2011年08月09日 8時00分

石北本線「特急オホーツク」(2)車内販売のお弁当。

「オホーツク」の車内の人となったあと、
気を取り直して夕食タイムとしました。

車内販売で買ったのが写真のお弁当で「夏のお祭り弁当」(880円)です。
車内販売限定かつ期間限定と言うことで、“限定”というフレーズに弱い
私には、これしか選択肢があり得ませんでした。(積極的に選んだ?)

●「夏のお祭り弁当」とは『夏の風物詩、お祭りをテーマに
北海道の食材を中心に…』との説明書きが同封されていましたが、
ほぼそれを額面通りに受け取っても良さそうな内容でした。
写真の真ん中のブロックは「北海ばら寿し」とのことで、
北海道米の酢めしの上にカニ・ホッキ貝・イクラ・アスパラなどが
トッピングされています。
ここからは写真の大きさと言うより、それぞれの食材が小さい(少ない)ので、
極めて分かりにくいかと思いますが、知床鶏・トキ鮭・帆立等々を
使った北海道の食材が一杯です。

さて、この弁当でお腹は満足したのでしょうか?否!
味はともかく量は少なめのため、
実は、最悪の事態(思うような弁当が購入できない)を想定し、
岩見沢駅の1Fのパン屋さんで予め買っておいたパンを1つ食べました。
(小食の方ならこのお弁当だけでOKかも?)

まあ、「旅気分」を味わうにはこれで十分と言うことで・・・。

2011年08月08日 18時02分

石北本線「特急オホーツク」(1)岩見沢から乗車。

7月10日(日)、「SL機関士体験」を終えた私は、
岩見沢駅から17:58発特急「オホーツク7号」で
北見駅(定時の到着時刻19:45)を目指しました。
JR北海道の特急型気動車ではもはや少数派と言いたい
振り子式でもなく車体傾斜制御装置もない183系です。

「岩見沢」から次の目的地「北見」に向かうという条件と、
私が乗車できる時間帯から選択肢が他になく、
やむを得ずこれに乗車したと言うのが実情です。

(参考)
●札幌⇒北見の所要時間
*特急「オホーツク…4時間35分~38分(片道8800円)
*高速バス…4時間30分(片道5190円)
●札幌⇒網走の所要時間
*特急オホーツク…5時間25分~28分(片道9640円)
*高速バス…5時間50分(片道6210円)

これをご覧いただければ分かると思いますが、鉄道の競争力ははっきり言って
バスに比べ「定時運行」(時間読みが出来る)だけと言っても
過言ではありません。

また今回の移動に当たり、三笠・岩見沢周辺で、高速道路を走る
「北見・網走」方面行き高速バスのバス停が無いかを、
結構本気で調べたことを敢えて書かせていただきます。
「鉄道」を愛するものとして、これほど悲しいことはありません・・・。

2011年08月08日 8時02分

三笠でSL機関士体験(14)さようなら「S-304号」。

こうして平成23年7月10日(日)の「S-304号」の1日は終わり、
機関庫のシャッターが徐々に閉まっていきました。
私の心の中では何故か「蛍の光」のメロディーが流れ、
少し哀愁を帯びた気分に浸っていました。
とまあ、そうは書いていますが、「本当にそうでしたか?」と突っ込まれると
「御免なさい」しますが、雰囲気はご理解頂けると信じています。

最後の最後に、ここを訪れる際の注意点を。
公共の交通機関の利用者は、「バス」の時間に自分の行動を合わせる
必要があり、事前の準備をキッチリしておく必要があります。
そうしたことも含め名古屋発の場合、レンタカーの利用が合理的とも
思えました。
また、「機関士体験」をする場合、「三笠鉄道記念館」の見学時間を鑑みると
“1日仕事”と思っていたほうが無難です。
以上は私の感覚で恐縮ですが、今回、「クロフォード公園」を楽しむ時間は
残念ながらありませんでした。
また「三笠トロッコ鉄道」も全く見ていません。
もっともこちらは一人で体験するには“チト恥ずかしい”ということも
ありますが…。

それはそれとして、前にも書きましたが、これほど充実した
『鉄道施設』は全国でもそう多くは無いと思いました。

2011年08月07日 18時20分

三笠でSL機関士体験(13)機関車の整備。

車庫前に戻ってきた機関車の整備です。

まずは火室から線路上に、その日の石炭や薪の燃えカスを
下に落としていきます。
作業は丁寧に、何度も火室内を確認しながら進められていき、
機関車がこの場を離れ、機関庫に収まった後には写真の“灰の山”が
残されていました。

