2011年10月05日 18時44分

三岐鉄道三岐線の一部区間不通(1)。

日本に大災害をもたらした台風12号ですが、
9月4日から三岐鉄道三岐線では、一部区間で今も不通のままとなっています。
※「保々」~「梅戸井」間が不通のためバス代行。
それ以外の「近鉄富田」~「保々」間及び「梅戸井」~「西藤原」間は
電車を運行中。

その原因が、「保々」~「北勢中央公園口」間にある『朝明川橋梁』の
損傷です。(写真参照)
こんなに名古屋から近い場所でもなかなか情報が入らないのですが、
私の知人Iさんが9月30日(金)に現地に出向き撮影した写真を送って
くれましたので、UPすることにしました。

ネットで検索すれば、線路の被災状況の分かり易い写真も出てきそうですが、
この日は復旧工事の関係で、これ以上近づくことは邪魔に
なってはいけないので遠慮したそうです。

まずじっくり見れば分かるのが、真ん中に見える橋脚が奥の方に
傾いていること。そしてその橋脚部分で橋桁が凹み、端桁そのものが
少しVの字に見えると思います。

実際には、線路がこの部分で大きく蛇行しているそうで、
その復旧には素人目にも相当な時間が掛かりそうだったそうです。
参考までに三岐鉄道のHPでは、「11月中には列車運行を
再開する見通し」と出ていますが、一日も早い復旧を望むばかりです。
因みに貨物輸送もストップしているため、三重県四日市市にある
国の重要文化財「末広橋梁」を渡る列車も今はないようです。

2011年10月04日 18時59分

撮れそうで撮れない写真。

とある駅を通過中の名古屋市営地下鉄6050形の『回送』電車です。
でもその“とある駅”が鶴舞線の「いりなか駅」ならこの写真に価値が
生まれるのではないでしょうか?
写真の左端に駅名が写っていますが、確かに「いりなか」と読めます。

この写真は、私の会社の「鉄」の一人であるMさんが撮影し、
私に送ってきてくれたもので、撮影したのは10月3日(月)の
21時22分52秒(カメラのデータによる)。「いりなか駅」の
伏見方面ホームとのことでしたので、日進工場から桜通線への戻りと
思われます。

彼曰く、「いりなか駅」で電車を待っていたら、6050形が
入線してきたのであわてて携帯電話のカメラを起動し、
「いりなか駅」の駅名標を入れ込んで撮影したそうです。
(駅名標を入れ込んだのは芸が細かいというか「鉄」っぽいですね)

ある種、日常の光景だとは思うものの、撮ろうと思ってもなかなか
遭遇することはありません。
因みに私は桜通線の車両を鶴舞線で一度も見たことがありません。

Mさんの運の良さに敬意を表して、この話題をUPしました。
ひょっとしたら、日進工場から桜通線への車両の送り込みは
『このスジ』と決まっているのかも知れませんね。

2011年10月03日 18時37分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(16)国の登録文化財「第三音更川橋梁」。

写真の「旧国鉄士幌線第三音更川橋梁」は昭和11年に作られたもので、
「第五音更川橋梁」と同じく平成11年に国の「登録有形文化財」に
登録されました。

全長71メートルで前後の10メートルアーチに挟まれる形で、
この写真のど真ん中にある32メートルアーチがあります。
このアーチは戦前の北海道における鉄道コンクリートアーチ橋では
橋桁間隔が最大で、旧国鉄士幌線のアーチ橋の中でも特筆すべき
存在なのだそうで、この橋の近くにある「解説板」によれば、
この橋梁の成功により、日本各地に大きなアーチ橋が作られるようになったと
言うことです。

なお「NPO法人ひがし大雪アーチ橋友の会」ではこの橋の保存のための
活動を行っており、補修費用の募金等を行っています。目標金額は
9000万円ということですが、何とかこの橋がこれからも今の姿を留めて
欲しいと思いました。
それは橋としての用途は無いにしても、また「遺産」としての価値も
少し横に置いたにしても、この渓谷美の中にこの橋が本当に溶け込んでいると
感じたからです。
人工的な橋がこれほど自然と一体化しているのはやはりアーチ橋だからかも
知れませんね。

