2011年11月04日 17時45分

10月8日の大井川鐵道(9)茶畑を行く。

「お茶、お茶、お茶」。静岡といえばやはり「お茶」ですね。
『東海道本線』でも『東海道新幹線』でも「茶畑」は見えますが、
大井川鐵道のSL列車から見る「茶畑」はまた“格別”です。
しかも「金谷茶」を味わいながら眺めるなぞ最高の贅沢と言うか至福の時と
言っても過言ではありません。

特に、上段写真のように茶畑の中、緩い右カーブを行くSL重連を
後方の車両から眺めるのはなかなか乙な気分です
こういう風景は、前方の車両ではなく、後方の車両であるがゆえの
特権ですね。(SL重連の牽く列車は私にとって初めての体験です)

そうこう(走行?)している内に、下段写真の大井川鐵道撮影の名所に
差し掛かりました。
家に帰ってから数えたらここだけで14名の方がおられ、
また写真だけではなく、ビデオカメラの方もおられました。
わざわざ“ビデオカメラ”と書いたのは、何せ私は撮影に出かけた事が
無かったので、ビデオ派がいるのは知ってはいたものの
(身近にもいますので…)、そんな当然の事を初めて確認した次第です。
それはともかく、今回、このSL列車の中から見ていて、
少なくとも100名以上の『撮り鉄』の方達を見ました。
特に、今回からバック運転が無くなった事も「大井川鐵道」人気に
拍車を掛けたような気がします。
※ここにおられた「撮り鉄」さんたちは、自分たちの撮影が終わると、
乗客に向けて『手を振って』おられました。心和む一時でした。

実は…。
この日の翌日、10月9日にここ大井川鐵道のSL列車に乗りに来た
知人がおり、その人は帰路、千頭発15:25、金谷着16:37の
普通列車(全SL列車通過後に走る金谷行き電車)に乗ったそうですが、
まず千頭で満席のSL急行から溢れた人で既に一杯。
その後、途中駅から大型カメラバックに三脚を持った「撮り鉄」さん達が
続々を乗り込み、「家山」では乗り切れない人も出たそうです。
何せ、一人一人の荷物が嵩張るだけにその状況は痛いほど分かります。
大井川鐵道では乗り切れない人に「バス・タクシーをご利用ください。
大井川鐵道が負担します」と案内していたそうですが、「撮り鉄」さんによる
超ラッシュ状態はきっと想定外だったのでしょう。

重連はともかく、1日に6本のSLが撮影できるのは全国的に見ても
ここしか無い訳で、その過熱振りはさもありなんといった所でしょうか。
その普通列車に乗り合わせた方、お疲れ様でした。

2011年11月03日 17時39分

10月8日の大井川鐵道(8)福用駅で『近鉄特急』と交換。

10:16頃、「福用駅」に到着。ここで千頭発9:26、
金谷着10:40の『近鉄特急16000系』の“普通列車”と交換。
SL列車が少々遅れていたので、
『近鉄特急』も2分程度の遅れが出たと思われます。
※一瞬の出来事ゆえ、車両NO.は確認できず。

皆さんもご存知のとおり、大井川鐵道にはこの近鉄車を始め
「京阪」「南海」の車両が走っていますが、実は私、
ここ大井川鐵道大井川本線では『SL急行』に乗った記録は残っていますが
“普通列車”の乗車記録がありません。

最初に乗車したのは昭和53年11月25日で、金谷発11:34、
千頭着12:53の『SL急行』でした。
ただこの『SL急行』については、何故か写真のみならず乗車券類も
探し出せず、今思えば残念でなりません。
何れにしろそんなこともあって私は“普通列車”に乗った事がありません。
実は今回、『帰路に乗ろう』と思ってはいたものの、時間の都合と
折角なので「ノンビリとしたSLの旅」(バック運転でも無いことですし…)
を楽しもうと、結局、“普通列車”を選択しませんでした。

余談ですが、私が乗った「大井川鐵道」の“普通列車”については、
日付は定かではなく恐縮ですが平成4年頃に一度(往復)あり、
その際には千頭の駅に近い旅館に一泊しているのですが、
何せ仕事だったためか、乗車券類も写真も乗車列車の記録も
一切手元に残っておらず、まあ、出張の時は普段は利用しない「鉄道」を
使ったとしても、あまり『気』が無い私の本領発揮をしてしまっており、
私にとっての乗車記録からは除外しています。

