2011年09月13日 8時06分

「愛の国」から「幸福」へ(6)「幸福駅」は観光地!

「愛の国」を出発して「幸福」に到着しました。

着いてビックリ!ここには広大な駐車場も整備されており、
何とも一大観光地のようです。
流石、「恋人の聖地」です
人影の見えなかった「愛国駅」とは大違いで、実はここに掲載した写真は、
人の流れを見計らいつつ、一瞬の隙をついて撮影したものです。
もっとも溢れるほどの人出と言う意味ではなく、ホームや駅舎・駅前には
いつも数人がいて、それが途切れないということです。

「愛国」と「幸福」のこの落差の理由は良く分かりませんが、
とにかくそういう状況でした。
やはり「愛国」を「愛の国」と見立てるより、「幸福」というストレートさが
良いのか、単に「愛国」よりも「幸福」を願う人が多いということでしょうか?

そう言えば昭和の時代にも記念写真を撮る人は「愛国」より「幸福」が
多いと聞いたような気が…。

その幸福駅にはキハ22が静態保存(上段写真)保存されているのを始め、
訪問者の殆どの方が記念写真を撮影する「幸福の鐘」(中段写真)や、
あって然るべきの愛国駅とセットの「恋人の聖地」の記念碑(下段写真)等が
あります。

「幸福の鐘」の最上部には『HAPPY BELL こうふく』と書かれていますが、
若干ですが鉄道チックな味わいが感じられる体裁になっています。(私の感想)
また「恋人の聖地」の記念碑も、ここ「幸福」では“乗車券”風のアレンジが
ご愛敬です。

2011年09月12日 18時55分

「愛の国」から「幸福」へ(5)19671号機が待っています。

「愛国駅」の駅舎を通り抜けホームに出ると『19671』が
私を出迎えてくれました。

この『19671』の説明板によれば大正7年(1918年)の
川崎造船所製で、北海道各地で活躍したのち、昭和47年から釧路鉄道管理局の
配置とありましたので、ここ広尾線に縁のあった機関車ではなかろうかと
推察した次第です。
その後、昭和50年に廃車となった『19671』ですが、
廣済堂出版「蒸気機関車完全名鑑」(2009年12月20日発行)に
よれば、平成2年まで帯広市内で保存され、その後ここ移設されたようです。

保存状況は屋外の野晒しにも関わらず、思ったより良好なので、
地元の方たちがキチンと管理をされているのであろうと感じましたし、
運転台も覗くことができますがこちらの状態も良好でした。
(比較対象の問題もありますので、あくまでも私の感想です)

上段写真の様な駅のホームを広く入れ込んだ写真を撮影すると、
動かない蒸気機関車がたった1両というのは淋しい感もありますが、
北海道らしい伸びやかな空間の中にいるので、思ったよりは寂寞感が
漂っていません。

私はしばしホームに腰掛け、足をブラブラさせながらノンビリして
いましたが、結構気持ちが良かったです。
まあ、これは夏だから出来る楽しみ方なのかも知れません。

2011年09月12日 8時49分

「愛の国」から「幸福」へ(4)『恋人の聖地』って?

今時、「恋人の聖地」というのがあるのを、ここ「愛国駅」で知りました。
上段写真はその「記念碑」で、先回の写真で駅舎の直ぐ右側にあります。
(ちょっと分かりづらいですね)

最初に「Lover’s Sanctuary」(恋人の聖地)と
「ようこそ恋人の聖地 愛国駅へ」の文字を見た時は仰天というか
小っ恥ずかしくなりました。年の所為(せい)でしょうか?
何せ昭和62年の広尾線廃線当時の姿“だけ”が残されているものだと
思っていたからです。

それにしても50代後半の私にとって「恋人」と言う文字が眩し過ぎて
直視できませんでした。
(いくらなんでもそこまでのことはあり得ないですね…)
それはともかくこの「恋人の聖地」とは『NPO法人地域活性化支援センター』
が主体となって全国の『プロポーズ』ふさわしい“ロマンティック”な
スポットを選定しているそうで、ここ「愛国駅」と「幸福駅」はセットで
平成20年7月1日に「恋人の聖地」になりました。

