2012年01月03日 9時00分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(9)前方パノラマビュー。

ミュースカイ各車両の客室仕切りドア(という言い方で良かったっけ?)の上部というか妻面上部に、『各種案内』を主として表示する『22インチLCD』モニターがあります。

このモニターには皆さんもご存知の通り、運転台に装備したカメラによる走行中の前方映像も時折、映し出されます。この前方映像は、名古屋鉄道「ミュースカイ」のパンフレットによれば『前方パノラマビュー』というのだそうで、名鉄だけあり『パノラマ』をちゃんと使っている辺りが流石です。

ただこの前方パノラマビュー、定期列車では「ズーっ」と楽しめる訳ではありません。と言うことで、今回は“ファンサービス”として、それこそ「ズーっ」と楽しませてくれました。

まず名古屋本線の「金山」以東を走るミュースカイの定期列車はないので、外の風景は窓からも見ていましたが、一方で、結構このモニターからも見ていました。

上段写真は、私が時折乗降している「桜」駅を29キロで通過中となるのですが、通過列車に乗ったことはこれまであるのでそれ自体は珍しくはないのですが、やはりモニター越しの映像は思わず『かぶりつき』でした。

また中段・下段の写真もそうそう見られる映像ではないというか、そもそも中部国際空港に折り返して向かうため、電車に乗ったまま金山駅を通過し、引き上げ線に直行するなどあり得ないことです。

私にとっての「たい・けん・がく!」のクライマックスがここにあったと言っても過言ではありません。
何せ、てっきり金山駅の3番線で折り返すと思いこんでいたものですから…。

2012年01月02日 10時07分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(8)2000系の運転台。

今回、ミュースカイ「2000系」の運転室に入り、運転台周りが意外とコンパクトなことに気付きました。写真の前面窓の速度計等の直ぐ右側までスイッチ類が迫っていたりで、他形式に比べ、やや狭い印象を受けました。(運転席周りのスペースが狭いということではないので、表現が難しい・・・)

また最近の車両は液晶モニターで車両の様々な管理がされていますが、ミュースカイも同様でした。
下のモニターは写真画面が小さいので少々見づらくて恐縮ですが、目を引いたのは、例えば最上段の列にある赤字に白文字の「μ」であったり、その下の車両番号の「1」「2」「3」「4」の「3」と「4」にちゃんと方向もあっているパンタグラフが可愛らしく付いているところです。
車両管理の観点からすればパンタグラフがあっても当たり前なのですが、私には妙に気になりました。

また、この時間「扉の開閉体験」をしていたからでしょうが、1号車・2号車の扉は『締切』であり、3号車・4号車の“海側”の扉が「開」で、“山側”の扉が「閉」であることもこのモニターで確認できます。

名鉄に“海側”“山側”という言葉があるのは、以前『名鉄“通”』の方から聞いていたのですが、このモニターにその表示があるのを見て、「俗に」使う呼び名ではなく、会社として『通用』する正式な呼び方であることを確認できたのは、大袈裟かも知れませんが収穫でした。

2012年01月01日 17時26分

平成24年辰年「謹賀新年」。一本のペットボトル。

あけましておめでとうございます。今年も拙文にお付き合い頂ければ幸いです。

さて、年も押し迫った12月26日(月)、整備新幹線3区間の着工方針が決定!北海道新幹線の新函館~札幌間(211キロ)や九州新幹線(諫早~長崎)、北陸新幹線(金沢~敦賀)が着工認可されました。

その開業時期は国土交通省のHPによれば、工事に時間のかかる北海道で平成47年度と、何と20年以上先のことであり、「気が遠くなる」ような歳月がこれからも必要です。

写真のペットボトルは、昨年の夏に渡道した際、見付けて購入したもので、「北海道新幹線 札幌延伸 札幌~東京間3時間57分」「拡がる地域間交流 新たなビジネス創出へ」「(札幌)~(仙台)2時間35分」「(札幌)~(函館)45分」のラベルが、北海道のこの新幹線にかける意気込みを表していました。

因みに製造された地は「北海道虻田郡真狩村」で、『北海道新幹線促進札幌圏期成会事務局』『札幌商工会議所総合企画部』の名前がラベルにあったので、新幹線建設促進に向け、一歩一歩訴求していく手段として製造・販売されたものと察しています。

平成47年というのは確かに先の先ですが、先の話しでも明日明後日程度の話しであればさておき、あまりに先の話しとなると現実感が希薄となり、「気が遠くなる」のもあながち誇大表現ではないと思っています。

