2004年に「北海道遺産」に登録され、そしてJR北海道の「準鉄道記念物」に、正に私が訪問した平成24年10月14日に選定された「森林鉄道蒸気機関車雨宮21号」。一週間後の10月21日にJR北海道により『指定書贈呈』がされていますが、その贈呈式も見たいとは思ったものの、記念すべき日にここにいられたことの幸せをまずは感じていました。(と思ったのは10月14日ではなく、名古屋に戻って“選定”の記事を読んでからでした)
石炭車はこんな感じで、当たり前ですが薪と石炭が積まれていました。
客車の中はこのようにしっかり整備されています。十分に魅力的な車内でしたが、私は走っている列車の同乗写真を撮影するベストスポットであるオープンデッキの最後尾の車両に乗り込みました。
車輌格納庫エリアをぐるぐる廻っている間に、いつの間にか「雨宮21号」は車庫を出て、観光客を乗せる客車を引っ張るために客車の車庫の方に移動していました。そして9時20分過ぎ「石炭車」「客車」(客車1両+オープンデッキ車4両)をひいて出てきました。
この客車は「鉄道ホビダス 編集長敬白 アーカイブ2007年9月22日」他の掲出で『木曽森林鉄道B型14号客車』とあり、さすれば1974年9月26日に撮影したこの木曽森林鉄道の写真に同型車が写っているかも?(木曽森林鉄道「滝越」近くにて撮影)
※B型13号客車のNo.が確認できる写真は1枚ありましたが、14号を特定できる写真は見つかりませんでした。何せ1回だけの訪問で、枚数が少なすぎる…。
さて「雨宮21号」が客車群をひいて出た後、木を積んだ貨車と緩急車が残されていました。この2両も連結されていれば…というのは欲張り過ぎ…ですよね。
平成24年10月14日(日)、『丸瀬布森林公園いこいの森』には午前9時頃に到着。「森林鉄道蒸気機関車 雨宮21号」の運転開始時間10:00に間に合えば良しとしていた私でしたが、時間的に余裕だったので、『いこいの森』の中をまずはゆっくりと回ることにしました。
こここから「丸瀬布駅」への戻りは12:33発の町営バスを予定していたので、時間はたっぷりあると思っていました。まあ名古屋まで戻ることを考えれば、それで帰るしか選択肢はなく、じたばたしてもしょうがないという側面も無きにしも非ずでしたが、それでも3時間半もあれば「雨宮21号」を堪能できると思っていたのは事実です。でもこの風景を見てそれは考え直さざるを得ませんでした。そしてそれは時間が経つにつれて「もう少しここにいたい」「もう一度ここに来てみたい」という想いに変わっていきました。
庫(くら)の中で出庫準備作業中の「雨宮21号」が見えたので、そこで作業をしていた方に承諾を得て中へ…。
サイドタンクに水を入れるところは生まれて初めて見ました。きっと私だけではないはず…。これは早く到着したからこその出来事で、「石北本線」~「タクシー」と乗り継いできたことは“正解”だったと思いました。『早起きは三文の徳』ならぬ『早着は無限大の徳』。
「白滝」行き4620Dは8:45の定時に「丸瀬布」到着。ここから『丸瀬布森林公園いこいの森』までは…、町営バス路線もあるのですが、町営バスの「丸瀬布駅前」発は、7:15、12:05、16:00の3本。
公共の交通機関で向かうのは到底困難であり、では歩くとすればどうなるか?
この名所案内にある通り、何と9キロありこれは非現実的の極みです。何せこの日は日曜日。私は10月14日中に名古屋に戻らねばなりません。
でどうしたかと言えば、写真の「丸瀬布駅」の前に停車しているタクシーで向かうことにしました。
このタクシーの手配は、前日に宿泊したホテルでタクシー会社(丸瀬布ハイヤー)の電話番号を調べてもらい、既に遅い時間だったため直ぐに電話をかけギリギリで予約ができたものです。
そうなんです。駅前に常駐ではなく、私がお願いしたタクシーです。タクシー会社の人と話しをしていて知ったのですが「タクシーは町内(丸瀬布地区)に1台だけで、日曜日は週に一回の休みを取っており、(前日中に)電話をもらってなければ、お断りするしかありませんでした」とのこと。一方、平日なら平日で町内の「病院通いの方の送迎」で予約が入っており、やはり朝の9時前後は結構稼働していると聞きました。前日に予約を入れたのは、単純に4620Dの到着に合わせてタクシーが待っていることはなかろうと考えたからですが、想像以上の“厳しい現実”を乗り越えたことを知りました。
実は私と同じ列車から下車した方で、観光客風の方がおられ、タクシーを利用したそうな感じだったので運転手さんから「目的地が同じ方向なら同乗しませんか?」と声をかけてもらったのですが断られました。
その方がそれからどうされたのか今も気になっています。
丸瀬布駅からタクシーを利用される方は必ず予約することをお勧めします。
「遠軽」から「丸瀬布」へは4620D(「遠軽」発8:23の「白滝」行き)に乗車。跨線橋の下に見える単行の『キハ40 1735』がその列車です。
前日は世間が闇に包まれてからの到着だったので、この日は朝8時前には駅に着いていろいろと観察していました。さて昨日UPした旧・名寄本線方面を撮影して振り向いてからこの写真を撮ったのですが、よくよく見るとこの写真は少し不思議です。何が?
