2012年01月23日 18時34分

大山観光電鉄(2)。

大山ケーブルカーの駅名が変わった証拠と言うか、大山観光鉄道の乗車券(少し薄めの硬券でした)と「追分駅」にあった『大山ケーブルカー乗車案内』看板です。この看板も駅名が変わっているので当然変わっていると思いますが、看板を見ると駅名の変更も「さもありなん」と思えるはずです。
まず途中駅の「不動前駅」ですがそこには『大山寺不動尊』の名があり、また「下社駅」には『阿夫利神社』の名があります。「不動前」も「下社」もその駅名の由来はその“通り”なのですが、今の方が私にとってもシックリくるのはひょっとしたら時代が流れることで、このケーブルカーに乗る目的が、参拝だけではなくハイキング(登山???)の方が多くなり、目的地をより明確にした証左かもしれません。

ところで乗車券は、『往復』ですので“往”と“復”でチャンとそれぞれパンチが入っているのですが、本来のパンチの位置は右側の上が“往”で、下が“復”(何とか“復”の文字が読めると思います)です。ところが“復”のパンチは乗車券の上側に入っています。
他社の場合、例えば「高尾登山鉄道」「御岳登山鉄道」の往復乗車券には『パンチの指定位置』はありませんでした。なお、ここ大山観光鉄道と同様に、麓側と山上側ではパンチの形が異なっています。

それにしても、3駅とは言え、1鉄道会社が一度に全駅の名前を変えた例は他にあったでしょうか?少なくとも私の記憶にはありません・・・。

“大山”から下山した私はこの後、11:22に神奈川中央交通バスに乗車、小田急に乗り継ぎ伊勢原駅発12:00~箱根登山・箱根湯本~箱根登山・強羅に着いたのは13:27でした。
この日、ここまで途切れなく公共交通機関に乗車しており、なおかつ車内での飲食が憚られるバス・電車ばかり。私はいつ昼食を???

(御岳登山鉄道補足)
私が乗車した時の車両は今は無く、平成20年に新しい車両に変わっています。NPO法人「名古屋レール・アーカイブス」のYさんから情報を頂きました。
またケーブルカーを調べていたら、御岳山ケーブルカーの軌間が1049ミリとなっていました。日本ではここだけというか世界的にこの軌間は他にもあるのでしょうか?
私の知識不足でしょうか?

2012年01月22日 18時32分

大山観光電鉄(1)。

神奈川県伊勢原市の「大山観光電鉄」も正式名称より「大山ケーブルカー」という呼び名が通りやすいですね。などと言えない事態が…。「大山ケーブルカー」の公式HPを見て驚きました。

何とトップページに『大山ケーブルカー運行休止のお知らせ』『運休期間2012年1月18日(水)初電より当面の間』とあったからです。
車両故障とのことでどんな故障かまでは分かりかねますが、一日も早い復旧を祈るばかりです。

さてこの大山ケーブルカーには平成14年5月18日(土)に乗っています。
小田急・伊勢原駅から10:05発の神奈川中央交通バスに乗り約25分で『大山ケーブル駅』に到着しました。で・・・、現在の大山ケーブルカーの駅名は麓側(バスの終点側)が「大山ケーブル駅」。山上側が「阿夫利神社駅」なのですが、当時は麓側が「追分駅」、山上側が「下社駅」でした。

こう書くとまるでケーブルカーの駅名がバス停おn名前に合わせたみたいですが、平成20年に中間駅も合わせて変わっており(「不動前」が「大山寺」)、私の印象では今の駅名の方が利用者には分かりやすいと思っています。

さて写真の説明ですが、上段が追分駅に向かう途中で、下段が、私の乗車したケーブルカーです。その「おおやま号」で、10:40に出発し、10:46に「下社駅」に到着しました。情けない話しですが、ここ大山ケーブルカーでも「阿夫利神社本社」どころか駅名にもある「阿夫利神社下社」に行くのも断念し、折り返しの11:00発で下山しました。
この日は小雨模様だったのが気がめげた理由なのですが、それも「雨」というより濃い「霧」に包まれた状態で、「下社駅」周辺は白いベールに包まれていたと言っても過言ではない状況で、景色を楽しみたいケーブルカーにとっては最悪の日でした。