なお、この場所は『旧国鉄士幌線アーチ橋見学ツアー』で訪れたのではなく、
ツアー終了後に、レンタカーで立ち寄ったものです。
念のため報告しておきます。

2011年10月03日 8時00分

名鉄の記念乗車券&入場券

10月1日(土)、名古屋鉄道で2つの記念乗車券&入場券(?)が
発売されました。

一つは画面左側の「引退10周年 北アルプス号思い出乗車券」で、
もう一つは画面右側の「思い出のせとでん~“お堀電車”
生誕100年特別台紙~(栄町駅の硬券入場券を購入するとプレゼント
される)」です。

10月1日(土)、「名古屋レール・アーカイブス」の
『第4回所蔵資料展』の反省会を前にまずは「せとでん・・・」を
手に入れるべく瀬戸線栄町駅に向かいました。
時間は朝9時頃で、限定1000枚とはいえ、多分残っているだろうと
目星をつけていましたが、やはりありました。
私が購入した段階で多分、まだ200枚程度は残っている感じでしたが、
私を含め、その時間の購入者は並びこそはしていませんでしたが、
途切れることは無く昼ごろには無くなったのではないでしょうか?
それにしても“お堀”から電車が無くなったのが昭和51年ですから
もはや知っている方が圧倒的に少数派でしょう。

一方「北アルプス号・・・」の方は、栄町駅での発売もあったのですが
多分、「せとでん・・・」とセットで買う人が多かったと思われ、
午前9時には無くなっていました。
そのため名鉄名古屋駅に移動し、限定3000セットの内の3枚を
手に入れました。
これはまあ想定通りでしたが…。

「北アルプス号」は、高山出張の際に多分、1~2度は乗っていますが、
実はある種、身近すぎて写真を撮っていません。
ところでこの写真では写っていませんがこの乗車券は540円です。
どうしてこの運賃なのでしょう?私には謎です。

●この2つの記念乗車券&入場券ですが、どちらも単に“記念”と
いうより、解説も良くできており、資料性もあると思っています。

2011年10月02日 17時54分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(15)旧「幌加駅」周辺で見つけたもの。

上段写真は旧「幌加駅」の入り口にある案内看板です。

この看板には、「幌加駅」の説明(上半分)と、この駅が木材搬出で
賑わっていた頃の写真(下半分)がありました。
写真を見て驚いたのが、この駅を含めその周辺は、今は大自然の『森』と
なっていますが、当時は切り開かれて人の息吹が感じられることです。

それは説明文から読み取れるのですが、そこには最盛期には約80軒の建物と
350人位の人が住む“町”だったとありました。
350人と言う人数は一見少なく感じますが、私の感覚ではそれが
一つの集落であることを考えれば、それはそれ相当の数字だと思います。

多分、商店も何軒かあって賑やかな声が街中に響いていたであろうと
当時に想いを馳せました。

ところでその案内看板の支柱(一番上の部分)が下段写真なのですが、
古レールを使用しています。
メーカー名は私にはよく分からないのですが(恐らく日本製鐵だとは
思うものの…)、『1938年』の数字があり、それは昭和13年であり、
この幌加駅の開業が昭和14年であることを考えれば、
この駅もしくはこの近辺で使用されたレールである可能性は極めて高いと
思っています。
この看板の支柱に、敢えてこの士幌線で使用された古レールを
採用したのであれば、これを設置した「NPO東大雪アーチ橋友の会」の
見識に拍手を送ります。私の考えは多分合っているはず・・・。

2011年10月01日 17時31分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(14)ポイントを動かすとこうなります。

転轍器を動かし、その使用前・使用後と言うか、切り替え前・切り替え後と
いうか、左の写真は、上り線に出入りする位置で、右の写真は下り線に
出入りする位置です。

だから何なのだと言われればそれまでですが、この楽しさは皆さんには
理解してもらえるはずです。
これで実際に列車(ではなく、足こぎトロッコでも良いのですが)が
その上を渡ってくれれば、気分上々となるのですがそこは無理な相談ですね。