この日、私は最初の「火室」の火起こしこそ見ませんでしたが、
それ以外はこれをもってほぼ全部の作業を見たことになります。

観光用の鉄道ゆえにこうした光景を気軽に見ることができたのですが、
皆さんも、ここ「三笠鉄道村」で『機関士体験』をされる際は、
一連の作業を見学されることをお勧めします。
それにより「S-304号」への愛着が高まり、またSL運転が、
単に運転時だけのものではなく、事前・事後に様々な作業があることを
知ることで“鉄道”の知識を楽しく習得することにも繋がっていきます。

(最後の余談)
三笠鉄道村・三笠鉄道記念館のある旧幌内線「幌内」駅ですが、
昭和47年に旅客扱いが無くなり、その後は貨物列車が運転されていました。
それも昭和62年に廃止となり、その最後の最後には「幌内駅」まで
臨時快速列車が運転され、往時の賑わいが再現されました。
そして「幌内駅」は同じ昭和62年に三笠鉄道村・三笠鉄道記念館として
整備されたのですが、ここの保存車両の殆どは、
線路がまだ繋がっている時に、“幌内線”を使って運び込まれたそうです。

2011年08月07日 9時08分

三笠でSL機関士体験(12)「S-304」機関庫に戻る。

この日の三笠鉄道村「機関士体験」の参加者の内、
三笠市営バスでここを訪れたのはどうやら私だけでした。

何せ路線バスで岩見沢に戻るには、1時間に1本程度の三笠市営バスと
その後も本数の少ない北海道中央バスへの乗り継ぎが必要で、
疲れ果てた中年(老年???)オヤジを見かねた指導運転士さんが
「列車の時間次第だが、岩見沢まで送ろうか?」と声をかけてくれました。
この日、私は「岩見沢」発17:58の特急「オホーツク7号」で
「北見」まで行く予定だったのでその旨を伝え、
お言葉に甘えることにしました。

もっともその代わり、16:00発の「SL列車」の運転終了後、
機関車の整備をし、機関庫にいれるまで待っているように言われたのですが、
これはかえって願ったり叶ったりで、その作業の一部始終を
見学することにしました。

ということで遅まきながら写真の話しですが、“本線”からバックで
側線に転線し、これからポイントを切り替えて機関庫に戻るところです。
機関車の前でポイントを切り替えている姿が見えています。

2011年08月06日 18時15分

三笠でSL機関士体験(11)学科実技講習終了証明書。

最後に写真の「学科実技講習終了証明書」が交付されます。
上段写真が表で、下段写真が裏面です。
「SLの汽笛が今も聞こえる・・・」なんて、痺れるフレーズですね。
北海道はそうそう行ける場所ではないので、少し欲張って
「体験」しましたが、それだけの“価値”はあったと思っています。
ところで私は「練習運転」後に、「運転体験」を4回やったと
報告しましたが、その申し込みはどうしていたのでしょう?
今回の手順をここで書きます。

1)三笠鉄道村『SL機関士体験クラブお申込みフォーム』で
「学科講習」と「運転体験」を申し込む。
※その時に「最低2回は運転したい」というリクエスト。
2)「体験運転」実施時間における“予約”が満杯の場合を除き、
「三笠鉄道記念館」担当者から、当日の参加者に対し「体験運転」の追加が
出来ることの案内がある。
3)「体験運転」追加希望者は、三笠鉄道記念館の担当者に申し出て
「体験運転」を行う。

●今回は、三笠鉄道記念館の方から「今日は時間とお金の許す限り
何回でも運転体験できます」と言われました。

●「運転体験」の各開始時間は「三笠鉄道村」のHPにある通りですが、
予約が入っていなければ“随時”受け付ける方式ということが分かりました。

●この日は、学科講習を申し込んだ私を含めて4名にプラス、
ベテラン2名の計6名の参加申し込みで、初心者の内、
2名は「学科講習」に含まれる「練習運転」だけで帰られたので、
午後の大半の「運転体験」の時間は実質、4名にその全てが委ねられた
格好でした。
またその際、「練習運転」を含め5回目の運転から“山の中”までの
全区間450メートルが運転できると説明されました。

●そこで、“時間とお金の許す限り”というよりは“お金”の許される範囲と
言うことでギリギリ“山の上”まで行くことにしたのです。

2011年08月06日 9時02分

三笠でSL機関士体験(10)記念写真。

「機関士体験」が終わると『記念写真』撮影の時間です。

機関士制服(なっぱ服)に制帽の出立ち(いでたち)でしかも左腕には
“光り輝く”『機関士』の腕章。(全て借り物です)
それで運転席に座り、さもちゃんと運転してきたかのような顔をして
写真に納まりました。
これぞ「運転体験」時の至福のひと時です。