でもその「気が遠くなる」歳月の先にあるのが自分たちの未来への単なる「夢」ではなく、現実を見据えた上での将来に託す「希望」とその「実現」であれば、20年先の話しであってもこの表現は不適切ではないでしょう。

さて話しは飛ぶようですが、地域交通の崩壊の危機は現実として私達の目の前にあります。3月には2線区での廃止もあります。
高齢化の進む中、富山の路面電車の“成功”の分析を始めとして、もっともっと“自家用車”以外の『移動手段』の在り方の議論が必要でしょう。
そしてそれは「整備新幹線」や「地域交通」といった個別の括り方ではなく、私達の生活のあり方としてトータルで考えても良い時代が到来していると思っています。「気が遠くなる」歳月の先にある「公共交通」の現実はどうなっているのでしょう?
昨今、「鉄道の廃止」だけがクローズアップされる切り取り方にも違和感を覚えます。

以上、年頭にあたり「整備新幹線」の将来構想を知り、感じたことを書いてみました。

2011年12月31日 10時46分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(7)ブレーキシューって?

今日はいよいよ大晦日です。
大晦日だからと言ってそれに向けた話題を考えるようなことはなく、いつも通りに話しを進めます。
上段写真は前回のデキの直ぐそばに今回の参加者見学用に置いてあった新品+使用済みブレーキシュー(制輪子)です。
また下段写真はその近くに置いてあった、これから電車に装着する新品のブレーキシューです。未使用品はこのようにしてストックしているそうです。

ブレーキシューは、鉄道車両を安全に確実に停止させるものとして、なくてはならないものにも関わらず、意外とこうしたパーツで見る機会は少ないと思います。
これまで「運転体験」で伺った鉄道会社で、車両の説明時にブレーキシューの解説を聞いたことがありますが、このようにストックされたブレーキシューの横は、特に説明の無いまま通り過ぎることが多いですね。

上段写真の様に今回はちゃんと並べられ、この写真では写っていないのですが、軍手も用意されていて子供たちが実際にこのブレーキシューの重みを体感できるようになっていました。

ところで上段写真の左端のブレーキシューと他のブレーキシューを見比べて下さい。左端が使用後で、そこから右側に並べられているのが未使用と言うことで、もうその差は一目瞭然ですね。因みに『V』の字形の“溝”が殆ど見えなくなってくると交換だそうです。
車のタイヤの溝が減り具合をタイヤ交換の目安にしているのと似ていますね。

さて、使用済みのブレーキシューはどうなるのでしょうか?産業廃棄物として処分されるのかと思いきや、回収されてリサイクルされるそうです。鉄道車両は廃車になっても捨てるとことがないとは良く聞きますが「成るほどね。」と感じました。

もう一つ余談ですが、下段写真の青い部分が他にも緑色など様々あり、その色の違いは運転時の最高速度の違いのよるものだそうです。一度、電車の足元にも注目してみてください。
※今回、ストックされたブレーキシューに私が引っかかったのがこの説明でした。

最後に、今年一年このブログにお付き合いいただきありがとうございました。また来年もよろしくお願い申し上げます。

2011年12月30日 17時14分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(6)電気機関車を見学!

今回は子供たちにとって馴染みの少ない「電気機関車」の見学です。
ということもあるのですが、実のところは、検車区から「デキ」と参加者越しに、パノラマスーパーの「豊明」通過を撮影したかっただけかもしれません・・・。
ただ、このシャッターチャンスは、そんなに何回も有るわけではないので、そういった意味では“狙っていた”ことにはなるですが、果たしてパノラマスーパーの場合、先頭車を写すべきか、中間車だけを切り取るべきか、それとも「最後尾」車両をよく『分かる』形で見せるべきか・・・等と考えているうちに結局“俺の一枚”は何とも中途半端になってしまいました。

それでも本線と、参加者が見学していた場所の関係は分かっていただけるのではないでしょうか?

