2011年11月14日 18時04分

10月8日の大井川鐵道(19)アプト区間に突入。

「長島ダム」駅には13:37頃到着。ここからいよいよ『アプト区間』です。
毎度の事ながら、機関車を連結するシーンには“興奮”します。
それは非「鉄」の方も同様のようで、何人かの方が列車から降り、
その様子をカメラに収めていました。

この駅の出発は13:42ですので、ある程度手際の良さが無ければ
列車の遅延に繋がりかねないわけですが、そんなことはあるはずもなく、
上段写真のように列車が到着するや否や待機していたED902が
擦り寄ってきて、あっという間に連結は終了しました。

連結作業は、DLの運転士さんと列車の車掌さんが行っており、
列車本数からすれば当たり前と言えば当たり前ですが、
やはり実際に自分の目で確かめることは重要ですね。

と言う間もなく、車掌さんから客車への戻りを促され、
そうこうしているうちに定刻の13:42となり、下段写真の如く
出発となりました。
さてここからがこの井川線のメインイベントであるアプト区間です。

左手に雄大な長島ダムを眺めつつ(写真には写っていません)列車が
動き始めると、「立っていると勾配が実感できます」という
車内アナウンスが入りました。
実際には「座っていても十分、勾配が実感できます」となるわけですが、
車内の乗客の皆さんの歓声が聞こえたので、このアプト区間は、
“観光の目玉”として成り立っているように見受けられました。

2011年11月13日 18時06分

10月8日の大井川鐵道(18)次は「ひらんだ」。

「奥大井湖上」駅を出てレインボーブリッジを渡り切り、振り向いたのが
上段写真です。
位置関係で言えば、先回の廃線跡の下段写真をオーバークロスして
暫く走った地点です。
ボックスシートの前向き、後ろ向きのどちらに座っていても“絶景”が
楽しめるのがこの井川線の素晴らしさという証(あかし)です。

そして到着したのが「ひらんだ」駅。駅名標が“ひらがな表記”というのは
決して珍しくは無いのですが、ここは「漢字表記」があるにも関わらず
読みにくいというか“読めない”という理由で正式駅名そのものが
『ひらがな』という珍しい駅です。
※但し、私の知識の範囲内での話しです。

漢字で書くと「平田」。確かに超弩級(ちょうどきゅう)の読み難さです。
何故「ひら」の次に「ん」が入り、「た」が「だ」と濁るのかの理由は
私には分かりかねますが、地名の由来と言うのは本当に奥深いものがあり、
研究者がいるのもうなずける話しです。

大井川鐵道の難読駅としては大井川本線の「五和(ごか)」駅と
「抜里(ぬくり)」駅が考えられますが、抜里はまあ少し考えれば
読めるとしても「ごか」から漢字をイメージすることも、
ひらがなから「五和」をイメージすることも困難を伴うでしょう。
ただ「五和」の場合は、開設されたのが古く、その当時は正式な『ひらがな』駅名を付ける事は考えられなかったでしょうから、
ここ「ひらんだ」が“ひながな駅名”となったのは、正に「時代」と
言えるかもしれませんね。

2011年11月12日 18時02分

10月8日の大井川鐵道(17)廃線跡巡り(?)。

「長島ダム建設に伴い付け替えられた井川線の廃線跡が見えます」と
井川線の車内アナウンスが入り、思わず車窓を眺めました。

「ヘーッ、見えるんだ」と新しい発見をした気分で私はこうして写真を
撮りましたが、他の乗客の方は・・・でした。
上段写真は「接岨峡温泉」~「奥大井湖上」間で、中段写真はほぼ同じ場所で、
橋をUPにしたものです。
また下段写真は「奥大井湖上」~「ひらんだ」間で、何れもアプト区間に
入る前に撮影したものです。

それにしても、この“旧線”が現役だった時代は、写真の様に湖面
(水面?)が間近ではなく、深山幽谷の川を遥か下に眺めながら
走っていたのでしょうが、それにしても一体どんな所を走っていたのだろうと
呆然としてしまいました。

昭和53年に初めて井川線に乗った時の記憶が全く無く、少し位覚えていても
良かろうなどとは今だから言えることですが、その当時のみならず、
今こうして旧線を見下ろす風景も『絶景』であることは間違いなく、
また旧線がその絶景に彩を添えていることも間違い無さそうです。

