ヨーク駅舎。意外とこぢんまりとした駅前の立地。
定刻ならばヨークYork駅発12:54のエディンバラEdinburgh駅行きに乗車予定でその到着前に1枚撮影。
発車時刻から5分ほど遅れてお目当ての列車の入線。スコットランドの首都の中央駅、エディンバラ・ウェイヴァリーEdinburgh Waverley駅には15:17着予定。
一等車は混んでおり、やっとの思いで座席予約の入っていない空席を確保。で、午後1時過ぎに少々遅めの昼食(車内食)。国立鉄道博物館の中を歩き回ったのでこの日3回目の食事も美味しく頂きました。
これから先はさしたるイベントもないので、昼からビールタイム。勿論、無料(と言うか、込々)です。
夕食後に通りを1本隔てた「KITTE」まで散歩。
ヨーロッパでは、歴史的建造物としての駅舎が保存・活用されている例は多々あります。日本では洋風であれ、和風であれ、保存されているのは二条駅や奈良駅、門司港駅など数えるほどしかありません。
東京ステーションホテルは、外観こそクラシックな大正浪漫と言いたくなりますが、一歩部屋に入れば、そこは最先端の設備で“今風な”快適ホテルライフを楽しめます。
私は何が何でも鉄道遺産として残すべしとは思いません。例えば3代目名古屋駅だったら残すべきかどうか?ここから先はやや強引な展開ですが、この写真を撮っているKITTEのような外観を残しての高層ビル化はありだったのではと思っています。
KITTEから東京駅ホームを覗き見る。
通過する電車を、私にとっての手持ちの限界、1/20のシャッタースピードで撮影するも、電車の速度が遅く思った以上に絵が流れなかった。
電車を眺める二人連れ。二人ともきっと鉄ちゃんではないとは思うものの、もっとも彼(彼女)が鉄道好きだったとして、今は、それは普通の光景だと思いますが、私が若かった頃、「鉄道が好きと公言する=異性に縁がない」というのが一般的に喧伝されていました。というのを突然思い出した10月13日の夜。翌14日は鉄道の日。
作家の松本清張氏が東京ステーションホテルの209号室(現在は2033号室)にたびたび宿泊されていたのは、清張ファンならずとも知る人ぞ知るお話。
ということで原稿用紙風のメモ帳とボールペンのセットをお土産として購入。実は部屋にこれと同じものが置いてあり、チェックアウト時にそれが買えないかと聞いたら出てきました!最初から売っていたのかそれとも私のような者がいるから売り始めたかまでは聞いていませんが、最後の最後まで充実の東京ステーションホテル。
ディナー。それぞれの料理の紹介ではなく、ここアトリウムでいただくことの意味を楽しんでいただけければ幸いです。
ホテルのサービスというのはそれぞれのホテルでベースとなるマニュアルがあり、それを現場のスタッフが自身の裁量で運用する。と、以前取材先で聞いたことがあります。
このホテルのスタッフの対応はとても良く、細かいところまで目配せが出来ている印象です。食事中の声掛けも過不足なく、適当にほっといてくれて、適当に入ってきてくれるのはあまり会話が豊富ではない夫婦にとってはありがたいかも(笑)。
料理とは、ちゃんとした食材を、ちゃんとした気持ちで調理すれば、それだけでお客さんに一定の満足感は与えられる。とは、これもかつて取材させていただいた方の至言。
そこから先、それが感動につなげられるかどうかは、実はお客さんと一緒に作り上げるものだそうです。
今回で言えば、私たちにとっては特別な日のディナー。それだけで気分は高揚していますし、またその食事の席が復原された東京駅の象徴たる場所。
ここアトリウムにあって、どこに席が用意されるかはレストランスタッフのさじ加減。また一組リピーター候補が誕生。
館内ツアーは旅行商品としても発売されており、ネットでは実際に参加された方が記事をUPされています。
で、私のブログは見所解説書ではないので、ここから先は実際に足を運んでご覧いただくほうが、私のこの時の感動が伝わるかと思います。さて文化財のホテルの中を見学するというのは、私にとっては初めての経験で、あまり書くとしつこいと言われるかも知れませんが、例えばここドームのレリーフは写真などを元に『忠実に復原』されたもので、見た目は新しいですが、その価値は重要文化財と私は認識しています。
