2012年04月02日 18時23分

阪堺電車の真実(6)。

阪堺電車は1乗車200円(平成23年1月15日~)ですが、目的地まで乗り換えが必要な場合は住吉または我孫子道で1回に限り追加料金無しで乗り換えができます。

例えば「恵美須町」から乗車した場合、「住吉」では「天王寺駅前」方面、「住吉公園」方面への乗り換えができ、また「我孫子道」から先に行く場合は、「我孫子道」でこの『乗換券発行機(?)』から乗換券を出してもらってそれを使うことになります。
つまりこの『乗換券発行機』が使われる場面は、その2回になるということですね。

因みに阪堺線の乗換券がどうなっているのか思い、「住吉」で200円を支払って“乗換券”を発券してもらいました。そしてそれを見たら、やはり前記の乗換について記載されていましたが、乗り換えにあたり、時間制限がついているのが「成程」と思った点です。またこの乗換券ですが、利用する方はちゃんとおられ、まあ『利用される阪堺電鉄』というところで少々「ホッ」としたというのが実感です。
ところでこの「乗換券」に私が何故反応しているかの理由ですが、私が知っている時代の名古屋市電にはそれが無かったからです。ただ路面電車も“鉄道路線”と考えれば『乗換』はあって然るべき存在かもしれません。

2012年04月01日 21時31分

阪堺電車の真実(5)。

一昨日の「604号」は「恵美須町」発12:57の「我孫子道」行き。阪堺線を終点の「浜寺駅前」まで行こうとした場合、上町線の「天王寺駅前」発の「浜寺駅前」行きに乗り継ぐ必要があります。
この日は『TAKE TAKE てくてくきっぷ一日乗車券』を利用していたので、「住吉」~「我孫子道」間であれば、どの“駅”で乗り継いでも構わなかったのですが、「住吉」界隈の感じが良さそうだったので、そこで下車。
直ぐに上町線のホームに移動。そこにやってきた13:15発の「浜寺駅前」行きは168号。青色の雲形塗装(復刻塗装)のオールドタイマーで、その姿が見えた瞬間、「ヨッシャ―!」とばかりに右手を握りしめました。といってもそれは気持ちの上での話しで、こうして写真を撮影している訳ですから、決して握りこぶしは作っていません。

さて下段写真は、「浜寺駅前」到着時、敢えて最後の乗客として下車する直前、振り返って車内全体を撮影したものです。阪堺線「浜寺駅前」の下車客は流石に7~8人だった記憶でそれほど多い訳ではないのですが、阪堺線全線ではコンスタントに乗客は入れ替わり、立つ場面は少なかったものの、まずまずの乗車率で、終点でなければこうした写真は撮影出来ない状況でした。とはいうものの、それで阪堺線の経営状況が順調な訳ではなく、「我孫子道」以南の日中12分間隔を考えればもっと乗車率が高止まっていなければならないのは必然です。

さて車内ですが、時代がかっているというか、古色蒼然というか、何とも言えず昭和の匂いが私の心をくすぐります。などと言えるのは鉄道が趣味で、路面電車が好きだから言えることで、利用者からすれば、まず非冷房車なので冬はともかく夏は絶対に乗りたくないでしょうし、また低床車ではないので乗客サービス的には今一つです。(もっとも阪堺電車に「低床車」が存在しませんが…)
当然の事ながら、大都会を走る電車にも関わらずICカードには対応していません。

2012年03月31日 23時25分

阪堺電車の真実(4)。

この建物は何と呼べばよいのでしょう?
昨日と一昨日の写真にもほんの少し写っていましたが、2本の線路に挟まれたホームの先にそれは存在しています。
「木造2階建てで…」等といらぬ注釈をつけるより、一言で言うならば『レトロ!』。まるで昭和の時代からこの空間だけが時の歩みを止めてしまっているかのようです。
でも、1階にある扉の右側には“生活感”(仕事の場なのでこの表現はいささか難ありですが、雰囲気はこの方が伝わりそうだと思っています)が漂っているので、平成であることは間違いありません。また扉の造作そのものも昭和よりは平成っぽいですね。

で、話しを戻して、この建物は電車の運転士さんたちの待機所(名称的には「乗務員詰所」かな)???
それともその先にダブルクロッシングのポイントがあるので、その切り替えと信号と扱う“操車塔”…、おっと交差点を見渡す場所にある訳ではないので“信号扱所”と言うべきか???でも2階で信号を扱っていれば“操車塔”と言ってもあながち間違いではなさそう…。はたまたそれも含めて阪堺線の運転を統括する“運転指令室”か???

