2012年02月22日 18時18分

豊橋鉄道「運転体験」(7)運転体験の全貌!

今回と言うか、毎度の運転体験でどれ位の距離を走るのかを定点観測(そんな大層なことではありませんね)してみました。これで全走行区間の50メートルです。

上段写真が出発点で、下段写真が終着点です。
ワイドレンズですので、相当な距離を走っているかのように見えますが、まあ「さほどでもない距離(『運転』を終えたと同時に上から目線ですね)」とは言ってよいでしょう。
すこし解説すると、この方向(上段写真⇒下段写真)で「運転体験」しており、手前(下段写真の位置)から、向こう(上段写真の位置)への移動は、“本職”の方が運転されています。何せ狭い車庫内での『運転体験』ゆえ、安全対策としてこれで国土交通省の許可を取っているとのことでした。このような形態のため、この『運転体験』で一番忙しいのは実は“本職”の方です。
例えば、私が運転台に着席したとすると、既にいつでも運転できるようにブレーキハンドル等がセットされています。で、下段写真の位置に「私が運転して到着」すると、直ぐに運転に必要なハンドル類は抜き取られ、“本職”さんが逆エンドに持っていき、電車を移動させ、出発の定位置に着くと、私の座っている運転台にハンドル類をセットします。
私はただ座っているだけで、かつ2回運転したのですが、“本職”さんは、参加者24名×運転体験回数の2回の計48往復も車内を行き来した事になります。この方にとっては「運転体験」の担当にならない限り、通常では絶対にありえないことだったでしょう。この場を借りて「お疲れさまでした」そして「ありがとうごさいました」と御礼を書かせて頂きます。

なにはともあれ運転体験はこうして終わりました。

ところで路面電車の車庫の留置線の長さは、全国どの路線でも豊橋鉄道同様、あまり長くはないと思っています。ここの「体験運転」の50メートルという距離は短いようですが、考えようによっては長いとも言えそうです。
また電車が車庫から出払い、入れ替えの無い昼間の時間を縫って「運転体験」が行われることになりますが、今後ともこうしたイベントが継続開催されるための条件として、鉄道事業者が安全に注力するだけではなく、参加者である私たち自身が、安全に留意する必要もあると感じました。

2012年02月21日 20時25分

豊橋鉄道「運転体験」(6)3102号の車内。

運転体験時、3班に分かれていたことは既に書いたとおりですが、運転をしないグループの内、1班は『工場』見学で、もう1班は車庫内の自由見学となっていました。(勿論、安全確認は個人の責任で十分に留意しています)

でこの日、運転体験参加者のために3102号の車内が公開されていました。
『最後の思いでに』という気持ちもあったのですが、結局車内の写真はこの2枚プラス社内全体が入った写真を数枚撮影した程度です。

何といっても、まずは運転席。最新式のワンハンドルものマスコンも良いですが、私にとって『市電』のマスコンはやはりこれです。しかもこの形です。
「何故?」と言われても、私が生まれてから名古屋市電廃止までの約20年間、日々記憶に刷り込まれていった歴史の重みです。誰が何と言ってもこれだけは譲れません。

それはそうとして(自分で言うのは何ですが、気持ちの切り替えが早い!)運賃箱を思わず撮影してしまいました。何故ならICカード非対応の運賃箱は私が日常的に使う交通機関で見ることがないからです。
ほんの少し前まで、こうした運賃箱は日本中、どこでも見ることが出来、今回の様に「懐かしい!」という気分からこんな写真を撮影してしまった自分がいるのが不思議です。

3102号もさることながら、運賃箱も合わせて、私にとって一つの時代の終焉を感じさせてくれるには十分でした。

2012年02月20日 20時27分

豊橋鉄道「運転体験」(5)3102号。

この写真は、元名古屋市電1400形、豊橋鉄道では3100形となった内の1両、3102号です。

上段写真は赤岩口車庫の片隅で休む平成24年2月11日の姿です。今は検査切れのため本線を走ることはありません。残念ながら…。

下段写真は今から2年前、平成22年の8月22日に撮影した豊橋鉄道での“現役時代”の写真です。この日、先に書いたとおり「運転体験」に参加しており、その“お迎え”電車がこの3102号でした。

