2012年02月02日 19時01分

近鉄・信貴山鋼索線(1)近鉄「信貴山口駅」。

いよいよケーブルカー巡りの最終段。平成15年12月4日の足取りです。まず向かったのは近鉄・信貴山鋼索線「西信貴ケーブル」。

名古屋を8:25のひかり301号で新大阪に向かい、新大阪~大阪~鶴橋とJRを乗り継ぎ、鶴橋10:08の近鉄で河内山本着10:24。河内山本発10:25の信貴山口行きに乗車し同着10:30。
はなから話しが脱線して恐縮ですが、名古屋から「のぞみ」ではなく「ひかり」に乗ったのは単に料金の差です。仕事の時に「のぞみ」に乗るか「ひかり」に乗るかの差は単に“時間の都合”ですが、プライベートは時間もさることながら費用も重要視しています。

などと書きつつそろそろバレテいると思いますが、近鉄「信貴山口」駅の写真の日付が『03 12 14』ではなく、『79 10 13』です。
そうっ、この写真の撮影日は昭和54年10月13日。
実は『南海電気鉄道・鋼索線(2)(3)』で紹介したように、その日、南海高野線に完乗した私は、難波から近鉄に乗り、上本町で16:12発の電車に乗り換え、河内山本着16:32。同発16:41で信貴山口着16:46。折り返し同発16:49に乗車したので、この写真は僅か3分の間に撮影したものです。
昭和54年10月13日、近鉄信貴線に乗車した私は山本~布施~西大寺~平端と近鉄を乗り継ぎ、天理を目指しました。
つまりこの時、『西信貴ケーブル』に乗っていません。

ところで今回の文章は、近鉄の路線図が頭に入っている方には別段問題は無いのでしょうが、そうでない方には何処から何処を目指して移動しているかがさっぱり分からないでしょうね。

2012年02月01日 19時54分

南海電気鉄道・鋼索線(4)高野山ケーブル。

「高野山ケーブル」の1編成(2両)の乗車定員はWikipedia等で調べた限りですが、「箱根登山ケーブルカー」よりも多く、日本最大の260名です。
またWikipediaの「南海コ11・21形客車」の記述には特急「こうや号」の1編成分の乗客が乗車できるとあり、それは私自身が体験していました。

ということで平成15年11月1日、「極楽橋」に9:28に到着した私は、上段写真の9:34発のケーブルカーで下段写真の「高野山」駅を目指し、無事9:39に高野山ケーブルを完乗しました。

ここから接続するバスでまずは『金剛峯寺』を目指し、そこから最終的には『奥の院』まで足を延し、ほぼ“高野山”を一巡しました。そして分かったことは高野山が、弘法大師空海が開いた仏教の聖地であるだけではなく、山上に広がる堂々たる(宗教)都市だったことです。

深山を切り裂くように走る南海高野線で周りに何もない「極楽橋」に到着し、そこから黙々と「ケーブルカー」に乗り継ぎ、やはり何もない「高野山」駅からバスに乗りしばらく走ったところから急に視界に入ってくる『人の息吹』は感動すら覚えました。
今は自家用車や観光バスでここを訪れる人も多いのですが、その方達も私と同じような感想を持つのでしょうか?

ここへの足がほぼ鉄道だけだった時代もそんなに遠い時代では無かったわけですが、その前は自分の足で人々はこの高野山を目指しました。いつからここが『都市』を形成していたかは歴史の研究家にお任せすることになりますが、単に“門前町”というには少々違和感を覚えたほどです。

余談:この日、アマチュアカメラマンの姿を至る所で見かけました。いくら標高が高いとはいえ、紅葉の時期には少々早かったのですが、それでも一部は色づいていました。

こうして私はほぼ一日を山上で過ごし、「高野山」駅発16:04で下山し、「極楽橋」着16:09。そして「極楽橋」発16:28の『こうや10号』で難波に戻りました。

この日は天候が良かったこともありますが、折角ここに来るのなら「乗り鉄」だけのタッチアンドゴーでは勿体無いというのが私の感想です。

2012年01月31日 18時29分

南海電気鉄道・鋼索線(3)昭和54年の乗車券。

昭和54年10月13日は「『高野山詣で』に出かけた」と言いたいところですが、目的は南海高野線に乗車し「極楽橋駅」に行くこと。この頃『日本の鉄道全線乗破』に向け、まるで“修業”の如く休みになると鉄道に乗り続けていました。

