2011年10月25日 18時07分

小さな鉄道博物館(6)「鉄道博物館」と言えば“ジオラマ”。

上段写真は、天井に貼られた「ふるさと銀河線」のヘッドマークです。
そして下段写真は、「鉄道」だけではなく拓殖バスの「バス停」もあります。

などと言う簡単な話しではなく、その前に…。
天井にもビッシリと展示されており、ある種圧巻です…。
で、本論に戻りますが、下段写真のバス停の前に鉄道模型の車両とジオラマが
あるのをご確認いただけますでしょうか。
更に、上段写真のヘッドマークの下には、模型のコントローラーが実は
写っています。実は鴨居(かもい)の高さで一周するNゲージの
レイアウトがあり、ある種、究極のスペース有効利用が行われています。
やはり「鉄道博物館」と言えば“ジオラマ”!
ここ「小さな鉄道博物館」でもそこは外していませんでした。

これを見た時は私は正直「やられた!」と思いました。
『「鉄道模型」を展示したいがスペースが無い』等の言い訳を一切許さず、
『スペースが無ければ工夫して作ればよい』という、ある種感動モノの世界が
目の前に広がっていました。

さてこのレイアウトはどうやって運転するのでしょうか?
そこで登場するのが穂積さんならではの『脚立』。そうなんです。
「脚立で上がって」ではなく、「脚立に跨って(座って?)」運転するのです。

これではとても長時間は楽しめそうに無いと私は思ったのですが、
それもあっさり覆され、1時間以上ここで楽しんでいく人は結構いるそうです。
その話しを聞いた時、「よくやるなあ」と思ったものの、まあ人の事を
言える立場でもないと気付き、一人で苦笑してしまいました。

2011年10月24日 18時04分

小さな鉄道博物館(5)思いもかけぬ出会いも…。

館長から、「この列車を覚えていますか?」と聞かれ、
「あれっ?『まりも』って根室まで行っていましたっけ?」等と私が
とぼけてことを言ってしまったのがこの方向幕です。

電気を点けてもらい(この言い方は古い?)、まじまじと眺めてしまいました。

『まりも』は元々「函館」~「釧路」間の夜行急行で、
その後「札幌」着発になり・・・と言った歴史はさておき、
根室行きの“夜行”特急『まりも』(釧路-根室間快速)の行先表示は
平成13年~17年の夏季だけ使用されたものです。
当然の事ながら、他の行先表示もこの方向幕には入っていますが、
やはりこの「根室」行きが一番のヒットでしょう。

「方向幕」の収集をしている方は結構多いと思いますが、
これは逸品中の逸品と言えるでしょう。
もっとも「収集家」の手に渡れば、それが公開されることは殆ど無く、
その後、人知れず埋もれてしまうのでしょうが、こうして来館者の目に
触れる場所にあるこの方向幕は、きっと本望(幸せ?)でしょう。

そう言えば・・・ということでもないのですが、夜行特急『まりも』の
「釧路」~「根室」の“快速”区間ですが、平成14年8月の時刻表で
確認したところ、“快速”としての列車名も『まりも』で、
夏季以外の『まりも』との接続列車である下り『はなさき』、
上り『ノサップ』の名前が使われていなかったことに今更ながら驚きました。

もう一丁情報を足せば、昭和42年8月号の時刻表では夜行急行
『まりも』(札幌~釧路)には、下り急行『ノサップ1号』、
上り急行『ノサップ2号』の接続となっており、また根室本線全線を走破する
急行『阿寒』(札幌~根室)もあり、隔世の感です。

2011年10月23日 18時08分

小さな鉄道博物館(4)博物館の原点は?

上段写真は、穂積さんが“鉄道趣味”“鉄道関連の品々の収集”の原点と
お話しされていた1枚の特急券です。(実際にご乗車とのこと)
昭和37年10月1日乗車の帯広発10:00の「特急おおぞら号」
~青函連絡船~青森発翌10月2日05:05の「特急はつかり号」の
もので、何れも1号車1番D席(この指定席番号も凄い!)となっています。

この昭和37年10月1日は実は特別な日で、根室本線に特急列車が
初めて走った日であり、その上り1番列車が正にこの「おおぞら」なのです。
特急が本当に「特別急行」だった時代の、歴史の生き証人と言える
一点であることは間違いありません。
※こうした“実際に使われた”乗車券が鉄道会社で保存されることは
あまり無いので、その意味でも貴重であり、これこそ“博物館”の
面目躍如です。