“事務所”というのも何か似合わないし…。
まあっ、建物の用途は阪堺電車に詳しい方に聞けば分かるのでしょうが、この存在感が何故か妙に私の気を惹きつけました。現存する日本全国の路面電車を私は全部乗っているのですが、同様の場所に建物がある事例は、私の記憶ではありません。

こうして書いていてふと思ったのですが、この写真はおよそ路面電車らしくないですね。『地方の小私鉄』といったら、「軌道」と「鉄道」では種類が違う!とお叱りを受けるかも知れませんが、昭和の時代に国鉄駅を起点に周辺の町へと線路を繋いでいた私鉄の昼下がりの一時(ひととき)の風情を醸し出しているように見えました。んーっ、でもこの感想は、私が周りの風景を含め、ある種「昭和レトロ」的幻想に浸りたいと願っているからかもしれません。(もっとも背景にある建物が興醒めですが…)

2012年03月30日 19時13分

阪堺電車の真実(3)。

一昨日の記事を改めて読み直し、誤解を招きかねない点があり、補足します。それは「恵美須町」“駅”の“駅”の件で、この駅舎の入り口には『阪堺電車のりば 恵美須町駅』と書かれており、他駅でも『住吉公園駅』等の文字を確認しております。つまり阪堺電車ではこの「恵美須町」は正真正銘の“駅”のようです。

先回の拙文の内容は、このホームの写真でも見て取れる通り、“電停”と呼ぶには似つかわしくなく“駅”というのがやはり相応しいと感じたことからであり、あくまでも私の感想と言うことでご容赦を。

で、その“駅”ですが、私が最初にこの地を訪れた時は、「平野線」が健在で、上段写真で「604号」の停車している線の向こう側にもう1本線路があり、そこから平野線が発着していたはずです。
写真の「我孫子道」行きの電車は1番線に止まっており、電車に乗るホームは、写真の真ん中にドデンと控えたところではなく、電車の向こう側のホーム(写真の左方に人が立っているところ)であり、そこに立てばもう1本線路があったことは容易に見て取ることが出来ます。

この写真は、こうした説明をするには少々不親切の誹り(そしり)を受けても致し方ありませんが、出来る限り駅の雰囲気を伝えようと選んでいます。皆さんには出来れば自分の目で確かめて頂ければ幸いです。

もう一つ不親切なものがあります。実は下段写真の『100周年』のヘッドマークで、恐らく期間限定で付けられているものということで、皆さんにこれをご覧いただきたくてこのUP写真となっているのですが、私が話しをしたいのはそれではありません。何が不親切かと言うとこのブログを小さな画面でご覧の方には判別できないと思いますが、本来601形の車両ナンバーは正にこのヘッドマークの下にあり、その代わり写真を撮影した時点ではこのヘッドマークの直ぐ上の窓の所に仮設ナンバープレート(?)がありました。
上段写真でチラッと写っています。(多分、間違いないはず)

(余談)このヘッドマークは大小路までの100周年記念のように見えますが、明後日の平成24年4月1日には阪堺線の全線開業の100周年を迎え、記念セレモニーも行われます。それも含めての兼用なのかどうかまで私は調べていません。お許し下さい。

2012年03月29日 20時56分

阪堺電車の真実(2)。

平成24年2月22日、『名阪ノンストップ特急』の乗り納めと、『300系新幹線』の乗り納めに出掛けました。

『名阪ノンストップ特急』の乗り納めは3月13日から『名阪ノンストップ特急へのレクイエム』と題してUPしており、また300系新幹線』の乗り納めは3月8日から『さよなら「300系」』と題してUPしていますが、私にとって問題だったのは大阪難波に12:05に着いてから、新大阪を出る17:40までの過ごし方。

1つは3月17日のダイヤ改正で名前の消滅したJR西日本の特急「オーシャンアロー」「スーパーくろしお」に乗り、和歌山まで指定席で往復すること。なお『和歌山』往復を考えたのは単純に時間の過ごし方の問題です。
で、もう一つ頭をよぎったのが今回実行した“阪堺電車”三昧で、特急列車の“名前”よりも100周年という“実”を取りました。 ご存知の方も多いと思いますが、阪堺電車阪堺線は2011年12月1日に100周年を迎えており、「そう言えば30年以上乗っていないなあ…」と思いだし、近鉄「大阪難波」駅に下車した直後に決断しました(大袈裟です)