1400形が豊橋鉄道に移籍されたのは名古屋市電の全廃に先立つ昭和46年ですが、1400形自体は昭和49年の全廃まで名古屋の街を走っており、私にとって正に“足”だった電車です。まさか下段写真を撮影し、そして乗り込んだその時が、私と1400形との現役最後の出会いになっていたとは、今でも信じがたい現実です。とても残念な気分ですが、ただ“現役”時代が長く続くとも思ってはいませんでしたが・・・。

ところで3102号の方向幕は「団体」で、今回の“お迎え”電車801号の方向幕は「貸切」でした。この違いはどこにあるのでしょう?
本来「団体」と「貸切」では、考え方が異なり、「団体」では1車両の“貸切”にはならないはずですので、801号の「貸切」が・・・、等と考えるのは無粋ですね。
単にそれぞれの電車に用意されている方向幕の都合なのか、それとも豊橋鉄道さんの粋な計らいであったかは謎ですが、私としては今回の写真を見て単純に面白いと思った次第です。

2012年02月19日 20時00分

豊橋鉄道「運転体験」(4)3502号の運転台。

皆様ご存知のように、豊橋鉄道3500形はもと東京都電の7000形で、もともと作られたのは昭和30年・31年で、私が就職した昭和52年に現在の車体に更新されています。そしてこの3502号は、平成4年にここ豊橋の地にやってきました。参考までに一昨年運転した3503号は平成11年の移籍組です。
ところで都電7000形と言えば、相変わらず都電荒川線の主力と言える存在です。“豊鉄”を運転しながら“都電”を運転する気分も味わえるという「1粒で2度おいしい」グリコのアーモンドチョコの様な電車です。(このキャッチフレーズを知っているのは何歳まで?最近は聞かないですよね)

等と言う話しはさておき、上段写真の右側に鎮座まします『ブレーキ』の壁に今回も苦しめられました。頭ではわかっていてもなかなか体というか手がついていきません。自己採点は50点(甘すぎる!)と言うところでしょうか?

さて今回の参加者は24名。8名ずつ3班に分かれて運転体験を行ったのですが、その参加者の中に遠路はるばる九州・熊本からやってきた方がおられ、その方が持参の熊本市電・運転体験(平成23年11月19日・20日実施)時の手袋(下段写真)を私たちのグループではお借りし、それを着用しています。昨日UPした写真にも写っています。

(参考文献)
*豊橋鉄道「でん車図鑑」
*日本路面電車同好会「日本の路面電車ハンドブック2011年版」

2012年02月18日 17時41分

豊橋鉄道「運転体験」(3)いざ!運転。

今回、運転体験をした電車は3502号(3500形)。豊橋名物「ヤマサちくわ」の広告電車とあって、地元では『チクワ』号の愛称で親しまれているようです。(一部の人だけ?)
どうでも良いことですが、私は「ヤマサちくわ」の『いわし玉』が好きで、取材で豊橋に来るといつも東名高速豊川インターチェンジの入り口近くにある「ヤマサちくわ」の売店により、お土産+取材車中でのおやつに買っていました。懐かしい思い出です。

話しを戻して、先回の運転体験(平成22年8月22日、このブログでは同年8月23日~UP)で運転したのは同じ3500形の3503号。
ということで、中段写真の私は“余裕の笑顔”です。因みに写真を撮ってもらったのは、『運転』前です。まあ、「現実の壁」にぶち当たる前は、こんなものだという典型的な写真です。

参考までに下段写真で、私同様、“余裕の笑顔”どころか“満面の笑み”を浮かべピースまでしているのは鉄道アーティストの小倉沙耶(こくらさや)さんです。
小倉さんも私と同じ2回目ということで、流石のゆとりですが、もっとも私もそうでしたが、小倉さんも僅かこの数分後に『奈落の底』に落ちていく運命が待っていることを、当然分かっていたはずですが、まだ「知りたくない」「信じたくない」という気分でした。(実のところ小倉さんはそんなことは無かったようですが、少なくとも私はそうでした)
※上記、小倉さんの名前のブロックは、彼女のブログ「小倉沙耶のやわやわ日和」にリンクが貼ってありますが、私のブログの今後UPする内容の一部“ネタばれ”があります。ご注意ください。

2012年02月17日 20時08分

豊橋鉄道「運転体験」(2)「赤岩口車庫」“中”まで直行!