また下段写真は、言わずもがなの行先表示板(サボ)の山です。
サボと言えば昭和の時代には常識だった!はずですが、いつの間にか
方向幕が取って代わり、今やLEDによる表示の時代です。などと言う
感想はともかく、これだけ並ぶと圧巻です。

左側の上から4段目にある「興部~雄武」などは、今時『興浜南線』が
あった時代(四半世紀も前の事)を知る人は少数派でしょう。
参考までに私はこのサボの区間を昭和52年2月14日に乗っています。
私が数あるサボの中からこの写真を写したのは、そんな懐かしさからです。

私の様な中高年には懐かしく、若い世代には珍しくもあるでしょう。

2011年10月22日 18時35分

小さな鉄道博物館(3)博物館には『博物』満載。

『家族の理解』もここまでくればもう何もいうことはありません。
ここは本当に穂積さんのご家族がお住まいのご自宅です。
因みに穂積さんの本職は「鉄道」や「写真」関係ではなく、
「鉄道」は全くの趣味です。

さて駅長(STATION MASTER)の看板のかかった部屋がメインの展示場
(多分)で、写真に見えている旧型客車のオハ62の座席で館長
(駅長?)である穂積さんの「鉄」話しをたっぷり聞きました。
伺った時間が平日の夕食時のため、少々気が引けたのですが、
何とほぼ1日ここにいた兵(つわもの)もいたとのことですっかり
お言葉に甘えて長居をしてしまいました。

何せ、展示品の1点1点が興味を惹くものばかり(次回以降、少しだけ
紹介します)で、その解説を聞いているだけでも時間がどれだけあっても
足りません。
今回の訪問で、私が気付いた主たるモノは外していないと思うものの、
見落としているものが相当ありそうで、「1日がかり」は決して大袈裟な
表現ではありません。

ところで平成15年に開設されたここ「小さな鉄道博物館」にある
展示物の総数ですが、新聞や雑誌等の取材時には(公称として)約2000点と答えているそうですが、実際には乗車券等の細かいものも入れれば
3000点以上は間違いなくありそうだとのことで、もはやカウント不能だ
そうです。

またここに展示されているものは本当に多岐に渡っており、
駅舎と線路と車両以外のものは大抵揃っていると言っても過言ではないと
思います。

なお、半数以上は寄贈されたものだそうで、特に平成18年に廃線となった
「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」の様々な備品等は、
この“博物館”なら大切に保管・展示してもらえるのではと
やってきたそうです。
(これをきっかけに平成19年にリニューアルをし、現在に至っています)
これも「趣味」を通じて出来上がった鉄道事業者やその従業員の方たち、
また同好の方たちとの「信頼」関係の賜物と思われますが、
そこまで行き付くまでの過程が本当は大切なのでしょう。

2011年10月21日 18時30分

小さな鉄道博物館(2)一歩入れば「鉄分」満載。

「帯広の郊外に鉄道の資料館を個人でやっている人がいる」とは
昨年の2月に初めて知ったのですが、その時『館長』の穂積さんに
「必ず伺います。その時はよろしくお願いします。」と約束し、
空手形になることなく今回訪問が実現しました。

穂積さんによると、最近は『何故か観光バスの団体が来ることもある』
この「小さな鉄道博物館」だそうですが、まずは玄関を一歩入って
いきなり「鉄」のカウンターパンチを食らいます。
左側の写真がそうですが、玄関を入った真正面の2階にある“博物館”に向かう
階段の取っ掛かりのところで、写真では分かりにくいですが真ん中の上に
あるのは廃線となった「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線本別駅」の
運賃表です。そして階段にピッタリな『橋をお渡り下さい』の看板も
“博物館”の雰囲気を盛り上げてくれます。

右側の写真は、階段を上り始めて右に進路をとったところですが、
今度は左側に「ふるさと銀河線本別駅」「ふるさと銀河線塩幌駅」で
掲示されていた発車時刻表があり、正に『おもちゃ箱をひっくり返した
ような』とはこの“博物館”のためにあるといっても過言ではないと
思ったほどです。
でもここはまだまだ序の口で、幕内には到達していません。

(観光バスの件)
最近は『こだわり』のあるツアーが人気のようで、『2429Dの旅』でも
8時間の普通列車がツアーコースになっていることに驚かされましたが、
この「小さな鉄道博物館」に観光バスが来る時代になっているとは
更に驚かされました。
因みにその時のツアー参加者は中高年の女性中心だったそうで、
“博物館”は10人も入れば見学困難なほどの狭さゆえ、
順番に入ってもらったそうです。

