2012年03月03日 17時49分

さよなら100系。

写真の場所は、平成21年3月20日の山陽新幹線「東広島」駅。列車は「東広島」発13:47の『こだま748号』(博多発岡山行き)で、100系の4両編成です。広島に所用で出かけた帰りに「東広島」から新幹線に乗り、家路に着きました。(4号車11番A席)

この前年に「0系」がなくなり、短編成(4両・6両)の“こだま”は当時「100系」限定で、「500系」の“短編成”は登場前でした。それにしても需要と供給の関係とは言え、16両編成で正に日本の大動脈を突っ走っていた「100系」の“4両編成”は『都落ち』の気分で、大手私鉄の電車たちが地方私鉄で再登板する姿とは上手く言えませんが何か違って見え、切ない気持ちになりました。

東海道新幹線から姿を消し、山陽新幹線の運用も岡山以西となり、それもついにこの3月16日をもって引退です。
「100系」は、私が就職してからのデビューで、この形式の登場は「0系」と比較し、東京出張時の座席の快適さという面で画期的というか衝撃的でさえありました。特に「2階建て」を4両繋いだ『グランドひかり』の「2階建て」部分の1階にあった“普通車指定席”は、座席配置が「2+3」ではなく、「2+2」で、勿論、1階部分なので『平屋』の車両に比べ、若干狭いということはあったのですが、それでもそのゆとりは十分で、移動時のスケジュールが合えばこの1階席を指定していました。ただ知る人ぞ知る存在とは言え、指定席の埋まりが『平屋』席より早かったと記憶しています。
そうそう、山陽新幹線「こだま」の指定席の「2+2」と同様と言えば分って頂けますでしょうか?
※現役時代の『グランドひかり』をご存知の方、私の思い出話しにお付き合い頂きありがとうございました。

ところでこの写真を撮影した日付を見て「んっ?」「家路?」「そんなはずは無いのでは?」と思ったあなた、流石です。
この日は新神戸で途中下車し、かつ新神戸駅近くのホテルに1泊し、翌日、阪神「三宮」から快速急行で「近鉄奈良」に向かいました。
「阪神なんば線」の開業初日に、かつ太陽が出ている間に乗ることも出来たのですが、混雑を恐れ敢えて1日ずらしました。

2012年03月02日 19時10分

東京メトロ有楽町線の“ホームドア”・・・。

上段写真は、名古屋市営地下鉄桜通線のホームではなく、東京メトロ有楽町線の「麹町」駅(池袋方面)です。
撮影したのは平成24年2月23日で、東京出張の際でした。

名古屋市交通局で「可動式ホーム柵」と呼ばれているものが、お江戸の地下鉄では、“ホームドア”と呼ばれています。(東京メトロのHP参照)
そんな他愛もないことはおいておき、有楽町線の「ホームドア」は平成24年度完成に向けて着々と進んでいます。
今回、私はJRから「有楽町」駅で乗り換え、有楽町線に乗車したのですが、「有楽町」駅はまだ設置工事中で、と言っても『ホームドア』本体の設置は終わっているのでもうしばらく経てば稼働し始めるはずです。
因みに、ここ「麹町」は昨年の11月12日から使用開始で、途中駅の「桜田門」「永田町」も予定通り、それぞれ使用が開始されていました。
*永田町…2月4日
*桜田門…2月11日
ところで、名古屋の桜通線ではあまり見かけなくなりましたが、ここ有楽町線では、ホームドアが閉じるタイミングに慣れていないと思われる駆け込み乗車のお客さんがおられ、挟まれそうになるところを一度ならず見かけました。閉まりゆく電車のドアとのタイムラグから来るものでしょうが、そもそも駆け込み乗車は『電車遅延』の原因となります。

それと多分、気のせいでは無いと思うのですが、有楽町線の電車に座っていて、桜通線の駅でいつも見ているものが見当たりませんでした。それはホームドア本体(いわゆるドア部分ではありません)の電車側に掲示された各駅の駅名表示。(下段写真参照)
ホームドアは、電車の窓のほぼ半分を覆い隠すことになり、ホーム上の駅名表示を確認するよりホームドア本体にそれがあれば利便性はあると思われました。
桜通線でも、確か車端部の窓部分には無かったはずですが、それでも現状はOKと改めて思った次第です。
タイトルの「・・・」の意味はそういうことです。