更に言えば、昭和52年か53年頃、私は報道部で駆け出しのカメラマンを
しており、「SL急行」を撮影したことがあります。
その時は、本当に乗車しておらず、車で新金谷の先から千頭の近くまで、
追いつ追われつひたすらたった1本のSL列車の撮影をし続けていました。
因みに「金谷」の出発と「千頭」の到着は別のカメラマンが
撮影していました。

そんなことを、“普通列車”と行き違いながら思い出していました。

2011年11月02日 18時36分

10月8日の大井川鐵道(7)SL重連列車快走。

新金谷の駅を9:57に出発したSL重連列車「かわね路11号」は、
大井川に沿って快走です。
昭和53年に私が最初に乗車したときの記憶が全く無く、
こうして風景を見ていて、「大井川はこんなにも川幅が広かったのか」と
驚かされると共に、自分の思い込みである「渓谷沿いをひた走る大井川鐵道」
のイメージが覆されていきました。

客車は先頭が7号車で私たちの車両は前から5両目の3号車。
発車して暫くすると右側写真のように、今回、私たちが参加した
『金谷茶を飲みながらSL重連列車に乗ろう!』の車内イベントがスタート。
“茶娘”の方たちが一人一人の乗客に自慢の『金谷茶』を振舞い、
旅気分を盛り上げてくれました。
急須で入れ、陶器の湯呑み茶碗で飲む淹れたてのお茶(品評会で受賞した
2部門のお茶)は味も香りも最高で、非「鉄」の同行者は「旅気分は上々」と
言いつつ何杯も御代りをされ、正直、ここまで連れ出して大丈夫だったかな?
と心配していたのでホッとしました。

なお3号車のイベント参加者の殆どの方は非「鉄」で、
皆さん『SLとお茶』の旅を楽しまれていました。勿論、
「鉄」の方達もおられましたが、やはり「お茶」を楽しまれていました。

2011年11月01日 17時34分

10月8日の大井川鐵道(6)新設転車台で記念写真。

いつもですと『「鉄道浸り旅』は『一人旅』なので、上段写真のような
記念写真は滅多に手元に残りません。今回は同行者のおかげでこうして
撮影することが出来ました。

ところで私は、取材(仕事)を含めても「鉄系」の大掛かりな記念イベントに
立ち会ったことが殆ど無く、特にここ20年ほどは記憶にありません。

まあそんなに大層な話しではないですし、タイミングさえ合えば、
イベント時でなくともこの様な写真はいつでも撮影できるわけです。
とはいうものの、「金谷駅」の混雑に恐れをなし電車ではなく
金谷駅~新金谷駅間をタクシーで移動したが故の1枚であり、
大井川鐵道にとって記念すべきというか歴史に残る日に立ち会えたのは、
物は考えようで“ラッキー”だったような気もしていますし、
良い思い出にもなりました。

さて午前9:45になり、改札が始まり列車に乗り込みました。
で、乗る前に下段写真を撮影したのですが、この写真を撮影した位置が
ギリギリ蒸気機関車を2両とも写しこませる場所で、
なおかつこの日は客車だけで7両あり、しかもほぼ満席と聞いており、
人の流れを見つつ、ただ1編成の列車を撮りたかっただけにも関わらず、
思いのほか撮影に苦労しました。

それでもこうして人が多く集まると言うことは「地域の足」を守る術としては
有難い訳で、なかなか世の中に『適当』ということは無いものだと
実感しました。
何はともあれ凄い人出でした。

2011年10月31日 18時28分

10月8日の大井川鐵道(5)焚き付け用?

今年の8月2日、「三笠のSL機関士体験」の際に、
燃料の石炭の焚き付け用に『薪』を使う話しを書きましたが、
ここ大井川鐵道でもそれらしき物を見つけました。

それがこの写真で、上段写真の石炭置き場の奥に、何故か唐突に存在する
屋根の不自然さに目が行き、その下に木っ端の山を見つけました。
“三笠”で話しを聞いていた私は、「きっとこれは“焚き付け”に使うもので
あろう」と思ったのですが、確認する術がなく、それでも私の推理は
間違いはないだろうと思っています。

昭和51年に大井川鐵道で現在の形でのSLが走り始めてから既に35年が
経っていますが、こうした『木っ端のある風景』は恐らくその当時から
変わっていないのでしょう。
とはいうもののこの『屋根』がその当時からあるとは思えません。
SL運転当初の状況は私にはわかりませんが、後にこの屋根が作られ、
そこに“焚き付け”用を置いたとしたら、その『屋根』があると言うこと自体、
その下にあるものの重要性の証であることは間違い無さそうです。