2011年10月20日 18時23分

小さな鉄道博物館(1)博物館は民家だった。

7月の北海道「鉄旅」話しの終着点です。(10月3日以来です)

北海道帯広市の北隣、音更(おとふけ)町の一角に、
「鉄道」を趣味とされている穂積規(ほづみただし)さんが開設された
「小さな鉄道博物館」があります。

上段写真がその“博物館”ですが、どこからどう見ても民家にしか
見えませんが、それもそのはずで穂積さんの自宅です。
玄関先に下段写真の「母恋」の駅名標が「博物館」の目印となっており、
それ以外にこの場所を探す手段はありません。
と言っても分かりにくい場所ではなく、レンタカーのカーナビに住所を
打ち込んで、迷うことなくここに到着しました。
●実は玄関ドアに「小さな鉄道博物館」の標識があるのですが、多分、
見落とします。
(上段写真の玄関ドアの真ん中あたりにある小さな白い部分です)

さて穂積さんと私の出会いですが、昨年(平成22年)2月26日から
UPした『冬のSLと石炭のマチ・釧路』というツアー(平成22年
2月19日~21日実施)の際に、その案内役のボランティアの一人として
参加されており、その際、たまたま観光バスの車内で隣の席となり、
名刺交換をしたのがきっかけでした。

博物館の話しをする前に、穂積さんについてお話ししますと、この9月9日に
『釧路行き鈍行2429Dの完全乗車証明書』をUPしましたが、
そのタラコ色のキハ40の写真を撮影されたのが正に穂積さんなのです。
「撮り鉄」(特に道東)として著名な方で、2429Dの証明書写真は
JR北海道からの依頼で急遽撮影したものだそうで、“生写真”を
私は見せていただきました。
今もフィルムで撮影されており、デジタルで鉄道写真を撮ることは
無いそうです。また、雑誌に寄稿する場合、その原稿も手書きと言うことで、
仕事ではパソコンを使っているのでワープロも使うことは出来るそうですが、
自らの拘りでそうしているそうです。
アナログ世代の私はとても共感及び納得してしまいました。
ただ私はもう後戻りできそうにありません。ある種羨ましくもありました。
ただその分のご苦労も多そうです。

また写真撮影時に、“脚立”を使って写真を撮る先駆者としても知られており、
その存在のユニークさは特筆すべきものがあり、
それゆえ「小さな博物館」があるといっても過言ではないでしょう。
※脚立+手持ちカメラの撮影は、単にカメラ『ポジション』等の
選択肢が増えると言うメリットのみならず、人気撮影地に遅れて着いても
先に到着した方と共存できるメリットもあるそうです。
ただ移動の際の荷物が多くなるのが欠点だそうです。

ところで「小さな鉄道博物館」ですが、穂積さんのご自宅2階の
部屋が改装されてその展示スペースとなっています。

2011年10月19日 19時08分

雑誌「日本の美術」No.545。

あまり皆さんには馴染みがない雑誌と思われますが、この10月10日発行の
「日本の美術」No.545号は『近代化遺産 交通編』の特集です。
交通編ということで当然の事ながら「鉄道」に関する話題も誌面を飾っており
早速、私も一冊購入しました。
※表紙写真はご覧の通り「梅小路蒸気機関車館」です。
なお出版社「株式会社ぎょうせい」の許諾を得て掲載しています。

ところで誌名の「日本の美術」の“美術”と、『近代化遺産』との組み合わせに
「???」となる方もいらっしゃるかと思いますが、そもそもこの雑誌は
“美術”だけを扱ってきたわけではなく、どちらかというと
“美術”のみならず“文化財”もしくは“日本の文化”を感じさせる
ものについても特集をしてきました。
そうっ!この雑誌は毎回1テーマの特集形式を取っており、
今を去ること30年程前には私も時折購入していました。
それは主に「陶器」を特集した回等だったのですが、実は私は結構
「陶器」好きで「乗り鉄」ついでに『窯元』に出向むくこともありました。

その後、仕事が忙しくなるにつけ、「鉄」以外に割く時間が全く無くなり、
この「日本の美術」とも縁がなくなってしまっていたのですが、
今回はテーマがテーマであるがゆえに購入したものです。ただ文化財としての
『鉄道』を取り上げるのはきっとこの雑誌にとって最初にして“最後”だと
思います。