アニメーション映画「美女と野獣」に出てきた野獣の城で見たような大鷲。大きさが今一つ分かりにくいですが、一羽2.1mとのこと。
干支の彫刻。蛇。
美術運動としてのアール・ヌーヴォーを私は詳しく知ることも、また論ずることもできませんが、単なるイメージとして捉えれば、こうした一つ一つの造形は、この駅舎が完成した大正という時代にあって、世界の一連の流れに乗った新しさの象徴として作られたような気がしています。
世界に通用するホテルを作りたい!そういう先人の想いは、十分に伝わってきます。
そうした価値をホテルのスタッフはある意味淡々と穏やかに語っていきます。ただそれは平板な説明であるこということではなく、ある種の抑揚をもって聞く側の心に響いてきます。もっともそれがしっかりとした口調で、メリハリの効いた解説となれば、それはそれでこのクラシックホテルの雰囲気とは相容れない気もします。
「ホテルスタッフがご案内する館内ツアー付」プランの館内ツアーがスタート。
そこはゲストラウンジ。それまで使われていなかった屋根裏の空間を利用しているとのこと。
丸の内側(西側)からは見えませんが、東側はガラス窓が大胆に採用され、日中がご覧の明るさです。朝は朝食ブッフェ会場となっており、今回の私たちの2食付きプランではここでディナーもいただきます。
正面写真の最上階の丸窓の中はこんなに洒落た空間となっています。
南ドーム(丸の内南口)。3Fアーカイブバルコニーからの眺め。
ライティングもアンティークな趣の宿泊者専用のスペースは、ただここからの景色を見ているだけで時が過ぎていきます。
ドームの天井部分は見所が一杯。
この日この時間まで私が見てきた、人が行き交うコンコースからはうかがい知ることが無かった重要文化財である復原された東京駅の姿。
この季節になりますと、街はクリスマスツリー&イルミネーションで彩られます。以前は12月に入ってからというイメージもありましたが、最近は11月も下旬となれば、あって当たり前といえるようになりました。
まずはジェイアール名古屋タカシマヤ1階。サンタさんがこども達へのプレゼントを 準備しているシーンだそうですが、この賑やかさに足を止めて写真を撮る人多数。もっとも私もその一人。
こちらはJRゲートタワー1階エントランス。土台を含め、名古屋地区最大級と言われる高さ12mのクリスマスツリー。こちらも撮影する女子多数。
場所を変えて大名古屋ビルヂング5階のスカイガーデン。
知名度なのか人はそれほど多くなく、静かにイルミネーションが楽しめます。私も知人から教えて頂きここに足を運ぶました。
ところでここ大名古屋ビルヂングに来たもう一つの理由がこれ。画面真ん中から少し左側にあるモニュメント「飛翔(ひしょう)」を見ること。2027年のリニア中央新幹線開通を見据え、来年度には移設する計画が既に発表されており、そろそろ季節ごとの記録を撮っておこうと思った次第。
最後は大名古屋ビルヂングのクリスマスツリー。
今日は名古屋駅界隈のクリスマスツリー&イルミネーションをご覧いただきました。鉄道とは直接繋がりませんが、まあ「駅界隈」と言う事でご容赦下さい。
ホスピタリティ。日本語に訳せば「おもてなし」。
テーブルの上にはチョコレートのアソート。おしゃれなガラスの蓋付き。アソートは直訳すれば盛り合わせなので、この雰囲気に似合わないと言えばそれまでですが、適当な言葉が思いつかず私の語彙不足。
チョコレートの手前には、ホテルから私とパートナーへのメッセージカード。結婚記念日での宿泊であることは予約時に伝えてあり、それゆえのおもてなしの一つ。
このチョコレートは本当に美味しかった。パートナーが手を出す前に私が先に口にしたため、優しさが足りないと言外にたしなめられる。
無料貸し出しスマホ。結局この携帯電話がこの場所を動くことはありませんでした。何故かって初期画面の言語の選択が、
1)英語
2)中国語(繁体字)
3)中国語(簡体字)
の3つだったからです。
飲み物のグラスには思わずうなりました。
