2011年09月20日 0時00分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(2)上士幌町鉄道資料館の展示物。

この「上士幌町鉄道資料館」、規模は小さいものの、士幌線の歴史が
よく分かるように工夫された展示になっています。

上段写真では「上士幌駅」の駅名標が輝いていますが、
画面中央にある駅の出札口でみかけた硬券乗車券を入れていた乗車券箱に
心惹かれました。
鉄道ピクトリアルの2011年10月号「特集:去り行く風景」にも
その姿がありましたが、実はこうした“道具”が現役時代の写真を
私は持っていません。
まだまだ現役で使っている鉄道会社も多くありますが、
こうしてここで改めて見て、やはり既に『郷愁』の世界の出来事に
なっていると実感しました。

下段写真は、士幌線が現役時代の「駅」の写真で、
『懐かしい光景』というより、何か不思議な遠い世界のように見えました。

この他、「第三音更川橋梁」(国登録有形文化財)の建設中の写真が
展示されているなど、興味深い内容が多く、当初はささっと10分くらいで
回るつもりが結局30分近くかけてじっくり見てしまいました。

ところで帯広からここ上士幌町糠平まで、公共の交通機関(路線バス)で
来るには、旧士幌線並みの本数ではありますが、バスの所要時間は
1時間40分強で、旧士幌線の所要時間と大差が無いのが少々悲しいです。
※昭和52年2月当時の帯広~糠平間の最速列車の所要時間は1時間19分。
時間のかかる列車はバス並みもあったと当時の時刻表から推測されます。
※帯広~旭川間の都市間バスなら同区間は1時間10分ほどで到着しますが
帯広からのバスで下車することは来ません。参考までに。

私は今回、レンタカーで回りましたが、時間効率と立ち寄り場所を考えれば
止むを得ない選択でした。

2011年09月18日 18時33分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(1)上士幌町鉄道資料館に立ち寄り。

平成23年7月13日の最大の目的は、旧士幌線の「タウシュベツ橋梁
(をメインにした)見学ツアー」に参加し、自分の目で
「タウシュベツ橋梁」の美しさを感じること!でした。
勿論「タウシュベツ橋梁」のみならず、士幌線はその廃線後にも
数多くのアーチ橋が残されているなど、楽しみどころが満載なのも、
ここに足を運ぼうと思った大きな理由です。

「タウシュベツ橋梁」については近いうちに説明しますが、
『廃線マニア』の方には垂涎の的といっても良い場所(多分、反対する人は
いない思う…)で、その美しい姿は「鉄道」系というより、
「風景写真」のジャンルで何度も発表されており、『廃線マニア』では
ない私も、自分の目で一度は出会っておきたい風景でした。

そしてそこに向かう途中、糠平温泉の玄関口「糠平」駅跡にある
「上士幌町鉄道資料館」に立ち寄りました。
「鉄」の方で私と同じ「旧士幌線」を目的にした方には、
『立ち寄らない理由が見つからない』と言われそうな場所です。

洒落た建物の横には、下段写真の貨車(ヨ4843)+何かの台車部分が
静態保存されています。
私がここに着いたのは既に午後2時を回っており、人影もなく、
この資料館が本当に開館しているかどうかが不安になるほどでした。

2011年09月17日 18時30分

国鉄士幌線の思い出(2)真冬の十勝三股駅。

昭和52年当時、1日4往復の列車が発着していた終点の「十勝三股」です。

当時「国鉄完乗」を目指すものにとって、効率の悪さでは
トップクラスの路線で、ここだけではなく当時北海道は閑散路線の宝庫で、
それゆえこれまでにも何度か書いた覚えがありますが、就職前に
「まずは北海道を完乗」と誓いを立てたのは当然の帰結でした。

ところで北海道に並ぶ、もう一方の「完乗」の大敵は九州の筑豊地区でした。
ただ筑豊地区はそれぞれの線が微妙に絡み合っていたりして、
まだパズルの解きようがあったのですが、北海道は盲腸線
(行き止まり)が多く、相当に苦労しました。(まあ、今では苦労と言うより
楽しい思い出となっていますが…)

そんな“苦労”の結晶がこの写真です。
この時、この駅でというか士幌線で撮影した写真は全部で4枚。
この2枚にプラス上段の写真に私が写っている記念写真と、
下段写真を逆方向から撮影したものです。
たったそれだけしかありません。でもそれが私の当時の精一杯で、
今思えば残念×5どころか30乗くらいの悔しさです。