縁の下の力持ち的な存在と言うより、これが無くてはSL運転が
成り立たないと言っても過言ではない存在に思わず目を向けてしまいました。

2011年10月30日 17時52分

10月8日の大井川鐵道(4)転車台&SLサミット。

私たちが「新金谷」駅に到着した時、丁度新しい転車台の
オープニングセレモニーが行われていました。
と言っても、正式なセレモニーは、前日の7日(金)に行われており、
この日は「SLサミット」参加者によるお披露目セレモニーのようでした。

「SLサミット」は全国のSL運転線区の自治体及び鉄道事業者等の
関係者が一同に会し、SL列車の魅力を全国に発信しようというもので、
この転車台を手回ししている方たちは、「真岡市」「秩父市」「津和野町」
「人吉市」そして大井川鐵道沿線自治体の首長の方達(そういうアナウンスが
会場でありました)で、重いSLを手で一周させ、その後でこの場で
公式記念写真に納まっていました。放送局・新聞社等の取材も入っており、
その横で私も並んで撮影していました。もっとも一般公開の場でしたので、
「鉄」の方達も大勢おられ、私はそこに紛れていた次第です。

この転車台は、静岡県島田市役所が『観光の目玉』として
約9000万円かけて作ったそうで、これで観光客に“不評”だった
大井川鐵道のSLバック運転が解消されることになったのですが、
その一方で無くなってしまってみれば私・個人的には少々残念な想いも
あります。

それはC10、C11のみならずC56といったここにいる蒸気機関車達は
バック運転も想定して製造されており、バック運転時の姿も結構
様になっていたのではないかと思っていたからです。
ただこの転車台の新設は、機関車の向きの選択肢を増やすことにはなるので、
その内にSLバック運転を“売り”にした列車が登場するかもしれませんね。
もっとも「金谷駅」に入線しない方が寂しいという声もありますが…。

2011年10月29日 18時50分

10月8日の大井川鐵道(3)金谷への道。

掛川駅で在来線に乗換。掛川発8:36の428M(浜松発熱海行き)で
金谷着8:50。
※上段写真は428M「掛川駅」到着。
※下段写真は大井川鐵道「金谷駅」。

大井川鐵道は「金谷」発9:14の「千頭」行きに乗る予定だったのですが、
駅前まで人の列が既に出来ており、結局、今回の「無料乗車体験
『金谷茶を飲みながらSL重連列車に乗ろう!』」の集合場所が
「新金谷駅」で、集合時間が9:30だったこともあり、
「新金谷」で少しゆっくりしようとタクシーで向かうことにしました。
(タクシーは750円.電車だと1人150円×2=300円)

この写真の大井川鐵道「金谷駅」はひっそりとしていますが、
これは帰りに撮影(帰りもタクシー利用)したもので、行きの時間に
撮影した写真は、あまりにも人が沢山おり、しかも乗客の方達の
『顔の判別できる』写真しか撮れず、ここで使うのを諦めたという経緯が
あります。

流石に3連休というか、それとも「SL重連人気」もしくは
「新金谷」&「千頭」で開催される『SLフェスタ2011』に向かう
人並みか?と思う一方、「のんびりとSLの旅」が「喧騒のSLの旅」になり
風情を楽しむことが出来なくなるのではないかと不安に駆られる出だしでした。

まあそれはそれで、どんな状況になっても楽しもうとは思っていましたが…。
もっともそれは杞憂に終わりましたが…。

2011年10月28日 18時30分

10月8日の大井川鐵道(2)思わぬ貨物列車との出会い。

この日の往路は、名古屋~(新幹線)~掛川~(在来線)~金谷のルートで、
名古屋駅発7:28の「こだま632号」に乗車しました。
そして在来線への乗換駅・掛川駅到着(8:31)の直前、
上段写真の上りTOYOTA LONGPASS EXPRESS(トヨタ・ロングパス・
エクスプレス)を追い越しました。時間は8:30頃です。
(下段写真は下車直後の掛川駅新幹線ホーム)

ところが…。この列車のコンテナには全て「TOYOTA」の文字が
あったので、私はてっきりこの列車を「トヨタ・ロングパス・エクスプレス」
と思っていたのですが、家に戻ってから貨物時刻表を調べたところ、
この時間、この区間を走る同列車は無いのです。
1)笠寺発12:34⇒盛岡貨物ターミナル着翌6:09
2)笠寺発23:40⇒盛岡貨物ターミナル着翌14;27

一体私の写真に写っているこの列車は何なのでしょう?
考えられるとしたら、金曜日深夜発の列車が何らかの理由で遅延???
もしくは臨時???位しか思いつきません。

実は掛川駅で下車するために席を立った際、同僚が「『TOYOTA』の
コンテナ列車が走っている」のを見つけ、その際、
私は「このコンテナ列車は…」等と得々と解説してしまった手前、
少々居心地の悪い状況です。

誰かこの謎を解ける方はいないでしょうか?

