2011年08月04日 8時07分

三笠でSL機関士体験(6)計5回目の運転体験で行ける場所。

「練習運転」と3回目の「運転体験」の計4回の運転を体験し、
5回目の運転を申し込むと、それまでの走行距離350メートルが
450メートルと長くなります。
それゆえ私は「運転体験」の第4回目を申し込みました。

写真は、その伸びた100メートル区間の景色を助士席側で撮影したもので、
上段写真は、入って直ぐの場所で下段写真は終点間近の場所です。
というより、誰がどう見ても終点です。

当初の350メートルは、今シリーズ(4)の上段写真から出発し、
(4)下段写真の場所を通り抜け、(1)の上段写真で「S-304号」が
止まっている少し先の右側にある機関庫の直ぐ左側が終点です。
※(1)で「S-304号」が止まっている線路が
 「SL列車&機関士体験」時の“本線”です。

今回の写真の話しに戻しますが、『450メートル』コース専用区間に入ると、
直ぐに上段写真の右側に向かう(小樽方面)を分岐し、それから更に
奥に向かいます。

今回の写真を撮影した場所は、10~11パーミルの上りで、
加減弁の微妙な調整が要求されます。短い区間(100メートル)とはいえ
折角の北海道らしい風景の中を走るのですが、『心のゆとり』など
あるはずもなく、まずは運転に専心していました。

(参考)三笠鉄道村の「SL列車」は、この写真の場所まで運転されます。

2011年08月03日 17時53分

三笠でSL機関士体験(5)火室はとにかく熱い!

火室では、石炭が燃やされています。
よってその周りはとても熱い!です。ということを“乗務”するまで
私は『忘れて』いました。
「焚き口」から『火』が見えていると思いますが、
つまり「焚き口戸」一枚を挟んで、『私』は『火』と向かい合っているのです。

『何でそんな当たり前のことを今更』ということになる訳ですが、
蒸気機関車の機関士(機関助士)をされていた方から
「夏の運転室は地獄」という言葉を何度も聞いていたものの、
それはそれで何となく分かっていたつもりではあったのですが、
今回、それを初めて“体感”し、また傍で見るより“想像以上”であることを
理解しました。

そこから察するに、運転室は冬場でも当然熱いはずで、
外気温との差が大きい冬場の大変さも推し量ることができました。

参考までに今回の指導機関士さんから聞いた話しですが、
冬の北海道は、岩見沢辺りでも以前は、氷点下20度になることが
それほど珍しいことではなく、右半身への暖かさに油断していると、
運転室から身を乗り出しての運転があった場合、左半身、特に顔が
“凍傷”にならないように気を配っていたそうです。

以前、釧網本線「SL冬の湿原号」の火室を停車中に
撮影させてもらったことがあり、その時に、一瞬乗っただけで少しは
分かったつもりでいた自分自身の浅薄さに呆れるばかりです
やはり“乗務”しなければ実感できないことは数限りないことを
改めて知りました。

また今シリーズ(2)で書いたことの補足ですが、冬場に火を起こす作業は、
機関車自体が冷えきっている為、相当な手間と時間がかかったそうです。
蒸気機関車の運転の大変さを一つずつ体で覚え、
そして知識を増やせる楽しい時間を持たせてくれた家族や職場の皆さんには
「火室」の話しの回で恐縮ですが、感謝した次第です。

2011年08月03日 9時00分

三笠でSL機関士体験(4)いざっ!!運転体験!

私たちの運転で、SL列車を走らせられるのは「幌内鉄道」350メートル。
そこそこの長丁場で、しかも北海道の鉄道の原点とも言える線路。
思わず気合いが入ります。

で、上段写真は、SL列車(運転体験)の出発地点に停車中で出発直前の様子。
下段写真は、快走する「S-304号」です。何となく私は“撮り鉄”風に
撮っていますが、何と、“撮り鉄”の方が数人、私の横で熱心に
シャッターを押していました。考えて見ればそれも「さもありなん」で、
撮り方の工夫次第で、本格的なSLの走行写真を撮れると思いました。
何より、少し気持ちが良いのは“撮り鉄”さん達が、「運転体験」の
素人運転にもカメラを向けてくれていることで、
似非(えせ)プロ機関士気分を満喫。自己満足の最たるもので、
自分で書いていて呆れ返ってしまいます。

そしてここからは家族には絶対に読まれたくないのですが、
それこそ私は調子に乗って4回の運転体験をしました。体験料は皆さんで
計算して頂くとして、この体験数には理由があります。
それは次々回くらいに…。

何はともあれ、この日のために小遣いをコツコツ貯め、“SL機関士体験”を
第1目的にここまで来たのです。
きっと許してもらえるはず?????