●バス停「大山ケーブル駅」~ケーブルカー「追分駅」の間は“門前町”の風情があり、それはきっと今でも残っていることと思っています。

2012年01月21日 18時41分

御岳登山鉄道(2)。

ケーブルカーのあるここ「御岳山」は、多くのケーブルカーがそうであるように“信仰”(参拝)のための足として出来たものと思われます。
その『武蔵御嶽神社』は、御岳山ケーブルカーの終点「御岳山」駅から30分ほどかかることを現地についてから知り、私は登頂を諦め、この時ばかりはその神社の方に向かって一礼だけし、「御岳山」発12:42の『日出号』(上段写真)の乗客となりました。

滞在時間僅か5分で、如何にも“乗り鉄”的な日になりました。因みにこの2両のケーブルカーは、「御岳登山鉄道」の公式HPで確認したところ、現在では塗り替えられています。筑波山ケーブルカーに続いて時間の経過を感じさせる出来事でした。

また下段写真で確認できるこのケーブルカーの勾配ですが、平均勾配22度26分で“関東一”とのこと。
路線長1107メートルで高低差423.4メートルを稼いでいます。参考までに車体の角度も22度で、平均勾配に沿ったものであることが面白いと思っています。

(余談)
最初にここに行った時、私は「御岳=おんたけ」と読むものと思い込んでいました。
JRの駅で「んっ?みたけ???」と気付きました。『思い込み』もさることながら、自分でもいうのも何ですが“私は流石に名古屋人”だと思います。逆に言えば、関東の人の中には『木曽の御岳山(おんたけさん)』をひょっとして『きその“みたけさん”』と呼んでしまうこともあるのでは・・・、まあそんなことは無いのでしょうが、因みに「Wikipedia」で『御嶽山』を引いたら日本全国に結構な数があるのを知りました。また「おんたけさん」「みたけさん」だけではなく、それ以外の読み方も有るんですね。発見でした。

2012年01月20日 18時38分

御岳登山鉄道(1)。

御岳登山鉄道(御岳山ケーブルカー)は平成14年4月6日(土)に乗りました。

この日、中央本線「四ツ谷」発10:06の“青梅特快”に乗車し、青梅線「青梅」着11:10。「青梅」発11:36の電車に乗り継ぎ、「御嶽」着11:52。ここからバスに乗り継ぎ、『御岳山ケーブルカー』は麓の「滝本」発12:21(上段写真)の『青空号』に乗車し、「御岳山」(下段写真)に着いたのは12:37でした。

その「御岳山」駅の駅舎の駅名標が「御嶽」となっているのに、このケーブルカーの歴史を感じさせます。
(JRが未だに「御嶽」駅を名乗っているのも興味深いですね)
ところで、ケーブルカー乗車時に『みたけ山周辺遊歩地図』という観光パンフレットを貰っていたのですが、その中に「JR御嶽駅」~「滝本駅」間約2.8キロとあり、その間の所要時間が。
*徒歩50分
*バス8分
*車5分
となっており、『徒歩』が最初に書いてありました。
バスの本数がそれほど多い訳ではないのものの、それでも1時間に2本程度はあったので、バスに乗らずに歩く人がいるという証しでしょうが、50分の道のりは半端ではありません。さてその理由は?私には分かりませんでした。

因みに所要時間“8分”のバスは結構混んでいて、私はそのバスに座れず、僅かの時間とは言え、立っていたことを思い出しました。

2012年01月19日 21時03分

筑波観光鉄道(2)。

筑波観光鉄道「筑波山鋼索鉄道線」は全線で1.6キロ。高低差495メートルをおよそ8分で繋いでいます。

さて私がこのケーブルカーに乗っていた8分間、珍しく座席に座ってジッとしていました。普段ではありえないことです。
その理由は100%私と同じ趣味と思われる方が偶然乗り合わせており、その方が私より先に車内で積極的に「鉄」活動(スチール+ビデオ)を始められたので、他の乗客の方々の手前、ケーブルカーの狭い車内で2人が動き続けるのは少々憚られたからです。(というかスペース的にほぼ無理)

「筑波山頂」駅は標高800メートル、そこから『男体山』の山頂(標高871メートル)までは15分ほどの道のりだったと思います。
その山頂には「筑波山神社男体山御本殿」があり、私はそこにお参りしたのち、山頂からの絶景を堪能していました。(下段写真)