江戸切子(えどきりこ)は正に東京ならではの伝統工芸で、ホテルとして、知っている人だけに分かってもらえれば良しとされているかどうかはともかく、『スモール・ラグジュアリー・ホテルズ・オブ・ザ・ワールド』という名に相応しい存在。我が家の江戸切子は食器棚に入ったままで、この前使ったのはいつだろう?道具はやはり使ってこそであると、ホテルの一室で得心する。
ミネラルウォーター。
東京ステーションホテルバージョン。オリジナルラベルのペットボトルはそれだけでも何となくウキウキ気分。
重要文化財「東京駅丸ノ内本屋 とうきょうえきまるのうちほんや」。重文に指定されたのは2003年5月30日。
文化財データベースから以下転載。
東京駅丸ノ内本屋は,皇居から東へ一直線に延びる通称行幸通りの正面に位置している。明治41年3月25日着工,大正3年12月14日に竣工した。設計は辰野金吾で,辰野葛西事務所によって実施案がまとめられた。
南北折曲り延長約335mに及ぶ長大な建築で,中央棟の南北に両翼を長く延ばし,建設当初は,地上3階建であった。建築様式は,いわゆる辰野式フリー・クラシックの様式になる。
東京駅丸ノ内本屋は,わが国鉄道網の起点となる停車場の中心施設であるとともに,明治の市区改正計画に基づき建設された首都東京を象徴する貴重な建築である。
煉瓦を主体とする建造物のうち最大規模の建築で,当時,日本建築界を主導した辰野金吾の集大成となる作品として,価値が高い。
今回はそうした文化財に存するホテルの「ホテルスタッフがご案内する館内ツアー付」1泊2食付きプランでの宿泊。
フロントで「アップグレードさせて頂きました」ということで向かったのは4001号室。
ホテルの4階部分に2部屋しかないAMBASSADOR SUITE/アンバサダースイート。赤い線に囲まれているのが私たちが宿泊した部屋のある場所。
と冷静に書いていますが、まず驚いたのは部屋の豪華さ。
一歩部屋に足を踏み入れてあまりの広さに絶句。天井の高さ3mで広さは95㎡。仕事でもいろいろなタイプの宿泊施設を利用したのですが、海外のリゾートを除きこれほどの広さは始めて。
リビングエリアとでも言えば良いのでしょうか?何だか落ち着かない。
書斎の雰囲気。私の家にはない調度品だけに私の顔が笑っていない。
寝室エリアを臨む。
寝室も広々。
洗面化粧室。
今回は館内ツアー付きのプランだったので午後4時過ぎと、温泉旅館を除けば私にとっては異例の早さのチェックインで、その分、この部屋でゆっくり寛ぐことが出来ました。
もっともお恥ずかしい話、最初はただただその広さに圧倒されていただけで、次第に冷静になり、そして暫くしてこの部屋のある場所が、復原されたことで生まれたスペースを活用していることを知りました。国の重要文化財であるクラシックホテルの中にあって、単にそれ(文化財と言う意味)にとどまらず、その部屋のもつ意味合いを含めなんとも意義深い一夜を過ごす事ことになった幸せは、私にとって恐らくこれまでの鉄道の日の過ごし方としては最上級。
東京駅丸の内駅舎保存・復原完成記念入場券。
この表側は創建当時の姿ですが、反対側は戦後から復原までの時代の姿が紹介されています。
立体式入場券。ところでどこにも入場券らしい部分なし。実は、下側の列車の写真が1枚1枚引き出せるようになっており、それが入場券なのです。
恐らく開業後、暫くしてからの絵葉書。
それが戦災でこの姿に。今回このホテルに泊まるにあたり、自身が撮影した以前の東京駅の写真はないものかと探してみたものの、何とどこにも見当たらず、結局オークションサイトでGET。
「トラベル・フォト・ニュース」昭和26年8月15日号。5年がかりの復旧工事の完成について書かれています。それによると当時は結婚式場もあったとのこと。
ところでこの東京駅の復原にあたり、JR東日本や工事を請け負った鹿島建設では一貫して「復原」という文字を使っています。これは私は正しい日本語としての使い方だと思っています。
一方、当時の新聞やテレビニュースでは「復元」という漢字を使っていました。これはメディア各社の内規によるもので、本来「復原」と「復元」では意味が異なるのですが、意味が近いという事で「復元」「復原」とも「復元」に統一して使っています。
なおテレビ番組に登場した東京駅の「ふくげん」ですが、ほぼ「復元」が使われていたものの、情報番組の一部ではJR東日本の公表資料に従い、「復原」を使っていました。