ただ皆さんに注意点を一つ。
今回、私は他にツアー参加者がいる中で、かつ「鉄道好き」であることを
認めてもらった中で、ポイントを動かしていますが、もしもレンタカーなどで
一人でここに来て、一人でこれを動かしていたとして、それを見ず知らずの
誰かに見られたとしたら…、相当に“怪しい”ことは間違い無さそうです。

ここで分岐器の操作体験をされる場合は、是非、複数の方で訪れることを
お勧めします。

さて、私はこの転轍器を何度も動かしたのですが、他のツアー客の方たちを
待たせるような失礼なことはしていません。
何故なら、この場所は本当に大自然の森の中で、皆さんは散策に結構時間を
かけておられ、一方、私はこれだけを楽しんでいたからです。
考えようによっては、私は何とも「勿体ない」時間の使い方をしたようです。

2011年09月30日 18時19分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(13)旧「幌加」駅でポイント操作体験。

線路が残されていて、そしてその線路の残っている駅が交換可能駅ならば、
そこには「分岐器」があります。
ということで24時間「分岐器」操作体験が出来るのがここ「幌加駅」です。

信号扱い所が無い小さな駅で使われた転轍器ではご覧の様な『手動式』が
使われていました。
でも現役時代にそれを触る(動かす)のは当然、ご法度!

それがこの駅では誰でも操作できるとガイドさんから聞き、
他のツアー参加者の方が一頻り(ひとしきり)楽しんだ後で、
じっくり一人で堪能しました。
なおかつこんな写真まで撮っていただいたので、これで私が「鉄」で
あることがガイドさんとツアー参加者の皆さんに知れてしまいました。
と書くと、「?」と言う方もいるかも知れませんが、
この『旧国鉄士幌線アーチ橋見学ツアー』は「鉄」の方が参加者の
多数派ではないのだそうです。
「タウシュベツ橋梁」の写真をご覧になり、その美しさに惹かれた方や、
「糠平温泉」に泊まり、その存在を知って訪れた(再訪された)方が多いと
聞きました。
今回、この写真を撮影してくださった方は以前、「糠平温泉」に宿泊したことが
あるそうです。

(余談)
折角「糠平」に来ているので、糠平温泉について一言。
糠平温泉は「源泉掛け流し」宣言をしており「日本源泉かけ流し温泉協会」にも
入っています。私も体験してみたい温泉の一つです。

2011年09月29日 18時15分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(12)旧「幌加」駅にて。

『旧国鉄士幌線アーチ橋見学ツアー』の“橋”以外のお楽しみが
旧「幌加」駅の探訪です。

既に書いている通りですが「糠平」と終点「十勝三股」の間にある駅で、
かっては木材の搬出で賑わったそうです。
(確か、士幌線は木材運搬の目的もあったはず)
写真の通り、線路跡にはホームと線路が残され、ホーム上には
“真新しい”駅名標もあります。

昭和14年の開業から昭和53年のバス代行化までのおよそ40年の年月が
長いか短いかはともかく、今、この場所には駅舎もなければ、
当時はあったであろう民家を見かけることもありません。

それより、列車が通らなくなって30有余年にも関わらず、
相変わらずホームと線路が残っていること自体が奇跡とも思えます。
もっとも、もしもこのツアーがここに立ち寄ることになっていなければ多分、
というより間違いなく私がここに来ることはありませんでした。

ただ来て感じたのは、最近「廃線」となった鉄道の本が多数出版されるにつけ、
その『跡』を辿る人が増えている事実に納得している自分がいることです。
人の営みの変遷を知る“歴史ロマン”の匂いを感じたのですが、
もっとも一方でそれは「夢」のような甘いものではなく、
厳しい現実の結果であるのでしょうが・・・。

(余談)
この駅の周辺では訪問した7月13日、この写真には写っていませんが
「ルピナス」という花の群生を見ました。
「淡い紫色」が可憐で良いのですが、もともと園芸用に日本に入ってきた
外来種とのこと。十勝地方の固有種が侵食されなければ良いがと
心配になりました。

2011年09月28日 19時13分

旧士幌線「タウシュベツ橋」(11)第五音更川橋梁と三の沢橋梁。

北海道に『北海道遺産』というのがあるのをご存知でしょうか?