ところで「けん・がく」対象のデキ401+ホキ85+ホキ84+ホキ8?(番号不明)+デキ402のいつもの保線で使われているこの編成をこれだけ近くを見るのは私にとっては当然初めてで、ホキにあった「日本国有鉄道浜松工場昭和36年」のプレートが印象的でした。恐らく浜松工場で作られ国鉄で活躍したのち名鉄にやって来たということなのでしょう。

もちろんそうしたプレートは私が気にしていただけかもしれませんが、それだけではなく、デキの細部などを見て、説明を聞いて楽しい時間が過ぎていきました。

2011年12月29日 16時50分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(5)車掌スイッチ。

上段写真は、座席方向の転換“たい・けん”です。この光景は「中部国際空港」駅等の折り返し駅で、車外からと言うか窓外から眺めることはあっても、こうして車内で見ることは通常はありません。

一方、燦然と輝く「車掌スイッチ」。「鉄」ならば一度はこれを操作し、“本物の電車のドアを開閉したい”のではないでしょうか?(私はそう思う!!!)
でも今回、このスイッチを操作してドアを開閉したのは子供たちだけで、大人というか保護者はビデオに写真にと大忙しでした。
もっとも子供たちの「たい・けん」だから整然とことは進みましたが、大人だったらどうなったでしょう?多分、大人の方が必要以上に興奮し、時間が長くかかるような気もしました。(それは私だけのこと???)

また、この車掌体験と言うか車掌スイッチ体験と言うか『扉開閉体験』を行っている運転室の反対のエンドの運転室では『ミュージックホーン体験』をしており、何度も何度も実に61回(参加の小学生の人数)のミュージックホーンが豊明検車区に響いていました。(はずです)

ミュージックホーンの「たい・けん」は、近くに人家が無い豊明検車区ならではと言えそうで、「茶所」あたりで同じことをしたら苦情がきそうですね。

今回の体験の感想…こんなに短い時間の間に何回も扉の開閉が行われたりミュージックホーンを鳴らすことは通常はないでしょうから、さぞやこのミュースカイはビックリしたことでしょう。

2011年12月28日 21時54分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(4)車体傾斜を実体験!

ミュースカイ「たい・けん・がく」は、乗車直後から本格スタートです。
まずは豊明検車区長さんから「豊明検車区の概要」や後々もっとちゃんとこの説明を聞いておけば良かったと後悔した子供たちもいたと思われる「2000系の車両の説明」(“説明の重要性は”近いうちにUPします)がありました。
そして最初の“たい・けん”がこれ!「車体傾斜制御装置」体験でした。

走行中に片側に約2度、車体を傾斜させてカーブを高速で走りぬける装置ですが、これを連続して“左右に傾斜”させるので、計4度の傾斜を一気に“たい・けん”しました。

(左側写真)私のカメラのある方が下がっている。
(右側写真)私のカメラのある方が上がっている。

と、ここで情けない話ですが・・・、はっきりいってこの写真は分かりやすいのか分かりにくいのか自信がありません。というか、撮影した本人としても本当にこれで良かったのかと思っているほどです。

一応、窓ガラスに写り込んだ荷物棚のLEDや車両の反対側の窓の反射があるので、それでカメラ位置がそんなに変わっていないとは思っていますし、一方で、車体の外にある風景、特に右側の写真にある通路にある“バー”が上から入り込んできていることで、『傾斜』を分かってもらえるであろうとは思うものの、今一つ自信がありません。
ならばUPするなと言われそうですが、今日のところはご容赦ください。

そんな写真の解説はともかく、常滑線を走行中の「ミュースカイ」で“傾斜”を実感したことは、正直にお話ししますとこれまで『全く』ありません。
でも、停車中に今回の様な体験をすると、はっきりと言うか想像以上に「2度」と言う角度に重みがあるのが分かりました。

2011年12月27日 22時07分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(3)豊明検車区の建屋に入線。

「豊明」駅を出発し1分少々。9:37に、豊明検車区の建屋にゆっくりと入線、ミュースカイは無事停車しました。

電車で、それも「ミュースカイ」のリクライニングシートに体を包まれ(大袈裟ですね)、ゆったりとした気分で検車区に乗り入れるのは聊か(いささか)どころか相当に“愉快”“痛快”な出来事でした。
上段写真が正にその建屋内を走行しているところで、いくら“乗り鉄”の私でも、始めてみる風景がそこにはありました。
また下段写真は、電車が停車し、下車後に撮影したものです。(「見れば分かります」と自ら一人突っ込み)

最初はひょっとして『留置線』に入るのかな?とも思いましたが、当然のことながら留置線には、小学生の子供たちが安全に乗り降りできる場所の用意は有りません。もっともこんな回りくどい言い方をしなくとも建屋内のピット線に入るであろうことは皆さんには容易に想像できますね。失礼!