こうして見ていると私の乗ってきた酷寒地向け仕様のキハ12形2連は、
そのバス窓が時代を感じさせますし、そもそも「幸福駅」で保存されている
「キハ22」の一世代前の車両となります。
余談ですがキハ12形は豊橋鉄道の「納涼ビール電車」の『3203』と
ほぼ同世代のはずです。

「昭和は遠くなりにけり」。実感です。

●「十勝三股」まで乗車した人は私以外に数人いたような記憶がありますが、
この駅から家路につくとか仕事に向かった人の記憶がありません。
きっといたのでしょうが、それ位『鉄道』の必要性に“?”がつく
路線でした。

2011年09月16日 18時27分

国鉄士幌線の思い出(1)入場券ラインナップ。

昭和52年2月23日。この日、私は士幌線の「帯広」~「十勝三股」間を
乗車しました。

(往路)725D/「帯広」発12:50、「十勝三股」着14:59
(帰路)728D/「十勝三股」発15:21、「帯広」着17:14

そこで今回、その時に購入した入場券を並べてみました。
なお、並びは帯広から十勝三股に向けて並べてありますが、
実際には「音更」」は帰路に購入しています。

「士幌」は時刻表では13:37発とあり、ここでの交換列車は
無かったのですが、多分、運転時間に余裕があったものと思われます。
「糠平」は14:31発なのですが、上り列車では隣駅の
「黒石平」と「糠平」間がどの列車も9分の設定にも関わらず、
この725Dでは15分の設定になっています。
「黒石平」から「糠平」方向には上り勾配が続いているので、
それを斟酌する必要があるもののそれでも15分もかかることはなく、
多分、2~3分程度の停車時間があったのでしょう。

「十勝三股」はさておき、帰路に購入した「音更」ですが、
ここは下り727Dと交換しており、なおかつその727Dの発車時間
(16:58)から3分過ぎての17:01出発だったので余裕で
購入していたと察しがつきました。

2011年09月16日 8時00分

名鉄電車の不思議…座席の番号。

写真の座席番号をとくとご覧下さい。

小さな画面の方には、多分読み取れないと思われ申し訳ありませんが、
右の座席番号は「12A、12B」となっており、
左の座席番号は「13C、13D」です。

「あれっ?」と思いませんか???

この座席番号は、名鉄のパノラマスーパー1000系のもので『2号車』の山側(豊橋方面に向かって左側)の座席です。

つい先日、豊橋に行く用事があり、いつもならミューチケットを買って乗車することは無いのですが、何故か気が向いて特別車の乗客となりました。

私の席が12Dだったので、自席を捜し『13D』の次・・・???『12D』が並んでいないのです。
で、反対側を見たらありました!『12D』が。

こうして私はこのA・B・C・Dの“謎”にぶち当たったのです。
参考までに、『13』『14』の席は車椅子対応の3列シートとなっており
お察しの通り、『13C』『13D』が2人席。
通路を挟んで反対側(海側)が1人席で席番号は“A”がふられており、
“B”は欠番です。

どうしてこうなったのでしょう?
名鉄電車に詳しい方に聞いたところ、そもそも全車特別車の4連を
2両づつに分けて一般車の4連と合わせて、「一部特別車」の
6連としたことが発端なのだそうです。

その際、岐阜方の2連は方向転換を行っており、
そのため、1000系パノラマスーパーの3列シートの1人席は、
半分の編成が山側で、半分が海側にあるのだそうです。

更に座席指定の“A”が1人席、“C・D”が2人席となっているのは、ミューチケットの発券上の問題(特に一人席の特定)から変更するわけにはいかず、この席番となったのではないかとのことでした。

なお、この席番の車両に乗り合わせるのは「結構珍しい」と聞き、
なんだか一寸得した気分になりました。

ただ、この文章を書きながら「知っている人が多かったらどうしよう?」と
ドキドキしている自分がいます。

2011年09月15日 18時53分

「名古屋の電車風景」今日から開催中。

私が会員になっているNPO法人『名古屋レールアーカイブス』
(略称;NRA)では所蔵資料展を今日から開いています。

今回は 「定点観測 市電が走った街並みは…今 名古屋の電車風景」という
テーマですが、少し『街並み』を写真として残すことについて考えて
みることにしました。

写真は昭和47年2月29日に、今の名古屋駅前で私が撮影した写真です。
(名古屋市電の話題は、これまでにも平成22年11月19日・
20日にUPしています)