2012年03月01日 19時27分

豊橋「おんでんしゃ」2012(6)カップ酒の変遷。

飲み放題のビールもさることながら、あまりの外の寒さに、この日は例年になく別料金1本300円の熱燗が大人気で、最終的には車内の“熱燗”準備が間に合わなくなり、「“温燗(ぬるかん)”で良いから出して」と車内の係の方にお願いしてやっと『お酒』にありついていました。
と書くと、もともとの車内の在庫が少ないように聞こえますが、豊橋鉄道の名誉のために補足しますが、普通の団体でここまで“熱燗”を頼むことはまず無いと思われます。

さて本日の写真ですが、「おんでしゃ」の料金に含まれているカップ酒と枡を並べてみました。左から一昨年度、昨年度、本年度で毎年、デザインが違うのがよく分かりますね。
過去2年のカップ酒の中身は既にどこかに消えてしまっていますが、今年のお酒は、この写真の撮影後に私の体に吸収されました。
毎度のことですが、私はこのカップ酒を「おでんしゃ」の車内で飲んだことは一度もなく、今回も飲むことなく自宅に持ち帰りました。それは私だけではなく、他の方が車内で飲まれているのもあまり見かけることがありません。皆さんの理由は定かではありませんが、少なくとも私は、「車内で飲むのが勿体無い」ということではなく、持ち帰る際にカバンにお酒の匂いが着くのを避けるためです。先に書いた通り私は日本酒を嗜みますので『飲めない』とうことではありません。

ところでこの『枡』ですが、ほんのり木の香りが素敵です。と、今回初参加の木村裕子さんも仰っていました。

「おでんしゃ2012」完。

2012年02月29日 20時04分

豊橋「おんでんしゃ」2012(5)夕闇の豊橋駅前。

私たちの乗った貸切の特発「おでんしゃ」は夕闇迫る豊橋『駅前』に到着。やっと「おでん屋」らしい時間帯になったところで会は終了です。

そして、車庫に戻る3203号をペデストリアンデッキから見送りました。薄暮の中、尾灯の輝きが増していく電車の後ろ姿は哀愁が漂っていて、私は結構好きですね。
まあ、年齢の所為かも知れません。

余談ですが、冬の「おんでしゃ」と夏の「ビール電車」では、「おでん」があるのかどうかという違いは当然過ぎて書くのも憚られますが(書いていますが…)、また単に季節の違いではなく、ビールメーカーが違います。
夏が「キリン」で、冬が「アサヒ」です。

夏には夏の、冬には冬の楽しみがある豊橋鉄道です。そして路面電車そのものの楽しみ方ですが、これはあくまでも私個人の感想ですが、複線区間あり、単線区間あり、センターポールあり、安全地帯の無い電停ありで、路線長の割には見所タップリです。なおかつそれこそ路線長の割に車種(タイプ?)が豊富(と言っても良いですよね?)といった点も挙げられます。

2012年02月28日 20時01分

豊橋「おんでんしゃ」2012(4)「運動公園前」の名物自販機。

さて、木村裕子さんがカメラで撮影しているのは、どこからどう見ても飲料の自動販売機です。何か変わったものでも売っているのでしょうか?

この自動販売機があるのは豊橋市の「岩田運動公園」で、「おでんしゃ」が『トイレ休憩』をする「運動公園前」電停からほど近い場所です。
で、どういう特徴があるかと言うと、パッと目を引くのが自動販売機の上にある赤い回転灯です。この回転灯は伊達ではなく、『赤』で分かることから「警察」公認というか、「警察」が設置しています。
その名も『おたすけ自動販売機』と言い、回転灯の右側にある小さな赤いボックスは防犯カメラで、飲料の見本の下にある、今正に木村さんが撮影している場所に「110番への直通電話」が内蔵されており、「中の電話で警察と話せます!」と書いてありますから、恐らくこの蓋の中に電話があるはずです。流石にこれを“何も無い時”に開ける勇気(勇気と言うより悪戯になりそう?)は持ち合わせていませんが…。

この自動販売機は愛知県警とコカコーラが共同開発したもので確か、4~5年前に全国で初めてこの場所に設置されたものですが、この自販機が有名になったのは設置されて直ぐに壊されたことによるものです。そのニュースは私も覚えがあったのですが、ここ「岩田運動公園」に設置されていたことは覚えていませんでした。