ケーブルカーは、その路線乗車時に絶景が楽しめる路線も多いのですが、やはりその『先』に絶景が待っていることが多いです。
ただ、終点からもうひと手間というか、もうひと努力した先に“絶景”が待っていることが多いのが私の様な無精者と言うかモノグサには難点です。(贅沢な悩みです)

さて、絶景を楽しんだ後は路線バスでJR常磐線「土浦駅」に出て、そこから「上野」~「東京」~「名古屋」のルートで家路に着きました。

ケーブルカーの乗りつぶしは一筋縄ではいきません。

2012年01月18日 21時20分

筑波観光鉄道(1)。

「筑波観光鉄道」という会社名より「筑波山ケーブルカー」の方が通りが良いですね。

私はこのケーブルカーに、平成14年1月19日(土)に乗車しました。
その前日の1月18日(金)、東京で会議があり1泊したので、その余勢を駆ってこの日、筑波を目指しました。

当時は『つくばエクスプレス』の開業前だったこともあり、取りあえず「東京駅八重洲口」から「筑波山」行きの高速バス(関東鉄道ではなくJRバス)に乗り込みました。

「東京駅八重洲口」からの発車は09:10、「筑波山」到着は10:50でした。
バスの終着は「筑波山」と名乗っていても、ケーブルカーの乗り場に近い訳ではなく、廃線となった「筑波鉄道(関東鉄道)筑波駅」のあったところで、現在は紛らわしいということでその場所は「筑波山口」と名称変更となったようです。
何れにしろ私は、その「(旧)筑波山」停留所からケーブルカーの始点である「宮脇駅」(上段写真)までタクシーで移動し、11:20発のケーブルカー(下段写真)で「筑波山頂駅」を目指しました。
余談ですが、最初は高速バス「筑波山」(路線バスでは『筑波駅』停留所)からバスを乗り継ごうと考えていたのですが11:25発まで35分待たねばならず時間の都合で諦めました。

またケーブルカーの「筑波山頂駅」は、当時、私が現地で入手した観光パンフレットには単に「山頂」と記載されており、今回の話題を書くために自身の記録帳を見直していて、単に「山頂」とだけ書いてあるのに気付きました。あるまじき失態です。

ところで車両の愛称名は写真にあるのが「もみじ」で、もう一両は私の乗車当時は「つつじ」でした。
2両とも今は塗装が変更され、「つつじ」の方は今は「わかば」を名乗っています。

2012年01月17日 21時08分

高尾登山電鉄(2)。

高尾山ケーブルは、その公式HPによれば全長1キロ。
高低差が271メートルで、最急勾配は31度18分。この31度18分はケーブルカーで『日本一』の急勾配で、と言うことは、日本の“鉄道”の営業路線での最急勾配となるでしょう。
確かこの上段写真の辺りが『最急勾配通過中』で、良く見ると「行き違い箇所」を通り過ぎた所から、グッと坂がきつくなっているのが見て取れます。

一方、車窓に目を向ければ、目の前に広がっているのは、冬の寒々しい景色ながら、それはそれは雄大なものでした。この時、私が何を考えていたかと言うと『ケーブルカーは“麓(ふもと)”側が特等席』というごくごく当たり前のことでした。

そして到着した下段写真の「高尾山駅」(駅舎の「驛」の表示に時代を感じます)は山小屋風で、しかも堂々と佇んでいました。
写真ではあまり人が写っていませんが、この瞬間を結構、この位置で待った記憶が蘇りました。

ここから高尾山薬王院まで暫く歩き、ちゃんとお参りしてから帰路につきました。
さてこの高尾山で私は何をお願いしたのでしょうか?
決して「今年も鉄道の旅が楽しめますように」といったことではなく、「家族と自身の健康」だったと思います。初詣に限らず、神社仏閣での参拝時、私はいつもこう願いを込めており、やはり家族と自身の健康が無ければ、“趣味”を楽しむなどということは到底あり得ません。おっと危ない!結局は自分が“鉄道”を楽しむための『家族の健康祈願ですか?』と言われてしまいそうです。