この写真には無くなったもの、変わらないものなどいろいろ写っていますが、
それより何より当時の『街の風景』を感じていただけるのではと
思っております。

ところで最近私は、鉄道を撮影した写真のジャンル分けには以下の考え方もあるのではと思い始めています。

一つは、“鉄道”をテーマにした“撮り鉄”さんの渾身の一枚ともいえる写真。

二つ目は『車両形式写真』と言われるジャンルで、通常であれば
特定の車両を斜め前から撮影し、その車両の特徴が詳細にわかるモノですが、
駅などで停車中の車両を撮影した写真を含めても良いと思っています。
また車両の各パーツを押さえた写真もここに入りそうです。

そして三つ目が今回の展示会のような、その時代の生活感や時代背景を
感じさせる『改めて見てみれば資料的価値がありそうな情景』とも言える
写真群です。
勿論、その3つの境目がはっきりしていることなどはあるはずもなく、
撮影した時は私もそうですが、それぞれが『渾身』の一枚でしょう。
まあ写真の受け止め方(見た印象)だとは自分でも分かっていますし、
私の考え方はあくまでも私個人の考えであり、独善的であることを
お許しください。

で会場においで頂き、写真を見てもらえば分かってもらえるとは思うのですが、
それは今回のテーマ『電車(鉄道)のある街並み』を写真として残すことの
難しさです。
実際、いわゆる「鉄道」写真で『街並み』の変貌を伝えられる様な
写真を私は殆ど持っていません。

また今回の新旧比較の『新』の写真は、“鉄道”が写ってはいないため
『旧』の写真がなければ、ひょっとしたら見向きもされず、
それ以前に撮影する人はいないでしょう。
でも、例えばこれから20年後くらいに、今回と同テーマで展示会を
行ったとすれば、間違いなく今回の『新』写真も意味を持つはずです。

例えは難しいのですが、皆さん方が自宅での“いつもの”食事を
撮影したことはありますか?
もっともあるとすれば『何か特別』な記念日の特別なメニューかも
しれませんが、10年単位の“庶民の日常生活の記録”と考えれば、
『“いつもの”の食事』に価値がありそうだとお感じになって
いただけないでしょうか。

路面電車は道路を走るという特性上、『街並み』を写すことは簡単とは
言わないものの可能でしょう。
今回の展示をきっかけに私は、『街』を感じる路面電車に限らない
鉄道の写真も撮っていきたいと思い始めています。

最後に、今回の写真は自分でも(写真芸術とは無縁な)
「単なる情景」写真だと思っていますが、そこに写っているのは
まさしく『昭和』の“風景”であると確信していますし、
こうした写真も残す必要性もありそうだと思っています。

2011年09月15日 8時09分

名古屋レール・アーカイブス展示会、ただいま準備中。

今日(9月15日)の朝10:00から私の所属するNPO法人
「名古屋レール・アーカイブス」(NRA)の第4回所蔵資料展が始まります。

今回のテーマは「定点観測 市電が走った街並みは・・・いま
名古屋の電車風景」です。

昨日は夕方から準備を始め、終わったのは午後8時過ぎでした。
写真はその準備風景で、会場内の飾りつけを終え、
最後に一番最初に皆様方の目に触れるであろう会場の表側である
地下街サイドを最終調整しているところです。

●NRA所蔵資料展会場…名古屋・栄地下街ギャラリーチカシンA室。
●会期…明日9月15日(木)~21日(水)10:00~19:00
    最終日は16:00まで
◆会場は、地下鉄東山線の一番「藤が丘」よりの改札を出て、
 名鉄「栄町」方面への階段を下り、直ぐに左側に向かった場所です。
名古屋市民の方でも、一瞬迷われる方が多く、昨年も「少し分かり難い
場所ですね」と何人の方にも言われました。
栄地下街にあるのですが、ギャラリーがあることを私もNRAに
所属してから知ったくらいですから押して知るべしと心得ています。

展示の内容はテーマの通りですが、名古屋市電だけではなく
名鉄瀬戸線(瀬戸電)の定点観測もあります。
もしお時間が許されるようでしたら、一度足を運んでいただければ幸いです。