実は、私が「岩田運動公園」にこの自販機が設置されているのを知ったのは、先回の「おでんしゃ」か「ビール電車」の時に参加者の方から教えられたことによるもので、それを今回木村さんに教えたのですが、『鉄』に徹するのも良いですが、たまにはこんな“途中下車”を楽しむのも乙なものと心得ています。

2012年02月27日 19時59分

豊橋「おんでんしゃ」2012(3)何故かピザが・・・。

賑々しい装飾のおでんしゃで私と乾杯しているのはいつもの制服姿ではなく私服の木村裕子さんです。それでも「赤い」コートを着ているのは流石です。
木村さんが今回参加することと相成ったのは、昨年末に『名古屋レールアーカイブス(NRA)』の見学に来られた際、NRA会員で日本路面電車同好会の会員でもあるUさんが、以前から『「おでんしゃ」に乗ってみたい』と言っていた木村さんを誘い、そうして彼女の何年越しかの願いが叶ったと言う次第です。

で、下段写真の『ピザ』の話しはあとにして、この「おでんしゃ」の定期運行時の定員は28名。でも貸切の際は30名となります。
その内訳は「ロングシート1列7名×4=28名」+「中間扉の所に椅子2つ(それぞれのテーブルに1つづつ)」=最大30名となっています。この上段写真を撮影してくれたのは、正にこのエキストラシートに座っていた方です。(今回の会の幹事さんでした)
はっきり言ってロングシートの1列に大男が2人もいれば“窮屈!”ですが、不思議なもので「乾杯!」をするとその狭さが親近感に変わります。

さて、下段写真の『ピザ』ですが、この「おんでしゃ」は「おつまみ」「ソフトドリンク」の持ち込みが自由です。但し、食中毒が心配されるものや、匂いの強いものは当然、お断りとなるのですが、そこで「日本路面電車同好会 名古屋支部」の『おでんしゃ』名物とも言えるのが、この『ピザ』の持ち込みです。見た通り普通の“宅配ピザ”ですが、切れ目が参加者30名に合わせ、特別に16等分をお店にお願いし、それを2枚持ち込んでいます。

さてこの『ピザ』はどこで持ち込んだのでしょうか?
それは始発や折り返しの電停ではなく、実は「競輪場前」電停。ここの電停の目の前と言うか、営業所の留置線の直ぐ隣にピザ屋があり、この「おんでしゃ」の到着時間に合わせて『ピザ』を焼き上げ、届けてもらっています。

こんな楽しみも工夫できるのが「おでんしゃ」です。

2012年02月26日 17時10分

豊橋「おんでんしゃ」2012(2)おつまみ弁当の歴史。

3年連続で「おでんしゃ」ということは、3年間の『おつまみ弁当』の歴史を紐解けることになるのです。

最上段は平成22年1月30日に撮影した「おでん」+「おつまみ弁当」です。(平成22年3月2日~にこのブログでUPした時に、この『弁当の中身』は紹介していません)

中段写真は昨年の2月5日に乗車し、平成23年2月6日からUPした時の『弁当の中身』ですが、実は2月7日UP分にこの上・中段の写真を使っています。

そして下段写真が今年の『おつまみ弁当』で、比較のため3年分を並べてみた次第です。同じ写真を再使用した事は、多分皆様にご理解いただけるものと信じています。「おでん」の具は私の記憶間違いでなければ変わっておらず、今年の写真では省略しています。

「おでん」の美味しさもさることながら、『おつまみ弁当』の中身が「今年はどんなだろう?」と考えつつ蓋を開けるのも、実は「おでんしゃ」の楽しみの一つだったりするのです。

PS.今日は私がこのブログを始めて2年が経った記念日です。思い起こせば2年前の2月26日、レギュラー番組「芸能界鉄道研究会 鉄研」が終了した後に、決して鳴り物入りではなく、ひっそりと始めました。始めた当初はこれほど長く続けられるとは自分自身思っておらず、今回が何と1323回目のUPというのも驚きです。

ブログを始めた当初、まだ番組のHPでは「俺の一枚」が更新されており、そこを見に来てくれた方がついでにこのブログを覗いてくれたものと思っています。
たぶんに私の備忘録的かつ個人の想いを連ねた内容で、一方で “鉄”的な深さが乏しいにも関わらず、今では思いもかけず多くの方においで頂いており、ここまで続けてこられたのは本当に皆さんのおかげだと感謝しています。今後もお付き合い頂ければ幸いです。

