2011年07月30日 9時01分

三笠鉄道村・三笠鉄道記念館(2)雪かき車・除雪車。

ここ三笠鉄道記念館の展示車両で“特徴”と私が思ったのが
雪かき車・除雪車の充実ぶりです。

上段写真が「DD141」で下段写真は「ジョルダン キ756」ですが、
これ以外にも「ラッセル キ274」「DD1517」
「ロータリー式モーターカー」「排雪モーターカー」が揃っており、
様々な「雪かき車・除雪車」を計6両も堪能できる場所は多分、
他には小樽市総合博物館くらいでしょうが、私は小樽の展示車両を
見ていないので、そのバリエーションまでは分かりません。
ということで、ここに来てこの並びを見た時は、少々感動しました。

何せ名古屋にいては、出動している「雪かき車・除雪車」を見ることはなく、
冬場にどこかに出かけるにしても、やはりその姿を見かける機会は少なく、
特に下段写真の「キ756」という“ジョルダン車”は私の記憶の中には
現存していませんでした。勿論、雑誌等の写真で見かけたことはありますが、
それもいつ見たことやら・・・。

(私の今回の用語の使い方)
●「雪かき車」…自走せず、機関車がないと動けない車両
●「除雪車」…自走して除雪する除雪用ディーゼル機関車

2011年07月29日 18時01分

三笠鉄道村・三笠鉄道記念館(1)開館時間に合わせて到着。

三笠鉄道村の『SL機関士体験クラブ』の「運転体験」では、
まず「学科講習」から始まります。これはどこの「運転体験」でも
毎度の御馴染みです。
ここの「学科講習」のスタート時間は10:30~でしたので、
その前に『三笠鉄道記念館』を見学することにしました。
●『三笠鉄道記念館』の開館時間…9:00~17:00
(休館日・冬期間休館は、三笠鉄道村のHPでご確認ください)

宿から「鉄道記念館」までは三笠市営バスを利用。
宿近くの「クロフォード公園」バス停発8:46に乗車し、
「鉄道記念館」バス停には8:52(定刻)につきました。
因みに、日曜日(7月10日)にも関わらずというか、
日曜日だからなのか最初から最後まで乗客は私一人でした。
本数が少ないので、事前に三笠市営バスの時刻はHP
(三笠市⇒生活便利帳⇒バス時刻表)で確認することを行かれる方には
お勧めします。

ここの展示物については、三笠鉄道村のHPやWikipedia他に詳しく
出ていますので、その紹介は最低限度にしますが、動態保存車両としては、
来村者が1回200円で乗車できるSL列車及び私の参加する
『SL機関士体験クラブ』の「運転体験」で使用するSL(S-304)と、
そのSLが牽くトロッコ車両があります。
一方、静態保存は30両を越えており、車両内に立ち入ることが出来る車両が
無いのが残念ですが、それはそれとしても、これほど大きな展示スペースを
持った施設であるということは、この地に立つまで
全く認識していませんでした。
※車両の“中”に入れると言う意味では『キシ8031』が、
この鉄道村の“食堂”となっており、車内で食事が出来ます。

2011年07月29日 9時06分

いざ、北海道へ!(2)岩見沢駅に到着。

さて、北海道「鉄」旅の第一の目的地は三笠市。
ということで「新千歳空港」発15:49の快速“エアポート157号”で
まずは「札幌」へ。そして「札幌」発16:40の区間快速
“いしかりライナー”で「岩見沢」着17:17。
上段写真は「岩見沢」駅で、駅舎は新しくかつ見た目は巨大ですが、
実際に『駅』として使われているのはそれほど広くはありません。

下段写真は、その岩見沢駅の南北を結ぶ自由通路から撮影したものですが、
ホームの北側(駅舎とは反対側)に広がる広大な構内は、
函館本線と室蘭本線の結節点として、というかそれより何よりというか、
日本の近代化を支えた北海道の石炭輸送が華やかなしり日を
髣髴させてくれるに十分な光景でした。