2011年09月14日 18時33分

「愛の国」から「幸福」へ(9)新旧乗車券の比較。

ここで新旧の「愛国」~「幸福」の乗車券を比較しても
しょうがないのかもしれませんが、一寸気が向いてしまったので
ご容赦下さい。

「旧」(上段写真)は昭和52年の2月23日の発行で、
前にも書きましたが、私が旧広尾線に乗ったのは昭和49年2月17日で、
この日付けの時ではありません。
昭和52年2月23日、この日私は旧士幌線に乗車しており、
その日は帯広ユースホステルに宿泊しているのですが、
そこで同宿だった方から頂いた(110円で)ものです。
その方は何枚もお持ちで、「欲しい!」と言う方に“原価”で
分けていました。
ということで私も「青春の思い出」の一枚と手元に残しました。

また「新」の方は、まさしく今回の訪問の際、「愛国駅」前の
お土産屋さんで購入したもので、その違いは色が褪せているかどうかと、
運賃の違いだけです。
因みに220円は廃線時の運賃で、「お土産(縁起物?)」としての
販売価格も220円でした。

「新」バージョンは「愛国駅」だけではなく「幸福駅」前の
お土産屋さんでも販売しており、私以外の人影が無かった
「愛国駅」はともかく、「幸福駅」では購入している方を何人か
見かけました。
私も複数枚購入し、私が「幸せ」になってほしいと思う数名の方に
プレゼントしました。

そんな何やかやで7月13日の午前中は時間が過ぎ、いよいよこの日の
メインイベントへ向け車を走らせる事にしました。さてそこは???

2011年09月14日 8時01分

「愛の国」から「幸福」へ(8)幸福駅名物って?

デジャブ(既視感)。行ったことが無いのに、行ったような気がする場所って
ありませんか?
私にとって、それが「幸福駅」です。

で、下段写真は「幸福駅」名物の名刺や写真などが一杯貼られている風景です。
個人情報の塊なので、どうやって撮影しようとか悩み、
挙句にここでUPするのも止めようかとも思ったものの、この写真なら
多分大丈夫であろうと判断しました。やはり「幸福駅」名物ですし…。

この光景は、それこそメディアに何度も何度も取り上げられているのを
ご存知の方も多いと思いますが、それこそこの「愛国」「幸福」が
有名になった昭和48年以降、私がここを通過した昭和49年当時には
この光景が始まっていたはずで、それが今でも、というか『これほど』までに
続いていることがある種驚きでした。

それはともかく、メディアへの登場だけではなく、私の知り合いも
結構この駅に出かけており、その方たちから撮影した写真を見せて
もらったことも多く、きっとその印象が私の脳裏に焼きつき、
それでまるで自分も行った様な気になり、冒頭の『デジャブ』に
繋がったような気もしています。

それにしても、どこかの駅や神社仏閣で名刺や千社札を
一杯貼り付けられているのは何度も見ていますが、
それで迷惑を蒙っているところも多かったはずで、ここまで公認されているのは
珍しい存在かもしれません。
因みに帯広市のHPによれば、「愛国駅」に貼られた名刺や写真は
「愛国神社」の“どんど焼き”で焼却しているそうです。
「幸福駅」も同様なのでしょうか?

2011年09月13日 18時28分

「愛の国」から「幸福」へ(7)キハ22形に試乗(?)。

旧幸福駅は公園をして整備されており、そこにはキハ22形が2両
(手前がキハ22-238で奥がキハ22-221)とモーターカーが1両、
静態保存されています。

上段写真で2両のキハ22が確認できると思いますが、
奥のキハ22-238はホームに掛かっていませんが、
「221」の方はホームのあるところに停められており、
中に入って見学できるようになっています。(下段写真)

まあ扇風機のある風景や椅子の座り心地は2429Dのキハ40系も
たいして変わるわけではないですし、まあ、それほど古めかしくて
レトロ感タップリというわけでもないのですが、私が注目したのは2点。
一つ目はボックスシートの右側一番手前の所に残されていつ『灰皿』!
このタイプの灰皿は、所謂国電タイプの車両が走っていた路線の車両を除き、
昭和の時代にはボックスシートタイプの車両では必ず見かけ、
また4人がけであれば必ず使う人がいて、紫煙を燻らせていました。
(今考えればタバコを吸わない人には大迷惑の時代でしたね)

特急等の喫煙車はともかく、普通列車から灰皿が無くなった
(つまり全車両禁煙化された)のは一体いつ頃だったのでしょう?
あまりにも年月が流れ過ぎて覚えがありません。

何だか“懐かしく”なって灰皿がある車内風景を撮影してしまいました。

また、床を見て『「キハ22」って床材が木だったんだ』と気付かされました。
昭和30年代の製造でしょうから当然、不思議は無いはずなのですが、
何故か私のイメージの中ではそうはなっていませんでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!