大井川鐵道の言う「3つの日本一」にこの風景も加えたいと思うのは
きっと私だけではないでしょう。

2011年11月11日 17時58分

10月8日の大井川鐵道(16)「奥大井湖上」駅。

大井川鐵道のHPによれば、『日本一不思議な駅』とあり、
その解説文は『湖に浮かぶ「奥大井湖上駅」駅に架かる“レインボー
ブリッジ”を渡ってハイキングもできます』となっています。
また大井川鐵道では、「日本一の急勾配(アプト式)」
「鉄道橋高さ日本一の“関の沢橋梁”」と合わせて『3つの日本一』を
標榜していますが、
『日本一不思議な駅』とは「“湖に浮かぶ”周りに人家の無い駅」という
意味ではその通りなのでしょうが、まあ少々強引とも言えなくもないですね。
もっともキャッチフレーズの付け方としては秀逸と言っても良いとは
思っており、ここはあまり真剣に考えず笑って過ごしましょう。

で、上段写真はその「奥大井湖上」駅のホームで、
右側には『Happy2 Bell』(「2」は2乗の意味で、
実際には「y」の右上にあります)があり、また駅名標との間には
「アプト」をテーマにしたオブジェもあります。是非、その詳細は現地で
お確かめください。

下段写真は、「奥大井湖上」駅を出発して直ぐに撮影したもので、
それは説明するまでも無く『レインボーブリッジ』を渡っているのですが、
では中段写真は?

実は往路のバスの中から撮影したもので、バスの運転士さんが
この絶景ポイントに車を止め、撮影する時間を作ってくれたのです。
正に「運転期間限定バス」様様で、写真に列車は写ってはいないものの、
「バスに乗って良かった」と思った瞬間でした。
何せ、列車に乗ってきてここまで歩くか自家用車でなければ絶対に
お目にかかれない風景に出会えた!のです。

ところでこの駅と私たちが乗車した「接岨峡温泉」駅の間は
ハイキングコースとなっており、この列車にもそのコースを堪能された方が
何人か乗っておられました。
種明かしはバスの走る道路から接岨湖(長島ダムの湖の名前を今回、
初めて知りました…)へと下ると小さな駐車場があるそうで、
片道を列車で、片道を歩きという方が結構いらっしゃるそうです。
そう言えば「接岨峡温泉」駅で、「奥大井湖上」駅までの乗車券を
買っている人を見かけ私は妙な納得をしていました。

2011年11月10日 18時00分

10月8日の大井川鐵道(15)さらば「接岨峡温泉」駅。

10月8日14:22。接岨峡温泉駅にDD20形が牽引する千頭行きが
5両の客車と共に入線してきました。

トンネルを徐に抜けてきた機関車に何やらヘッドマークのようなモノが
見えますが、それは「こどもギャラリー」と銘打たれており、
地元の小学生による『大井川鐵道井川線』列車の走る風景が
描かれていました。
※アプト区間の「電気機関車」と連結された絵でした。
地元の足として生きる鉄道が故のことなのでしょうが、
もしも自分の描いた絵がこうして列車の先頭を飾ると言うことは本人にとって
とても嬉しく、また誇らしいでしょうから、子供にとって地元への
愛着のみならず良い思い出にもなるでしょう。
こうしたことは「他の鉄道でも採り入れたらよいだろうに」と真剣に
思いました。
ただこのヘッドマーク「こどもギャラリー」は全機関車に付いて
いないようで、特定の機関車だけかもしれないのですが、
今回はただ私の目に付き、印象に残ったのでどうしても紹介したくて
UPしました。

下段写真は、動き出した客車の中から駅舎と駅員さんを撮影したものです。
「動き始めた汽車の窓・・・」は『なごり雪』ですが、私は窓に顔はつけず、
窓を開けて撮影しました。
まあ「名残惜しさ」は同じ気分と言うことで・・・。

「ひょっとしたらもう2度とこの風景を見ないのでは…」。
「乗り鉄」で全国を回っていた頃はあまりそんなことは
考えなかったのですが、流石にこの年齢になってくると毎回、
様々な想いが胸の中をよぎります。
新しく開業した線や、海外などで初めて乗車する線ではそのようなことは
あまり無いのですが、やはり2度目、3度目の乗車ともなると返って
そんな『想い』が強くなる気がしています。