2012年02月25日 18時08分

豊橋「おんでんしゃ」2012(1)「赤岩口車庫」から出発。

豊橋鉄道名物というか冬の風物詩「おでんしゃ」のこの冬の運行は今日(2月25日)が最終日です。

それにも関らず私の今冬の「おでんしゃ」の話しは今日スタートです。いささか時期を逸した感ありですが暫くお付き合いください。

私にとって3回目、しかも連続3年の参加です。 “鉄道系イベント”で毎年欠かさずに参加しているのはここの「おんでんしゃ」だけで、毎年声をかけてくれる「日本路面電車同好会名古屋支部」の方達に感謝です。
もっとも“呑み鉄”イベントというか “車内” 呑み鉄イベントだからこそ参加しているといっても過言ではありません。

“同好の士”の方々と居酒屋さん等で酒を酌み交わすのは私の人生の楽しみの一つ(少々、筆が滑っていますが決して大袈裟な表現ではありません)と確信を持って言い切れますが、それが電車内であればその楽しさが更に膨らみます。
また、日常的に乗車する“列車”内で呑むのに比べ、鉄道の話しを心おきなく大声でしていても、誰にも顰蹙(ひんしゅく)を買わないどころか、より一層場が盛り上がります。
等と酒飲みというか飲兵衛(のんべえ)の言い訳がましい言葉を連ねていますが、そういえば最近、「飲兵衛」という言葉を聞きませんが、まだ死語になっていないですよね・・・。

さて本題ですが、今年の2月11日は好天に恵まれ、一方で気温が低く、正に「おでんしゃ」日和で、昼から一杯やるには最高の日となりました。

今年の出発地は、いつも(通常運行)の『駅前』ではなく、『赤岩口車庫』でした。この「赤岩口」ではなく「車庫」というのが味噌で、「運転体験」に酔いしれ、そこから引き続き酔うことと相成った次第です。

2012年02月24日 18時45分

閑話休題。いりなか駅の案内表示。

昨年の12月15日に、名古屋市営地下鉄鶴舞線の「LED式案内表示装置」の置き換え工事が始まっていると書きましたが、先週の土曜日にたまたま「いりなか」駅から乗車したところ、既に新しい案内表示が稼働していました。
私はてっきりN3000形の運転開始と同時くらいの切り替えかと思っていましたが、一足早い登場でした。

「川名」駅、「御器所」駅でも使用されていたので、恐らく鶴舞線全駅で切り替わったのではないでしょか?(確かめてはいませんが…)
ところで手前の旧タイプは、今後撤去される運命にあるので、こうしたツーショットが見られるのはそう長い期間ではなさそうですが、「成程」と思ったのは、旧タイプの“時計”がまだ生きていたことです。本当にこの場所から無くなるか、何らかの方法で時計を隠さない限り『今は動かないその時計』として放置しては、乗客サービス上問題があるでしょう。

個人的な感想ですが、『隠す』よりは、こうして2つの時計が並んで時を刻んでいる方が好ましいですね。

今日は閑話休題と言うことで失礼します。

2012年02月23日 19時21分

豊橋鉄道「運転体験」(8)工場見学。

「運転体験」“名物”、工場見学です。ここだけは私たちが勝手に見学することは『当然のこと』ながら許されておらず、ヘルメットを被り、豊橋鉄道の方の説明を聞きながら立ち入っています。

早速ですが、上段写真のように電車を下から見るという行為は滅多やたらにできることではありません。先回の運転体験の時もこの工場内に入っているのですが、残念ながら既に記憶の外でした。
ということで、少々暗い映像でフラッシュをたくべき(今の時代に「フラッシュ」という言い方は古すぎですね。ストロボでした)だったと反省しきりですが、台車を下から見たところです。そう言えば電車そのものの写真をUPしていませんが、3202号(3200形)です。

また中段・下段写真は787号(780形)の台車で、特に下段写真の『心皿』の部分を垣間見ることが出来たのは、一寸どころか相当に『お得』な気がしました。

「運転体験」は話しはこれが最終回です。

(お詫び)
本日、今回の記事をUP(19時21分)した後、写真が添付されていないことに夜11時に気付きました。その間、写真が見られなかったことをお詫び申し上げます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!