この日と言うか、この前日の10月12日に家を出て、近江鉄道全線、近鉄伊賀線(今の伊賀鉄道)に乗車し、桜井駅の近くの宿で一泊。この日は近鉄吉野線に乗車した後、南海「橋本」12:59の電車で「極楽橋」を目指しました。(極楽橋着13:44)
その乗車券が最上段で、「橋本」~「極楽橋」間は220円でした。(わざわざ書くことも無いですね)
2段目が難波に抜けるために極楽橋で購入したもので、極楽橋発14:15の急行で難波着は15:54でした。

で、私は極楽橋での31分間の折り返しの間に3段目の極楽橋の入場券を購入し、更に最下段写真の乗車券を使ってケーブルカーで「高野山」との間を往復したのでしょうか?
否!であれば私は、平成15年にわざわざ高野山ケーブルカーまで来ることはありません。ではなぜこの乗車券があるのでしょう?
実は、極楽橋駅の駅員さんが、わざわざ“無効印”を押して私にくれたものです。
「極楽橋」まで来て、高野山に向かわず入場券を買って難波までの乗車券を買うという行動をするのは「鉄道マニア」くらいで、それを察してくれた駅員さんから1枚の乗車券が私の手元にやってきたのです。でも「君はケーブルカーに乗りにもう一度ここ(極楽橋)にやってくるよ。だからこのケーブルーの乗車券を1枚プレゼント」とその駅員さんが思っていたかどうかは定かではありません。

2012年01月30日 18時24分

南海電気鉄道・鋼索線(2)極楽橋駅。

特急「こうや1号」が高野山ケーブルカーへの乗り換え駅「極楽橋」に着いたのは9:28。
名古屋を出て3時間弱での到着は、何ともあっけないというか、思いのほか短いものでした。また高野線の「橋本」を出てからの“山岳”区間は、急勾配と右に左へのカーブの連続と、途中駅でのポイント通過も『楽しい』もので、再訪して「天空」に是非乗ってみたいと思っています。余談ですが…。

ところでこの日の「極楽橋」駅は2回目の訪問で、最初は昭和54年10月13日でした。
下段写真はその際の「極楽橋」駅で、上段と下段の間には24年の歳月が流れています。

色の違いは、下段写真が経年により退色してしまっているためで、恐らく建物の色はそれほどの違いは無かったのではと思っています。なお下段写真は、プリントをデジタルカメラで撮影していますが、色の修正はしていません。(ネガは行方不明です)

時代の異なる2枚の同駅の大きな違いは、下段写真のほぼ中央にある「極楽橋駅」の大きな駅名看板です。平成15年では見当たりませんですが、今はどうなっているのでしょうか?
昭和の時代に、この「極楽橋」に降り立った時、駅の外に出た乗客は一人もいませんでした。でも上段写真では駅外に人が写っています。それは…。
上段写真は、高野山ケーブルを乗車後下山し、難波行きの発車まで少し時間があったので私はホームで待たずに外へ出たいました。
そして私と同じような方が何人かいらっしゃいました。

2012年01月29日 18時19分

南海電気鉄道・鋼索線(1)特急「こうや1号」。

今回から関西のケーブルカーです。以前にも中部・関西以西のケーブルカーについてこのブログで書いていますが、これで未紹介の各ケーブルカーについて全てUPし、私のケーブルカー“乗り歩き”は一旦終了です。

さてまずは南海電気鉄道・鋼索線です。一般的には「高野山ケーブル」ですが、正式には『高野山』の文字は線名には入っていません。

その高野山ケーブルに乗車したのは平成15年11月1日で、名古屋を6:40発の「のぞみ39号」で新大阪まで行き、大阪市営地下鉄御堂筋線に乗り継ぎ、南海難波(なんば)発8:10の特急「こうや1号」(今回の写真)に乗車。高野線の終点『極楽橋』を目指しました。
※ホームの行き先案内は「高野山」の文字が大きく、その横に小さく「極楽橋」と表示されていたのには、乗客サービスとしては至極当然と受け止められ、違和感はありませんでした。
実際、極楽橋で『下車』する乗客は殆どいないはずです。

参考までに南海電鉄のHPでも今回の私の目的である「高野山ケーブル」は、「鋼索線」(もしくは高野山ケーブル線)といった独立路線扱いされていません。
どういうことかと言えば、高野線の延長上に「ケーブルカー」と記載はされてはいるものの、高野線の終点「極楽橋」駅に発着する全列車が“直通”する形に掲載されています。

2012年01月28日 18時39分

伊豆箱根鉄道・十国鋼索線(2)