次世代に引き継ぎたい有形・無形の財産の中から、北海道民全体の“宝物”を
選ぶものですが、平成13年のその第一回目に選ばれたのが
「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」です。
また『北海道文化資源』と言うものもあり、こちらは北海道の文化資源を
様々なジャンルから選び、北海道の文化や歴史に触れ、学び楽しむと言う
趣旨のものですが、その「産業遺産」に中に同じ
「旧国鉄士幌線アーチ橋梁群」があります。(記述はそれぞれのHPから転載)

もう分かっていただけると思いますが、今回の私の旧士幌線探訪の目的は
まさにこの「アーチ橋梁群」です。

『旧国鉄士幌線アーチ橋見学ツアー』は「タウシュベツ橋梁」だけが
目的ではなく、次の目的地は「北海道遺産」「北海道文化資源」の一つ、
上段写真の「第五音更川橋梁」でした。
この橋は国の登録有形文化財(平成11年登録)でもあり、
10メートルアーチの連続と写真の真ん中に見える川を越える
23メートルアーチのコンビネーションの美しさは筆舌に尽し難いものが
ありました。(昭和13年に作られた)
※「糠平」から終点の「十勝三股」方面に向かい、旧「幌加」駅を
越えた辺りです。

また下段写真は「三の沢橋梁」で、「糠平湖」誕生による路線変更に伴い
昭和30年に作られたもので、その時代にあっても昭和14年の士幌線全通時の
橋の形態をそのまま取り入れているのはある種の驚きなのですが、
それももともとも士幌線のコンクリート橋が、時代の最先端の技術で
作られたのであろうと一人、納得しています。

なお「三の沢橋梁」は写真から何となく感じ取れるのではないかと思いますが
「北海道自然歩道・東大雪の道」となっており、歩いて渡ることが出来ます。

2011年09月27日 18時04分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(10)タウシュベツ川の流れ。

上段写真は「タウシュベツ川」で、画面右側から左側に向けて
川の流れがあります。
※先回の写真を撮影した場所から右方向を撮影しています。

そうなんです!橋の名前の「タウシュベツ橋梁」とは「タウシュベツ川」に
架けられた橋と言うことで名付けられたものです。
通常なら「OO川橋梁」とかになるのでしょうがここではそうならず
「タウシュベツ橋梁」となったのは何故でしょう?
とか考える人はきっとあまり多くはないのでしょう。

ということはさておき、山間部の川にしてはその幅が広いのと、
奥の森と川の境目に土手のように見える部分が分かりますか?
何と満水時にはそこまで水が来るそうです。つまり、この時、私が
立っていた場所は『水没』地点だったのです。
そのため目の前にある近い風景の中に「木」が育つことは無いのだそうです。

次に撮影ポイントを変えることになり、先の場所よりも少し
「タウシュベツ橋梁」を見下ろす高台に移動しました。(下段写真)
※正確にはこのポイントを通って先回の場所に向かっっています。

ところでこの場所より高い標高の場所で広い画角にしようとすると
「高圧電線」が写り込むため、
私は少し下に下りて下段写真を撮影しました。

この写真では橋の下の右側に『髭』の様な木の枝が少し気になるものの、
橋と対岸の位置関係はお気に入りの一枚です。

ともかくどれだけの時間をかけて見ていても飽きの来ない「橋」でした。

(「タウシュベツ橋梁」の名前について)
北海道庁の「北海道文化資産」等の記述では「タウシュベツ橋梁」とあり、
その他の主な資料やWikipediaでも「タウシュベツ橋梁」とされていますが、
北海道庁の「北海道遺産」や地元上士幌町役場のHP、
「NPOひがし大雪アーチ橋友の会」の「ひがし大雪アーチ橋散策地図」には
「タウシュベツ川橋梁」とあります。
今回の橋梁名について、私は「タウシュベツ橋梁」という呼び方を
採用していると考え下さい。

また今回のツアー主催者である「NPOひがし大雪自然ガイドセンター」では
「タウシュベツ橋」を使っています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!