と言う経緯で、「恵美須町」で待つこと暫し。12時52分、専用軌道をゆっくりとこちらに向かってくる電車に出会うこととなりました。なお写真の右隅にチラッと人が写っているのを確認できますでしょうか?間違いなく「鉄」の方と見受けました。

(参考)
阪堺電車阪堺線は明治44年(1911年)12月1日、(旧)阪堺電気軌道が「恵美須町」~「市之町(現・大小路)」を開業させたのが始まりです。

2012年03月28日 18時21分

阪堺電車の真実(1)。

今日から「阪堺電気軌道」(ここからは『阪堺電車』と書きます)の話しを暫く続けます。

で、今回の写真は「恵美須町」駅です。と言っても、平成24年ではなく、昭和54年10月15日で、今の『阪堺電車』になる前の、「南海電気鉄道」時代の写真です。

今や阪堺電車が「南海」だったことを知っていると言うか、そもそも「南海」時代に乗った事があると言うこと自体、少数派かもしれません。
さて、この写真の「恵美須町」駅と今の「恵美須町」駅と何が違うかと言うと、駅舎の上の大看板が異なっていることや街並みが変わってはいますが、変わっていないと言えば変わっていないこの“駅”です。

ところで、路面電車で“駅”という表現が良いかどうかということがありますが、『阪堺線』はここから暫く専用軌道で、特にこの「恵美須町」は終点“駅”、ターミナルの様相であり、所謂“電停”とは一線を画すものと私は思っています。

今回は、ここ「恵美須町」駅から話しを始めますが、昭和54年の初乗車の時は、「浜寺駅前」発12:54~「恵美須町」着13:39(手元の時計による)で、順番は逆です。たまたま平成24年2月22日のスタートがこの“駅”でしたので、その点はご容赦ください。

合わせて、昭和54年当時の写真ですが、“乗り鉄”故と言うことで先に謝っておきますが、「南海」時代の阪堺電車の終点の建物の写真は、アルバムで直ぐに見つかったのですが、肝心の電車の写真が見つかっていません。撮影していないことは無いはずなのですが、、、その変わり現在の電車の写真は撮影して来ました。

(追伸)タイトルの「真実」は私の心象です。大袈裟ですが、まあ、許される範囲ということで・・・。

2012年03月27日 19時06分

「桜」駅の“桜”2012。

平成22年の名鉄「桜」駅の“桜”は、3月24日にはもう咲き始めていました。

平成23年の名鉄「桜」駅の“桜”は、4月に入って見頃を迎えていました。

平成24年3月26日(月)の名鉄「桜」駅の“桜”は、『つぼみかたし』と言ったところでしょうか。

毎年同じ日に定点観測をしていれば、多少は『春の訪れ』の比較の意味がありそうですが、そこまではしておらず、まずはご愛嬌ということで・・・。

さてさて、私はこの駅を日常的に利用するわけではないので、次にこの駅を利用する日にまだ“桜”が咲いていることを祈るばかりです。

2012年03月26日 18時48分

「ドクターイエロー」な日々(3)。

下りの『のぞみ検測走行』があれば当然上りも走るであろうと予測し、3月19日(月)、東京行きの「ドクターイエロー」撮影に挑戦しました。

私が参考にしたHPの“予想”では臨時「のぞみ376号」のスジで、そうであれば名古屋駅発は17:14。
この日私は、前日の休日出勤の振休をもともと取る予定ではあったのですが、この撮影は想定外で、そもそも所用を幾つか入れており、その終わる場所と終わる時間から、撮影ポイントをJR東海道本線笠寺駅南側の新幹線を跨ぐ道路橋に絞り、午後5時過ぎに写真の場所に到着しました。