余談ですが、愛知県の「恋人の聖地」は、1)名古屋テレビ塔、
2)恋路ヶ浜と伊良湖崎灯台、3)茶臼山高原/芝桜の丘となっています。
何れにしろ私には縁の無い話しです・・・。

画面が小さくて申し訳ありませんが、この記念碑の左側には、
なぜ「愛国」⇒「幸福」の区間の乗車券が1000万枚以上も売れる大ブームに
なったかの謂れも書かれており、これは何となく“雰囲気”で
ここを訪れた人にも分かりやすい親切な解説になっています。

また駅そのものが交通記念館になっており、広尾線の歴史が分かる
展示等がされています。
なお15分もあれば一通りの見学が可能です。

2011年09月11日 18時04分

「愛の国」から「幸福」へ(3)平成23年の「愛国駅」。

「帯広」に着いたのは10:03。
その日、宿泊の予約をしたホテルに荷物を預け、早速レンタカーを借りて
旧広尾線に存在した「愛国駅」をまずは目指しました。

私は昭和49年2月17日、この「愛国」駅(そしてこの先紹介する
「幸福」駅)を通っています。
乗車列車は826D、広尾発13:02~帯広着15:15で、
「幸福」発は14:45、「愛国」発は14:59でした。
ただその道中は冬だっただけに、景色は全く記憶に無く、
今回、改めて逆方向から車で向かい、思いのほか民家もあり、
途中には市街地もあって『何も無いところを走り抜けた広尾線』という
勝手なイメージは見事に覆りました。

ところでその「愛国」駅は、「帯広」駅から思ったよりも近く、
11時にはもう上段写真の「愛国」駅に着いていました。
昭和49年の時刻表で確認しても距離にして11キロ、時間でも15~6分
くらいですからさもありなんです。
(現在、十勝バスでも30分強で着きます)

さて私がこの駅を訪れた7月13日は、夏休みにはまだ早いのか、
駅前にも駅構内にも人影はなく、下段写真のかの有名な
「愛国から幸福ゆき」を模(かたど)った記念碑だけが私をまず
出迎えてくれました。
●記念碑の一番下にある「愛国地域活性化協議会発行」の文字ですが、
本来の乗車券ならここは「愛国駅発行」となるはずです。
どんな事情があったのでしょうか?
まあ、これを作った方たちの『思い』という意味なのでしょう。

余談ですが、駅前には廃貨車(「ヨ4353」と読めました。
ボロボロの状態ですが…)が1両とお土産屋さんがあります。
そのお土産屋さんでは“復刻版”愛国⇒幸福の乗車券が購入できます。

2011年09月11日 9時01分

名古屋の電車風景

今週の木曜日(9月15日)から、来週の水曜日(9月21日)の間、
私が会員になっているNPO法人『名古屋レールアーカイブス』(略称;NRA)では所蔵資料展を開きます。

今年で4回目となった今回のタイトルは
「定点観測 市電が走った街並みは…今 名古屋の電車風景」です。

“定点観測”ということは、上段写真のような名古屋市電が走っている
過去の街並みの写真と、下段写真のような現在の街並みの比較を
しているのですが、例えば今回の写真は展示写真の一例で、
広小路通りの納屋橋界隈で撮影されたものです。

※と言っても場所が分からない方もいらっしゃると思いますが、
名古屋駅と名古屋の繁華街・栄(当時は栄町…地下鉄は「栄」に
変わりましたが、名鉄電車の駅名でその名が残っています)の間を結ぶ、
昭和の時代の名古屋のメインストリートで、納屋橋はその間にあります。
名古屋ヒルトンホテル、名古屋観光ホテルの西側あたりと言えば
分かってもらえるでしょうか?

●第4回NRA所蔵資料展「名古屋の電車風景」
●9月15日(木)~21日(水)
 10:00~19:00(最終日は16:00まで)
●場所…名古屋・栄地下街/ギャラリーチカシンA室
 (名鉄瀬戸線栄町駅の南)

私のように「名古屋市電」の現役時代を知っている者にとっては懐かしく、そして過去から現在まで思い出を繋いでください。
そして知らない世代の方には「名古屋市電が走っていた時代」の
息吹を感じてもらえれば幸いです。
手前味噌で恐縮ですが、皆様にお越しいただければ幸いです。