ところで1月も半ばになってから言うのも何ですが、このブログを読んでくださっている皆さんにとって、今年が良い1年であることを祈っています。

2012年01月16日 21時05分

高尾登山電鉄(1)。

昨年の2月9日の『立山黒部アルペンルート(5)黒部ケーブル「黒部湖駅」』の話題以来の「ケーブルカー」の登場です。
暫く「ケーブルカー」にご乗車ください。

まずは高尾登山電鉄。「高尾山ケーブル」と呼んだ方が、通りが良いかも知れませんね。

この高尾山ケーブルに、私は平成14年1月21日に乗っています。
私の手元の記録帳ではこの日、中央本線高尾駅からの足取りが残っています。
まず中央本線高尾発10:20、高尾山には向かわず、四方津着10:40。ここで「鉄道」の範疇ではないコモア・ブリッジ(このブログでは平成22年10月31日にUP)に乗り、この後、四方津発11:16で高尾着11:45。
京王電鉄高尾線に乗り換え、高尾発11:48で高尾山口着11:50。
(着発時刻は私の手元の時計によるもので、実際のダイヤと異なる場合もあります)

数分歩いて高尾山ケーブル「清滝駅」発12:00。
「高尾山駅」着12:05頃。

この日は天候に恵まれ、1月も下旬でしたが高尾山薬王院への初詣で客もまだまだ多く、『高尾山ケーブルカー』は真冬の閑散期と思い込んでいた私の予想は見事に覆されました。
※ケーブルカーは平成20年に新しい車両となりましたが、私はまだ見ていません。

2012年01月15日 18時06分

「東京駅」の『ゼロキロポスト』とは言えなさそうですが…。

平成22年10月12日に、東北新幹線「東京駅」『20番線』から『10番線』を臨んだものです。

上段写真の赤い矢印の先(殆ど何が有るかが分からない状況)に、下段写真の「0K000」の標識が金網にぶら下げてありました。

新幹線側に向いているので、先回の「0Km POINT」が東海道新幹線の「新幹線起点」と同様のものだとすれば、こちらが“ゼロキロポスト”でしょうか?
たまたまその存在に気付いたので写真に撮ったまでですが、「0」Kの後に3桁も「0」が続いているのが面白いと思いました。

この日は、たまたまゼロキロポストを集中的に撮影していたので目に入りましたがそうでなければ気付くことは無かったでしょう。

さて「東京駅」のゼロキロポストにシリーズはこれにて一旦終了します。実は地下ホームに、ゼロキロポストの撮影に行っていません。
悪しからずご了承ください。

ところでこのゼロキロポストの話題は、もっと以前にまとめて書こうかと思っていました。正確に言えば昨年の3月下旬頃です。
このシリーズの最初の「新幹線起点」(撮影日付を書き忘れました)を始め、昨年の3月10日に撮影した写真が結構あります。東日本大震災の前日、私は仕事で東京に出張しており、その日は日帰りだったので何事もなく私は名古屋に戻りました。

タイムリーに書いていきたいと思った話題は、震災とは別にこれまで書いてきましたが、この東京のゼロキロポストについては書く機会を全く逸していました。
ほんの少しではあるものの私も仕事として関わっている映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」の1月21日の公開が私の背中を押してくれたものと思っています。

2012年01月14日 18時04分

東北新幹線「東京駅」の『ゼロキロポスト』。

東北新幹線「東京駅」の20・21番線ホームにある「0Km POINT」です。
(22番・23番線ホームにも同じものがあります)

亀甲状に配置された石(?)の真ん中に六角形のブロンズ(?)が埋め込まれ、その真ん中にはそこがまさしく「起点」であると主張しているような小さな丸い点「○」があり、その下に「0Km POINT」と書かれています。この文字の上方が北というか、新青森方面となっています。
もっともこの写真を撮影したのは平成22年10月12日であり、その頃はまだ「八戸」までしか通じていませんが…。

ところで相変わらず性格が素直では無い私の視点は少し人と違うようで恐縮ですが、撮影した時は気付かなかったのですが今回、こうして書いていて気付いたことが…。
「0Km」の「K」と「m」は何故大文字・小文字の組み合わせなのでしょうか?
因みに「1番線」及び「4番線」「5番線」の間のゼロキロポストを始め、東海道新幹線も含め“ゼロキロポスト”にはことごとく「KM」とあり両文字とも大文字です。
大文字か小文字で統一するというか、どちらかと言えば「k」も「m」も小文字の方が私にはシックリくるのですが…。何故でしょう?不思議ですね。

さて今回、何度も書いていますが、この「0Km POINT」を気に留める人は、他の「ゼロキロポスト」同様全くと言ってよいほど見かけませんでしたが、それでも東海道新幹線の「新幹線起点」よりはその上を歩く人が少ない気がしました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!