名古屋駅を定時出発であればこの場所の通過時刻は約3分後。その予想通り黄色い車体が目の前に現れました。等とノンビリした状況ではなく、とにかく必死で撮影したのがこの1枚です。
左側の列車は家に帰ったから時刻表を調べ、多分、「ひかり519号」(名古屋着17:20)の700系と思われます。
2つの列車の擦れ違いと言うか、2つの車両が重なったのは私の撮影意図の範囲外の全くの偶然ですが、その瞬間“気が動転”し、一応置きピンして待っていたのですが、想定より少しシャッターのタイミングが早かった…のと、何せ強風にあおられており、このサイズでも分かる人には分かると思いますがいま一つ決まっていません。でも写っているのが嬉しくてこうしてUPしていしまいました。ご容赦ください。

さてこの場所については御存じの方もいらっしゃるかと思いますが、安全対策のため、細かい目の網が身長よりもはるかに高い位置まであって、脚立があったとしても届きません。そのため、1眼レフカメラでは、その網の目を抜くことが出来ないはずで、私はコンデジの独壇場と思っています。ということで私はいつも通りのコンデジでこの写真を撮影しています。(一眼レフの場合、望遠レンズで網をぼかす手もありそうですが、私はそうした撮影をした経験がありません)

とりあえず2日間にわたる私の「ドクターイエロー」な日々はこうして終わりました。

2012年03月25日 18時47分

「ドクターイエロー」な日々(2)。

『見ると幸せになる』と言う言葉からして、私が写真を撮影していたホームの17番線に電車が入っていなかった(来なかった…)のは“幸せ”な出来事と言えるでしょう。

18番線では撮影できず、17番線サイドからなら撮影できるものに、下段写真の「軌道検測用台車」があります。まあ、『他の台車とは明らかに形状が異なる』ことは分かるものの、それぞれの部分にどういった役割があるかは私には残念ながら分かりません。

話しは前後しますが、ドクターイエローの“ドクターイエロー”たる点は、単に色だけではありません。上段写真は、これまで私は雑誌や単行本の写真で見ていただけのヘッドライト下の前前方監視カメラ部です。また架線状態監視用の観測ドームもやはり面白い存在で、今回、写真は撮影しましたがUPはまた機会があればといたいと思います。その“ドーム”も17番線側だからこそ見えたと思いますが、18番線では恐らく見づらかったものと思います。

ところで17番線を使用する電車ですが、11:47着の「こだま638号」で、当然のことながらその少し前には入線してきますので、17番線で撮影できるのは11:45までと考えた方が無難です。(自身の安全のためであり、JRに絶対に迷惑をかけない為)

●「ドクターイエロー」923形について、皆さんはよくご存知でしょうし、また私には詳しく説明する資料がないため割愛させて頂きます。ご了承ください。

2012年03月24日 18時45分

「ドクターイエロー」な日々(1)。

平成24年3月18日(日)、私は東京へ出張でした。

その前日、たまたま「ドクターイエロー」を検索していたところ、「3月18日」に『のぞみ検測走行』が“運転されるかも、、、?”というのを見つけ、半信半疑というか駄目で元々とばかり、確信の無いまま『東京駅』で「ドクターイエロー」を待ち受けることにしました。

と言っても、東京駅へは今回の出張同行者の乗車した「のぞみ」より2本先行させてもらっただけで、これ以上時間のずれがあればこの写真はなかったものと思います。仕事ついでの「鉄」はこれ位が程良いところでしょう。

さて、16・17番線ホームで待つこと暫し。
何とかドクターイエローの大井車両基地からの東京駅18番線入線を捕らえる事が出来ました。(上段写真)
時間は11:26。実は私の周りは結構な人だかりで、その人出はおそらく、16・17番線ホームと18・19番線ホームを合わせれば70~80人を下っていなかったと思いました。私同様、やっぱりHP情報を見て集まってきたのでしょうか?
平成24年3月17日のダイヤ改正後、初のドクターイエローは臨時「のぞみ339号」(東京発11:47)のスジで運転されるため、折り返しの時間は20分強あり、撮影の時間はそこそこあったのですが、何せそもそもこのドクターイエロー目当ての人にプラス時間に余裕のある乗降客も加わり、久しぶりに人混みに紛れての撮影となりました。
駅員さんの注意を促す「柵にもたれかからないでください」と言ったアナウンスが2つのホームで響く中、家族連れで記念写真を撮影していた方にお願いし、念願の記念写真(下段写真)を撮影してもらいました。

私にとって今回が、初めての「ドクターイエロー」体験となりましたが、『見ると幸せになる』との言葉通り、私は『幸せ』になるのでしょうか?でもそれは結局、私の心がけ次第でしょうね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!