2011年11月09日 17時55分

10月8日の大井川鐵道(14)川根長島駅改め接岨峡温泉駅。

今の「接岨峡温泉」駅は、以前「川根長島」を名乗っていました。

平成2年の「アプト」区間の開業に伴い現駅名に改称されたのですが、
そのような事は、この看板を見つけるまでは忘れていました。
写真の右側の看板が駅名ですが、「大井川鉄道」とあってまだ
「大井川鐵道」となる前のものだと言う事が分かります。
左側に「長島 梅地共同倉庫」とありますが『梅地』とうのは
この駅から大井川を挟んだ対岸の地区の名前とのことでしたが、
きっとまだ道路の整備が行き届かずこの井川線が物流の大動脈だった時代、
ここに駅から荷送り(?)をするための2地区の『共同』倉庫があった
名残なのでしょう。確証はありませんが・・・。

さてこの2つの看板のあった場所ですが、先回の写真の左側に写っている
建物の中ほどにあり、きっとこの看板のあったところが「倉庫」だったのでしょう。ただ、今現在、使われているかどうか不明ですし、
そもそも駅名の看板は、元々駅舎の入り口に掲げられていたのが、
平成2年に廃棄されることなくここに移されたのではないかと私は
考えています。

何はともあれ私のような「鉄」系でなければ興味を惹くこともなければ
写真を撮影することも無いのでしょうが、とにかくこの「川根長島」に
出会えたことは『バスの運転手さん』のおかげであることだけは
間違い無さそうです。

追伸:先回の「駅」の写真は、大井川鐵道「接岨峡温泉」駅を紹介した
ブログやHPでもあまり見ない構図ですが、この看板を紹介したいがために
UPしています。
実際には工夫次第で面白い写真が撮れる駅ですので、そこのところは
ご容赦ください。

2011年11月08日 17時52分

10月8日の大井川鐵道(13)接岨峡温泉駅は有人駅。

さて温泉会館を出て接岨峡温泉駅13:22の列車に乗るべく
「駅」を目指しました。バスの走る2車線の道路から坂を登ること暫し。
目の前に現れた「駅」は平成からいきなり昭和に戻されたような気分に
なりました。
なお、左側の建物は「駅」ではなく、正面真ん中に見える車の止まっている
建物が「駅」です。
何となくこの駅の雰囲気をお伝えしたく、手前の建物込みの写真を
選択してみました。

そして「駅」に辿り着いて驚きました。
出札口があり、そこに駅員さんの姿が???
大井川鐵道のHPによればこの鉄道の有人駅は金谷・新金谷・家山・
駿河徳山・千頭・奥泉・井川の7駅とあり、接岨峡温泉の名前は
見当たりません。
でも駅員さんはちゃんといるのです。
その証拠に、硬券の入場券も売っていれば、乗車券もあります。
入場券があるということは、ホームに入るだけで列車に乗らない場合でも
150円が必要と言うことになります。

たまたまこの駅に居合わせた大井川鐵道の職員の方に“駅員さん”の話しを
お聞きしたところ、列車の発着時間に合わせて来ていただいているとのことで、
それ以外の時間には駅にいないそうです。

(おまけ)
駅員さんに入場券にもパンチを入れてもらったのですが、
たまたま入場券と乗車券のパンチの位置が上下の違いはあるものの
ほぼ同じ場所で、上下に並べてみたら面白く思えたのでこの構図にしました。
お気付き頂けたでしょうか?単なる私の自己満足ですが誰にも気付かれないと
淋しいのでここに書いてしまいました。
自分で書いていてトホホな気分です。

2011年11月07日 18時07分

10月8日の大井川鐵道(12)接岨峡温泉を堪能。

千頭駅前からのバスの乗客は私たち2人だけでした。
そんなこともあって運転手さんから「どこまで行くの?」と聞かれ、
それなら「閑蔵に行っても何もないから接岨峡温泉でも入ったら…。」と
勧められ、それに従うことにしました。
バスの接岨峡温泉到着は12:16で、井川線の接岨峡温泉発は13:22。
1時間以上の時間が生まれ、温泉を堪能する時間は十分にあります。

上段写真はその温泉「接岨峡温泉会館」で、日帰り入浴施設です。
(入浴料は300円)
湯船が狭い(4人も入れば一杯)のが少し難でしたが、
泉質は「これぞ温泉」と感じるものでした。

その温泉に入る前に「千頭駅」で事前に購入していた「大井川ふるさと弁当」
(1050円)を味わいました。
その際、2階の大広間を利用し休憩料が掛かったのですが
まあ温泉のついでということで“良し”としました。
そんな訳で、閑蔵駅で食べる予定だった弁当を思わぬところで食べることに
なった次第です。
まあこうした展開は、行き当たりばったりの旅ならではで、
個人的には好きですね。
肝心の弁当の中身ですが、写真ではやたらおにぎりが目立っていますが、
山女の甘露煮やさといも田楽も入って賑やかでした。

