

2012年12月01日 21時52分

平成24年の「丸瀬布森林鉄道」(10)、『雨宮21号』との別れ。

遠軽町「丸瀬布森林公園いこいの森」から名古屋への戻りは、まずは町営バスで「丸瀬布駅前」を目指します。

この写真は12:33発の「丸瀬布駅前」行きではなく、「丸瀬布駅前」発12:05の「丸瀬布温泉マウレ山荘」行き(「いこいの森」12:20)です。『雨宮21号』とバスの2ショットはたまたまの出来事でしたが、バスのボディーには『雨宮21号』の雄姿が描かれており、「SLの走る町 まるせっぷ」の文字も目を惹きました。

さて折り返しのバスに乗り込み、一番前の席に座った私が明らかに“観光客”に見えたのか、実際に「武利意(むりい)森林鉄道」を利用していたという運転手さんが「森林鉄道」についていろいろ教えて下さいました。

おかげで今の道路と線路の位置関係がよく分かりました。そして話しを聞いていて驚いたことが!

それは大井川鐵道でSL復活に尽力されたことで知られる「白井昭」氏の名前が出たこと。私が会員の『名古屋レール・アーカイブス』の初代理事長でもあったことから白井氏とは面識があるのですが、『雨宮21号』の復活にも関わっていたことは全く知りませんでした。

 

そうした話しを聞きながら「丸瀬布駅前」に到着。ここからは高速バスへの乗り継ぎなのですが、待ち時間が1時間強あったので街を少しブラブラしていました。そこで出会ったのが地元の農家の方がテントで売っていたこのカボチャ。(ちゃんと「撮影」についての了解を得ています)

左側が『九重栗』、右側が『雪化粧』という品種で、いずれも初めて知った名前だったのですが、『九重栗』は年内に食べ終えるのが美味しいそうで、一方、『雪化粧』は年末以降年明け3月頃までが食べ頃とのことで、参考までに『雪化粧』は10月に食べてもあまり味が良くないそうです。地元の方といろいろと話しをしながらこういう発見をすることは楽しいですね。

2012年11月30日 21時48分

平成24年の「丸瀬布森林鉄道」(9)、最高です!『雨宮21号』。

通常の運行では一周10分強です。

この写真の場所は、木々の間を走り抜ける区間で、10名近い「撮り鉄」の方が様々なアングルで狙っていました。(10:30発、撮影時間10:39)

また「撮り鉄」が多いということもあってか、『雨宮21号』は他の区間にもまして煙を吐いてくれます。(11:00発、途中で『廃線跡』見学会が開かれていた関係で撮影時間は11:26)

最後に、この森林鉄道の資料を展示している「郷土資料館」横で狙ったものです。腕木式信号所を意識してみました。(11:30発、撮影時間11:40)

この日、「乗り鉄」ではなく「撮り鉄」したのは、10:30発、11:00発、11:30発の3本です。

ここを訪問し、まず何度も何度も足を運ぶ人がいることを知り驚きました。そして実際に私自身がシャッターを押していてそれだけの魅力がここにあることも知りました。今年は12月15日(土)、16日(日)の2日間、『雪中特別運行』も行われます。ナローゲージの“現役”蒸気機関車が雪景色の中を走る姿はいつか私も見てみたいと思っています。(今年は行けそうにありませんが…)

 

2012年11月29日 20時42分

平成24年の「丸瀬布森林鉄道」(8)、『雨宮21号』撮り鉄しています。

8の字型のエンドレスで一周2キロ弱とのことですが、見所というか撮影スポットは数えきれません。

プラットホームを出てからの順番に紹介します。まずは鉄橋を渡ります。写真では『雨宮21号』が木陰に入っており、少々残念ではありましたが、太陽の当たっているところでは鉄橋の陰に編成が隠れてしまう状況でした。(11:30発、撮影時間11:31)

前の写真と近い場所で、あおって(見上げて)撮ってみました。(11:30発、撮影時間11:34)

半周するとこんなに広々した場所に出ます。後ろにチラッとダム湖が見えています。(11:00発、撮影時間11:12)

実はこの列車は動いていません。撮影用に停車しているわけではなく、実は遠軽町が実施している『廃線跡』の見学会とのことで、今列車が止まっている場所の少し先に現役時代と同じ場所を走っている区間があり、そこで参加者がその説明を受けている最中でした。

(参考)現在のレールは15kgとのことですが、現役当時は10kgを使っていたそうです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!