距離にして300メートル。鞍馬山ケーブルに次ぐ短さと、能勢電鉄の妙見ケーブルカーの2箇所しかない1435ミリゲージが特徴のここ十国峠ケーブルカーです。

ゲージはともかく300メートルはあまりにもあっけなさすぎて、帰りは「歩こうか」とも思ったのですが、天候に負けて16:11に出発した上段写真の「十国号」の乗客となりました。「思いのほか乗客が集まってきた」というのが実感だったのですが、そういう言い方は上から目線で失礼ですね。申し訳ありません。
ただ観光地の商売の難しさだけは実感した一日でした。

下段写真は霧に煙る「十国峠」駅です。
決して悔し紛れにUPしたのではなく、駒ケ岳ケーブルカーの「駒ケ岳山頂」駅と何となく外形の雰囲気が似ていたからです。
と言っても、この写真で「似ているかどうかを判断してほしい」とするのは無理な相談ですね。

こうしてこの日、「大山ケーブルカー」「箱根登山ケーブルカー」「駒ケ岳ケーブルカー」「十国峠ケーブルカー」を4つのケーブルカーに乗車し、半分意気揚々と、半分は鬱々とした気分で「十国峠登り口」からバスに乗り、熱海駅に抜けて新幹線で名古屋に戻りました。
数少ない「熱海」停車の『ひかり165号』に乗れたのはこの日の数少ない“救い”でした。

とここまで書いて、こんな後ろ向きな発言を繰り返すことは“趣味”の世界ではあってはならないと気付きました。皆さんも読んでいて楽しくないですよね。明日からは明るいタッチに戻しますのでこの1週間ほどの内容はご容赦ください。

2012年01月27日 18時38分

伊豆箱根鉄道・十国鋼索線(1)

「元箱根」を15:15に出たバスは、「十国峠登り口」着15:40。

「伊豆箱根鉄道・十国鋼索線」通称『十国峠ケーブルカー』の麓側の駅「十国峠登り口」は、如何にも大観光地のレストハウスと言える建物の中にありました。
その駅から乗り込んだケーブルカーは、この日は不定期運転中(中段写真)で、つまり天候が悪過ぎて5月の土曜日にも関わらず観光客はまばらで、時刻表にある時間通りでの運転は非効率極まりなく、柔軟な対応をしていました。

車内(下段写真)は、ご覧の通りの空席だらけで、結局私を含め、ほんの数人が乗り込んで15:49頃に出発し、山上側の「十国峠」には15:52頃に到着しました。僅か3分の旅でした。

それにしても多客時に増便というのは、まああるのですが、「不定期運転中」という減便は、後にも先にも私のケーブルカー遍歴のなかでもここだけです。(もっとも乗客にとっての不便はなかったと思っています)
ということで出発まで長い時間を待っていた訳ではなく、バスを降りてケーブルカーの乗り場に行ったら直ぐの出発と言っても良いタイミングで、ただ最初に「不定期運転中」の文字を見た時の私の気持ちは是非お察しいただきたく存じます。

2012年01月26日 18時37分

伊豆箱根鉄道・駒ケ岳鋼索線(2)。

平成14年5月18日の駒ケ岳ケーブルカー「駒ケ岳山頂」駅は、写真の通り“真っ白”でした。
と言った愚痴はさておき、私のここからの次の動きですが、ケーブルカーの駅から、多分、本来ならほぼ目の前に見えたはずの駒ケ岳ロープウェイの駅「駒ケ岳山頂」からロープウェイで「箱根園」に向けて下山しました。
(「駒ケ岳山頂」発14:30)
霧ではなく視界があれば恐らく素晴らしい景色が眼前に広がり、山頂滞在時間が10分ということはきっと無かったでしょうから、それはそれで“怪我の功名”だったのかも知れません。
(単なる負け惜しみです。美しい風景と出会いたかった!)

「箱根園」は観光地らしい施設もあり、そこを通るバスも多く、ともかくそこからバスに乗り、「元箱根」で更にバスを乗り継ぎ、同じ伊豆箱根鉄道の十国鋼索線を目指しました。

さて駒ケ岳ケーブルカー「駒ケ岳山頂」駅の話しに戻りますが、今思えば大観光地にあって随分地味な建物でした。当時、既に廃止という選択肢がこのケーブルカーで検討されていたのでしょうか?
また廃止後のこの駅舎はどうなっているのでしょうか?