ということで下段写真のミュースカイの右側に人が写っていますが、そこには『ホーム』といっても差支えない程度の通路が設けられており、下段写真の左サイドでもそれが確認できると思いますが、勿論、乗降に注意は必要ではあるものの、そこを『ホーム』代わりに使っていました。

ここで一言お断り。検車区内の私の表現が、まるで初めてその光景を見たかのように書いていますが、実はその通りで、「鉄道の日」の前後に集中して開かれている「検車区」等の公開には一度も行ったことがなく、とはいっても路面電車や非電化私鉄の検車区や工場は見学させていただいたことはあるのですが、大手私鉄の検車区は正真正銘の初入線というか初ピット入りでした。

また名古屋本線の電車から何度もこの検車区は見ているのですが、改めてこのピット線が4両分しかないことを知りました。

2011年12月26日 21時04分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(2)ミュースカイ「豊明」行き。

平成23年12月24日、午前9時26分、「豊明」駅2番線に「ミュースカイ」が入線してきました。
その行先表示(下段写真)に注目!!何と「豊明」となっていました。
普段は絶対に見られないというより、明らかにありえない表示で、そもそも2000系でこの表示は後にも先にも今回限りかもしれません。
流石、『まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」』の『まるごと』のネーミングに恥じないというか、名鉄の担当の方達の意気込みがこれだけでも十分窺い知れました。

実は、以前から『このイベントはどんな内容で実施しているのだろう?』と興味津々だったのですが、いきなりのこの方向幕のパンチには「やられました!」と思った次第です。

ところで名古屋鉄道の「たい・けん・がく」は、小学生の子供たちを対象に、鉄道の仕事を実際に「体験」「見学」してもらい、鉄道(名鉄)をより身近に感じてもらおうと、定期的に開催されており、既に何年も行われている記憶が私にはあり、これまでにも“様々なジャンル”の「たい・けん・がく」が実施されています。

今回のこの「たい・けん・がく!」の参加者は140名。うち61名が選ばれし小学生でした。
(保護者の参加がマストのため、家族連れでの参加者もいて小学生の人数×2より多い人数となっています)
※当初の募集は小学生40名でした。しかしというかやはりというか応募が多かったこともあって定員を増やすことにし、それでも最終的には抽選となったそうです。

さて「豊明」駅にミュースカイが入線したと言うことは・・・、この電車に参加者が『乗車』し・・・、9:35に「豊明」駅を出発しました。さて、行き先?
ご存知の方も多いと思いますが明日に続く・・・。

●中日新聞の昨日(12月25日)の21面にもこのイベントの記事が出ていました。

2011年12月25日 22時22分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(1)目指せ!豊明。

特別番組「こども鉄道博士選手権」を本日ご覧になった方々、如何だったでしょうか?

ところで昨日の土曜日(12月24日)、私は名鉄で「ミュースカイ」三昧をしていました。
このブログをご覧になっている方でご存じの方もおられると思いますが、
昨日、名鉄では『~クリスマス特別企画~まるごとミュースカイ
「たい・けん・がく!」』を開催しており、そのイベントを実施した「名古屋鉄道中部支配人室」の担当者から、本来は小学生の子供連れでしか参加できない「たい・けん・がく!」を“後学”のために「たい・けん・がく!」しませんかと誘われ、思い切って出掛けることにしました。

詳しくは明日からUPしますが、その前に私がその集合場所の「豊明」駅に向かうまでの道中の一コマを紹介します。

写真は、その「豊明」駅の1駅手前「前後」駅です。
受付時間が午前9:00~9:20だったので、私はいつも使っている「桜」駅から8:38発の東岡崎行きの普通に乗車し、「本笠寺」駅で5分停車したのちは「鳴海」駅で退避することはなく「前後」駅には8:57に到着しました。(写真で右側に停車中の電車が東岡崎行き)
ここでは10分停車で、そのまま乗っていても9:09には「豊明」駅に到着するのですが、この駅で“後続”の準急「豊明」行き(写真で左側の電車)に乗り換え、先を急ぐことにし、「前後」駅発8:59、「豊明」に駅は9:02に到着でした。

「・・・」と思いませんか?
「前後」駅で次の駅が終点の「豊明」行きに抜かれているのです。だったら「豊明」駅まで東岡崎行きが先行してもよさそうなものですが、ここからはダイヤ編成上の話しですので私の憶測です。
「豊明」駅についてはご存じの方も多いともいますが、3面6線の大駅で、折り返しの定期列車がある“日本で最大級の無人駅”です。その折り返しの電車の到着ホームが東岡崎行きの電車の到着するホームとは異なることもあって、「前後」駅で接続していると私は思っております。

いくら普通とは言え、他の鉄道会社で退避線のある『隣』の駅が終点の電車に抜かれる電車の存在を私は知りませんが如何でしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!