2011年10月27日 18時45分

10月8日の大井川鐵道(1)何ゆえ私は大井川に?

10月8日(土)、全国各地で鉄道イベントが開催される中、私はこの日、
大井川鐵道を目指しました。

目的は8日(土)~9日(日)の2日間運転されたSL重連走行の
列車に乗るためでした。しかも…、「新金谷」~「千頭」間は“招待”という
夢のような旅でした。
※上段写真は今回のテーマを際立たせるために使っています。
(C11-190+C56-44)

事の発端は、大井川鐵道のHPで「無料乗車体験『金谷茶を飲みながら
SL重連列車に乗ろう!』参加者募集」という記事を見つけたことです。
お茶(勿論日本茶)好きな私としては、「お茶」と「SL(しかも重連)」が
一度に楽しめるとあってその場で申し込みました。
●主催:島田市茶業振興協会金谷支部
待つこと暫し。
当初は島田市役所企画課さんから“残念ながら”というメールももらい
『ガッカリ』していたのですが、10月4日に電話があり、
「キャンセルが出たので参加しませんか?」との有難いお誘い。
早速、出かけることにしたのですが、当初同行予定だった方は他の
用事を既に入れておられ、結局気心の知れた会社の同僚
(「鉄」ではありません)と出かけることにしました。

下段写真がその『特別乗車券』で、片道1720円×往復=3440円と、
片道のSL急行料金560円の計4000円が今回の招待の
成果(?)でした。
なお『金谷茶…』については、追って報告します。

ところで、もし私がこの「大井川鐵道」に乗ったことが無かった場合、
この乗車は“乗ったこと”になるかどうか?です。私の基準では
“乗ったこと”にはなりません。やはり「乗り鉄」は自腹でなくっちゃ!等と
少々見栄を張ることにしました。きっと一度乗っているがゆえの余裕の
発言ですね。失礼。

などということはさておき、10月8日(土)名古屋駅に朝の7:15集合と
相成りました。

2011年10月26日 18時10分

小さな鉄道博物館(7)“博物館”の乗車券。

上段写真は、穂積さんが来館者に渡している記念の『乗車券』です。
よくありがちな『入場券』ではなく、「小さな鉄道博物館」の乗車券であり、
穂積⇔池田間が「0円」と洒落が聞いています。なお日付けはちゃんと
私が伺った平成23年7月13日で、その刻印は下段写真の「天虎工業」の
『DATING MACHINE』で、来館者自ら行い、なおかつパンチは、
その日付印字器(ダッチングマシーン)の右側にある改札鋏(はさみ)で、
これも自ら行います。
これだけでも十分、楽しい“博物館”でした。

ところでここは「博物館法」に基づく『博物館』ではありませんが、
“博物”を展示しているのは間違いなく、その価値は計り知れません。
また1点1点の解説冊子等はありませんので、詳しくは穂積さんから
聞くしか方法は無いのですが、『博物館』の学芸員より、
「鉄」だけにわかる???“生々しく”“楽しい”その解説に私は時の
過ぎるのを忘れ、いつしか3時間ほどが過ぎていました。

(「小さな鉄道博物館」の見学方法)
●必ず事前に予約してください。
●連絡先…0155(31)8336   
(電話番号は穂積さんの許諾を得て掲載しています)
●見学可能日…日曜日や祝日等で、穂積さんのご都合の良い時。
※今回、私は平日の夜にお邪魔しましたが、仕事から帰宅後の時間であればと
ご快諾頂きました。
その際、私の今回の北海道での全行程と緊急連絡用に携帯電話等をお伝えし、
もしも見学できなくなった場合にも対応できるようにして出かけました。
何れにしろ個人宅への訪問となりますので、その点のご配慮はお願いします。

最後に私の感想ですが、「やろうと思って簡単に出来るものではないが、
本気になればここまで出来る」の見本ではないかというものです。
私が会員となっている「NPO法人名古屋レール・アーカイブス」では、
この“博物館”にように『モノ』は扱っていませんが、この“博物館”の
展示物を見て、根っこにあるものは“同じ”で、何を「後世」に伝えるかと
言う視点の大切さを感じました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!