私も18日(日)、19日(月)の2日間は、ほぼ会場にいる予定です。

2011年09月10日 18時42分

「愛の国」から「幸福」へ(2)キハ283系の展望室。

以前にも書いていますが、私は今回の釧路訪問まで、283系
(だけではありませんが)の、編成両端にある展望室は全面的に
立入禁止となった誤解していました。
よくよく考えてみればJR北海道も「先頭車両の展望室は立入禁止」と
発表していましたが、「最後尾車両の立入禁止」とは言っていませんでした。

キハ261系ですと上り列車の帯広方の最後尾車両はグリーン車ですので、
それを横断するのは少々勇気が要りますが、キハ283系の
釧路方最後尾車両は普通車ですのであまり気が引けません。

そこで1号車を通り抜け…、と言っても私の指定席は1号車でしたので
さほどの距離を歩くこともなく展望室に辿り着きました。
上段写真の「関係者以外の立ち入りはご遠慮願います。」の札の掛けられた
ロープは、最後尾車両の展望室部分の入り口では、片隅に片付けられて
いました。

こうして私は、指定席を取っていたにも関わらず、この楽しみを
知ってしまったばかりに随分長い時間、この場所を占拠していました。
多分、30分近くはそこにいたと思いますが、その間、誰もここには
現れませんでした。

大多数の『ビジネス』と思われる乗客の方にとっては興味の対象外
なのでしょう。
それとも先頭車ではないので、展望ビデオ気分が味わえないからでしょうか?

2011年09月10日 8時05分

「愛の国」から「幸福」へ(1)「スーパーおおぞら6号」に乗車。

北海道シリーズを延々と続けており恐縮です。
残すところとしては平成23年7月13日(水)の一日だけの出来事ですが、
それは今回から書きますがまだまだ日数が掛かりそうです。
北海道の季節が秋から冬に変わらないことを願うばかりです。

さてその7月13日ですが、朝7時過ぎに起床した私は釧路駅に
ほど近いというか“駅前”と言ってもよい『和商市場』、
あっ、皆さんが知っている前提で書いてしまいましたが、
私が言うのもなんですがテレビの旅番組では常連の北海道の海の幸
(だけではないのですが)を扱う店舗が立ち並ぶ市場です。

釧路にお出かけの際にはお勧めのスポットで、ここで家族への
罪滅ぼしの買い物をし、上段写真の釧路駅から下段写真の8:39発
キハ283系「スーパーおおぞら6号」の乗客となりました。

始発の釧路からなかなかの乗車率で、6~7割の席が埋まっていた記憶です
釧路の方によれば「スーパーおおぞら」はどの列車も乗車率は
まずまずだそうで、グリーン車の利用者も名古屋市民の私が考えるよりは
多いそうです。
もっとも「釧路」~「札幌」間は航空路線もありますし、
北海道らしく車で移動する人も多いとのことで、安閑としていられるような
状況ではなさそうです。

で、「スーパーおおざら6号」で向かった先は「帯広」でした。
もっともその行先は『タイトル』でバレバレですが…。

2011年09月09日 18時09分

根室本線鈍行列車の思い出。(423レ・424レ~からまつ)

昭和の時代、北海道には「小樽」と「釧路」を結ぶ夜行普通列車が
ありました。
私は3度乗車しており、その内2回は寝台車で惰眠を貪りました。

何れも10形(の記憶あり)の3段寝台だったのですが、
一度目は昭和49年2月22日の423列車で、
「大麻」(22:45)から「釧路」(9:30)まで乗車。
●「大麻」から乗車して後に寝台券を購入したため、車掌さんが
発行しています。比較的珍しい部類ではないでしょうか?
また何で「大麻」から乗ったかと言うと、そこに知り合いがいたからですが、
今その方はどうされているのでしょう?