「駅前」を12:18発の「運動公園前」行きに続行する形で出発した我らが「801号」は、「赤岩口」に12時48分頃に到着。
定期電車が同じ区間を22分で走るのに比べ、ゆったりと30分ほどかけて走り、「駅前」を12:25に出発した後続の「赤岩口」行きに追い付かれました。(上段写真)
もっとも追い付かれたというよりは、「競輪場前」から先の閉塞(へいそく)の関係があったのかもしれません。

ところでプラス8分の過ごし方ですが、2月11日は「鬼まつり」(国指定重要無形民俗文化財)の開催日で、その祭りの舞台である「安久美神戸神明社」(「市役所前」電停から直ぐ)を車窓から楽しんだり、豊橋鉄道の方からここの電車の“信号”等について解説を受けたりで、その30分は却って至福の時間でした。

そしてこの日の最初のハイライト!
「赤岩口」の電停を通り過ぎ、電車に乗ったまま「赤岩口車庫」に突入です。(下段写真)
私は、「競輪場前」を過ぎたころからこの光景を見るべく、この写真を撮影した場所に立ちその瞬間を待ち続けました。
しかし、ここで写真を撮り続けていたのは今回の参加者では私だけといっても過言ではない状況で、他の方は実に平然とされていました。

(発見)
ご存知の方も多いのでしょうが、私は初めて知りました。
道路上にある「赤岩口」の電停の先にある“引き込み線”から車庫に折り返すためのポイントが“手動”であることを!
『道路上』で“手動”の転轍機は「意外」の一言です。ところでここで『分岐器』ではなく『転轍機』という言葉を選んだのは、豊鉄の方による操作を見ての印象です。私の気分を何となくお分かりいただけますでしょうか?

2012年02月16日 20時02分

豊橋鉄道「運転体験」(1)「貸切電車」。

さる2月11日(土)、私は「豊橋」にいました。目的は、「日本路面電車同好会 名古屋支部が開いた冬の特別企画『「運転体験」と「おでんしゃ乗車」』に参加するため。
で、まずは「運転体験」のため車庫のある「赤岩口」に向かうべく“お迎え”を『駅前』電停で待つこと暫し。そして登場したのが右側の「801号」です。
時間はお昼の12時10分頃で、左側の12:11発「赤岩口」行きの出発を待って入線してきました。

「日本路面電車同好会 名古屋支部」の「運転体験」会への参加はこれで2回目ですが、先回も“お迎え”電車の形式をリクエストしており、私としてはこれが結構楽しみだったりします。
ところで、「801号」(800形)と「T1001」(1000形)には共通点が複数あります。
まずは何れもローレル賞を受賞していること。
*「800形」…2001年
*「T1000形」…2009年
そしてもう一つ。それは半径11メートルカーブが回れず、「運動公園前」に入線できないこと。
また、少々無理がありますが、豊橋鉄道では少数派の低床車です。(800形は???でしょうか)
その他にもあるかもしれませんが、私の能力ではこれが限界です。

ところでこの日の集合時間はお昼のジャスト12時。
ということで渥美線の『なのはな』号を撮影しようと少々早めに着いたのですが・・・。
昨年撮影した「新豊橋駅」を出発して田原方面に向かった地点(平成23年2月6日にこのブログでUP)に向かおうとしてショック!!!
何と“菜の花”が咲いていた見通しの場所に新しい建物を建設の真っ最中で、撮影しようにもほぼOUT。
しかも、11:30の電車の出発時間まで既に10分を切っており、他の場所に移動することもできず、泣く泣く撮影を断念しました。

2012年02月15日 18時53分

ケーブルカー番外編「ホテル祖谷温泉」(3)走行中。

上段写真は私が一風呂浴びて帰る時にのるケーブルカーを待っていた時、下ってくる車両を撮影したもので、下段写真は、その車両とほぼ同じ場所近くから渓谷を見下したものです。
私が考えるケーブルカーから臨む“絶景”は、車両の一番「麓」側に陣取り、「山上」側へ『登っていく』時の窓外の風景です。
でもここは違います。最初、目の前に広がる渓谷の広がりを楽しみ、それが下っていくにつれ、渓谷が手に届くような錯覚を覚える場所まで行き着きます。