まず「遠軽」の駅舎は見えている跨線橋の左のはるか奥にあります。因みにこの駅は、現在はスイッチバックの駅で、この写真で私のいる場所まで列車が来ることはなさそうです。ここで私が思った『不思議』と大仰に構えるほどのことでもないのですが種明かし。それは跨線橋を上り下りする階段が、駅舎とは反対側(写真の手前方向)にも付けられていること。この駅が2つの本線の接続駅で、長大編成の列車が往来していた頃の名残でしょう。この写真では分かりにくいですが、一応、階段の上り口の所に鎖がかけられ、利用してはいけないことになっています。
さて跨線橋を上って隣のホームの2番線へ。跨線橋は懐かしの“板張り”で、そうそうどこでも見られる代物ではありません。とことん昭和レトロを感じましたが、鉄道の栄枯盛衰を一番感じているのはこの板の一枚一枚かもしれません。
この古レールも利用した木組みのホーム屋根は、私にとって“正しい”ホーム屋根の在り方です。
平成24年10月14日「鉄道の日」。私はこの記念すべき日にどこに行こうかと思案し、今年出かけるに相応しい場所として「丸瀬布森林公園いこいの森」で動態保存されている『丸瀬布 武利意(むりい)森林鉄道 蒸気機関車雨宮21号』に会いに行くことにしました。
まずは「遠軽」駅。抜けるような青空とはこういうことを言うんだ!と思うほど素晴らしい青空が広がっていました。週間予報どころか前日朝の予報でも「晴れマーク」はなかったのですが、実に清清しい朝を迎えました。日頃の心がけの良さはこうした「絶対に晴れて欲しい」と思ったときに報われるのだと改めて自画自賛していました。(妄想です)
でもそこは北海道。朝の寒気は名古屋と大違い。待合室のストーブには火が入り、思わず手をかざしてしまいました。
さて列車の出発までの時間を利用し、構内を一巡。この写真は、かって「名寄本線」が繋がっていた方向を写したもので、一見、このまま列車が走って行くような不思議な錯覚に捕らわれました。名寄本線の廃止は平成元年で、もう24年も経っています。
今更ながらの“特別”快速「きたみ」のサボです。サボの示す通り、その所要時間は「旭川」~「遠軽」間なら特急と比しても遜色がありません。でも、『キハ54 503』の単行は…。
そして17:13に「遠軽」到着。日は暮れましたが、それでもまだ群青色の空がかすかに見えています。
この日は「遠軽」駅前から恐らく一番近いであろうネットで予約したホテルに宿泊。こじんまりとしたその宿は、昭和の時代の「商人宿」が「ビジネスホテル」に変身したような感じで、部屋はバストイレ付きの和室でした。その和室のメリットを少々。まず小さいながらも座卓があり、そこにパソコンや時刻表を広げられます。弁当もゆったり広げられます。そして何よりも“蛍光灯”が明るい!老眼の私にとってこの部屋の明るさはとても在り難かったです。またインターネットは有線LANと無線LANの両方から選択でき、私は有線LANでネットに繋ぎました。(10月にして、今年初めての“ストーブ”も体験!流石北海道)
近くにコンビニはありませんでしたが、5分少々歩いたところに「コープさっぽろ」があり、営業時間は夜9時までとなっており、弁当・惣菜・果物の種類も多く、地元の居酒屋で舌鼓と言った“プチ”贅沢をしなくても良い方には晩御飯調達の選択肢にいれても良いでしょう。
遠軽に宿泊をされる際の参考になれば幸いです。
とはいうものの今後、私が「遠軽」を訪れることはもうないかもしれません。