釧路に到着した2月23日は、「阿寒湖」や「丹頂の里」といった
観光地を巡り、何とその足で424列車「釧路」19:00発小樽行きに
乗り込み、往路とは違って旧型客車の硬いシートに身をあずけ、
「札幌」(5:36着)に向かいました。
『ワイド周遊券』の時代、このように夜行列車を宿代わりにして
広いエリアを旅する人が多く存在しました。
●札幌からは特急「北斗1号」~函館の町を観光~青函連絡船16便
(羊蹄丸)~急行「八甲田」(オール座席車のため当然座席)で
上野には2月25日に戻りました。今思えば若さゆえの暴挙(快挙?)です。
※今シリーズの15で狩勝越えを「2回」と書きましたが
3回の間違いでした。お詫びして訂正します。

2度目は昭和52年2月18日に「小樽」(定刻から6分遅れの
21:22に発車)から「池田」まで乗車しました。
423列車は私が最初に乗ってから暫くして「からまつ」の愛称が
付けられており、下段写真にもしっかり「からまつ」の文字があります。
この時、池田(定刻から30分遅れの6:49着)で下車した私は、
『りくべつ鉄道運転体験』でも書きましたが池北線931Dに乗り
「北見」へと向かいました。
(定刻なら6:49、実際には6:51に発車)

ところで皆さんは北原白秋の名詩「落葉松」をご存知でしょうか?
その冒頭の一節に
「からまつの林を過ぎて、(中略)たびゆくはさびしかりけり。」とあり、
この詩が生まれたのは北海道の風景ではないのですが
「たびゆくは…」は、冬の北海道に似つかわしいのではと私は思っています。
ただこの詩を心の中で歌いながら寝台車に乗り込んでいったかどうかは
不明です。(この詩を知っている人は絶滅危惧種?)

ということも去ることながら、以前、狩勝越えの風景を自分の目で
見ていないと書いたのは「夜行列車に乗っており深夜に通過した」という
理由からでした。オチの無い話しで失礼。

2011年09月09日 9時00分

釧路行き鈍行2429Dの旅(33)2429D完全乗車証明書。

2429Dに全線乗車すると、釧路駅で貰える「2429D
完全乗車証明書」です。

上段が表面で、下段が裏面となります。
裏面から言うと「日本一長~~い定期普通列車」の文字にJR北海道釧路支社の
“気合い”を感じますし、左下にある『滝川発釧路行 2429Dに
完全乗車されたことを証明します』の文字は嬉しい限りです。

ところで表紙に戻って、右上の『2429D完全乗車証』の文字と、
タラコ色のキハ40-777の写真下にある『2429D完全乗車証明書』の
文字は、同じことのほんの2文字違いで、普段なら「少しは工夫が必要」などと
思ったりもするのですが、全行程を乗り終えた直後だけに、
今回だけは全てOKの世界でした。

言っちゃ何ですが、「これほしさに釧路まで来たのか俺は・・・」
とか思っちゃっていたりしている自分がいました。

1000枚限りの予定が増刷されたことで貰えたのですが、『限定』に
惹き付けられて乗った方の中には「きっとがっかりしている人も
いるのだろう」とかいうことも思ってみたりしていました。
(まあでも、許される範囲でしょう)

ところでこの証明書のこのブログでの使い方ですが、
厳密な権利処理を行うとするなら、本来、撮影者であるカメラマンの許諾も
必要と思われます。
そこでこの写真を撮影された方の話しはまた後日・・・。

(2429D、了)

2011年09月08日 18時05分

釧路行き鈍行2429Dの旅(32)無事、釧路駅定時に到着。

平成23年7月12日(火)17:39。
釧路駅に2429Dは定時に到着。
団体旅行のグループの方とも別れの挨拶を済ませ、8時間余の長旅の労を
一人だけで労(ねぎら)いました。
(正確に言うと「釧路臨港鉄道の会」の方が出迎えてくれたので1人では
ありませんでしたが…)

そして駅の外にでて、釧路駅名物『D51467』の動輪と2ショット写真を
撮影。(正確には撮ってもらいました)

車内でのことをいろいろ書いていましたが、実のところ終わってみれば
「アッ」と言う間の8時間余で、もう一回チャレンジするかと聞かれれば、
『当分は結構』と答えることになるのですが、それでも、
難行苦行ということもなく、のんびりした良い「旅」だったといえます。

そのその昔、昭和の時代のロングラン普通停車は、全国で出会うことが
出来ました。が、朝か夕かのどちらかで、必ず風景の見えない時間帯を
走っていました。それに比べ、走行中は多分、真冬を除けばほぼ風景を
楽しめる時間帯を走る2429Dは“快適”な長距離列車と言えそうです。

皆様、一度お試しあれ!



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!