2011年08月02日 18時08分

三笠でSL機関士体験(3)「S-304号」をトロッコ客車に連結!

さて、午前10時のSL列車の運転開始時間が近づき、9時半過ぎに、
トロッコ列車(コトラ149456+コトラ153095)に
「S-304号」を連結です。

最終的に連結された時間は9:37でした。
ところで・・・と言うのも変ですが、客車に機関車が繋がる瞬間と言うのは
結構ワクワクします。(皆さんは如何でしょう?)

遠くはシベリア鉄道でも何度かある機関車の付け替えで1駅だけ見ることが
出来たのですが、その時、ロシア人の親子連れが私と一緒に見ていたのを、
今、又思い出していますし、ここ日本でも同様の光景
(機関車の連結を見る方がいる風景)は、何度も体験しています。
また、それは機関車+客車でなくとも、気動車同士・電車同士でも
実のところ、私の興味は同じです。

ここで三笠鉄道村『SL機関士体験クラブ』の「機関士体験」について
少し解説。
実際に運転するのは「S-304号」1両ではなく、
客車2両も繋いだ“3両編成”です。私にとって、単車ではない経験は
当然の事ながら『初』で、結構驚きでした。

●学科講習…10:30~11:45頃まで
 ◆終了後、各自昼食。
●練習運転…12:50~
 ◆機関士制服(なっぱ服)に着替え、帽子を被っていざ体験。(貸してもらえます)
ここまでが、『学科講習料10,000円』に含まれます。

●運転体験…ここから先は1往復、5,000円でした。

●練習運転も運転体験も毎時00分発、30分発のSL列車の運転の合間での
「運転」となります。そのため大体ですが毎時10分頃~25分頃、
40分頃~55分頃の間が私たちに与えられた時間となっています。

2011年08月02日 8時08分

三笠でSL機関士体験(2)機関庫の中には薪の山。

先回の写真を撮った後、機関庫の中を見せてもらいました。
で、驚いたのが「薪」の山!

本当に物事を知らないのは『楽な人生』というのは居直りに近い話しですが、
火室で石炭を燃やすに当たり、最初から石炭を入れることはなく、
その前段階として、まずは油を滲みこませたボロ布等に火をつけ、
それで「薪」に火をつけ、それが良く燃えてきてから「石炭」を
くべるそうです。
こう書くと怒られそうですが、まあまずは威勢の良い「焚き火」から
SLの運転準備が始まると言うことでしょうか。
7月16日(土)にNHKで放送された『NHKスペシャル
「復活~山田洋次・SLを撮る~」』でもそんなシーンを見受けました。
(ご覧になった方も多いのでは?)

そんなことから毎回、結構な量の薪を使うそうで、そのため、
蒸気機関車の機関庫には、こうした薪の山があるのは普通の事とのことでした。

ところでこの日、ここで作業をされていた方は、てっきりこの「機関士体験」の
指導をされる方と思い込んでいたら、内1名の方は、何度も機関士体験に
通われている、そういう意味では私と同じ立場の方でした。
話しを聞いているうちに分かったのは、通っている内に作業の手伝い
(“機関庫体験”と言うべきでしょうか?)をするようになった
ということで、当然の事ながら「機関士体験」は
“有料”のため、それはそれで払っているそうですが、“機関庫体験”も
「とても楽しい」と仰っていました。

私が参加しようにも単なる足手まといでしょうが、
火起こしはやってみたい気が・・・。

2011年08月01日 18時04分

三笠でSL機関士体験(1)三笠鉄道村に到着。

(お詫び)
今朝8:00にUPした「D51603」の話しを本日(8月1日)
午前中にご覧になった方にお詫びです。
中京テレビのシステム不具合で、写真がUPされていませんでした。
午後、早々に修正しました。申し訳ありませんでした。

さて、ここから新しい話題です。
三笠鉄道村『SL機関士体験クラブ』の「機関士体験」をしたのは
7月10日(日)でした。
この日、前にも書きましたが9時前にここに到着した私は、既に煙を
上げている「S-304号」を発見しました。
そこで「三笠鉄道記念館」に向かう前に準備作業をしていた方に声をかけ、
少し写真を撮らせてもらうことにしました。