年齢のせいでしょうか?鉄道を取り巻く変わりゆく風景が気になっています。

そんなことをつらつらと考えながら、「岩見沢ターミナル」発
17:40の「幾春別町」行き北海道中央バスの乗客となり、
およそ30分の後、「三笠市民会館」で下車し、その日の宿に向かいました。
※「三笠」も「幾春別」も鉄道による「石炭輸送」では忘れられない
地名です。

「さて明日は蒸気機関車の運転だ!」とワクワクしつつ、
そんなこともあって簡単には寝付けない夜を迎えていました。
そうっ!北海道「鉄」旅の最初の目的は「三笠鉄道村」での
蒸気機関車の運転体験でした。

2011年07月28日 18時02分

いざ、北海道へ!(1)

7月9日(土)。私は中部国際空港から札幌へ飛びました。
目的は『北海道「鉄道」の旅』。スタッフの先陣をきっての夏休みでした。
時期柄、家族の同行はなく、一人旅でした。もっとも家族でこの旅に
付き合いたいという声はありませんでしたが…。

搭乗したのは「スカイマーク」。
今年の2月に名古屋(中部国際空港)に登場したものの、
私は1年に何度も飛行機を使うわけではないので、初めての利用でした。
※写真は中部国際空港にて撮影。

(往路)
●SKY765便 中部発13:10 新千歳着14:55
(帰路…但し、当初の予約便)
●SKY766便 新千歳発15:30 中部着17:20

因みに“安い”と評判の運賃ですが、往路…13,800円で、
帰路…12,800円で、何れも『前割2』というカテゴリーでした。
空港と市街との交通機関への支払いを考えなければ、鉄道で東京より
ちょっと先に行く運賃で北海道が実現できることになり、時代の変遷を
体感しました。
(参考までに私が会社に入った昭和52年当時の名古屋~札幌の
片道運賃は24,000円!!!)

機体はボーイング737で、機内はそれほど広くはありません。
見慣れないのは、搭乗カウンターと客室乗務員の制服が同じであることで、
流石に“格安航空会社”を標榜するだけのことはあります。
また、噂に聞いていた「機内の水も有料」はその通りで、
成程と思った次第です。ただ機内誌はちゃんとあり、機内の暇つぶしには
最適で、これがあるのは広告収入でカバーしているからかもしれません。

あと私は引っ掛かりませんでしたが、注意したいのは機内預けの
手荷物の重さ。確か15キロが運命の分かれ目で何人かの方が
超過料金を払っている現場を確認しました。
まあ、“安い”には訳があるということですね。
そんなこともありますが、札幌便の場合、本数が他社に比べ少ないのを除けば
特段の不便はありませんでした。

プライベートでの搭乗の場合は、飛行機の時間に『スケジュールを
合わせ』られれば、この選択はありですね。

2011年07月28日 8時26分

近江鉄道の旅(20)昭和54年の乗車券。

私が昭和54年10月12日に使用した乗車券です。

上から、
●「米原」⇒「多賀」…370円(現在:460円)
下段の右側が
●「多賀」⇒「近江八幡」…600円(現在:820円)
下段の左側が
●「近江八幡」⇒「貴生川」…630円(現在:860円)
※32年前との運賃比較をしてみましたが、当時から思ったほど
値上がりしていないような気もしています。

ところで、下段の2枚のような、一枚の乗車券に複数の行き先を印刷し、
乗客に応じてハサミで切り取っていくスタイルは、私の手元に残っている
昭和の乗車券群の中でもここ近江鉄道だけでした。
実際のところ、全ての手持ち乗車券を発掘しているわけではないので、
確たることは言えませんが現状では…、ということです。

じゃあ、記憶の中にこういう乗車券があったか無かったかという点ですが、
見た記憶があるような気がする・・・と言うレベルで、とりあえず今回は、
こんな乗車券もあったと言うことでUPすることにしました。

余談ですが、近江鉄道の有人駅では硬券があります。
集めていらっしゃる方はどうぞ。

(近江鉄道の旅・完)

2011年07月27日 18時03分

近江鉄道の旅(19)高宮駅点景。

今回の近江鉄道の旅で、昭和の風情を残していると感じた駅の一つが
本線から多賀線の分岐駅であるここ「高宮駅」です。

上段写真では、一番奥に私が「多賀大社前」から乗ってきた
「226号」が停車し、手前には「701+1701」
(「米原」発15:38、「高宮」発16:10、「貴生川」行き」が
停車しています。
下段写真は、私が「高宮」から乗り込んだ16:10発「米原」行きです。