ところでこのケーブルカーが無くなった後も駒ケ岳ロープウェイは営業を続けており、その存在があるから片方のケーブルカーが廃止されたのかもしれません。
というか「箱根園」を起点に、そこから景勝地を往復するロープウェイには存在意義があっても、公共交通機関を“乗り繋ぐ”もしくは観光バスで巡っていくには楽しい乗りモノだったのではと推察されるこのケーブルカーは、自家用車で観光地を回るスタイルが定着する中で、『駅以外に何もない「駒ケ岳登り口」駅』の往復という選択肢しかなければ、廃止の憂き目にあったのも時代の必然だったのかも知れません。

箱根では道路網が整備されているだけに、立山黒部アルペンルートの様な“乗り物”ルートを確立するのは難しいでしょう。多くの人の話題にあまりのぼることもなく、あまりにも静かで、あまりにもあっけなかった幕引きは、ケーブルカーだったからかもしれません。

2012年01月25日 18時36分

伊豆箱根鉄道・駒ケ岳鋼索線(1)。

途中駅が4駅もある大型ケーブルカー「箱根登山鉄道・鋼索線」の次は、比較するとこぢんまりとした「伊豆箱根鉄道・駒ケ岳鋼索線」です。
「箱根・駒ケ岳ケーブルカー」という呼び方が一般的だった(!)と思うのですが…、平成17年8月31日に廃線となりました。

写真のケーブルカーは何れも私が乗車した「湯の花」号で、上段写真が麓側の「駒ケ岳登り口」駅で、下段写真が山上側の「駒ケ岳山頂」駅です。
そして私が乗車したのは「駒ケ岳登り口」発14:15、「駒ケ岳山頂」着14:20でした。

まあ何れも“真っ白”で『なんだかなあ』という私の気持ちはお察しいただけると思いますが、それでも「乗った」は「乗った」ということで納得はしていたのですが…。

この箱根界隈は、著名な観光地だけあってバス路線もそれなりに充実しており、公共交通だけでも移動しようと思えば、それはそれで可能なのですが、ケーブルカーの“乗りつぶし”を『効率的』に行うのはなかなか難しい相談だったと記憶しています。
そこで究極の選択として「早雲山」から「駒ケ岳登り口」間だけは“タクシー”に乗りました。とはいうものの何でこんな『霧の中』を、タクシーを走らせているのか虚しさが胸を去来していました。
そうでなければ30分も掛からずに移動は出来なかった計算で、“乗りつぶし”は『パズル』を解くようなモノだと私は真剣に思っています。

2012年01月24日 18時35分

箱根登山鉄道鋼索線。

先週金曜日の「御岳山ケーブルカー」の記事にお二人からコメントを頂きましたが、そのコメントを読みつつ『ケーブルカー』の「乗りつぶし」はどこまでメジャーな存在なのだろう?と考えていました。

私は所謂「鉄道」「軌道」「モノレール」「新交通システム」を完乗したのちに「ケーブルカー」への挑戦を始めました。
恐らく「ケーブルカー」が最初から私のターゲットであれば、もう少し“効率的”に回れたかもしれないという想いと、もう一点、少なくとも「霧」で風景が全く見えない日に「ケーブルカー」に乗ることは無かったかもしれないと思っています。

写真は平成14年5月18日。
箱根登山鉄道鋼索線(箱根登山ケーブルカー)強羅発13:35、
早雲山着13:44でした。
箱根登山鉄道の鉄道線は昭和51年1月15日に乗車しているのですが、その時は鋼索線に乗っていません。先に書いたとおり今思えば何とも効率が悪いですね。また昭和51年1月15日の天気は曇りだった記憶がありますが、それでも「芦ノ湖」は見渡せたような気がしています。

と、敢えて書きたくなるほどこの5月18日は霧が深く…、それより「霧が降る」という表現の方がピッタリで、視界が恐ろしく限られていました。
それは下段写真である程度ご理解頂けると思うのですが、この段階で既に私は「乗りつぶしで無ければ絶対にこの日の箱根観光はあり得ない」と憮然としていました。ただこれはまだまだ序章に過ぎませんでした。

さて、ここまで書いてからで何ですが、この箱根登山鉄道鋼索線の2両編成の輸送は凄いです。東京近郊の代表的な観光地というのは「こういうことか!」と感じさせてくれます。また既に登場から15年以上の月日が流れているこの車両のデザインは未だに新鮮な印象です。

ところでこの箱根登山鉄道鋼索線の軌間は983ミリです。
ケーブルカーは奥が深い。

(東京駅のゼロキロポスト追記)
この1月11日にUPした『「東京駅」山手線(4番線・5番線)の間のゼロキロポスト。』ですが、鉄道ピクトリアル2012年3月号の特集「ターミナルシリーズ東京」の中に『0キロポストめぐり』があり、そこに“東京駅55周年の記念”とありました。もう一度じっくり見てみたいと思っています。
ここに補足させていただきます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!