因みに千頭~接岨峡温泉間の鉄道運賃は790円。
一方バスは720円でバスの方が鉄道より安いというのは???でした。
参考までに千頭~閑蔵間では鉄道…1040円、バス…820円で、
何と私たちは片道バスを選んだことで、旅費を思わぬ形で少しだけですが
節約したことになりました。

まあ運転手さんとの会話から始まった温泉ツアーですが、他の乗客の方がいたら
こうはなっていないでしょうから偶然は面白いですね。

2011年11月06日 18時10分

10月8日の大井川鐵道(11)井川線にも乗りに行くことに。

この日、新金谷の駅で一枚のチラシを見つけました。「タイトル」は「運転期間限定路線バス 千頭-長島ダム-接岨峡温泉-閑蔵運転」で、
10月について言えば8日(土)・9日(日)・10日(祝)に、
「南アルプスあぷとライン(トロッコ列車)」と「路線バス」で奥大井を
回ろうと言うものでした。

写真のトロッコ列車を使うと、千頭~閑蔵間は約90分。
それがバスならば30分で同区間を走るので、要は効率よく回れることに
なります。

そのチラシを見るまでは井川線に乗ることはあまり考えていなかったのですが、こんなルートがあるなら話しは別です。
私は井川線全線を乗ってはいるものの、
本音としてはどこかの駅まで乗りたいとは思っていました。
ただあまりにも時間が掛かることもあり、今回は諦めていたのです。
そして同行の方もそのチラシを見て「ここまで来たのだからトロッコに
乗りたい!」と言ってくれたので、行くことを決断しました。

私たちの選んだルートは、千頭駅前発11:50の期間限定路線バスに乗り、
閑蔵駅前着12:20。そこでゆったり昼食をとり閑蔵発13:05の
井川線列車に乗り千頭着14:32。

もしもこのルートを鉄道で往復するならば、千頭発11:36(写真の
列車です。千頭駅を出発して直ぐの踏み切りで撮影しました)に乗車し、
閑蔵着13:05。
折り返し交換の閑蔵発13:05に乗りバスで行ったのと同じ
千頭着14:32。
ただただ乗るだけならそういう選択肢もあったのですが、今回は
「のんびり旅」が目的でしたので、3時間も井川線の車両で過ごすのは
少々苦痛に思えました。(トイレはどうする???もあり)
それゆえバス&鉄道で、往復違う風景を楽しむことにしたのですが、
これがその後、思わぬ展開を繰り広げることになりました。
勿論良い意味です。

2011年11月05日 18時52分

10月8日の大井川鐵道(10)日本の音風景百選。

SL急行「かわね路11号」は、定刻11:11頃無事千頭駅に到着。
取り敢えず下車して直ぐに隣のホームに移動し、上段写真の様な、
全編成が見通せる写真を撮影しました。
ここも人だかりで、撮影した場所が空くのを私もしばし待ちました。
恐るべし!SL人気です。

さて一旦駅外に出ようと思っていたら、下段のヘッドマーク(?)が
目に入りました。
「日本の音風景百選」というのがあるのを今回、初めて知ったのですが、
この『看板(?)』だと、まるで『SL復活35年』の記念すべき
『2011年』に選ばれたみたいに見えますが実際にはそんなことは無く、
歴史は更に遡ります。

調べました。環境省のHPを!
と大仰な書き方ですが、環境省は平成13年からで、その前は環境庁でした。
「日本の音風景百選」は、その環境庁時代の平成8年に公表されたもので、
環境省のHPには「残したい日本の音風景100選」とあり、
事業主体が環境庁(省)ゆえ「残したい」というところにメッセージ性を感じました。

そしてそこに大井川鐵道のSLの“音”も選ばれており、環境省のHPには
「川沿いを行く蒸気の排気音と汽笛の響き」とあり、
その音がよく聞けるところとして沿線の静岡県本川根町
(合併で今は川根本町となっています)『智者の丘公園』
(最寄り駅は「千頭」)があげられています。
川根本町のHPで確認したところ、千頭駅を見下ろす場所で、
確かにこだまする汽笛の音は気持ち良さそうです。

それにしても「SL復活35年 2011」は、大井川鐵道からの
『今もそうである』というメッセージでしょうか…。
ともあれ“汽笛の響き”だけではなく、「シュッポ、シュッポ」と
童謡「汽車ぽっぽ」(でしたよね)で歌われた蒸気機関車の排気音の世界も、
確かに残したいですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!