何がこの駅でよいかと言うと、まずは上段写真のホームです。
写真では分かりにくいですが、分岐駅らしい“三角ホーム”となっており、
その形状もさることながら、ホームそのものの雰囲気がまた『ローカル』の
いい味を出しています。
また構内踏切も、いい感じです。

ところで、駅の構内は“昭和”の「高宮駅」ですが、実は駅舎は違います。
そのギャップも面白いのですが、それは是非、皆さん自身の目で
お確かめください。

2011年07月27日 8時13分

近江鉄道の旅(18)『22系統』って?

ワンマン運転の「226号」の車内で、写真の『運賃表示器』を見つけました。

まあ、ワンマン運転の電車・気動車でよく見かける装置ですが、
ちょっと他で見かけない(私だけではないですよね?)のは、
他を圧倒する大きさの一番上の『22系統』の文字。

実は名古屋に戻ってから、こういうことの事情通に写真を見せ、
話しを聞いたところ、「考えられるのは・・・」ということで教えて
もらったのが次の“可能性”です。
1)この運賃表示器は、経費節減のため、鉄道用ではなく、
“バス用”を改造せずにそのまま使用しているのではないか。
ひょっとしたら中古かも?
2)バス用の運賃表示器を使うには、“系統番号”を設定する必要があるのでは?

彼曰く、推理であって正解とは限らないとの事でしたが、
私は結構、納得しました。

ということで、一応の結論(?)です。
『22系統』は、「多賀大社前」⇒「高宮」間の電車のことである。
・・・でも、他の区間の時は、それぞれ何系統となるのでしょう。

で、ここまで思わせぶりで書いてしまいましたが、7月14日に、
JR北海道のワンマン列車で運賃表示器を確認したところ、
右下に『小さな』“系統番号”の文字と、『小さな』番号の電光表示が
あるのを発見しました。
やはり様々な区間をワンマン運転する場合、その区間ごとに“系統番号”を
作り、その番号で『運賃』を管理するのは合理的な発想だと感じました。
ただ、ここ近江鉄道のようなデカい“系統表示”のある運賃表示器は、
“系統番号”に意味のある市街地を走るバスや路面電車用と思わざるを
得ませんでした。

とまあそれはともかく、この「多賀大社前」発「高宮」行きには、
アテンダントさんが乗車されており、何と私はアテンダントさんから車内券を
買いました。
その車内券は私の想像とは少々違い、駅名入りにパンチを入れる
タイプではなく、一枚一枚乗車駅・降車駅を手書きするもので、
多少の収入にはなるのでしょうが、趣味のために手を煩わせてしまった気が
しています。

2011年07月26日 18時00分

近江鉄道の旅(17)釣掛電車は楽しい!

多分、多くの「鉄」の方には『220形』という呼び方が一般的と
思われるのが写真の電車です。
「多賀大社前」から戻るときに巡り合いました。
(スノープロウ付きの226号です)

ただ近江鉄道の時刻表には『221形』とありました。
その“時刻表”の説明には「老朽化した100形の後継車として登場した
1両固定の車両で、現在6両が在籍しています。吊り掛けモーターに
エアサスという台車は全国的にも貴重なものです。」とあります。

この電車に詳しい知人の言葉を借りれば、様々な車両部品を利用して
車体が作られたことで知られているそうで、近江鉄道・彦根工場の
技術力の結晶とも言える存在だそうです。
というよりも、近江鉄道だからこそ生まれた電車とも言え、他の鉄道会社では、
例え大手の鉄道会社でもそうそうはこうした電車は作れないそうです。

ものの例えとして、模型“鉄”の方で、既製の車両を短くしたり、
幅を狭くしたりしつつ、オリジナルの車両を作る人がいますが、
それを本物の電車でやっていると説明されました。
勿論、公共交通機関の車両なので、安全基準等のクリアは当然の事ですが、
模型の改造も、模型を知り尽くしていないと出来ないことと同じで、
近江鉄道の職人さんの知識とアイデア、技術力は賞賛に値し、
それが引き継がれているのが『凄い』のだそうです。