ところで機関士制服ですが、様々なサイズが用意されていますので、
余程のことが無い限り、着られるものが無いと言うことはなさそうです。
私のウエストは90センチを肥えており、いや越えており、
心配していたのですがそれは取り越し苦労でした。

最近、名古屋の「鉄」4人での『呑み鉄』の際、蒸気機関車全盛時の
機関士さん、機関助士さんに『太目の方はいたのだろうか?』という話しに
なりました。
確かに昭和の鉄道写真で、車掌さんや駅長さんはともかく、
『運転系の方でそういう写真はみたことが無いね』というのが全員の
一致した結論でした。

とまあ、そんな話しは後日談として、記念写真の後、
「学課講習料」と「運転体験料」を支払い全ては終了しました。
350メートル×往復×4回=2800メートル
450メートル×往復=900メートル
計3700メートルがこの日の成果でした。

さて今回の「運転体験」のまとめです。
当たり前ですが『難しい』の一言に尽きます。特に“ブレーキ”は
これまでの数回の“体験”で会得できるものではなく、
写真の私は爽やかな表情をしていますが実態は相変わらずの悪戦苦闘でした。

2011年08月05日 18時09分

三笠でSL機関士体験(9)終点間近。

バック運転の終点(つまり出発点)まで残り300メートルを切りました。
(上段写真)
そして遂に終点に到着です。(下段写真)

これら写真に写っている所は、見た目では分かりませんが
4~5パーミルの上りで、注意しなければならないのは、
客車をホームの位置にピタリと止めるには“失速”に気を付けないと、
手前に止まってしまうことです。
しかもホームの有効長が極端に短いと言うか、
1両分のしかもギリギリしかなく、4~5回運転した程度で定位置に
止めるのは至難の業で、もしも私が上手く止められたとしても
それは単なる“偶然”である!というのが結論です。
実は、私は何度やっても手前に止めてしまい、結果、ブレーキを緩め、
再び加減弁を動かし、停車位置の調整をしていました。

●この線路の勾配(出発点発“山の中”方面)
*出発点~約300メートル⇒4~5パーミルの下り
*300メートル~350メートル(ポイントのある所)⇒6パーミルの上り
*350メートル~450メートル⇒10~11パーミルの上り

2011年08月05日 8時00分

三笠でSL機関士体験(8)分機器通過。

すでにお気付きでしょうが「三笠鉄道村」の機関士体験の楽しみの一つに
分岐器の通過があります。

「運転体験」をしている時はそれほど楽しめませんが、“添乗”している時は、
特に機関車が分岐器を渡るジョイント音に“萌え”ました。
やはり、電車・気動車・客車といった私たちが日常的に乗車する車両とは
全然違います。
そもそも機関車は機種により軸配置が異なるため、ただでさえ
その面白さは増幅されます。そして今回は3軸の蒸気機関車です。
これは「機関士体験」におけるもう一つの“体験”(発見?)でした。

目を閉じてそのジョイント音に耳を傾けていると、
そのその昔、音楽の時間に『三連符』を習った時のことが脳裏に・・・。
「タ・タ・タン」というリズム(音)になるのですが、
『三笠に来て本当に良かった』と思ったのはいったいこれで何度目
だったのでしょう。
(お詫び…「目を閉じて」という表現は誇大です。目は開いていました)

2011年08月04日 18時04分

三笠でSL機関士体験(7)バック運転の妙味。

終点まで行けば、そこからはバック運転です。
客車2両を牽いて(押して)のバック運転(前進運転もそうですが)は、
ここ「三笠鉄道村」の機関士体験ならではの妙味と言えそうです。

上段写真は、「SL列車」の最後尾(最前部)から撮影したものですが、
前回の写真と合わせると、走行区間の勾配や、分岐した線路を下に
見る感じが良く分かります。

下段写真は、指導機関士さんによる「お手本」で、さりげなく後ろを見て
ブレーキハンドルに手を置く姿には惚れ惚れしてしまいます。

なお、「機関士体験」100回以上という超ベテランの方の運転を
見せてもらいましたが、指導機関士さんとは座り方が異なり、
完全に後ろ向きに座って、左手で加減弁・ブレーキハンドル等の操作を
していました。
当然の事ながら、運転技術を認められたその方だけの
“特例”とのことでしたが、ブレーキ操作の絶妙さは「本職!」と感じました。

●バック運転時の出発ですが、「SL列車」も「機関士体験」でも、
客車の最後尾に乗務している車掌の“旗”の合図で運転を開始し、
機関士はバック運転中、ズーッと後方確認をすることになります。
なお、バック運転そのものは、「350メートル」走行時も同様です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!