日本のケーブルカーで、目的地へ向かうのに『下っていく』のは少数派でしょう。
私の個人的な感想で恐縮ですが、「青函トンネル記念館」が該当する位で、「立山黒部貫光」が麓側、山上側のどちらからも乗れるということで例外!です。
もっとも「青函トンネル記念館」では風景は全く見えません。

さて、こうして辿り着いた露天風呂で私の視界に入ったのは渓流と木々の緑だけ!聞こえるのはせせらぎ(というには少々荒々しいが…)と木々の葉音。
身も心の自然の中に溶け込んでいきます。

ただでさえ皆さんに馴染みの薄いケーブルカーで、それも公共交通機関でないケーブルカーを、私が「もう一度乗ってみたい」お勧めするのは如何か?と思わないでもないですが、あくまでも私の好みと言うことで、、、。

2012年02月14日 18時51分

ケーブルカー番外編「ホテル祖谷温泉」(2)車両。

四国有数の大河「吉野川」の支流「祖谷川」の作りだす渓谷沿いにある『露天風呂』を目指し、ゆっくり5分ほどかけて下っていくケーブルカーは、左側の写真の様なシルバーの車体(当時)。
またこのケーブルカーの傾斜角は見ただけでも『凄い!』を通り過ぎて『恐るべし!』と言いたくなりますが、何と何との42度(高低差約170メートル)もあり、車内(右側写真)は他のケーブルカーでは見かけたことが無いほどの急角度です。車内を一番下から見渡すと、これは「見渡す」というレベルではなく、「見上げる」という表現の方が相応しいと思ったほどです。

公共交通としてのケーブルカーの急勾配日本一は「高尾登山電鉄(高尾山ケーブル)」の31度18分ですが、それをはるかに凌いでいます。ここの傾斜角42度のケーブルカーが公共交通ではないのは少々残念に思えるほどですが、あくまでも『露天風呂』への足であり、今後も公共交通になることは無いでしょう。

ところで今回、「ホテル祖谷温泉」のHPを確認したのですが、ケーブルカーの車体が変わっていました。車体を新たに製造したのか?これまでの車体を改装したのか?そこのところの情報は私には無いので全く分かりませんが、車体の色は明るい黄色(と思われる)になり、一新された客席窓も車内からの眺望が良くなっているのではと感じさせます。

何れにしてもこのケーブルカーは、ホテルの一施設というにはあまりにも勿体無い存在です。

2012年02月13日 18時45分

ケーブルカー番外編「ホテル祖谷温泉」(1)絶景。

“公共交通機関”としてのケーブルカーの次は、このケーブルカーです。

平成22年3月19日のこのブログで、徳島県三好市にある新祖谷温泉「ホテルかずら橋」のケーブルカーをUPしています。そこからJR四国の「阿波池田」駅方面に向かうバスに15分ほど乗った先に「ホテル祖谷温泉」があります。

新祖谷温泉「ホテルかずら橋」のケーブルカーに乗った翌平成15年6月22日、「ホテル祖谷温泉」にあるケーブルカーに乗るため、日帰り入浴を楽しみました。

まずそのロケーションですが、上段写真の赤い矢印の場所にホテルの建物があり、その建物の所から谷底を覗いた下段写真の赤い矢印の場所に露天風呂があり、建物と露天風呂を結ぶケーブルカーの線路が確認できます。
よく目を凝らすと矢印の先に、銀色のケーブルカーがチラッと見えています。

と、ここまでは事実経過のみを淡々と書いていますが、私がかって乗車したケーブルカーの中で「もう一度乗るとしたら?」と聞かれたら、真っ先に挙げたいのがこのケーブルカーです。

所謂『鉄道』としてのケーブルカーではないので、時刻表にも載ってはいませんし、“記録”としての「『乗り鉄』の対象外です。
それでも『なお』です。
「ケーブルカー」の魅力は『風景』と何度も書いていますが、それはこの写真で十分皆様にご理解が得ら得ると思っています。『絶景』です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!