そうした事は、この電車に乗った時点ではまだ知らなかったのですが、
それはともかく驚いたのが、下段写真のブレーキハンドル。
「Wikipedia」によれば『HRD電気指令式ブレーキ』というようですが、
何れにしろ、“エアサス”を含め、驚くべき特色をフル装備した電車で、
たまたま乗れた運の良さに感謝しています。

見て楽しく、(吊り掛け音を)聞いて楽しく、さらに乗って楽しい電車は、
名古屋から1時間の近い場所にいました。

2011年07月26日 9時05分

近江鉄道の旅(16)「多賀大社前駅」の変遷。

昔「多賀駅」、今「多賀大社前駅」。
平成10年に今の「多賀大社前駅」となりました。

上段写真の“多賀大社”の『大鳥居』は以前と変わっていないはずですが、
中段写真の現「多賀大社前駅」(平成23年5月4日)と、
下段写真の「多賀駅」(昭和54年10月12日)では相当の開きがあります。

“多賀大社”は名古屋の人には、あまり馴染みが無いかもしれませんが、
今も多くの参拝客が訪れています。ただその足としてこの鉄道が使われて
いるかと言うと平成の今は『さほどでもない』と言わざるを得ません。

(思い出話し)
私が小学生の低学年の頃、両親が何を思ったのか、その年に限り、ここ「多賀大社」に初詣に出かけました。
まず名古屋から彦根に向かう猛烈に混んだ国鉄の急行電車に乗り、
彦根からも満杯の電車に乗り継ぎ、一体、どこからこんなに人が
集まってきたかと思うほどの人並みの中を「多賀大社」に向かった
記憶があります。
50年ほど前の出来事ですが、未だに覚えているほど強烈な体験だったことは
間違いなさそうです
●国鉄の電車は急行であったことは間違いないのですが、列車名は不明です。
何せ、「鉄」に目覚める前の出来事です。

下段写真でイメージを膨らませてみてください。この小さな駅舎に、
入りきれないほど多くの善男善女が溢れ、そして「鉄道」が人々の
交通手段の主役だった時代があったことを・・・。

2011年07月25日 19時16分

地下鉄桜通線の「可動式ホーム柵」全駅稼動。

遂に先週の土曜日(7月23日)、名古屋市営地下鉄桜通線の全駅で
「可動式ホーム柵」の設置が終了、現在稼動中です。
※写真は、一見どこの駅かが判別できませんが、間違いなく「野並駅」です!
 ホーム柵の『水色』のカラーリングでご判断ください。

思えば1月22日の「中村区役所駅」を皮切りに、「徳重」延長を挟み、
当初予定から1週間遅れて完成に漕ぎ着けました。

さて今回、これをUPするかどうかというか「まぁ、いいかな」という気が
しないでも無かったのですが、『ケジメ』ということで書くことにしました。

ところで「ホーム柵」と6000形の停車位置のずれから“柵が開かない”
事態がまれにあり、「停車位置」修正を行うことがあるということを
このブログでも書いていましたが、何と、私も経験する羽目になりました。

場所は「新瑞橋」駅で、電車が止まった時に『あっ!電車のドアが、
「ホーム柵」の開口部に届いていない!』と思ったら
案の定、運転士さんから『停車位置を修正します。しばらくお待ちください』
との案内放送が入りました。
※今回は、本来の停車位置から多分、50センチ程度手前に停車。
 ドア端は、「ホーム柵」開口部から10センチほど外れていました。
 上記、“センチ”の数字はあくまでも私の感覚であり、
 正確な数字とは言えません。お許し下さい。

それから車両無線の声(音?)が「乗務員室」から聞こえ(内容は不明)、
1分少々経ってから徐に、30センチほど前進し停車。
やっとドアは開きました。
結果、この電車は1分半ほど遅れての“到着”となり、乗換のお客さんは
ダッシュで名城線ホームに向かっていきました。

(感想)
停車位置の修正は、意外と時間がかかる・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!