この日は日曜日とあって、朝10:00からこの「S-304号」が
トロッコ2両を牽いて一般の方を乗せて走るため、この時間には既に準備が
完了しているようでした。

「S-304号」のドテッ腹に、『暖房はコークス』とありますが、
この反対側には『テツゲン』の文字がありました。
今時の若い方には『コークス』が何かとは知らない方が殆どでしょうが、
石炭から“作る”燃料で、北海道では家庭の暖房用にも使われていました。
(懐かしい!)
『テツゲン』はそのメーカーで、鐵原(株)室蘭コークス工場で
この蒸気機関車が働いていた頃から、この文字があったように聞きました。

(「S-304」…「三笠鉄道村」HPから)
●昭和14年、日本車輌製。昭和61年に廃車。
●日本製鉄輪西製鉄所(新日本製鉄室蘭製作所)向けに作られた。

この写真を撮りながら、これからこれを運転するかと思うと、ワクワク・
ドキドキが止まりませんでした。というのは少々どころか相当に大げさですが、
若桜鉄道のC12の運転体験とは違い、石炭で“お湯”を沸かして走る
本物の蒸気機関車の運転に『期待』が高まっていたのは本当です。

2011年08月01日 8時00分

三笠鉄道村・三笠鉄道記念館(6)「D51603」の動輪。

平成23年7月10日(日)、三笠鉄道記念館で何となく
撮っていた一枚です。
まあ建物の前で目立っていたのは間違いありませんが…。

この動輪の物語は、『SL機関士体験クラブ』の「運転体験」時の
指導機関士さんから聞きました。
まさに「人に歴史あり、動輪に物語あり」を実感したので
ここに紹介させていただきます。
※指導機関士さんは元国鉄~JR北海道勤務で、蒸気機関車を
実際に運転されていたそうです。

『D51603』は、国鉄で最後に工場での検査を受けた
蒸気機関車とのことで、最終的には北海道・追分機関区の所属でした。
ここからは『Wikipedia』「D51」の情報も少し加味しますが、
国鉄最後の蒸気機関車の機関区がその追分機関区で、
昭和50年12月24日に、国鉄蒸気機関車の“本線”走行の
歴史が閉じました。

その後、廃車となった『D51603』は、東京・上野の
「国立科学博物館」に保存される日を待っていたのですが、
昭和51年4月13日深夜、追分機関区の扇形庫が炎上し、
この機関車も後ろ半分が焼け落ち、その結果、機関車の前半分が
JR西日本・嵯峨野線「嵯峨野駅」前にあり『嵯峨野観光鉄道』が運営する
『19th CENTURY HALL(「トロッコ嵯峨駅19世紀ホール」が
分かりやすいかな?)』に、そして動輪がここ三笠鉄道記念館に
やってきたそうです。
指導機関士さん曰く、追分機関区の火災には驚くとともに
新製配置のDD51とともに焼け落ちた蒸気機関車群の姿には愕然とした
そうです。
※嵯峨野観光鉄道に保存されている「D51603」の前半分の写真には動輪が2対見えるので、この動輪は第3動輪と思われます。
今思えば、動輪の“刻印”を確認すれば良かったと思っています。

ただの展示物かと思いきや、紆余曲折を経てここにいるというのが、
何か不思議な感じがしました。

では次回から、『SL機関士体験クラブ』の話しをUPします。

2011年07月31日 18時37分

三笠鉄道村・三笠鉄道記念館(5)静態保存車両の奥の奥に・・・。

鉄道記念館の建物の2階から、旧「幌内駅」の先に繋がっている線路を
見ていたら、下段写真の構内電気機関車を見つけました。

上段写真に写っている「DE10-1702」と貨車群、
そして右側の「排雪モーターカー」の奥に隠れるように展示され、
私の発見が遅れました。
手前の電気機関車が「10号」(昭和59年製)で
後ろに「2号」(昭和23年製)がいます。
製造年は説明の看板によるものですが、ヘッドライトとパンタグラフを
除けば本当に似ており、30有余年の年齢(?)差を殆ど感じない
不思議な印象の機関車達でした。
ナロー好きの私としては、ただ眺めているだけで「うっとり」だったことを
ここに書きます。