牛山隆信さんの秘境駅ランキングで22位の「旧白滝」は1面1線で、すぐ眼の前が国道ですがそのランクは納得の何もなさです。ところで鉄道アイドルの木村裕子さんが今年の7月8日~7月13日の間、ブログで「白滝シリーズ全駅下車聖地巡礼」というタイトルの連載をされていましたが、今回私が取り敢えず「白滝」全駅を見てみようと思ったのはそれに触発されたのかもしれません。また秘境駅ランキング17位の駅名こそ学園都市線的な札沼線「豊ヶ岡」で下車した話も11月15日に紹介していました。そうそう、その記事の中に『不審者注意 月形町』の看板の写真が出ていましたが、私も「豊ヶ岡」駅でその『不審者注意』の看板に気付いたのですが、カメラを出すまではいったのですが、シャッターを押す前に列車が出発してしまいました…。ともかく列車内からもその看板は見えます。
なお、参考までに昨日書いた1日1往復が停車するというか、1往復しか停車しない「上白滝」は29位です。さて話しを「旧白滝」に戻し、16:37に通過。で、その2分後!殆どの乗客の方は気付いていなかったようですが、進行方向右側の森の中を走るシカが!と思う間もなくまるで列車に吸い寄せられるように近づいてきて列車が急ブレーキ。
咄嗟にカメラの電源を入れ、押したシャッター!しかしこの写真のどこに「シカ」が写っているの?と言われたら…はっきり言って自信はありません。ともかく動物接近による急停車の一部始終を初めてみました。シカは、恐らく列車から1~2メートルの距離まで近づきましたが、停まりきるまでには離れていきました。
そういえば「上越」信号所の前後?でブレーキをかけて直ぐに解除したことも…。以前、特急「オホーツク」乗車中(夜間)にも急停車してその後数分遅れての運転となったことも…。写真は撮ったもののブレブレでしたがともかく時間の特定には役立ちました。
最後は、秘境駅ランキング21位の「下白滝」です。ここは交換のため暫し停車。16:41に到着し、16;45に出発しました。(運転停車ですので扉は開きません)
4626D(例の「上白滝」に停車する列車です)との交換風景は、流石に光量不足で唯一ぶれてなかったのが駅舎の写真でした。なお、それまで私は貫通扉のまん前を駅が近づく度に占拠していたのですが、何故かこの「下白滝」駅では3人ほどの方がその場所に近づいてこられたのでそこはあっさり譲って、後方に移動しており、そこで対向列車を撮影したのですが駄目だったというのが真相です。こうして私流の「白滝」シリーズは終了しました。
平成24年10月13日(土)、特別快速「きたみ」の乗車を選択した理由は、「奥白滝」(現・信号所)「上白滝」「白滝」「旧白滝」「下白滝」の「白滝」駅シリーズを見ること。全駅下車と言った“野望”を持ち合わせるほどの根性は私にはないので、まあお手軽『乗り鉄』風、全駅“体験”ということにしました。
まずは平成13年まで駅だった「奥白滝」駅(現・信号所)です。“駅”に近づくにつれ、「奥白滝」と書いた黄色の標識が現れ、やがて一線スルーではなく、両開きのポイントが目に飛び込んできました。古びた廃駅舎だけが「どっこい、まだここは(信号所として)役にたっているよ」と主張しているようでした。その「奥白滝」信号所は16:22に通過。さあこれからは日没との戦いです。何せここは北海道。日没時間は名古屋より早いのです。
「上白滝」駅は1面1線。駅舎の右側に民家らしき建物が写っていますが、停車する列車1日1往復!という「全駅下車」を鉄道利用だけで挑戦するのは、あまりにも無謀と言える駅です。さて朝の7:04着の上川発遠軽行き4621Dで下車して、17:08発の遠軽発旭川行きの列車4626D(隣の「上川」まで1時間8分かかることで有名!)に乗る人はいるのでしょうか?いるのかもしれませんね、夏には…。但し、食事・水など周到な準備が必要そうです。特別快速「きたみ」は快調に飛ばして「上白滝」駅を16:27に通過。
時計塔のある洒落た感じの「白滝」駅には16:32に到着。特急の停車駅にも関わらずご多分にもれずここも無人駅です。自動閉塞式とあって「運転要員」もおらず、長大なホームに到着した単行列車がかえって侘しさを感じさせてくれました。でもこの駅でロングシートに別れを告げ、クロスシートに席替えと相成りました。