その“最後”と言う意味は、この雑誌が今号を以って『休刊』と
なったからです。
今回はたまたま特集に惹かれて購入したのですが、この雑誌の最後の“号”を
それによって私が手に取ったのは何がしかの『縁』を感じました。

内容は「鉄道」に限らず、「水運」「道路」「航空」と交通全般を
俯瞰しており、確かな読み応えがあります。
「日本の美術」という私の中では一時代を画してきたと思っている雑誌の
休刊に当たり、今回は少々感傷に浸った内容をお許しください。

2011年10月18日 17時47分

「こども鉄道博士選手権」を開催します。

中京テレビでは、年末に特別番組で「こども鉄道博士選手権」を
放送します。(放送日はまだ決まっていません)

詳しくはこのブログの写真部分の右あたりにバナーがありますので
それからご覧いただきたいのですが、
小学生のお子さんとお父様もしくはお母様のペアで鉄道の知識を競い、
その頂点を目指そうと言うもので、その予選をweb上で11月10日まで
行っています。
※PCでご覧の方には、今、同じキャラクターが2つ並んで見えると
思いますが、このブログの写真にはバナーが貼れないので、
右側のキャラクターをクリックしてください。
※また携帯でこのブログをご覧の方はお手数ですが、
携帯の中京テレビ公式サイトのトップページに、「こども鉄道博士選手権」の
バナーがありますので、そちらからお入りください。

予選の問題の監修を不肖私がしており、スタッフが作成した問題を
まとめています。
と言っても予選は僅か10問。問題は厳選していますが、
鉄道の基本的な知識があれば誰でも答えられる内容です。
これを突破し、次に11月19日(土)に2次予選。
決勝は12月10日(土)に、今やこのエリアの「鉄」の聖地と言っても
過言ではないリニア・鉄道館で行います。

さて「お父様」と「お母様」とのペアと言っても主役は小学生の
お子さんです。“大人”の知識だけでは勝ち抜けません。
是非、ご参加ください。

本日は中京テレビ「鉄研」からのお知らせでした。

2011年10月17日 18時05分

鉄道の見える部屋/京都「新・都ホテル」編(2)

上段写真の撮影時間は8:32で、下段写真が8:40です。

上段・下段とも一番手前は「クハ221-24」で、奈良線の朝の
ラッシュ運用を終えて、側線でしばしの休憩(?)といったところでしょう。

次に上段写真の一番奥は、智頭急行HOT7000系で、
画面左側から右側に走っています。
ということは折り返し「スーパーはくと3号」(京都発~鳥取行き)と
思われ、その京都発は8:52なのでそのために京都総合運転所から
回送での入線でしょう。
その手前は恐らく京都発18:31の新快速姫路行き。

下段写真の一番奥は京都駅8:36に到着した「きのさき4号・
まいづる2号」(福知山・東舞鶴発京都行き)の新鋭287系。
その手前は京都発8:41の「サンダーバード5号」(和倉温泉行き)。
更にその手前はサンダーバード4号(金沢始発)と思われ、
京都駅発は8:37ですので少々遅れているようです。

何も考えずにただボーっと眺めているだけで、どんどん時間が
経っていきますが、取りあえず8:45に部屋を出て、この日の仕事先に向かいました。

2011年10月16日 16時38分

鉄道の見える部屋/京都「新・都ホテル」編(1)

写真は10月7日(金)午前8時40分に撮影しました。

この前日、私は京都に出張し京都駅八条口正面にある
「新・都ホテル」の10階、京都駅側の部屋に宿泊しました。
目の前に一番手前から新幹線・近鉄・JR線の眺望が開け、
正に「鉄道の見える部屋」ですが、ただ右にも左にもこの写真+アルファの
広がりしかないのが少し惜しいです。

また眺望もさることながら、このホテルの窓は開けることが出来、
昼間の喧騒が一息ついた夜、窓を開けているとレールの繋ぎ目の
ジョイント音が部屋まで届き、特に貨物列車が通るといつまでも
「タタン、タタン…」という音が響きわたり、いつしか私の心の中まで
染みこんでいきました。

さて上段写真手前が下りの「のぞみ303号(新大阪行き)」で
京都発は8:39です。
そして奥の上りは「のぞみ218号」で京都着8:41。
日本の鉄道は本当に定時で運転されているので、撮影した時間から列車が
特定できるのはある種、驚きでもありますが感動的ですらあります。

またこの部屋からは下段写真の様な京都駅の新大阪方に留置されている
保線車両もいい感じで見下せます。



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稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!