また走っていた場所については、「太平洋炭鉱構内で活躍」とあり、
もしそうであれば現在の「釧路コールマイン」(2010年3月1日~UP)
で走っていたのだと思うのですが、一方、「北興鉱業株式会社」から
寄贈とあり、それを手がかりにしようかとも思ったのですが、
その社名は検索ではヒットしませんでした。
ここからは私の憶測で、もしも詳しい方がいらっしゃったら
教えて欲しいのですが・・・、
●釧路の「太平洋炭鉱」で働いていた。
●走っていたのは鉱外軌道。
●釧路市内の「太平洋炭鉱」のナローは、現在とは違い、
市内にも石炭を輸送する線路があったので、そこを中心に運用されていた。

もっともそんなことは『「三笠鉄道記念館」の方に聞けば直ぐに
分かるでしょう…』と言われそうですが、残念ながら今回の訪問時は
時間切れとなってしまいました。
(一方で「釧路臨港鉄道の会」の方に聞けば済む話しでもありますが…)

それにしても610ミリのゲージには惚れ惚れします。

2011年07月31日 8時09分

三笠鉄道村・三笠鉄道記念館(4)展示物あれこれ。

ここで1つ、正直に告白をしなければならないことがあります。

実はこの三笠鉄道記念館の見学は、屋外の静態保存車両も屋内の展示物も、
はっきり言って三笠鉄道村『SL機関士体験クラブ』の「運転体験」前の
“暇つぶし”のつもりでした。

それで、10時半からの学科講習の前に1時間もあれば十分だろうと思い、
まあ折角来ているのだし、ただバスの本数が無いので、
開館と同時にこの記念館に足を踏み入れざるを得なかったというのが
見学前の偽らざる心境でした。

それにここ「三笠鉄道記念館」のある場所が、旧「幌内駅」そのものであり、
この地があったことから北海道の鉄道が始まったことなぞは、
ここの展示物を見てから知ったわけで、
事前準備をしないで“とりあえず” 出かけ、
出かけてから全てを考えるという私の悪い習性がそのまま出てしまいました。
※今回は、大きな4つの目的を『回る』スケジュールは
きっちり組み立てましたが、それ以外は相変わらずの無防備でした。

今回の写真は、この記念館に多種多様な展示物があることを知ってもらおうと
UPした2枚ですが、はっきり言ってここの展示物は想像以上の充実ぶりで、
何故私はここに「SL運転体験」だけで来ようとしたのか、反省する羽目に
なりました。

北海道の「鉄」巡りをするならば、ここ三笠鉄道村・三笠鉄道記念館訪問は
私のお勧めです。
そして極めて個人的な話しですが、「鉄道趣味」一筋でやってきた私に、
『「鉄の神様」が北海道の「鉄道の聖地」に導いてくれた』
そんな気にさえなっていました。(書いていて少し恥ずかしい・・・)

2011年07月30日 20時23分

三笠鉄道村・三笠鉄道記念館(3)歴史展示室・科学展示室。

昨日の夕方UPした上段写真の手前の建物は機関車の
屋内展示スペースですが、その奥の建物が「歴史展示室(1階)」
「科学展示室(2階)」になっています。

今回の上段写真は、その歴史展示室にある「三笠鉄道記念館」の
シンボル・モニュメント『スチーム・パワー』です。
蒸気機関により車輪が回る様子を表しており、その動く姿は
なかなかダイナミックで、優れものと感じています。

一方、下段写真は「北海道の鉄道のはじまり~幌内鉄道~」という展示の
入り口で、展示内容は正にこの地「三笠」から北海道の鉄道の歴史が
始まった様子が良く分かるようになっています。

そもそも北海道の鉄道は、今の三笠市幌内(ほろない)で発見された
石炭を輸送するため、「幌内」と積出港である“小樽”を結んだ『幌内鉄道』が始まりで、明治13年「手宮(小樽)」~「札幌」間が
開通し、明治15年にはここ「幌内」まで開業しています。

今回、私が訪れた三笠鉄道記念館は正にその「幌内駅」のあった場所にあり、
開通順序はともかく、北海道の鉄道は、ここ「幌内」に
石炭があったからこそと言っても過言ではないと思っています。

因みに写っている人物の後ろの人は、北海道の鉄道建設の中心として
活躍したアメリカ人技師『クロフォード』氏で、
手前の人が幌内地区の石炭の調査を行ったアメリカ人地質学者の
『ライマン』氏です。2人とも幌内鉄道…北海道の鉄道の始まりには
欠かせない方たちです。
※三笠鉄道村の分館の位置づけとなっている「クロフォード公園」の名前は
この『クロフォード』氏に因んだものです。
今回、私はクロフォード公園には行ってはいませんが「キハ80系」の
フル編成が静態保存されていることで知られています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!